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Episode 4.結

Episode 4.ゆめとはじめのおわり

 ルール違反。

 第二ボタン争奪戦において、部外者の手出しは禁止とされている。

 それは、はっきりとそう明言されたわけではないけれど、そういう意味合いでライオンの着ぐるみに強く掴まれた腕の感触がまだはっきりと思い出せた。


「私のことも殺す気? さっきの人みたいに」


 語気を強く、そう言ってみせる。

 今の私には強がって虚勢を張ることくらいしかできない。

 心の隙を見せれば、そこに付け込まれてしまう気がした。


「おやおや、人聞きの悪いことを言うなあ。ルール違反に対して相応の罰を与えただけじゃないか」


 そうだ、陰寄りの第二ボタンはルール違反が可能というだけであって、その行為が許されるわけではない。

 だとすれば、やはりルール違反の罰イコール死ということになる。

 ストーカーを殺して、私のことも殺すわけだ。


「ルール違反、って命を捧げてでも償わないといけないほど良くないことなの?」


「おや、なんだか話が噛み合っていなくないかい?」


 おまえがそれを言うか。

 むしろ今回の方がまともに会話が繋がっていたと思ったけど、こいつの中では認識が逆なのか?


「とぼけないで。ルール違反だけじゃない、同意を得ず勝手に参加させた儀式でもう何人も殺してるんでしょ」


 敗北しても好きな人との縁が切れるだけなら、ペナルティだとしてもまだ納得できた。

 でも死ぬとなれば別だ。

 デメリットがでかすぎる。


「キミはそこが腑に落ちなかったんだね。安心していいよ、ボクは誰も殺してないから」


 嘘だ。


「ボクはちょっと声を掛けたりしただけさ、罰にしてはヌルいものだろう?」


 詭弁だ。


「偶然そのタイミングが死ぬ直前だったってだけでね。まったく、濡れ衣もいいとこだよ」


 そんなもの、駅のホームで電車を待つ人の背中を押すのと変わらない。

 直接殺したのは電車かもしれないけど、原因は間違いなく押した人にある。

 どれだけ言い訳を重ねたって、参加者の死の原因がライオンであるという事実は塗り潰せない。


「どうして人を殺したことを認めないの」


「おやおやおやおや、仮にボクが殺人を犯していたとして、キミに関係あるのかい? キミに関係のない人間がどこでどう死んだかなんて、キミに関係あるのかい? キミは長谷川(はせがわ)(はじめ)以外がどうなろうと興味のない人間だろう?」


 そこは、ライオンの言う通りだった。

 肇以外どうでもいいと考えていた。

 ついさっきまでは。

 肇のことしか考えられなかったから、肇のことを諦めきれなかった。


 だから肇が私のことを気になるようにと、肇の優しさと同じ優しさの更にその先を目指すことにした。華蓮と同じ優しさを、誰にでも手を差し伸べる、そんな道を目指して歩くと決めたんだ。


 断じて、私も華蓮を好きになってきたとかそんなわけじゃないんだからね。絶対。


「これ以上犠牲者を増やさないために、ライオンさんの第二ボタンを私が貰う」


 ストーカーの第二ボタンを切り取った糸切りばさみの切っ先をライオンの胸に向ける。

 私の身は私自身で守る。


「肇のあの二回戦。私が儀式中の世界に入れたのはイレギュラーみたいだけど、ライオンさんは違うでしょ? その第二ボタンがなければ逆にライオンさんは元の世界に戻れないんじゃない?」


 ライオンの着ぐるみの毛色に同化して見にくいけれど、こいつも金色の学蘭を着ていて五つのボタンで前を留めている。

 つまりライオンも第二ボタンを持っている。


「それとも消えちゃう、とか」


 そうなってくれれば第二ボタン争奪戦の犠牲はここで止まる。

 もし肇が負けてしまっても死ぬことはない。

 私も罰を受けなくて済む。


「おやおやおや、キミの手にそんなものを握らせてしまって悪かったね。怯えさせる気はなかったんだ」


 別に私がはさみを構えてるのは恐怖心からじゃないんだけど。

 これはあれか、次の瞬間には命を取られている「怖がる暇もなく殺す」というやつか。

 ライオンの所作に、より一層の注意を払う。


「キミの怯えている通り、部外者が戦いに手を出すのは重大なルール違反だ。ようやく話が噛み合ってきたね」


 全然噛み合ってねえ。

 違うな、最初の話に戻ってきたのか。


「ルール違反には罰を与えないといけない。でもキミはルールを犯していないだろう?」


 …………は?

 このライオンは何を言ってるんだ。

 目に節穴でも空いているのか。


「私があのストーカーの第二ボタンを取ったんだけど」


 はさみを握り直す。

 まさか(クジラキ)の第二ボタンを切り損ねた……?

 だったらストーカーが項垂れていた理由に説明が付かない。

 私が第二ボタンを制服から切り離し勝利したのは確かだ。


「ボクがこの目で見たのは、六ツ森(むつもり)陸奥樹(むつき)が勝手に飛び降り自殺したところだけだよ。(クジラキ)の第二ボタンはそのとき地面に体が叩き付けられた衝撃で外れたか、そのあと降ってきた巨大弓に潰されたか、とりあえずなんかで失くしてしまったんじゃないかな」


 そんなこじつけみたいなことが認められて良いのか。

 あの場には私とストーカーとライオンしかいなかった。

 一番の証言者になり得る被害者のストーカーは死んでしまってもういない。


「だからキミは無関係だよ。ボクだって仲良しさんに意地悪なことはしたくないんだ。それじゃあね」


 本当に私には何も手出ししないようで、私の時間だけ無駄に潰したライオンは既に消えていた。

 というか、私を罰するために来たわけではない、つまり私に用がなかったということは、逆に私が無駄な質問をしてライオンの時間を奪ってしまっていたのでは?


 それとも敢えて私と話してくれていた?



 ストーカーの死因が私だと気に病まないように、ライオンが気を利かせてくれた?

 いやいや、あのライオンがそんな他人を気遣うようなことを考えるはずもない。


 私はライオンが瓦礫を退けてくれた階段を下りる。

 突然消えたということはどこからでも現れられそうなのに、わざわざ塞がれた階段から上ってきたのは何故だろう。

 私の帰り道を作るために?

