出会いの二日目-4
アルテアが急に庭の方に向くと、捲っていた半着を下ろし、下に落ちていた袴を素早く上にあげた。何とか人前に出ても恥ずかしくない格好になると、袴の紐を締めながら庭に向かって走っていく。
急になんだ? 庭に一体何があるんだ? 訳の分からない僕だが、慌ててこたつから立ち上がるとアルテアを追って庭に出る。
庭に出た僕の耳に金属がぶつかり合う音が聞こえてくる。カーテンから洩れる家の光では庭全体を明るく照らすのは不可能で不明瞭な光は僕の足元を照らすだけで精一杯だった。
目を凝らして庭の方を見ると段々目が暗さに慣れてきたのか徐々にだがアルテアの姿が暗闇の中でも分かるようになってきた。シルエットの状態だが、長い髪が揺れているのは間違いなくアルテアだろう。
アルテアはいつの間にか手にしている長い棒のような物で戦っていた。時折家の近くを通り過ぎる自動車のライトを反射して見える形は日本刀のようにも見えた。
一体あんなものを何時取り出したのだろう。僕と話している時は武器らしい武器は何も持っていなかったはずなのに。
雪が降っていないため学校を出た時よりはマシとは言え、やはり冬の夜はかなり寒い。
ダウンジャケット着ずに外に出たので、せっかく温まった体が冷えてしまうが、僕の目は戦いに釘付けになり、ダウンジャケットを取りに戻ろうとは思わなかった。
アルテアと戦っている相手は誰なのだろうと、その人物の方に目を向けるが、やはり暗くてよく分からない。
アルテアのように見た事のある人物ならある程度頭の中でイメージを補完をして姿が分かるのだが、見た事のない人物では補完のしようがない。
「ガキィィィン!!」
金属がぶつかり合う音が静寂な夜に鳴り響くと火花が飛び散った。その光で分かったのはアルテアが相手をしている人物は仮面を着けていると言う事と、拳銃のような物を手に持っている事だった。
仮面を着けているため男性なのか女性なのかは分からないが、アルテアよりも明らかに高い身長と体つきから想像すると男性の可能性が高い。
相手の武器が本当に拳銃だとしたら日本刀のような物を武器としているアルテアでは分が悪いのではないだろうか。
例えば僕が何か武器を持ったとして、相手が拳銃を持っていたとしたら僕は相手に勝てる気がしない。相手がどれぐらいの銃の腕なのかにもよるかもしれないが、近づいた所で撃たれたら避けられないし離れた所で撃たれても全部避けられるとは言い難い。
拳銃と日本刀で鍔迫り合いをしていた二人は膠着した状況を打開しようとお互いに後ろに飛び退いて距離を取った。
あっ、マズイ。あれが本当に拳銃なら距離を取っては駄目だ。相手に近づいて拳銃を撃つ隙を与えないようにしないと日本刀が届かない距離から攻撃されてしまう。
だが、そんな僕の対応方法とは関係なく、距離を取った二人はお互いに右手から光の弾を放出した。何もない所から急に出て来た光の弾はソフトボールぐらいの大きさでお互いの真ん中でぶつかると激しい光を出して消えてしまった。
何だあれは? あんな事ができれば距離が空いていようが関係ない。あの光は一体何なのだろう……。僕が知る限りあれは魔法と呼ばれるのもではないだろうか。そんなものが本当にあるのかどうかは分からないが、目の前で見た光景はそうとしか思えなかった。
アルテアが再び両手で日本刀を握り、仮面の相手に向かって距離を詰めようとした時、
「パーン!」
庭に大きな音が響いた。その音は拳銃を撃った時の音よりも柔らかみがあり、嫌な感じのする音ではなかった。多分だが、今の音は手を打った音だろう。
音に反応し、全員が動きを止めた事で寂然とした庭にいる全員の視線が音のした方に向けられる。だが、音のした方には誰も居ない。まさか空耳? あれだけはっきりと聞こえたのに。暫く見ていると人の姿が暗闇に浮き上がった。
「そこまでよ。私たちは襲いに来たんじゃないわ」
その声はどこかで聞いた事がある声だ。オカリナのような声音の主は僕の前まで来ると驚いたような表情を浮かべる。暗闇から姿を現したのはここ二日ほど一緒にお弁当を食べた針生だ。
「あら? どうしてここに紡が居るの?」
首を傾げ、僕がここに居る事を不思議がる針生だが驚きたいのは僕の方だ。こんな時間に、しかも、僕の家に針生が居るなんて驚くどころの騒ぎではない。
「えっ!? ここは紡の家なの? 私はヴァルハラに付いてきただけだから、ここがどこか良く分かっていないのよね」
針生が言ったヴァルハラと言うのはあの仮面の人物の事か。いつの間にか針生の後ろに付き、何かあればすぐに動き出せるような態勢を取っている。
