曖昧模糊 鷹木-4
リディアが突っ込んでシルヴェーヌがいなす。二人の戦いは距離を詰めたいリディアと距離を空けたいシルヴェーヌの間合いの取り合いだ。
その動きを遠目で見ていると鷹木はどこか鬼ごっこをやっているようにすら見えてくる。だが、実際はそんな気楽な物ではなく、互いに命をかけた戦いだ。
二人が跳ねまわり、シルヴェーヌの鞭が何度も地面を抉った事で積もっていた雪がなくなってきており、所々地肌が見え始めている。
シルヴェーヌの方が多少優位に戦いを進めているように見えるが、互いに決定打がなく、戦況は膠着し始めていた。
そんな状況を察してかリディアが動く。シルヴェーヌに突っ込んでレイピアを振るう事を止め、ストーカーの横まで戻ってくると何やら耳打ちをしている。
ストーカーは何度か頷くと、三歩、四歩リディアから離れた。大きく息を吸うと今までにない大声を上げる。
「羽ばたけ、リディア!」
どもる事もなくすんなりと出た声に反応し、リディアの姿が変容していく。両腕からは真っ白な梟のような羽根が生えて来て足は鷲のように鋭い爪を持ったものに変わって行った。
リディアが変身した自分の体を確かめるように羽根の付いた腕を振るうと、台風のように強い風が吹き、周りにあった雪をすべて吹き飛ばしてしまった。
「中々良い感じね。これならなんとか行けそだわ」
リディアは嫣然と一笑した後、地面を蹴った。腕に付いた羽根を羽ばたかせると低空飛行してシルヴェーヌに向かって行く。そのスピードは先ほどの物とは比べ物にならないほどの速さでシルヴェーヌは何とか首を捻ってレイピアを避けるのが精一杯だった。
レイピアでの攻撃がシルヴェーヌの髪の毛を二、三本刈り取ると、リディアは空中に浮いたまま体を捻り音もなく地面に着地する。その表情には笑みが浮かんでおり、リディアはまだまだ力を隠しているように見えた。
「流石に強制命令権を使うと段違いですね」
シルヴェーヌはリディアの方に振り返りながらそう呟く。強制命令権を使われればある程度苦戦をするのは予想していたが、今の動きを見る限り苦戦で済めば良い方だと思えた。
攻撃を受けてばかりでは勝てないと判断したシルヴェーヌは鞭をリディアに向かって伸ばすが、リディアは羽根を羽ばたかせ、大きく飛び上がり、空中で止まった。
宙に浮いているリディアに向かってシルヴェーヌは鞭と光の弾で攻撃を繰り出し、何とか撃ち落とそうとするが、リディアは空中を自在に動き回り、その全てを避けきってしまう。
「アハハッ。種族の優位性があったんじゃないの? そんな攻撃何度した所で私には当たらないわよ」
急降下してリディアが向かってくる。迎撃しようとシルヴェーヌが鞭を伸ばすがこれも躱し、鷹のようになった足を伸ばしてリディアが迫る。
防御するのは拙いと思ったシルヴェーヌはギリギリの所でその場から飛び退いて攻撃を躱すと、シルヴェーヌの居た場所は鞭で地面を抉った時よりも大きく地面が抉られていた。
ぬかるんだ地面では土煙が舞う事はなく、辺り一面に泥が飛び散る。
「うわぁっ。汚いわね」
遠くで見ていた鷹木の居る場所まで泥が飛んできて思わず声を上げる。いくら戦いの最中でも泥で服が汚れてしまうのは鷹木は嫌だった。
「泥が飛んできた程度で声を上げるなんて五月蠅い娘ね」
再び空中に飛びあがっていたリディアが標的を鷹木に変える。空中で方向転換し、鷹木に向かってリディアが急降下する。急に標的となった事で鷹木の体は固まってしまい、動く事ができない。
「先に死んでエルフを待っててあげてちょうだい」
リディアの足が鷹木に当たる寸前、シルヴェーヌの伸ばした鞭が鷹木の腕に絡みつき、そのまま鷹木を引っ張り何とかリディアの攻撃を躱す。
シルヴェーヌに抱きかかえられた鷹木は生きている事に安堵の表情を浮かべるが、鞭が絡みついた左腕からは鈍い痛みが襲ってくる。
「すみません。急な事なのであまり加減ができませんでした」
鞭が解けると鷹木の左腕にはくっきりと鞭の跡がついていた。暫くして消えてくれればいいが、消えなければ夏になっても半袖を着るのは難しくなってしまう。