 ライオンの真意はわからない。

 結局、話しをしてても何も進展はなかったし。

 矢張りこれからは真面目に会話するのやめよう。


 一階まで下りる間に頭も興奮もすっかり冷め切っていた。

 渡り廊下を歩きながら、思わず校舎と校舎の間にある中庭に目が行ってしまう。

 ストーカーの落下地点には人だかりができている――

 かどうかはわからなかった。


 というか私は屋上にいるらしかった。

 ……またかよ!

 まだ肇にも会えていないのに。

 わざわざ下りてきた意味がない。


「おや、よく会うね。どうして何度もここに来れるんだい?」


 ライオンの着ぐるみが私の方を振り向いていた。

 そんなの私の方が聞きたいよ。


 風景が二回戦のときと全然違う。

 青いはずの空は不安になるほど真っ赤な夕焼けに染められ、今にも鮮血が降り注ぎそうで不気味な暗雲が垂れ込める。


 学校のグラウンドのようなものが目の下に広がるからここが校舎の屋上だと判断できたけど、鉄骨しか残っていない建物を見たときは今度は工事現場で戦うのかと思ってしまった。

 でも空色も相まって工事現場のような整然さは全くない。

 荒廃した世界。


 丸太の矢によって学校が破壊されたから、こっちの世界にも影響が及んだのか。

 この世界は第二ボタン争奪戦の中心である華蓮が見ている景色だと、ライオンが言っていたっけ。

 華蓮はきっと優しいから、彼女の目にはあの惨状が誰よりも酷く映っていたことだろう。


 ま、今は他人の心配よりも自分の心配。

 周りが鉄骨だらけということは漏れなく私もさっきからずっと鉄骨の上に立っているわけだった。

 強風に煽られただけでバランスを取られて落ちてしまいそうで、筋肉が強張って脚にずっと無駄な力が入っている。

 今にも膝が笑い出しそうだった。


 ここが屋上だからか、どこにも掴まれるところがない。

 足を滑らせないように気を付けながらゆっくりゆっくりライオンの方へ近付いていき、その腕を柱代わりに抱き着いた。

 試しにちょっと引っ張ってみても微動だにしないくらいの安定感がある。

 もふもふしているし安心感も抱き心地も存外悪くない。


「おや、キミの体は随分とフワフワしているね、特に胸が。厚みは申し分ないけど、そんなに柔らかい胸じゃあボクは籠絡できないよ。もっと硬い胸板じゃないとね」


「うるせえぞホモライオン」

 誰がおまえなんかに色仕掛けを使うかよ。

 この乳は肇のためだけに育てた乳なんだから、失礼な勘違いをしてくれるな。


「キミは最近心の声が漏れているね……。ボクが六ツ森陸奥樹を殺したってまだ疑っているのかな?」


 ライオンの声のトーンが少し落ちた気がした。


「その件はもういい。っていうか私最初から元々ライオンさんのことそんなに好きじゃなかったし、ライオンさんが何をしようと私はなんとも思わないかも」

 あのストーカーだって私の話は全然聞かないし肇を殺そうとしたし、まあ死んじゃったなら死んじゃったで良いのかなって。

 私だって一度は殺す覚悟を決めていたのだから、そこをしつこく責めることはできない。


「キミも中々に酷い性格をしているね。キミが第二ボタン争奪戦に参加していたら、(クジラキ)の第二ボタンの持ち主はキミだったかもしれないね」


 ライオンの言うこともまた酷いけれど、その声色に皮肉が籠められているようには聞こえなかった。

 純粋にそう思われているのもそれはそれで酷いのだが。


「いやあ、それはないでしょ。私なら……そうだなあ。(ネコギ)、とか?」


 うん。好きな人を好きになる私の気持ちは誰にも負けないし、好きな人のためなら何だってできちゃうから、愛がぴったりだと思う。


「おやおやおやおやおやおやおやおやおやおやおやおやおや、それはないよ」


 ライオンに全力で否定される。


 いやいやいやいやいやいやいやいや、おやおやおやおやおやおやおやおやが多過ぎるでしょ。

 絶対に私は(ネコギ)だって。

 (ネコギ)以外ありえない。

 ま。私が第二ボタン争奪戦に参加してたら、の話なんだけど。


 現実的なところに話を戻そう。

 気を抜いてはいけない。

 ここは鉄骨しかない屋上なのだから。


「私を落とそうとしないでね。あとライオンさんも落ちないでね」


 このライオンの言動は全く先が読めないから、念を押してお願いしておくしかない。


「一度ここと同じ高さから飛び降りた子がよく言うよ」


 肇が泰尚に勝ったときのことか。


「あのときはテンションでカバーできてたから」


 好きな人の大逆転勝利を目の当たりにすれば、一秒でも早く祝ってあげたくなるのは当然でしょ。


「キミの予想外さも大概だよ。ホント、今回はイレギュラーが多くて困るなあ」


「ああ。言ってたね。誰かに無理矢理開始させられたんなら、中止とかできないの?」


 あのとき急に元の世界に戻されて中断された会話の続きを試みる。


「ボクはあくまで進行役だから、第二ボタン争奪戦を円滑に進めるくらいの能力しか持っていないんだ。一度始まってしまった儀式は、第二ボタンの持ち主が一人になるまで終わらせることができないし、今回はもうトラブルだらけで正直迷惑極まりないよ」


 異常な力を持っていそうなこのライオンがただ誰かに従っているだけ……?