遠くではよく分からなかったが、ここまで近づけばわかる。身長が百八十センチメートルぐらいある僕よりも大きく鍛えられた筋肉に覆われている体型から僕の予想した通り男性のようだ。
「ここが紡の家ならちょうど良いわ。家の中で話をしましょ。外を歩いていたら体が冷えちゃったわ」
僕が止めるのも気にせず針生は僕の隣を通り抜けて家に向かって歩いて行く。凄いな。一度も入った事ない他人の家でも遠慮なしか。
いや、その前に家の片付けもしてないので勝手に入られては困る。
「大丈夫よ。私は気にしないから。別にその子と変な事をしていた訳じゃないんでしょ」
多分、偶然だろうが、心当たりがある事に動きが止まってしまった。針生に続き、ヴァルハラと呼ばれた男性も後に続いていく。
こうなっては仕方がない。僕の後ろに控えていたアルテアに針生は敵じゃないと伝えるが、アルテアは警戒を解く事なく、その手には日本刀を握り続けている。
「確かにあの女性からは危険な感じはしませんが、ヴァルハラと呼ばれた者は安心できません。用心を忘れないように」
アルテアの言う通り針生の方は大丈夫かもしれないけど、ヴァルハラは安心できるとまでは言い切れない。アルテアの助言に頷くと、針生を追って僕も家の中に戻って行く。アルテアは他にも敵が居ないか辺りを確認しながら慎重に家に入ると玄関に鍵を掛けた。
家の中に入った僕が見たのは、こたつに入ってみかんを食べ、自分の家のように寛いでいる針生の姿だった。どうやったらこの状況でそこまで寛げるか教えて欲しい。
「何も要らないけど、何か出してくれるって言うなら私は紅茶が良いわ」
それは何も要らないとは言わない。明らかに紅茶を要求しているだろ。アルテアにはこたつに入って待っているように言うと僕は飲みかけの冷えてしまったコーヒーを持って台所に行く。
普段、紅茶をあまり飲まない僕は台所の扉を片っ端から開けてやっとティーパックを見つけた。四人分の紅茶を用意して居間に戻るが、ヴァルハラの姿が見えなかった。
「ヴァルハラならここは大丈夫だからって言って二階に上がっていったわよ。二階から外を警戒しておくんですって」
それなら早く言ってくれ。一人分の紅茶が無駄になってしまった。僕は針生の対面に座ると持ってきた紅茶を針生の方に差し出した。
「冷えた体にはちょうど良いけど、もう少しちゃんとした紅茶はなかったの?」
紅茶を一口含んだ針生がそんな事を言ってきた。紅茶の味なんて分からない僕は何を飲んでも同じように感じるのだが、針生は違ったようだ。我儘な女だ。
「ん? 何か言った?」
僕は慌てて首を振り、紅茶を口に含む。変な事を言ってまた何か命令されてしまったら堪らない。
「紡も憑代になったなんて驚いたわ。そっちの子が使徒?」
針生がアルテアを見ながら僕に問いかけてきた。使徒というのが何か分からなかったが、憑代という言葉を知っていると言う事は針生も僕と同じように契約をしたのだろう。ヴァルハラと言う男性もいる訳だし間違いない。
針生も僕と同じように契約をしているならここで隠す必要なないと判断し、アルテアを針生に紹介する。
「へぇー。アルテアって言うんだ。見た目は私と同じぐらいに見えるけど幾つなの?」
「私は今年で十七になります」
なんと! アルテアは僕と同い年だったのか。落ち着いた雰囲気からもう少し年上なのだと思っていたのだが、女性の年齢と言うのは分からないものだ。
「そうなんだ。アルテアは私と同い年なのね。私は針生 綾那って言うの。仲良くしましょ」
そう言って針生はアルテアの前に手を差し出す。アルテアはどうした物かと考えた末に僕の方を向いてきた。
針生も悪い奴な訳ではないので、普通に友達になるぐらいなら良いと思う。僕はアルテアに頷いてあげると、アルテアは針生の手を取った。
「それで? 紡はアルテアからどこまで話を聞いたの?」
どこまでと言われても僕がアルテアから聞いたのは契約と強制命令権の話だけだ。ちょうど話を聞いている時に針生たちが襲ってきたのだから。
「襲って来たって失礼ね。アルテアが急に日本刀を携えて家から出て来たからヴァルハラが応対しただけよ」
「なっ! それでは私が悪いみたいではないですか。私は家の傍に不審な人物がいたから排除しようとしただけです」
うん。アルテアは良くやってくれたと思う。あんな戦いをする相手に無防備な所を襲われていたかと思うと、アルテアが対応してくれなかったらどうなっていたか分からない。
「何よ。ちょっとかわいい女の子が隣にいるからって肩を持っちゃって」