「いいえ。私の方こそごめんなさい。戦いの邪魔をしちゃったようね」
鷹木は自分の体の跡より戦いを邪魔してしまった事の方が申し訳なく思った。
「相手が強制命令権を使った以上、私たちも使った方が良いかもしれません。このまま自由に攻撃されれば、再び愛花音が襲われるかもしれない」
強制命令権が使えるのは確か三回。だが、今の状況を思えば使うのを躊躇っている場合ではない。
鷹木は頷くと、シルヴェーヌから少し離れ、精神を集中し始める。最後に大きく息を吐き、気合を入れると鷹木の声が河川敷に響く。
「超えよ、シルヴェーヌ!」
準備の出来ていたシルヴェーヌは自分の体に魔力が満ちるのを感じると詠唱を始める。
「立樹の風に揉まれる音。涼風颯々の唄を奏で我の招きに応じよ風の精霊!!」
詠唱が終わるとどこからともなく宙に浮いた女性が姿を現した。緑を基調としたドレスはそれほど風を感じない今でも風に吹かれたようにヒラヒラと舞っている。目を閉じて静かに風を感じる様子は儚げで、鷹木が今まで見てきた中で一番綺麗な女性だった。シルヴェーヌも綺麗な女性だがそれすらも超えた美しさを感じた。
鷹木が現れた女性に見蕩れていると、シルヴェーヌは徐に鞭を構えた。リディアとの距離は開いているのでここから鞭を伸ばしても届くような感じはしない。それでも構わずシルヴェーヌは鞭を伸ばすと、鞭はやはりリディアに届く事はなかった。その代わり召喚した精霊に鞭が当たった。
「ギャァァァァァァ!!」
鞭で叩かれた精霊は断末魔の叫びとも思えるような猥雑な声を上げた。綺麗だった女性の顔は見る見るうちに歪んでいき、とても先ほどの女性と同じ顔と思えないような醜怪な容貌に変わって行った。
どうして自分が呼び出した精霊を攻撃するのだろうと思った鷹木はシルヴェーヌに駆け寄ろうとしたが、シルヴェーヌが手を伸ばし、鷹木の動きを制した。
「彼女たちは優し過ぎるのです。だから鞭で攻撃して怒りを増幅してあげないと本来の力を発揮できないのです」
シルヴェーヌは更に鞭で精霊を攻撃すると、精霊は怒りと痛みで涙を流すが、その場から逃げる事も体を守る事もしない。
「行きなさい。風の精霊貴方の怒りをすべて敵にぶつけるのよ」
精霊の怒りが最高潮に達したと判断したシルヴェーヌの許可が出ると精霊はもう我慢できないと言った様子でリディアに向かって飛んで行った。
一瞬にしてリディアの近くにまで飛んで行った精霊は何もない所で腕を振るうと、リディアに向かって強風が襲う。風の精霊と言うだけあって風を操るのは得意なようだ。
強風に吹かれたリディアは川の上まで弾き飛ばされ、何とかその場に留まる事に成功する。だが、精霊の攻撃はこれだけではない。リディアの周りを高速で動きながら鎌鼬を作って攻撃する。
四方八方から迫ってくる鎌鼬に避けるのを諦め、腕から生えている羽根で盾を作って防御する。すべての鎌鼬を防御する事は出来ずリディアの体に無数の切り傷ができてしまっている。
「ただの精霊が良い気になって! 私を舐めるんじゃないわよ!!」
リディアが腕を振るうと羽根が投げナイフのようになって精霊を襲う。精霊は飛んできた羽根に息を吹きかけるような仕草をすると、それだけで突風が起こり飛んできた羽根が精霊に届く前に勢いを失くしてしまった。
自分に向かってくる攻撃がなくなった事で精霊は再び風を作ろうとするが、目の前にいたリディアの姿がなくなっていた。周囲を見渡してリディアの姿を探すが精霊はなかなか見つけられない。
「上よ! 上からくるわ!」
シルヴェーヌの声に精霊が上を向くがすでに遅かった。頭上から落下の勢いも利用したスピードで迫って来たリディアに鷹のようになっている足で頭を鷲掴みにされてしまった。
頭を掴んだだけではリディアの勢いが止まる事はなく、そのままの勢いで河川敷まで落ちて行くと、精霊の頭を叩きつけるように着地した。大きく空いた穴の中央で泥まみれになった精霊は倒れて動かなくなってしまった。
それでも攻撃の手を休める気がないリディアは精霊が倒れている上空から羽根を飛ばして攻撃する。
「やらせないわ!」