「ライオンさんの上司的な立場の人ならまだしも、普通の人がこんな儀式なんてできるの?」


「おやおや、第二ボタン争奪戦についての基本的な知識と、九人分の第二ボタンを揃えるほど力があれば、できなくはない、のかなあ」


「曖昧だなあ……」


 儀式の知識だけならなんとかなるかもしれない。現に私は参加者でもなんでもないのに、第二ボタン争奪戦の存在を知ってしまっているし、ライオンのこのガバガバな管理具合なら過去に私と同じような境遇に遭って知識を得た人がいても疑問はない。

 ただ、力はどうだろう。

 どんな力を持っていれば、こんな儀式が開けるのか。このライオンをも従わせることができるのだろうか。

 想像もつかない。


「ま、儀式が始まっちゃうほど上河合華蓮を振り向かせたい気持ちが大きいんだろうね」


 ライオンが一人で納得する。

 私は納得がいってない。

 だってそれって私の肇を想う気持ちの大きさが、他の誰かに負けてるってことでしょ。

 肇を中心にした第二ボタン争奪戦が始まっていないことがそれの証明になってしまっている。

 まあ面倒臭いから始まって欲しくないけど。


「ほらほら。始まるよ」


 ライオンが空を仰いだ。

 何かが降ってくる。

 細長い。

 肇とその対戦相手かと思ったけど違う。


 鉄骨がグラウンドに突き刺さった。

 それも一本だけでなく、いくつも。

 丸太の矢を放つストーカーの攻撃を想起してしまう。

 鉄骨が降り注いだグラウンドは、まち針が疎らに並ぶ針山のようだった。


 最後に人間がゆっくり降りてくる。

 藍色の服と、白色の服。

 私の肇と、最後の対戦相手だ。


 華蓮と結ばれる相手を決める最後の戦いが始まる。


「なんか九人しかいないと、あっという間に決勝戦じゃない?」


 一回戦で九人から五人に。二回戦で五人から三人。準決勝戦で三人から二人。決勝戦で二人から一人。

 肇はシード権で一戦少ないから尚更早く感じる。

 準決勝も、ルール違反した相手と私が戦っちゃったし。

 ……肇、一回しか戦わずに決勝戦に進んじゃってない?


「おやおや、キミはなんでも訊いてくるね」


 今は何も訊いていないが?!

 ニュアンス的には同意を求めるのに近かったと思うんだけど?


「そんなキミのためにね。実はこういうのを用意していたんだ」


 ライオンが鬣の中から眼鏡を取り出した。

 脈略がまるでわからない。

 逆に、この答えを返してもらうためには、どんな問いを投げ掛ければいいのだろう。

 考えながら眼鏡を見つめていた。


「おやおやおやおや、もしかして眼鏡の使い方がわからないのかい?」


「それはわかるよ」

 うるさいなあ。


 私はしぶしぶライオンが差し出す眼鏡を掛ける。


 藍色の学蘭を身に纏い、鞭を握る肇がくっきりと見えた。

 まるで双眼鏡を覗いているようだ。


 うん、まあ、こんな眼鏡の使い方は知らないわ。


「双眼鏡よりも眼鏡の方が、軽いし手も空いて良いでしょ」


 そう言うライオンは、タブレット端末の画面を至近距離でガン見していた。


 お前がこの眼鏡を使えよ……。


 まあ、でも、その光景に目が釘付けになってしまうのもわかる気がする。

 肇の前に立ちはだかる白い学蘭は胸元で優しく膨らみ、下半身にはスカートが穿かれていた。


 女の子だ。

 男しかいないと思われた一人の女の子を奪い合う戦いの中で、それは目を見張るに値する。

 視線を上げれば、見たことのある顔が目に入った。


「あたしが女だからと驚いているんですか? いまどき珍しいものでもないでしょう、同性愛なんて」


 可愛い華蓮ファンクラブ・会員ナンバー〇〇二番、柚木咲(ゆずきざき)結夢(ゆめ)

 彼女の声が、私の耳元――ライオンに渡された眼鏡のツルから聞こえてきた。

 その音に驚いたのと気持ちがわるいのとで、私は反射的に眼鏡を外す。


「最新の、“奥歯”っていう技術を取り入れてみたんだ」


 ライオンが隣で胸を張る。


 奥歯……? なんだその機能は。最先端すぎるだろ。

 口腔内を思い浮かべてみる。どれだけ想像を膨らませても、それはもっとも原初に近いアナログ的な構造でしかなかった。


 奥歯、奥歯……、と頭の中でこねくり回していると漢字で奥歯が浮かび上がってきた。

 漢字、というか文字に引っ張られて、忘れていたどうでもいい記憶が呼び起こされる。

 いつだったか、イヤホンを探していたときに見た記事で“Bluetooth”が“青歯”と表記されていた。


「ねえライオンさん。もしかしてなんだけど、青歯を奥歯と読み間違えたりしてない?」


「弟の奥歯をね、無理言って引き抜いて来たんだ」


 無理すぎるわっ!

「勘違いでなんてことしてんだ。思い切りが良すぎるぞ」


 …………。

 見ず知らずの人の奥歯に衛生面での生理的な嫌悪感を抱きつつも、罪なき被害者である弟の犠牲を無下にはできず、私は眼鏡を掛け直した。

 ってか、Bluetooth以上かよっ、着ぐるみライオンの奥歯の機能。

 人の世に現れたら乱獲されちゃうな。


 掛け直した眼鏡の焦点を肇に合わせる。

 はあ。ほくろまでくっきり見えてしまう。この眼鏡、持ち帰りたいな。

 格好良くて可愛らしい肇の胸元では、第二ボタンが光を反射して藍色に輝いている。

 愚鈍(アカメハクト)の第二ボタンは覚醒したままのようだ。


 良かった。

 これなら肇も本気が出せる。

 俵嵯峨泰尚相手に無双していた光景が目に浮かぶ。


 対する結夢の第二ボタンはメッキ調のままで、切れ目がいくつか入った細長い楕円の模様が彫られていた。

 つまりまだ覚醒前。

 良かった。

 結夢がどれだけ強いのかはわからないけれど、肇でも互角に戦えそうな気がする。


「ライオンさん、あの羽?模様の第二ボタンが(ウワシロ)で間違いないんだよね」


 その問いに返事はなく、ライオンは私を凝視して震えていた。


「どうしたの」


「もしかして、キミが第二ボタン争奪戦を始めたのかい? (ウワシロ)の第二ボタンと模様をそれで知ってて」


 そんなわけないでしょ。

「肇に教えてもらったから知ってるだけだけど」


 思い込みが酷すぎるにも酷すぎる。

 それだけ一人で勝手に考えてたら会話も成り立たないか。

 でもまあいいや。ライオンの反応から察するに結夢の第二ボタンは(ウワシロ)で合っている。

 ルール違反者を放置し、たくさんの人を見殺しにしながら、自分は逃げた(ウワシロ)


 それも好きな人を守るという為ならば、正しい行動だったのかもしれない。

 華蓮を一見一網打尽にされそうな危険な集団の中にいさせたのも、好きな人を守りつつ、第二ボタンの持ち主がわからないようファンクラブに紛れるためか。

 結夢の作戦は成功し、私たちには一切の情報を与えず、ゆえに対策も立てられず、それでいて華蓮をきちんと守り抜いた。


 目的のために全てを捨て去れる人間だ。

 強くない訳がない。

 第二ボタン争奪戦を開催できたと言われても納得できる。

 最後の最後に超最大級の化け物が肇の恋の行く手を阻んできやがった。

 肇が想いを叶えるためには、これを乗り越えなければならない。


 二人の得物をチェックする。

 肇の武器が鞭なのに対し、結夢が両手に握り締めているものはメリケンサックだった。

 鞭よりもリーチが圧倒的に短いし、殺傷性も泰尚やストーカーが使っていた武器と比べてだいぶ低い。

 第二ボタンが覚醒していることも加えれば、肇はかなり有利な状況にあるのでは?


