対峙の十日目-3
アルテアも僕が何をしに来たのか分かっているようで、自然に僕がメイドと対峙できるような位置に動いてくれた。
「それではご武運を」
そう言い残し、アルテアはマリアに向かって距離を詰めて行った。
僕の目の前にいる女性はメイド服に身を包み、身長は僕より頭一つ分ぐらい小さい女性だ。普通に考えれば男である僕が負けるような事はないと思われるのだが、鷹木の話を聞く限り暴漢を倒してしまうほどなので僕が勝つ可能性は少ないかもしれない。
「普通の人間が私の相手をするのはお勧めできません。大変な事になってしまう前にこの場から離れてくれませんか?」
その顔はとても人に仕えるような顔ではなかった。凄みのある笑みで僕は震えあがってしまう。
その隙を突いて距離を詰めたメイドは僕のお腹に蹴りを放つ。あの笑みを見てしまった事で体がすぐに動いてくれず、僕のお腹に丸太のような威力の蹴りが突き刺さる。
「うげぇぇぇぇ」
お腹に入っていた物が全部出た。メイドが履いていた靴がピンヒールじゃなくて良かった。先が尖っていたらせっかく治りかけた僕のお腹に穴が開いてしまう所だった。
それにしても実際に戦ってみるとメイドの強さは僕なんかではどうにもならないように思える。今の蹴りだって反応が遅れたのもあるが、ここまで真面に食らうものではなかったはずだ。
「里緒菜! 早く釆原君を倒してしまいなさい。何時までも遊んでるんじゃないわよ」
「玲緒菜! もっとちゃんと連携しなさい。それで倒せなかったらただじゃおかないわよ」
赤崎先輩がメイドに発破をかけてくる。どうやら先ほどの僕への一撃さえ赤崎先輩から見ればメイド……里緒菜さんと言ったか、里緒菜さんが遊んでいるように見えるようだ。もし赤崎先輩の言うように遊んでいるほど手を抜ているとしたらどれほど強いんだ。
里緒菜さんの顔が徐々に険しいものになって行く。どうやら赤崎先輩の発破が効いたようでその身に纏う雰囲気から僕を殺しても仕方がないと思っているのが分かってしまう。
「優唯様のご命令です。多少痛い目は仕方ないと思っていましたが、それだけでは満足なさらないようですのでもう少し本気で行かせていただきます」
言葉は丁寧だが、顔は人を世話すると言った感じではない。里緒菜さんが小さい体を低くして僕の方に向かってくる。今度は体が固まらず里緒菜さんの動きに反応する事ができたのだが、それでも里緒菜さんの動きは僕の想像の上を行っていた。
地を這うほど低くした態勢から放たれた拳は僕の顎にクリーンヒットする。顎が跳ね上がり、体が浮き上がる。暫くの浮遊感の後、僕の体は地面に転がった。地面に転がっている僕の顔に踏みつけるように足を下ろしてくる里緒菜さんだが、地面を転がる事によってこれを回避するのに成功する。
「逃げてしまいましたか。意外と動きは機敏なようですね。それが釆原様の苦痛を長引かせる事になるのですが」
そう言われても攻撃されて避けられるのなら避けるのは仕方ないだろう。僕だって痛いのは嫌だし、できれば怪我無く終わりたいのだ。
里緒菜さんは僕の事を少し心配したような感じだったのだが、言葉とは裏腹に顔は全くそんな事を思っていないような笑みを浮かべている。ネコ科の動物が狩りを覚えるために小動物をいたぶってから殺すような物か。赤崎先輩から早く倒せと言われた手前、その笑顔は僕だけに見えるように浮かべている。
分かってはいた事だが普通に戦ってはどう考えても歯が立たない。やるしかない。僕は自然と手を何度か握ったり開いたりすると体に付いた土埃も気にする事なく立ち上がった。白雪さんに教えてもらった通り炎を先にイメージしておく。
里緒菜さんが風を斬って僕に迫ってくる。今まで気付かなかったが、良い香水を使っているのか一歩近づくたびに香水の良い香りが強くなってくる。
風が香りを纏いながら僕の顔面に近づく。里緒菜さんの伸ばされた拳は確実に顔面を捉えているが、僕は準備していた言葉を紡ぐ。
「燃え上がれ! 炎!!」
今まで練習しても成功率五割ぐらいだったが、見事に成功してくれた。掌に出現した炎を前にかざす。里緒菜さんはいきなり現れた炎に驚き、腕を引いて僕から距離を取った。
「いきなり手から炎が!? そうですか、優唯様もお使いになっていた『ギフト』と言う物ですか」
うん、違うんだけど勘違いしてくれるなら有難い。これで安易に近づいては来れないだろうし、どうしても炎を警戒しなくてはいけなくなったはずだ。
