家出の六日目-4
山の中腹に針生の声が響いた。キリッとした声は澄んだ空気中では非常によく通り、木々に跳ね返った言葉はエコーのように余韻を残しながら消えて行った。
針生が強制命令権を使うとヴァルハラの動きが明らかに変わった。今まで何度攻撃しても傷一つ付かなかったゴーレムの体に傷が付いて行く。
それは大きなものではなく、人間で言うと擦り傷程度の物であるのだが、その傷を何カ所も付けると今度は一度付いた傷に攻撃を重ねて行くとゴーレムの体が崩れ始めた。
「何をしている! そんな攻撃気にせずに相手を潰してしまえ!」
シェーラの声に反応し、気合を入れるようにゴーレムは腕を高く上げるが、その腕は少しずつだが崩れ始めている。シェーラも見ているだけでなく、光の弾を飛ばしたり鉤爪でヴァルハラを攻撃したりするが、ヴァルハラは余裕で躱してしまっており、あまり効果的ではない。
だが、シェーラが飛ばした光の弾の一つが離れて見ていた僕の方に飛んでくる。ヴァルハラを狙ったものが逸れてこっちに向かってきているのだ。
ヴァルハラもその事に気付いたようで、こちらに来ようとするが、シェーラの追撃とゴーレムの攻撃にその場から動けそうにない。
僕は木にもたれかかった状態でアルテアを抱きかかえているので光の弾を避ける事はできない。このままではアルテアに当たってしまうと思った僕は体を入れ替え上から覆いかぶさり、アルテアを守る態勢を取った。
「キィィィィィン!!」
甲高い音がこだました。その音は僕のすぐ近くで聞こえ、そちらに顔を向けると魔力障壁を展開して仁王立ちしている針生の姿が目に入った。
「攻撃が魔法の弾なら私の魔力障壁で防ぐ事ができるわ。紡はちゃんとアルテアを守っていないさい」
男らしくそう言ってくる針生は本当に男性じゃないかと思えるほど頼もしく思えた。光の弾は針生の展開した魔力障壁に当たって方向を変え、明後日の方に着弾したようだ。
兎に角、針生がいてくれて助かった。僕一人ではあの光の弾一つ避ける事ができないのは情けないが、今は針生に頼るしかない。
シェーラとゴーレムの二人(?)を相手にしてもヴァルハラは強かった。強制命令権を使ったと言う事もあるだろうが、シェーラの攻撃を躱しながらゴーレムの傷ついた所にどんどん攻撃を加えて行く。
今までゴーレムへの攻撃に集中していたヴァルハラが狙いをシェーラに変更する。虚を突かれた感じになったシェーラは反撃する事ができず、どんどん押されて行き、最後にヴァルハラが放った蹴りで弾き飛ばされ地面に転がる。
このまま後一撃加える事ができればシェーラを倒せる所まで行ったのだが、ゴーレムの介入によって邪魔をされてしまった。大きく飛び退いて距離を取ったヴァルハラは両手をだらんと下げ、俯いてしまった。
辺りの空気が一変する。ヴァルハラの周囲から生暖かい空気がこちらにまで流れてきており、不快指数が一気に上がる。ヴァルハラが二丁拳銃をゴーレムに向けると魔法の詠唱を始めた。
「天網恢恢疎にして漏らさず、神明裁判にて首を垂れよ。穿つ魔弾」
拳銃がまばゆい光を放ち、魔力で温まった生暖かい空気をすべて吸収していく。拳銃の光が最高潮に達した時、ヴァルハラは拳銃の引鉄を引いた。左の拳銃からは赤い魔弾が、右の拳銃からは青い魔弾が発射されるとゴーレムに向かって雪を抉りなが飛んでいく。
途中で軌道が重なった魔弾は赤と青の二重螺旋を描きながら、互いに影響し合いながら大きくなっていく。最初は銃弾の大きさだったが、ゴーレムに届く直前にはサッカーボールほどの大きさになっていた。
突風に耐えながらも見える魔弾はとても綺麗だった。よほど拳銃から放たれたとは思えない魔弾は最後には完全に混ざり合い、紫色の光を放っていた。
ゴーレムはシェーラを守るため逃げる事なく、両手を差し出して魔弾を受け止めようとするが、それは間違いだった。紫の魔弾が差し出された両手を抉って進み、遂にはゴーレムの胸に大きな穴をあけて彼方に飛んでいく。
風穴の空いた所からゴーレムは徐々に形が崩れて行く。あれだけ硬そうだったゴーレムの体がすべて崩れ落ちた後には、後ろに隠れていたシェーラが茫然とした表情をしていた。
「そんな……。私の――私のゴーレムが……」