[NS](ニードルサック)


 結夢が拳を構えると、指のような長さで太さの棘が四本ずつ両手のメリケンサックから突き出てきた。

 メイドさん――いや執事の方が近いか、そんな感じの落ち着いていて頼れるお姉さんの雰囲気を醸し出しながら、なんて不釣り合いなエグい武器を使いやがるんだこの女は。


「まだ世の中には同性愛を貶める時代遅れな方々も居られますが、あたしに言わせていただけば異性愛の方が余っ程不純できもちわるい」


 その価値観もどうかと思うけど。

 たとえ性別が逆転していようが互いに同じ性別だろうが関係なく私は肇を好きになっているだろう。肇そのものが好きなのだから。

 肇も同じ考えを持っていてくれたら嬉しいなってその横顔を盗み見てみれば、肇も苦言を言いたそうにしていた。


「あたしには異性の方の考えていることが全く理解できません。……あなたには異性の気持ちが完全に理解できますか? できませんよね。異性がこの世で最も分かり合うことのできない汚らわしい生き物だとは思いませんか!」


 そんなの暴論だ。

 同性であったって互いの気持ちを理解し合うことなんて不可能なのに。


「あたしが華蓮様と永遠に結ばれてしまえば、そんな異性が華蓮様に手を出すことは今後絶対にありえませんよね」


 気圧され、肇が一歩下がる。

 結夢の目付きは肇を人として見ていないようだった。


「華蓮様の純潔はあたしが守ります」

 

 結夢が大きく一歩踏み込む。


[SN!]サディスティックナックル


 鐘を撞いたような大きな音がごおんと鳴った。


「あたし、間違ってませんよね?」


 速すぎて見えなかった。

 地面をたったひと蹴りしただけで、肇のおなかに拳をめり込ませながら引き摺り、更にはその背後に立つ鉄骨にまで叩きつけていた。


 泰尚のロケットパンチ以上の速さで、それ以上に質量が乗った結夢の攻撃。

 それを真正面から受けてしまった肇は両手で胸を押さえながら痛みで項垂れていた。

 そう。両手で。


 不意打ち的な威力の攻撃を受けたときの衝撃か、痛みで落としてしまったのだろう。

 泰尚と善戦したときに活躍した鞭は結夢の足元に転がっていた。


「適応力があるのになんでいきなりピンチになってんの!?」


 居ても立ってもいられなくなって、私はライオンを揺さぶる。

 ライオンの着ぐるみが御神籤でもなんもないことはわかりきっているのに。


「おやおやおやおや、長谷川肇の適応力は最下級の能力だって教えたじゃないか」


 確かに、最初はそう言ってはいたけども。


「それでも予知能力くらい強くなったんじゃないの? 泰尚との戦いで成長してさ」


 その泰尚に勝ったことが何よりもの証明だろう。


「そうだとも、キミも充分に理解してるじゃないか。俵嵯峨泰尚に適応した長谷川肇の強さは、俵嵯峨泰尚限定なのさ」


「……ちょっと待って。どういうこと」


 本当は訊かなくてもわかっていた。わかりたくなかっただけだ。

 ライオンの言葉を聞くよりも前の時間軸の世界に魂が置き去りにされてしまったかのような放心感に襲われる。

 かろうじて付いて来られた不安だけが脳内で膨れあがりマイナス思考に支配される。

 ――肇の強さは対戦相手が変わる度にリセットされる――


「……間違いかどうかはわからないですけど、正解ではないと思います」


 肇の口から血と共に結夢への反論が吐き出された。

 適応力が発揮できていないことに気付いていないのか。

 やめてくれ。これ以上結夢を刺激しないでくれ。

 でないと、肇の命が危ない。


「そこに上河合さんの意志はあるんですか? 生涯、男性と関わりたくないという――」


「あるに決まっているでしょう!」


 結夢は断言する。


「何せあたしの体を犯した猥雑な屑男の手によって、華蓮様はご学友を八人も亡くされているのですから!」


 ああ。結夢も華蓮も、あの事件の被害者だったらしい。

 幼い心に植え付けられたらトラウマが今も根付いたままであるのなら、それはとても可哀想なことだと思う。

 こんな暴走をしてもおかしくないのかもしれない。


 でも、同情しては駄目だ。

 私は肇を応援しないと。


「それって――」


 何かを察する肇。


「ええ。貴方も耳にしたことがありましたか。あれは六年、いえ五年前のこと。恥ずかしながら当時のあたしは周囲の同級生より成熟していると自負しておりました」


 心底嫌そうな顔で結夢は語り始める。昔の自分に羞恥と侮蔑を向けるように。あるいは誰かを恨むように。


「ですから顔と要領の良かった男性教諭から体を求められたとき、あたしは自分が大人に認められたんだと嬉しくなりそれを許してしまったんです。何度も愛を求められ偽りの恋に落ちていたあたしには、幾人かの同級生が行方不明になっていようと関心のないことでした」


 一呼吸置く。

 次の言葉からは一切の感情が消えていた。


「あの日、あの時、偶然にも巡り合わせが悪かったのでしょうね。あたしの先生が地味な女生徒に関係を迫っているところへ、あたしは居合わせてしまったんです」


 淡々と紡がれていく言葉はまるで他人事のようだった。

 他人事だと思い込まないと時間を進められなかったのかもしれない。


「その光景だけで全てが繋がりました。先生がこれから何をするのか。これまで何をしてきたのか。犯して殺してきたのでしょう。それとも殺してから犯していたのか。順序は特に関係ありません。男の片手は女生徒の首を締め、もう片方の手はスカートの中へ入っていくところでした」


