仲違いの五日目-3
店長に首を絞められた僕は足をばたつかせながらも何とか声を絞り出す。
「止めて……ください……店長……」
だが、それだけで精一杯だ。まともに呼吸ができない事でバタバタと動かしていた足にも力が入らなくなり、僕の意識は朦朧とし始めた。もう何秒か首を絞められていたら僕は気を失っていたか死んでしまっていただろう。
「大丈夫ですか!? ツムグ!!」
衝撃があった後、僕の体が開放された。締められていた首を抑えながらも急いで空気を取り入れる。今は何は差し置いても空気が必要だ。
「ゲホッ! ゲホッ!」
急に入れてしまった酸素に肺が対応しきれず咳き込む。今度は咳が止まらなくなり、苦しくなってくるが何とか生きている。
苦しみながらも前を向くと戦っていたはずのアルテアが立っており、どうやらアルテアが店長に体当たりをしてくれた事で解放されたようだ。
「大丈夫……だ。それよりも……店長……ゲホッ! は?」
僕は店長がどうなったのか事が気になったのだが、アルテアは店長の事など気にする様子はなく倒れて呼吸を整えている僕の前に立って女性を牽制している。
真面に動く事の出来ない人間を気にするより使徒の方に注意を払うというのは間違ってはいないのだが、もう少し店長の事も気にかけて欲しい。
「チッ! なんだい、知り合いみたいだったから襲わせて見せたんだけど、上手く行かなかったようだね」
店長は女性に操られて僕の首を絞めていたようだ。それにしてもあの力はとても人間の力とは思えない。女性に操られると身体能力が上がるのだろうか。
「クククッ。悩んでるみたいだから教えてあげるわ。私に従僕化された人間は枷が外れるのよ。普段押さえていた力が開放される。素晴らしいでしょ」
素晴らしい? 相手に操られた状態で使える力のどこが素晴らしいのか。それに人間は百パーセントの力を使ってしまえば体の方がもたない。所謂、火事場の馬鹿力はその瞬間だけの力だから大丈夫なだけで、決して日常的に使って良い力ではない。
日常的に百パーセントの力を使ってしまえば体の方がもたなくなり、自分の力で自分の体を傷つけてしまうのだ。
「ツムグはどこか安全な場所で見ていてください。私も女性の相手で手一杯で、ツムグを庇いながらの戦いだと力が出せません」
女性を見据えたままアルテアは僕に邪魔だと言ってくる。確かにアルテアの邪魔をしてしまっているので何とも言えないが、そんな言い方はしなくても良いだろう。僕だって店長を何とかしたいんだ。
アルテアは言うや否や女性に向かって行った。再びアルテアと女性の戦いが始まる。金属がぶつかり合う音が僕たちの他に誰も居ないサッカー場に響き渡る。日本刀と槍が紡ぎだす音はリズムを刻んでおり、コンサートを開いているようだった。
僕は悔しかった。悔しくて腹が立った。店長を助ける事もできない。アルテアの戦いを邪魔してしまっているでは僕の居る意味がまるでないのだ。怒りで血液の流れが速くなり、寒空の下にいるはずなのに僕の体は熱かった。不甲斐なさとやり場のない怒りを拳に籠め、地面に八つ当たりをする。
そんな僕の体と頭を冷まそうとしているのか空からは雪が降ってきた。雪の降り方は思ったよりも強く、芝生の上にはすでに雪が積もり始めていた。
まだ倒れている店長の上にも雪が降りかかってきており、駆け寄りたくなったが、ここでさっきと同じように捕まってしまったら目も当てられない状況になってしまうと思い、断腸の思いで店長から離れる。
だが、途中で足を止め、せめて店長の体が冷えてしまわないようにと、遠目から僕が着ていたダッフルコートを投げると、見事に店長の上にかける事ができた。
店長から離れ、アルテアたちからも少し離れた所で、僕はアルテアの方に目を移す。アルテアたちは互いに日本刀と槍を振るっていた。剣技の方はアルテアの方があるように見えるが、それほど決定的な物ではなく、互角の戦いを繰り広げている。
種族の優位性からアルテアの方がもっと有利に戦えていても良いはずだが、そうなっていないと言う事は女性の方が予想以上に強いのだろう。
「このままでは決着がつかないと思うのだけれど、どうかしら? 雪も降ってきた事だし、ここは一旦お互い引くと言うのは乗ってもらえるのかしら?」
女性の提案にアルテアは考える間もなく首を振る。ここで引き分けにするという考えはアルテアにはないようだ。