呟いたシェーラの眉間を魔弾が弾く。ヴァルハラはシェーラが呆けている瞬間を狙って魔弾を撃ち込んだのだ。頭を弾かれたシェーラはその場に崩れ落ち、体から光の粒子が立ち昇ると、体は段々薄くなって、最後には消えてしまった。
ヴァルハラの手には黄色の宝石が握られているが、大して興味を示さず拳銃と一緒に光の中にしまい込んだ。
「静かに眠れ。貴様の事は覚えておいてやる」
シェーラが倒されてしまった事で劔は声を上げながら森の中に入って行く。今なら劔も倒す事はできるだろうがヴァルハラは劔を追う事はなく体を翻してこちらに向かって歩いてきた。
どうやらヴァルハラの中に劔を殺すと言う事は頭にないようだ。アルテアの所まで来るとヴァルハラはしゃがみ込んでアルテアの症状を確認する。
「かなり拙いな。魔力が血と一緒に流れ出てしまっている。早く処置をしないとこのまま消えてしまうな」
そう言われればアルテアの体は少し透明になってきているような気がする。ヴァルハラはアルテアを抱きかかえると、素早く立ち上がった。
「私は先に君の家に行って準備をしておく。君もできるだけ早く戻ってくるんだ」
ヴァルハラは僕にそう言い残すと、アルテアを抱えて凄い速さで家に向かって走って行く。雪が積もっていようがヴァルハラが走っていくスピードは普段とそう変わりはなく、その姿はすぐに見えなくなってしまった。
その場に取り残された僕は針生と顔を見合わせる。何とも言えない空気が僕と針生を包むが、そんな空気を破るように針生が僕に早くヴァルハラを追うように促す。
「何してるのよ。早く行きなさい。麓まで行けばタクシーが拾えるわ。アルテアを助けてあげて」
僕は頷いて麓に向かって走り出そうとするが針生の事が気になってしまった。こんな夜も更けた時間の山の中に女性を一人置いて行くのは心苦しい。せめて麓までは一緒について行った方が良いのではないか。
躊躇っている僕の背中を針生が押すと早く行ってしまえと言うジェスチャーをする。少し寂しそうな顔をする針生を置いて雪の積もっている山道を下り始めた。
麓まで着いた僕はタクシーを探すと、偶然通りかかったタクシーを止めて、とにかく早く僕の家まで行くようにお願いする。タクシーの中で走ってきた事で乱れてしまった呼吸を整える。少し落ち着いた所で僕は針生のコートを着て来てしまった事に気が付いた。
雪も積もっている中で置いて来てしまっただけでなく貸してもらったコートを着て来てしまった事に凄く申し訳ない思いがするが、今更戻る訳にもいかない。明日、針生に会ったら返すついでに謝っておこう。
タクシーが僕の家の前に着くと、僕は素早く支払いを済ませ、家に入って行く。家には鍵をかけていたはずなのでヴァルハラが家にいるとしたらどうやって家の中に入ったのだろう。もしかしたら鍵を壊したのかと思ったが鍵は普通にかかっており、壊した感じはない。
居間を確認するがヴァルハラの姿はない。一階には居ないので階段を登り、アルテアに貸している部屋に入ると、そこには布団に寝かされたアルテアと、何やら怪しげな呪術を行うような準備をしているヴァルハラが居た。
窓の鍵の所が壊されており、ヴァルハラはそこから家の中に入ったようだ。ちょうど人の腕が入るぐらいの大きさの穴を見ると初犯ではない事が分かる。もしかして僕はやばい奴と同盟をしているんではないだろうか。
「やっと来たか。何をそんな所でぼさっとしている。早く服を脱いで布団に入るんだ」
は? ヴァルハラは何を言っているんだ。服を脱いで布団に入る? アルテアが寝ている布団でそんな事ができる訳がない。いくら聖人のような僕でも理性を保っていられる自信がない。
ヴァルハラが言っているのは僕が隣に寝れば良いのだと思い、押し入れからもう一組布団を取り出そうとするが止められてしまった。
「何をしている。新しい布団など要らん。離れて寝ていたら意味がないだろ」
離れてって言われても隣に布団を敷いて寝るのだからそんなに距離は離れていないのだが、ヴァルハラはそれでは満足しないらしい。
ヴァルハラの雰囲気に気圧され、布団を取り出すのを諦める。アルテアの寝ている布団の傍に行くが、一緒の布団で寝るなんて、アルテアが途中で気が付いたらどうするつもりだ。明らかに怒られるのは僕なのに。