 思い出したくもない過去なのか。結夢は頭を抱える。


「そのときの感情は覚えていません。男が浮気したことに憤怒したのか、見境のなさに嫌悪したのか、殺人犯であることに恐怖したのか、女生徒に嫉妬したのか、浮気されたことであたしは自信を喪失したのか、心も体も汚されていたことに絶望したのか、それとも別の何かか。はたまたそれら全てか! 一瞬の内に得た情報が幼かった頭では処理し切れなかったのだと思います」


 抑揚の無かった語り口に熱が戻りはじめる。

 興奮していっているのがわかる。


「ただ不思議と、好きだと思い込んでいた人物に全く魅力を感じていなかったことだけは確かでした。あたしは女生徒に覆い被さる男の頭を後ろから殴りつけ、意識が無くなった体を教室のベランダから落としました。男は死んでしまいましたが犯人探しは行われませんでした。例えば犯行が目撃された際は慌てて逃げるであろうことから、この件は前方不注意による不運な転落事故として処理されたんです! ……それって、死んだ男が悪くて、裁かれなかったあたしは正しいってことですよね?」


 指の隙間から見える誇らしげな顔からは、殺人という行為に対する心理的抵抗など微塵も感じられなかった。

 怖がっている大事な人のために醜い害虫を駆除する気分なのだろう。

 肇のこともきっと……。


「さて、さてさてもうお気付きでしょうが、あたしが助けた最後の被害者になりかけていた彼女こそ、上河合華蓮様、だったんですよ。亡くなられた生徒は皆、仲の良い方ばかりだったそうですが、華蓮様はその悲しみを乗り越えられました。理不尽に襲ってくる男への恐怖心と向き合われました。ご友人であった八人の命の分まで、いえ、それ以上の分まで生きようとする、元はどこにでもいるような普通の少女だった少女は、努力を重ねることでゆっくりとですが確実に、花を開いていきました」


 結夢が手を広げ、天を仰ぐ。


「そうなんです。華蓮様も最初から美しかったわけではありません。所作、性格、身嗜み、それらを磨き上げることによって、今のような可憐な姿を創り上げていったのです」


 左手と右手を指同士が舐め合うように絡め合わせる。


「外見も内面も美しい、そんな華蓮様が、クラスの中心的な存在になるのは当然でしょう。皆に囲まれることでまた一段と強く輝かれました。あたしもそんな華蓮様の強さと美しさに惹かれていきました」


 小さく、華蓮様の強さの中にあたしの強さも少なからず影響していればどんなに嬉しいことでしょうか。と続けて呟いていた。ライオンのこの眼鏡とスピーカーがなかったら聞き逃していただろう。


「ああ、華蓮様はとてもお美しくなられました。ですがそれは本来の華蓮様では在られない」


 結夢は目線を伏せる。


「無理をされているんですよ、異性に舐められないために、親しい人を守るために、同じ悲劇を繰り返さないために。一度砕けてしまった心の硝子をもう二度とひと欠片もなくさないよう、必死に掻き集めながら。……そんな日々を送っていれば、些細なきっかけで今度こそ本当に壊れてしまいます」


 そして肇を睨み付けた。

 全ての男性の象徴がそこにあるかのように。


「だからあたしは第二ボタン争奪戦を制さなければなりません。もう華蓮様に無理はさせない。華蓮様がありの儘で日常を過ごせるように。本当は弱い華蓮様を、あなたのような悪の手から守るために!」


 結夢が全力で挑んでくるのも理解できた。できてしまった。

 まさに主人公らしいストーリーだ。


 悲劇のヒロインを救いたいヒーローの物語。

 誰が見ても、この儀式を勝ち抜かないといけないのは柚木咲結夢だと思うだろう。


 でも、肇だって。

 私だって誰にも負けないくらい肇を想っているのだから、肇には勝ってほしい。

 肇に幸せを掴んでほしい。


 それは――

 他の人の、結夢の幸せを奪ってでも?

 ……違う。肇が華蓮を幸せにすれば結夢の夢も叶う。


 結夢が儀式に負けても、私が彼女を死なせなければいいだけだ。


 全員が幸せになる未来は肇に勝ってもらう他ないんだ。


 肇のことを悪呼ばわりした結夢のことを、私が許せるかどうかはわからないけれど。


[SN!]サディスティックナックル


「あたしの想いが間違っているなんてありえません」


 為す術もなく肇はまた鉄骨に叩き付けられた。


 でも、どうやって対抗すればいいんだ

 こんな主人公級の強さの相手に。


 いや、私にとってはヒーローの肇なら、この状況をひっくり返せるだろ!


「肇はいつ結夢先輩に対して適応力を使えるようになるの?」


 ライオンならわかるかもしれない。


「完全に適応するためにはそれなりに情報を集めなきゃならないから、まだまだ時間はかかりそうだね」


 具体的な答えは返ってこなかった。

 しかし発動できない、という否定もされなかった。

 逆転するチャンスはある。


 対泰尚戦では、限界まで痛め付けられてからようやく発動できていたっけ。

 嫌な考えが頭をよぎった。

 ボロボロの肇が目に浮かんでしまった。


「適応力は相手を上回る能力じゃない。あくまで相手に合わせるだけの能力なんだ。そりゃあ予知能力に匹敵するときもあるけど、予知能力ほど万能な能力じゃあない」


 それはまあわかるけど、突然どうしてそんな話?