だが、そんな僕の考えなど関係ないと言った感じで里緒菜さんは再び僕に迫ってくる。
「炎の攻撃があると分かれば気を付ければ良いだけの事。それで私が止まる事は有り得ません」
僕の目の前に来た里緒菜さんが回し蹴りを放ってくる。僕の頭を狙ってくれたおかげで蹴りが届くまでに時間ができ、屈む事で回避する事ができた。
それにしてもこの里緒菜さんは自分のパンツが見えそうになっているのが分かっているのだろうか。足を高く上げたり倒れている僕を踏み潰そうとすれば見ようと思わなくてもスカートの中が目に入る。
ペチコートと言うのだろうか、スカートの中に更に下着のような物を履いているのでパンツまでは見えないのだが、それでも気になってしまう。
「フフフッ。高校生には少し刺激が強すぎましたかね? でも、これも大人の階段を登る第一歩ですよ」
そう言う言い方をされると僕の方が年下のように思えるのだが、里緒菜さんの見た目はどう見ても中学生ぐらいだ。
「釆原様は優唯様の一つ年下ですよね? でしたら私の二つ下と言う事になりますよ」
えっ!? このメイド……、いや、里緒菜さんは僕より年上だったんだ。見た目から完全に年下だと思ってたのにちょっとした衝撃だ。
「若い殿方との会話を終わらせるのは心苦しいのですが、私は優唯様の命令を忠実に実行するメイド。優唯様の命に従い釆原様を倒させていただきます」
三度、里緒菜さんが僕の方に向かってくる。炎はもう見せてしまったので、いきなり出した所で大した効果は得られないだろう。僕に出せる手札はもうない。一枚のカードだけで勝てるほど甘い相手ではなかったのだ。
それでも此処で諦めてしまって良い訳ではない。ここで僕がやられてしまえばアルテアの負担が大きくなってしまうのだ。
無駄かもしれないと思いながらも精神を集中させる。自分でも馬鹿の一つ覚えだなと思いながらも他に出来る事がないので、とにかく精神を集中する事に専念する。
里緒菜さんが僕の目の前に来ると急に視界から消えた。どこに行ったのかと見回しても姿が見えない。いきなり足に痛みが走ったと思ったら視界が回転し、僕は背中から地面に叩きつけられ、仰向けに倒れてしまった。そしてそこに里緒菜さんの足の裏が迫ってきた。
――と言うイメージが僕の頭に一瞬にして浮かんだ。確かシェーラの時も同じ事があったはずだ。何かの拍子に次に起こる事が見えてしまう。本当にその通りになるか半信半疑だが、他にすがる物がない僕は見えた物を信じる事に決めた。
里緒菜さんが僕の目の前に来ると急に視界から消えた。ここまでは同じだ。ここで僕は里緒菜さんの姿を見失ってしまったのだが、先ほど見たイメージで下にいる事を知っている。僕を倒そうと足を払ってくるなら僕はその足をジャンプして躱せばいい。分かっている攻撃を躱せないほど体は鈍っていない。
里緒菜さんの足が地を這うように僕を倒そうと振るわれる。少し大きかったかもしれないがその足を避けるためにジャンプをすると、僕の下を里緒菜さんの足が通過する。
上手く行った!? 実際行動して上手く行った事に自分で驚いているのだが、僕以上に驚いているのが里緒菜さんだ。完全に虚を突いた攻撃を躱されたのだから無理もない。
ジャンプした僕はそのまま攻撃に移る。里緒菜さんの顔面に向かって蹴りを放つのだが、見事に避けられてしまった。
「今の攻撃を躱したのですか!? 信じられません。完全に視界から外れていたはず……」
里緒菜さんが困惑するのも無理はない。何せ僕自身が上手く行った事が信じられないのだ。でもこれはチャンスだ。僕から距離を取った里緒菜さんに向かって今度は僕の方から向かって行く。
思いっきり腕を引いて拳を突き出すが、この攻撃は簡単に躱されてしまう。いくら混乱していても素人の見え見えのパンチなど避けるのは容易いようだ。
先ほどのように次にどう動くか見えてくれれば何とか出来るのだが、僕が攻撃している間には一度も見える事はなかった。どうやったら自分のタイミングであのイメージを見る事ができるのか謎だ。
「どうやら先ほどの回避は偶然だったようですね。動きが読まれていたと思い驚きましたが違うようですね」
里緒菜さんの顔に落ち着きが戻るのが分かる。このタイミングで里緒菜さんを倒しきれなかったのは痛い。これ以上攻撃してもカウンターを受けるだけと判断した僕は里緒菜さんから距離を取る。