「大丈夫だ。そんなに早く気が付くような状態じゃない。それよりも早く準備をしないと消えてしまう方が先だ」
そう言われるとこれ以上、文句を言っている時間すら惜しくなる。ヴァルハラがじっとこちらを見ているのが恥ずかしいが、僕は服を脱いでパンツだけの状態になった。部屋の中は暖かくされているので、それほど寒さは感じないが、何分もこんな格好ではいたくない。
「どうした? 全部と言ったら全部脱ぐんだ。まだ一枚残っているぞ」
ヴァルハラは僕のパンツを指さして脱ぐように指示をする。流石にそれは厳しい。厳しいのだが、仮面を着けていても真剣に言っているのが分かるし、時間もないだろうから渋々僕は少し離れ、後ろを向いてパンツを下ろす。
パンツで大事な部分を隠し、膝を付いて布団に入ろうか逡巡していると、ヴァルハラが顎をしゃくって僕に布団に入るように促す。大きく息を吐いて覚悟を決める。
アルテアが起きている訳ではないが、どこか申し訳なく思い、「失礼します」と言って掛布団を捲ると、アルテアの裸体が目に入ってきた。
一糸纏わぬ姿はとても綺麗で、目を離そうとしても目を離す事ができなかった。両胸の盛り上がりは服の上から見ていた時よりも大きく感じ、針生とどっちが大きいのだろうとどうでも良い比較をしてしまった。
「うわぁぁぁ。何でアルテアまで裸なんだよ!」
意識を取り戻した僕は声を上げてしまった。アルテアのパンツを見た時は僕の方から見せてと言ったので覚悟ができていたが、今回のはいきなりだったので心の準備ができていなかったのだ。
慌てて布団を元に戻すと、一息吐き抗議の意味を込めてヴァルハラを睨みつける。いくら何でも裸で男女が一つの布団に寝るのはおかしいだろ。
「魔法を使うためには必要な事だ。お前はアルテアが消えてしまっても良いと言うのか?」
アルテアが消えるのは嫌だが、本当に一緒に寝る必要があるのか? 一緒に寝るだけならまだしも僕もアルテアも全裸だぞ。こんなところ母さんに見られたら喜んで孫のためにとおむつを買って来るかもしれない。
魔法を使うためとは言えどうも胡散臭い気がするが、前回、僕の毒を治してくれた実績があるので完全に疑うと言う事もできない。
「後、それは良いのか?」
ヴァルハラが僕の股間を指さす。僕は慌ててしまっていつの間にかパンツを手放していたようだ。両手で股間を隠し、前傾姿勢になる。仮面の下で笑っているヴァルハラの顔が目に浮かび、悔しくなってくる。
完全に掌で踊らされている感じがして何とか仕返しをしてやりたいのだが、中々良い案が浮かんでこない。
「何でも良いが、早く布団に入れ。本当にアルテアが消えてしまうぞ」
それなら最初から全部説明してくれ。僕はせめてもの抗議を示すためヴァルハラを睨みながら、布団の所に行くと、なるべく掛布団が捲れないように布団の中に入る。「失礼します」本日二度目の挨拶と共に入った布団はアルテアの体温で暖かくなっていた。
あまりアルテアに近づきすぎないように布団の端に入ったのだが、ヴァルハラが僕を蹴とばし、もっと近づくように要求してくる。ヴァルハラを睨みつけるが止めてくれないので、諦めてアルテアのすぐ隣まで移動する。
アルテアの温もりが直に僕の体に伝わってくる。その温もりに刺激され、心臓が今にも飛び出しそうな勢いで動いているのが分かる。
「手をつないでおけ、そこまでで準備が完了だ」
もうここまでの状況になったら手を繋ぐことに抵抗はない。僕は左手でアルテアの右手を探し出すと手を握る。細い指で骨っぽい感じがすると思ったが、意外とふっくらとしてマシュマロを触っているような感覚だった。
僕が手を握った事を確認したヴァルハラが布団の隣に胡坐をかいて座る。一息吐き、精神を集中させると目を閉じるて呪文を唱え始めた。
「大気に満ちる魔の残り香、森羅万象の源よ。その身をもって糧となし、彼の者に力を与えよ!」
部屋に入った時から香っているのは香が焚いてあるのだろうか、部屋の中には甘酸っぱい匂いが漂っており、その言葉を聞いた事で強烈な眠気が襲ってくる。
薄れゆく意識の中、僕はアルテアの顔を見る。整った顔立ちのアルテアは静かに寝息を立て、穏やかな顔をしている。その様子に安心した僕の瞼は知らない間に目を塞いでいた。