「通常であれば適応力を発動したうえでの動作は全て、相手が苦手とするものになる」


 ううん、ライオンの言いたいことがわかったような気がした。

 それは逆に言えば、相手自身も知らなかった欠点をわざわざ教えてあげているようなものではないだろうか。


「……つまり相手が欠点を修正することで戦いの間に成長されちゃうってこと?」


「おやおやおや、どうしてボクの言おうとしてたことがわかるんだい」


 どうして私はライオンの言おうとしてたことがわかるんだろう。


「仲良くなってきてるのかな」


 知らんけど。


「適応力はレベルアップの近道を相手に教えているようなものなんだ。これは長谷川肇本人もよくわかっていることだろう」


 ライオンの言葉を聞きながら、二回戦で肇が能力を使い出した途端にパワーアップした俵嵯峨泰尚を思い出していた。


「でも第二ボタンが覚醒した泰尚にも肇は余裕で適応できてたよね?」


「おやおやおやおや、長谷川肇は完全な適応力が使えるだろう? 俵嵯峨泰尚が強くなることも既に想定内だったのではないかな。あるいは俵嵯峨泰尚の行動が思い通りになるように誘導したか。後者であればそれはもう予知能力を超えているね」


 なるほどね。肇が適応力を使うためにはまだ時間が掛かる、ううん、掛けなきゃいけないというのがわかった。

 現在の情報だけを頼りに、レベルアップしたあとの相手の強さまで予測しないといけない。

 それか相手の行動を誘導できるほどまでに完全な情報を集めなきゃいけない。


 どっちにしろ肇には適応力発動までの時間を稼いでいて欲しいのに。

 結夢の連続パンチを食らい続けていた。

 両手で胸をぎゅっと押さえながら。

 自分が痛め付けられることよりも第二ボタンを取られることを拒む。

 上河合華蓮との繋がりを大事に守っている。


 泰尚と戦っていたときよりも傷付いていくのが圧倒的に早い。

 誰が相手でも肇が負けることはないと楽観していた過去の自分をぶん殴ってやりたい気分だった。


 見る見るうちにぼろぼろになっていく肇を見ていられなくなった私は、気を紛らせようと話題を変えてライオンに話し掛けてみる。


「この儀式ってなんかちょっと地味じゃない?」


 気が紛れるわけがなかった。

 それでも私の口は止まらない。何か違うことを考えていないと良くないことを考えてしまいそうだったから。

 頭の中を過っただけの言葉を垂れ流していく。


「異能力を使った勝負なんだからもっと派手な戦いになるんだと思ってた」


 大地を割ったり隆起させたり、近接武器を飛ばしまくったり、怪物を召喚したり。

 そりゃあ結夢も確かに強いけどさ。

 特殊能力が与えられるにしたって、肇は思考強化で、泰尚は再生強化。ストーカーはたぶん筋肉強化で、結夢も見た感じどうせ速度強化とかでしょ。

 みんなサポート系ばかり。これを地味と言わずなんと言おう。


「おや、他人の恋の揉め事ほど醜いものはないからね」


 上手いこと言った風にして流そうとすな。


「普段なら第二ボタンも武器も能力も儀式から与えられるんだけどね、今回は儀式を無理矢理開いた一人の人間の力を九等分しているから、能力のスケールが小さくなるのは仕方ないことなんだよ」


 もし本当に結夢の力が九分の一になっているのなら、肇にも勝つチャンスがありそうだ。

 というか九分の一でも結夢はこんなに強いのかよ。何の力かはわかんないけど。


「九等分されたからって皆同じ強さになるわけでもないからね。与えられた力でどれだけ成長できるかは各々の潜在力次第だよ」


「……そっか」


 だから目の前の出来事も偶然じゃない。

 必然なんだ。

 これが、肇の力。


 結夢の攻撃を避けた。

 いや、いつからか避けていた、らしかった。


[適応してきた]


 肇への空振りを繰り返し蓄積したダメージで折れた鉄骨が結夢の方へ倒れていく。


「毎回、殴られると同時に後ろの鉄骨にぶつけられるから、もしかして……って思ったんです」


「バレてしまいましたか。ですがそんなもの、あたしにはっ効きませんっ」


[SS!](ダブルショック)


 目と鼻の先にまで迫る鉄骨を、結夢は容易く弾き飛ばした。


「うそ……」


 進路を変えた鉄骨が回転しながら私達の隣を通り過ぎていき、更に後ろにある山の一角を削り飛ばしていった。

 こんな威力の拳をずっと肇は受け続けていたのか……。

 それでもまだ抗う気力が残っているなんて。


「ですから――」


 肇は鉄骨が倒れる隙に結夢の背後へ移動していたようだった。


「あたしにそんなのものは効かないと言ったでしょう」


 結夢の第二ボタンへ伸ばした腕を掴まれ、投げ飛ばされてしまう。


「……物心がつかない内から父に格闘技を叩き込まれておりまして」


 結夢の強い理由はそれか!

 思いも体も強いなんて。


「その中でも護身術は取り分け重点的に」


 結夢のお父さん、なんて余計なことを。

 娘を思う気持ちは分からなくもないけど限度があるでしょうに。


「なので急所を狙われる攻撃には無意識でも反応できてしまうんですよ。あたしの正中線上に第二ボタンがある限り、不意打ちで奪うことは不可能だと思って下さい」


 本当に出鱈目な強さだった。


[SN!]


 起き上がりざまにまた鉄骨に叩き付けられる。

 私は隣にいるライオンの腕を握りしめた。


「ねえ、相手さ、もうレベルマックスみたいなものだしさ、肇も適応力を全力で使っちゃっても問題ないんじゃない?」


 肇が適応力を使ったところで結夢がそれを超えてくることはないだろうと思った。


「おやおやおやおや、ダメだよそれは」


 ライオンは首を横に振る。


「長谷川肇の適応力は既に半減してしまっているからね」


 校庭を見ると再び、肇は攻撃を食らっていた。


 どうして。


「だって、肇はさっき適応してきたって、攻撃だって避けれてたのに」


「格闘技に型と呼ばれるものがあるのは何故だかわかるかい」


 逆にどうしてそんな質問を今するのかがわからない。


「……強いから?」


「まあそうだね。先人達が長い年月をかけて極めた動作はまさに効率的だ。それに型を使うと自分の動きの癖を隠すことができる。彼女の型はとても綺麗だ」


 ライオンの言いたいことがわかったかもしれない。


「柚木咲結夢はさっきまで武道の型なんて微塵も使わず自由に動いていたし、長谷川肇もそんな柚木咲結夢に適応し始めていた。それが急に柚木咲結夢が型通りの動きに切り替えたものだから、長谷川肇は適応し直さなければならなくなったわけだね」


 滅茶苦茶だ。

 結夢はまだレベルアップを隠していたというのか。


「ボクは祖父から獅子座を受け継いでいるからね」


 いや、ここまではライオンのいつもの戯言だったらしい。

 もう本当、滅茶苦茶だよ。


「素人の暴力も加減を知らないから怖いけど、玄人の加減しない暴力はそれ以上に怖いよね」


「うん? まって。強い格闘家ほど素人には手を出さないんじゃないの?」


 肇なんかばりばりの素人だと思うんですけど。


[SN!]