だが、里緒菜さんはすぐに距離を詰めてくる。僕は一か八かで炎を出すために腕を伸ばし、精神を集中する。里緒菜さんが目の前まで来た時に「燃え上がれ! 炎!!」と言って炎を出そうとしたが炎は現れる事はなかった。
「しまっ……」
炎を出すのに失敗したせいで里緒菜さんはそのまま僕に突っ込んできた。笑みを浮かべる里緒菜さんの拳が僕の顔面を捉える。体が宙を浮き、地面に叩きつけられて後数メートルグラウンドを滑った。
一瞬意識が飛んでしまったが、すぐに意識を取り戻し立ち上がる。口の中を切ったせいで口の端から流れる血を拭き取るが口の中には鉄臭い味が充満し、不愉快な感覚に襲われる。
このタイミングでの失敗は痛かった。いや、こんなギリギリの戦いで失敗すること自体悪いのだが、今のはタイミング的にも最悪だった。
これを好機と見た里緒菜さんが間髪おかず追撃してくる。両腕を高く上げ里緒菜さんの攻撃をガードする。それでも里緒菜さんはガードの隙を突いて攻撃を入れて来て物の数発で僕の体はボロボロになってしまった。
「よく頑張りました。ここまで私をてこずらせたのです。安心して休んでいてください」
里緒菜さんは一旦距離を取ると勢いをつけて僕に向かってくる。その速さは今までの比ではなく、この一撃で勝負を決めようとしているみたいだ。
ボロボロになった僕の体では里緒菜さんの攻撃を躱す事はできない。だが、僕は諦めることなくもう一度魔術を使うために精神を集中する。
隣で戦っているアルテアたちの金属が打ち合う音も聞こえないし、近くで魔弾を放っているヴァルハラの光も感じなくなる。僕の世界に僕すらも消え、里緒菜さんが迫って来る所だけが鮮明に見える。
その時、里緒菜さんがどう動こうとしているのか頭の中に浮かんできた。そのイメージは僕にこれから起こる未来を見せてくれている。
里緒菜さんは僕に向かって回し蹴りを放ってくる。僕の方が身長は高いのだが、お腹に向けて放たれた蹴りを僕は屈む事でその蹴りを躱す。里緒菜さんもここまでは想定していたのだろう。躱された回し蹴りの勢いをそのままに半回転するとしゃがみながら逆の足で僕の足を払いに来た。
ここまでは僕の見たイメージ通りだ。これで倒された僕は馬乗りになられ、僕はボコボコに殴られるのだが、僕はこの足払いも見事に回避して見せた。足払いでさらに半回転した里緒菜さんは僕の方を向くが屈んでいる態勢ではすぐに動く事ができない。
僕は里緒菜さんが動けないのを分かった上で一歩踏み込んだ。完璧なタイミング。これで外してしまえば僕に勝ちはなくなるだろう。右腕を大きく引いて里緒菜さんの顔面に狙いを定める。男性が女性を殴るなんて気が引けてしまうが、今はそんな事を言っている場合ではない。里緒菜さんは女性ではなく敵なのだ。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
気合を入れた声を上げ、後ろに引き絞った腕を里緒菜さんの顔面に向けて伸ばす。里緒菜さんは逃げきれないと悟ったのか動く事はない。だが、その顔は恐怖に支配されている訳ではなく、どこか笑みを浮かべているように見えた。
拳に里緒菜さんの頬の骨が当たる感触が伝わってくる。人を本気で殴るとこんな音がするのかと言うほど大きな音が空気を伝わり、僕の耳に届くと同時に骨を通して伝わった音が更に大きな音となって頭の中に響く。
何秒僕の拳が里緒菜さんの顔を捉えていたのか分からないが、かなり長い間触れていたような気がする。だが、僕がしっかりと意識を取り戻した時には里緒菜さんはグラウンドに倒れ伏していた。その頬は腫れており、暫くは意識を取り戻さないだろうと思った。
一応心配なので呼吸を確認すると、しっかりと呼吸はしているので死んでいる訳ではないだろう。僕は着ていたダウンジャケットを脱いで里緒菜さんの上にかけてあげる。敵として戦ったのだが、個人的には里緒菜さんには恨みなどないのだ。
僕は立ち上がりアルテアが戦っている方を見るとアルテアもこちらに気付いたようだ。
「私の方はまだ大丈夫です。ですからヴァルハラの方を手伝ってあげてください」
あまり大丈夫なようには思えないが、確かにヴァルハラの方を見るとかなり苦戦しているように見える。アルテアには申し訳ないがもう少しだけ一人で頑張ってもらう事にしよう。
僕はもう一度里緒菜さんに目を移した後、ヴァルハラが、いや、父さんが戦っている所に向けて走り出した。