「馬鹿な事を。せっかくレガリアが手に入るチャンスをみすみす逃す訳にはいきません。大人しく私に倒されてください」
アルテアは日本刀を握り直し、女性に切っ先を向ける。やる気の衰えないアルテアの姿に、女性は辟易とした様子で溜息を吐く。
「仕方がないわね。それじゃあ奥の手を使わせてもらいましょうか。ちょうど試してみたかった所だしね」
女性が店長に向かって指をさすと指を上に振る。すると、今まで倒れていた店長がその指につられるように立ち上がった。その様子を見た女性がパチンと指を鳴らすと、店長が途切れ途切れながら口を開く。
「目覚……めよ……、アン……」
店長がその言葉を発するとアンと言われた女性は何かの呪文を唱え始めた。どこかで見たような感覚がすると思ったが、先日戦っていたシェーラの時と同じだ。
シェーラも地面に手を付いて呪文を唱えた後に、ゴーレムを召喚したのだ。
「石に刻まれしその魂、我の力を得て目を覚ませ。命に従い、その力、我のために使い尽くせ。出でよ! ガーゴイル!」
詠唱が終わると、アンの足元から五体の石造の怪物が蝙蝠のような羽をはばたかせ、姿を現した。羽を広げても一メートルぐらいの大きさのガーゴイルはゴーレムと比べるとかなり小さいが、空を飛べることもあり、ゴーレムよりは動きが機敏に思える。
アンがアルテアの方に手を向けると、宙を飛んでいたガーゴイルたちが一斉にアルテアの方に襲い掛かる。滑空する姿は石造とはとても思えないほど軽やかだった。
「強制命令権を使って、更に他人から魔力を奪っても五体が限界か。これはもっと大量の魔力を集める必要があるわね」
五体のガーゴイルを相手にしているアルテアを横目にアンはそんな不穏な事を呟いている。魔力を集めるともっと多くのガーゴイルを呼び出す事ができるのだろうか。だとするとアンをここで止めておかなければ被害がさらに広がってしまう。
アルテアの剣技も凄いのだが、五体の宙に浮いているガーゴイル相手では中々日本刀をまともに当てる事ができない。苛立ちの表情を浮かべるアルテアだが、何ともする事ができない。
ゴーレムはダメージを与えた所は崩れて行ったのだが、ガーゴイルは日本刀が当たって崩れた所を自己修復していた。なので、ガーゴイルを倒すには一撃のもとに倒すしかないのだろうが、動きが早くそれも難しそうだ。
僕は店長の方が気になってそちらに目を向けると、店長は糸が切れた人形のように、手や足が曲がってはいけない方を向いて倒れていた。店長の上に降り注ぐ雪のせいで、店長が捨てられたように見えて心が痛くなってくる。
店長が立ち上がって口にした言葉から店長がアンの憑代であったのは間違いないだろう。できれば嘘であって欲しかったが、目の前で強制命令権を使う所を見てしまったら疑う方が難しい。
それなら従僕化するというやり方ではなく、僕たちみたいに普通に接する事はできなかったのかと思うと、アンへの憎しみは増幅していく。
ガーゴイル相手に悪戦苦闘しているアルテアだが攻撃を避けた隙を突いて僕の方を見てきた。
僕たちはここに来る前に事前に話し合って強制命令権を使う時の合図を決めていた。それはアルテアが僕の方に向かって二度、ウィンクをしたら強制命令権を使う合図なのだと。
だが、今回はアルテアは僕の方を見ただけでウィンクをしてくる事はなかった。どうやらまだ、強制命令権を使うタイミングではないようだ。
僕は自分の手に視線を落とすと手が小刻みに震えていた。パンツを見せてと言った時はまるで緊張などしなかったのだが、いざ、戦いの最中に使うとなるとどうしてこんなにも緊張してしまうのだろう。
少しでも緊張を解くため、なるべくゆっくり呼吸をするのだがなかなか手の震えは止まってくれなかった。できればこのまま強制命令権を使わずにアルテアが勝利してくれれば良かったのだが、そんな簡単にはいかなかった。
再び僕の方を見たアルテアが二度、ウィンクをした。遂に強制命令権を使う時がやって来てしまったのだ。
僕の見間違いではない。今、アルテアは確実に僕に合図を送った。僕の体に電流が走る。折角緊張を解こうとしていたのだが、再び緊張してしまい、全身が上手く言う事を聞かなくなる。呼吸が早くなり、視界が狭まると辺りがやたら暗く感じるようになった。
早く強制命令権を使わなければ。そんな思いが僕の頭を真っ白にする。口にしなければいけない言葉も思い出せなくなる。