別にアルテアが女性だから擁護したわけではないが、針生は頬を膨らませて拗ねてしまった。そんなにむくれなくても良いのに。
このままでは雑談をしていても話が進まないので、
「それで、針生の方は何処まで話を聞いたんだ? 僕は少し話を聞いただけだけど分からない事ばっかりだったから」
針生は膨らませていた頬を元に戻すと、僕の振った話題に合わせてくれた。
「私は一通りは話を聞いたわよ。私も全部信じているって言う訳じゃないけど、実際に目で見たら信じるしかないでしょ」
確かにあの戦いを見てしまえばアルテアの言っていた事を信じても良いかもしれない。しかも、僕はその前に他の人間離れした戦いも見ているのだ。
とても人間同士と思えない戦いは、それだけで非日常の世界に足を踏み入れた事を証明している。
「そう言えば強制命令権の話を聞いたんだったら、使えるのが三回って事も聞いたのよね?」
えっと……、確かにそんなような事を言っていたような……。かなり記憶があいまいだが、アルテアの方を見ると無言で頷いてくれた。どうやら合っているようだ。
「最初に言っておくけど、無駄遣いなんてしてないでしょうね? 私が話を聞いた限りだと、強制命令権をどれだけ上手く使えるかがこの戦いを勝ち抜く鍵よ」
僕は思わず肩をすくめると、顔を動かさないようにして、そっと針生から視線を外た。今にして思えば強制命令権の一回をパンツを見るために使うなんてなんて馬鹿な事をしてしまったんだ。だが、そんな事針生には言えない。
「そうよね。お利口さんな紡が三回しか使えないものを無駄に使ったりなんてしないわよね。少しでも心配した私が馬鹿だったわ。紡ならそんな事言われるまでもないでしょうに。ごめんなさいね」
なんと言う精神攻撃。絶対に針生は分かっている。分かっていて僕が何に使ったか言わせようとしているのだ。
「安心したわ。三回しか使えない命令権をすでに使っていたらどうしようかと思ったもの。私の勘違いで良かった。ほ・ん・と・う・に、良かった」
「ごめんなさい。一回使いました」
僕は俯いて小声で白状した。もう耐えられなかった。これ以上攻撃が続く事を考えればここで白状するしかなかった。
「えっ? 良く聞こえないわ。もう一度言ってもらっても良いかしら?」
絶対聞こえているだろ。なんてドS気質。チラリと針生の顔を見るととても良い笑顔で僕を見ている。
「強制命令権を一回使っちゃいました」
「何に使ったのよ! 強制命令権はヴァルハラたちの能力を上げる事にも使えるのよ!」
声を張り上げた針生だったが、えっ? 何それ? そんな事は聞いていない。慌ててアルテアの方を見る。
「綾那の言う通りです。私が説明する前にツムグが使ってしまったので伝える暇がありませんでした」
平然とした顔で言ってくるアルテアだが、そういう事は最初に注意事項として言っておいて欲しかった。針生の僕を見る視線が痛い。これは確実に僕がどうしようもない事に使った思っている。合ってるけど……。
「で? 正直に言いなさい。何に使ったの? 敵に襲われて使ったとか、使わざるを得ない状況で使用したなら私も怒らないわ」
逆に言えばどうでも良い事に使っていたら怒ると言う事だ。と言うかもう怒っているだろ。もう駄目だ。正直に話して楽になろう。
「パンツを――。パンツを見せてもらいました……」
針生は驚いたような表情を浮かべたのだが、その顔はすぐに満面の笑みに変わった。もしかしたら僕は許されるのか? そう思ったのは僕の勘違いだった。
「紡も男の子だものね。仕方がないわよね。──ってなる訳ないでしょ! 私のパンツを見ておいてまだ足りないの! 馬鹿じゃない!?」
いや、針生のパンツを見たのは不可抗力だから。あれは見たくて見たんじゃない。いやいや、アルテアのパンツも強制命令権が本当にあるかどうか試しただけなので、僕の欲望が漏れてパンツを見た訳ではない。決して。
あっ、アルテアさん。冷たい視線を向けながら僕の隣から少しずつ離れて行くのは止めてくれませんか。何か僕との距離がそのまま心の距離のように思えるんですけど。きついんですけど。
そして針生さん。貴方もそんな虫けらを見るような眼で僕を見るのを止めてください。馬鹿なのはよくわかっていますから。反省していますから。
「はぁ~。使ってしまったものは仕方ないわ。今度から使う時は良く考えて使うのよ」
針生は怒りを通り越して呆れたように大きなため息を吐くと、小さい子に言い聞かせるように僕を諭す。二人の女性からのきつい当たりに僕は泣きそうになるが、我慢をしてコクリと頷く。
僕はこの時誓った。もう無駄にパンツを見るだけに強制命令権を使ったりしないと。