「父に嫌々習わされていましたから、あたしに武道の心得なんてものはありません」


 丁度タイミングよく結夢が答えを語ってくれた。

 お父さん、もしかして結夢の男嫌いに一役買ってしまっているんじゃ……。


 というか。私が結夢を嫌いになりそうだった。

 あとで怪我が治るとはいえ、好きな人をこれだけ痛め付けられれば嫌悪感も生まれる。


 それに、肇が傷付いていくのももう見ていられなかった。

 好きな人が私以外の女のために傷付いていくのがもう見ていられなかった。

 肇の恋を応援したいだなんて言ったけど、やはり命を賭ける思い人は私であってほしかった。


 こんな儀式早く終わらせてしまいたい。

 部外者が手を出すのはルール違反だけれど、その逆はどうだろうか。

 儀式の参加者が部外者に手を出す、これもルール違反にならないだろうか。


 結夢は不意打ちに条件反射で対応してしまう。

 その不意打ちの相手が私だったら?

 結夢のルール違反となって肇の勝ちにならないだろうか。


 結夢の元へ行こうとライオンの腕から手を離す。


「ルール違反はいけないよ」


 私の腕をライオンが掴んでいた。


「離して。私なら大丈夫だから」


 大丈夫ではない。自暴自棄になっていた。

 私がいなくても肇と華蓮が幸せに暮らせればそれでいい。

 寧ろ私がいないほうがいい。そう考えていた。


「せっかく仲良くなれたんだ。ボクはキミを死なせたくない」


「は?」


 なんだこいつは。どうして急にデレ始めた。

 オスライオンにしか興味ないって断言したくせに。


「キミはせっかちすぎるんだよ。長谷川肇のようにじっくり待つことを覚えるといい」


 はあ? そりゃあまあ肇は私の欠点を全て補える存在ですけど。


「長谷川肇はすごいね。このボクも騙されたよ。長谷川肇が第二ボタン争奪戦を勝ち抜いたときには名前を覚えておこうかな」


 グラウンドの方を見る。


「どれだけ痛め付けられたって、僕は僕の好きを諦めません。もちろん、あなたの好きも否定しません」


 そんなトキメクようなセリフを言いつつも肇の足はフラフラだった。

 前に後ろに右に左に、警察を呼ばれてしまいそうな怪しい動きをする。

 呼ぶなら警察よりもまず救急車を呼んでほしいところだけど。


「五月蠅いっ!」


[SN!]


 ……………。


 技が発動しない。

 結夢は殴る途中で動きを止めていた。


 いや、殴るモーションはしていたけれど、それは現実的な速度で現実的なリーチに留まっていた。

 結果として肇に結夢の攻撃は届いていなかった。


 肇の足元は覚束無いままだから何かをしたわけでもなさそうだけど、この状況で結夢を止められるとしたら肇以外にいない。


「加速する条件は、僕の後ろに金属製の大きな不動物があること」


 なるほど! 肇がふらついていたのは結夢との距離と位置を調整していたんだ!


「それが柚木咲さんにとって最短距離にあること、です」


 鉄骨が肇の後ろに無いように、結夢の後ろにあるように立ち回れば互角に戦える!


「だからどうしたと言うのですか? 能力がなくても私は強い」


 ……そうだった!


 結夢がまっすぐ肇に迫ってくる。

 今の肇の脚じゃ引き離せない。


「あの不良生徒、俵嵯峨が華蓮様に直接手を出さなかったのは何故だと思いますか」


 結夢が肇の前に立つ。


「あたしがあいつよりも強いからですよ」


 結夢の繰り出すアッパーカットで肇の体が浮き上がった。

 力の補正が掛かっていない素の拳でもこんなに強いのか。


「おやおやおや、今度は能力を全く使わない動きに適応しないといけないね。間に合うかな」


 ライオンが他人事のように言う。

 まあライオンにとっては他人事だけどさあ。


「ずっと迷っていました柚木咲さんを殺してまで僕が勝ってしまってもいいのかと。僕が死んで柚木咲さんが勝つべきなんじゃないのかと」


 殴る蹴るの暴行を受けながら肇は苦しそうな顔をする。


「愚かですね。自分の状況がわかっていないのですか」


「いいえわかってます。柚木咲さんもご存じの通り、この儀式は負けると死にます。ですが、儀式の中心の上河合さんと、上河合さんと結ばれる勝者の僕が望めば、負けた柚木咲さんを死なせずに済ませられるかもしれない。それが上河合さんの幸せに繋がるのであれば」


 私はライオンの顔を見る。


「ルールは絶対だよ。敗者が死なないことはあり得ない。……でも今回はイレギュラーが多いから、勝者が望むのならもしかするともしかするかもね」


「そっか」


 肇なりに相手を傷付けずに戦おうしていたことがわかって嬉しかった。

 肇の優しさに更に惚れてしまう。


「加えて、僕が上河合さんと結ばれれば僕以外の男は上河合さんには寄り付かなくなる。過去のトラウマだって、男の僕が隣にいることで男に慣れて乗り越えられるかもしれない。心の傷を癒やせるかもしれない。それは柚木咲さんの望むことと同じはずです」