落ち着け。落ち着け。大丈夫。できる。僕はちゃんとできる。自分にそう言い聞かせ、大きく息を吐くと、頭がクリアになり、嘘のように体の緊張が解けた。言わなければいけない言葉もはっきりと思いだした。
「放て! アルテア!」
そこまで大きな、声を張った感じではなく、普通に会話をするような感じで、僕はアルテアと決めていた言葉を紡ぐ。
僕とアルテアが強制命令権を使う時に決めていた言葉を言った瞬間、僕はどこか力が抜けてしまったような感覚に襲われた。
多分、僕の体から大量の魔力を持って行かれたせいだろう。立っているのも辛い状況になってしまったが、何とか倒れるのを我慢し、アルテアの方を見ると、アルテアの方は今までの動きが嘘のように軽快にグラウンドを動き回っている。
今までガーゴイルからの攻撃を避けてからアルテアが攻撃をしていたのだが、今ではアルテアの方からガーゴイルに攻撃を行うようになっており、攻守は逆転したと言える。
グラウンドの地面を蹴ってアルテアが宙を飛び、一体のガーゴイルの後ろに付く。瞬間移動したのではないかと思えるほどの速さでガーゴイルの後ろに辿り着いたアルテアは、そのまま日本刀を振り下ろした。
左右に分かれてしまったガーゴイルの中から核のような物が飛び出し、それを日本刀で突いた。ガラスのように砕け散った核が雪と一緒にグラウンドに舞い散る。
今まで自己修復をして何事もなかったように攻撃を再開していたガーゴイルが自己修復しない。どうやら先ほどアルテアが突き壊した石はガーゴイルが再生をするために必要な器官……心臓みたいなものなのだろう。
その証に地面にバラバラの状態で落ちたガーゴイルは再び立ち上がる事はないく、ただの石に戻っていた。
「流石に人族の貴方が強制命令権を使うと、精霊族の私には厳しいわね。だけど、決して勝てない訳じゃなくってよ」
残ったガーゴイルたちが一斉にアルテアに襲い掛かる。今のアルテアの身体能力なら四体が一斉に攻撃されようが捌いてしまうだろう。
だが、それはガーゴイルたちだけが攻撃した時だ。ガーゴイルたちが攻撃をしたタイミングに合わせ、アンがアルテアの死角から迫り、槍を突き出す。
「後ろからくるぞ! 避けろ! アルテア!」
僕の声が聞こえたのだろうか。アルテアは間一髪の所でアンの槍を避ける事に成功する。アンの一撃は空気に穴をあけるような威力であったが当たらなければ意味はない。
「チッ! 坊やが邪魔をしなければ今の一撃で決められたものを」
アルテアの不意を突いた攻撃を躱された事でアンは大きく飛び退いてアルテアから距離を取る。あのまま押し込んで、アルテアに反撃されたら拙いとの判断だろう。
「ツムグ、ありがとうございます。助かりました」
アルテアも少し後ろに飛び退き、距離を空けると僕の方を振り向かずにお礼を言ってきた。お礼なんて言わなくても大丈夫なのだが、アルテアの性格上、言わないと気が済まないのだろう。
だけどアルテアはこの状況をどうするのだろう。一体、一体ガーゴイルを倒していく事はできるだろうが、今回のようにアンからの攻撃もケアしなければいけないとなると、アルテアでも簡単には行かないと思う。
「大丈夫です。この程度の相手、蹴散らして見せます」
そう言うとアルテアは日本刀を鞘に入れて抜刀の構えを取る。居合斬りという奴だろうが、ここからではアンたちまであまりにも距離があり過ぎる。アルテアは一体どうするつもりなのだろう。
静かに目を閉じて精神統一するアルテアの上からは雪が降ってくるが、アルテアに当たった瞬間に溶けてしまう。アルテアはそんな事を気に留める事もなく、周囲の静寂に同化するように静かに集中する。
アルテアの周りからは一切の音が消え、集中力が最高潮に高まった時、大きく目を開いた。
「我が力を名刀雪月花にすべて預ける。 虚空舞爪!!!」
その言葉と共に鞘から抜かれた日本刀から鋭い光が放たれた。三日月状の光はアンとガーゴイルが居る場所に正に光の速さで飛んでいく。空気を切裂き、舞っている雪を蹴散らしその光は真っすぐアンの元に突き進む。
アンは慌ててガーゴイルを自分の所まで戻し、ガーゴイルたちで壁を作る。だが、日本刀から放たれた光はそんな壁をものともせず、ガーゴイルたちを蹴散らしてサッカー場の客席を思いっきり破壊してその姿を消した。