シルヴェーヌが精霊の倒れている所に行くと光の弾を乱射して羽根を迎撃していく。ヨロヨロと立ち上がった精霊だが、すぐに宙に浮くとリディアに向かって飛んで行った。かなりのダメージを受けているが精霊の闘志は落ちていないようだ。
リディアも離れての戦いでは精霊の方が上手だと判断し、精霊に向かって降下していく。先ほどのダメージが残っているのか接近戦ではリディアの方が優勢だった。
リディアはフェイントを交えながら上下左右自在に動き精霊を翻弄していく。何とか致命傷にならない程度に防御する精霊がシルヴェーヌの方をチラリとみる。その合図にシルヴェーヌは一度頷くと精霊は体を縮める。
何か嫌な予感のしたリディアは精霊に向かって振り下ろしていた拳を途中で止めて、精霊から離れようとするが、すでに遅かった。
精霊の体が光り輝き始めると、精霊を中心に巨大な竜巻が発生した。まさに台風と言った感じの竜巻は周りにあった物を巻き込みながらリディアに迫る。
精霊から離れるのを途中で止めたリディアは羽根を使って風に備える。竜巻に襲われたリディアは風によって巻き上げられた石や木の枝に当たりながらも風が去るのを待つ。
何とか竜巻をやり過ごしたリディアだが、ハーピーの姿から元の綺麗な女性の姿に戻ってしまっている。上空で元に戻ってしまったのだが、リディアは地面に叩きつけられることなくふわりと地面に着地する。
リディアが降りてきたのと同時にシルヴェーヌも大きく空いた穴から飛び出してくる。ボロボロの姿になったリディアとまだ容姿にそれほど変化のないシルヴェーヌだが、消耗度合いは双方それほど変わらない。
シルヴェーヌも強制命令権を使った後の光の弾の乱射でほとんど魔力が残っていないのだ。
「流石にこれ以上の戦闘は無理ね。悔しいけど引く事にするわ」
リディアがシルヴェーヌを睨みつけながら戦闘の終了を宣言する。強制命令権が解除されてしまってはシルヴェーヌを倒せるとは思えなかったからだ。
「えぇ、そうして頂くと助かるわ。これ以上戦っても仕方がないものね」
シルヴェーヌとしてもここで逃してしまうのは勿体ないのだが、魔力の残っていない状態では決め手に欠いてしまうのだ。
その言葉を聞いたリディアがこの場から去ろうとするが、ストーカーは納得がいってないようだ。
「な、な、何で、何で止めちゃうんだよ! ぼ、ぼ、僕の、僕のあーちんを、つ、つ、捕まえろ」
大した戦果を得られなかった事でリディアも苛ついているようでストーカーを睨みつける。
「ヒッ! ご、ごめんなさい」
両手で頭を防御しながらストーカーがすぐに謝る。そんなストーカーの姿を見たリディアはやれやれと言った感じで溜息を吐く。
「このまま戦っても消耗戦になるだけだわ。それにここに他の使徒が来てしまったら共倒れになってしまう。悔しいけどここは引くのが一番よ」
意外と冷静な判断をするリディアに鷹木は瞠目する。さっき会ったばかりだが、印象としてはもう少し本能のままに動くのかと思っていたからだ。
「それでは私たちも帰りましょうか。私も魔力を使い過ぎたので少し休みたいです」
リディアたちが去って行ったのを確認し、シルヴェーヌが鷹木に帰る事を進言する。シルヴェーヌの顔を見ると疲労の色が濃く現われていた。
「大丈夫? 歩くのが辛いようならタクシーを呼ぶけど?」
タクシーという単語を聞いてシルヴェーヌは頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。タクシーと言う言葉は知っているが、それがどういった事に使えるのかまでは分からないようだ。
そんなシルヴェーヌの姿はどこにでもいる一人の女性の姿と変わらず、さっきまで鞭を振るって戦っていた人物と同一人物とはとても思えなかった。
白銀の世界が広がっていた河川敷はほとんど雪が吹き飛ばされてしまっており、地面には所々穴が開いている風景は最初に見た風景とはとても同じところだとは思えなかった。
土手を登って暫く歩くと一台のタクシーが通りかかった。そのタクシーを止めて乗り込んだ鷹木はもう一度だけ河川敷の方に視線を向けた所でタクシーは走り始めた。