 私の出番はなくて寂しくもある。


「……そんなこと。あるわけないっ!」


 結夢が拳に込める力を強めるとメリケンサックの棘が巨大化した。


「僕が躊躇う理由はなくなりました。全力で行かせてもらいます」


「あなたみたいなのが全力を出したところで、あたしにも華蓮様にも届かないことをわからせてあげましょう!」


 能力も使っていないのに、能力を使っていたときよりも速く結夢の拳が肇の肩を貫いた。

 肇の左肩がぼとりと落ちる。


 さっきの肇の言葉で頭に血が上った結夢は完全に我を失っていた。


「ねえ。結夢先輩速すぎるんだけど肇の適応力間に合うの?」


 私はライオンの肘を引っ張って気を引く。


「わからないよ。ただ現状わかるのは長谷川肇の適応力は今瞬間においてボクを遥かに凌駕していて、柚木咲結夢はその適応力に食らい付いて来ているということだよ」


 そうだ。肇は強い。あの結夢の攻撃を腕一本の犠牲で躱したともとれる。


「キミは長谷川肇を信じていなさい。今回はイレギュラーが多いからね、そういったものも勝敗に影響してくるかもしれない」


 肇のことを想いながらライオンの腕に強く抱き着いた。


「……うん」


 肇はまだ立っている。結夢を注視する目には強い意志が宿って見える。


「あなたがどれだけ華蓮様を好いていようと、どれだけ素敵な考えを持っていようと、駄目なんです。華蓮様を守れるだけの力が無ければ駄目なんです」


 結夢の動きを肉眼で捉える間もなく、肇の右腕が千切れ飛んでいった。


「ほら、男なんて口ばっかり、偽って騙すクズしかいない、あたしがもっと早く気付いていれば、もっと早く、もっとはやくっ!」


 気付けば肇が片足立ちになっている。


「あの男の本性にあたしが気付いていれば華蓮様は辛い思いをしなくて済んだのに。何度どれだけ悔やんでも悔やみきれない。この気持ちを晴らすにはあたしの視界から全ての男を消し去るしかない、華蓮様の前に二度と現れることの無いように!! まずはおまえを! 潰す!」


 残りの足も体から引き離されてしまった。


「これで、あたしの勝ち。文字通り、手も足も出ないね」


 結夢のキャラが違う気がするけど、これが彼女の素なのだろうか。華蓮に会って変わる前の彼女はこんなのだったんだろうか。

 肇は胸座を掴まれてぶら下げられている。


 肇はまだ大丈夫。勝てば回復できるから、と自分に言い聞かせて平静を保つ。

 無理に決まっていた。


「やめて。肇が死んじゃう。やめてくれないと私は、私は」


 心も、体も苦しい。


 ライオンが私を羽交い締めにしていた。

 これじゃあ肇の元に向かえない。結夢を殺せない。


「今の……柚木咲……さんにとって……正義って……なん……ですか」


 バカ肇! こんな状況で相手を煽るなんてバカか!!


「そりゃあ目の前の(まちがい)を再起不能までぶっ潰し、あたし(せいかい)の正しさを証明すること!」


 結夢の拳が肇の首に深く突き刺さっていた。


「――――っ!!」


 肇の名を叫ぼうとしてライオンの手に口を塞がれる。

 着ぐるみの手はどれだけ強く噛んでもフニャフニャでライオンは私を放してくれそうにない。


 私は次に結夢と会ったとき、彼女を憎すぎて殺してしまうかもしれない。いや殺す。

 いくら男が憎いからって、ここまで肇を惨たらしく痛め付けて殺す必要はなかった。

 こんなの(ウワシロ)じゃない。(センジャク)以上の悪だ!


「そ……れは……不……正……解……です」


 最後の力で声を絞り出した頭は、首から離れ、結夢の胸元に落ちた。

 その重みと勢いで結夢は後ろに倒れ、尻餅を搗いて胴体を手放す。

 完全に分断された学蘭を着ている肇の体が魂を失って転がった。


「長谷川肇の最初の相手が俵嵯峨泰尚で良かったね」


 ライオンが私を解放して告げる。

 何が良かったのか全くわからない。


「待って、まだ肇は動ける、適応力があるんだから」


「おやおや、動けるわけがないよ。首と胴が離れたんだよ?」


 マイクを取り出そうとする手を止めようと、さっきとは逆に私がライオンの体を必死に押さえつける。

 ここで勝負が決まったら本当に肇が死んでしまう。


 肇の学欄はまだ残ってる。

 私があの場に降りて、肇の学蘭を着て結夢と戦い勝てば、肇は華蓮と結ばれるために蘇るのではないか?

 ライオンを押さえていた力を緩めここから飛び降りようとする。


 更に今度はライオンが私を押さえにきた。


「離してっ」

「やめてっ」

「やめてよっ!」


 こんな所でじっとしていては駄目だ。

 頭を空っぽにして、がむしゃらに動いていないと余計なことが頭に浮かんでしまう。


 私は肇を助けたい。

 助けたいけどそれ以上に、肇を酷い目に合わせた結夢に復讐したくて堪らなかった。

 こんな自分の醜い気持ちに気付きたくなかった。

 肇の学欄を着て結夢を完膚なきまでに叩きのめす私の姿が思い浮かんでいた。


「キミがどれだけ怒っても長谷川肇の勝敗は変わらない」


 ライオンが地声で叫ぶ。


「第三回戦っ。終っ了ーーー!」


 嘘……でしょ……?


「勝者はっ!」


 目の焦点が合わせられなくなる。

 もう何も見えないそうにない。


「長谷川肇っ!!」


 嘘でしょっ?!

 私の目にライオンが映る。

 全部吹っ飛んだ。

 どうせドッキリだ。


「どうしてよ!」


 私以上に驚く結夢が、立ち上がって空に向かって抗議の声を上げている。


 地面に転がる肇の頭部のだらしなく開いた口から、(ウワシロ)の第二ボタンが零れ落ちた。


 結夢の胸元を見れば学欄に第二ボタンが付いてない!


「長谷川肇の学欄には第二ボタンが付いていて、長谷川肇の脳も心臓もかろうじて動いている。恐るべき執念だね。ボクが上河合華蓮だったら感動を通り越して気色悪さを感じるよ」


 このライオンは、私が喜びで止められない涙を拭い続けている横で余計なことを。


「さて儀式の勝者には愛する者と結ばれる権利を与えなきゃね」


 肇の体が修復され始めた。


 呆気に取られる結夢の顔。

 口が開きっぱなしだ。


 私も彼女の気持ちがわからなくもない。

 絶対に負けたと思ったもん。

 ああ、でも間違いない。


 優勝は肇だ。


 おめでとう。と心の中で祝福した。

 今すぐ駆け寄りたいけど、その役目はもう私じゃない。




 上河合華蓮だ。

次回予告!


「あなたは私が絶対に死なせない。肇が悲しむもの」



『九つの理を統べる者の願いを今この魔王が叶えよう』




「好きです」


 頭を下げて手を差し出す。

 そこに暖かくて柔らかい手の平が重なった。








「ああ、でも、肇は渡さないからねっ」


幸せなEpilogueまで暫しお待ちを!

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