曖昧模糊 赤崎-1
再び曖昧模糊では視点が変わっております。ご注意ください。
赤崎 優唯は赤崎財閥の次々期当主となる人物だ。
赤崎財閥は裏から日本を支配していると言われているほど力を持っており、現当主の赤崎 宗一郎には首相も頭が上がらないともっぱらの噂だ。
そんな赤崎家の長女として生まれた優唯は、次期当主である父の跡をついで、将来、赤崎家の当主になる事が決まっていた。
優唯は幼い頃から当主となるべく様々な教育を受けていた。ピアノに茶道、華道は勿論の事、帝王学や経営学と言った幼児教育には向かない事まで習っていた。
それは全て優唯が将来、人の上に立つ事が決まっているためで、父や祖父も同じ様に小さい頃はこのような教育を受けていた。
優唯は幼い頃から不自由をした事がない。欲しい物はすぐに手に入ったし、優唯周りにはメイドたちが常に控えているから指示を出せばすぐに動いてくれた。
そんな幼少期を過ごしたせいで、優唯の目にはこの世界はとてもつまらない物に映っていた。普通の人間の感覚からすれば、そんな恵まれた環境はないと思えるのだが、実際にその立場になると見方が違ってしまうのだ。
優唯には二人の専属メイドが付いている。優唯より一つ年上の双子の姉妹で、優唯は何か有ればまずはその姉妹に命令をするのだ。
双子の姉は里緒菜と言い、妹の方は玲緒菜と言う。姉妹は瓜二つで、ほとんどの人は、どちらが姉でどちらが妹か見分けが付かないが、優唯だけはしっかりと区別できていた。
姉妹は優唯が学校に行く時も、授業を受けている時も傍を離れることはない。最初は邪魔だと思った優唯も、今では何も思うことはない。もう空気のような存在になってしまっているのだ。
月星高校では優唯のために特別なクラスが用意されており、そのクラスに入るには学力は勿論の事、家柄までも厳しく審査される。
そんなクラスは優唯を含めても五人しか居らず、如何にそのクラスに入るのが難しいかを物語っている。故にクラスにメイドがいたとしても誰も文句を言わない。それどころか五人全員がメイドや執事を連れて学校に来ているのだ。
月星高校は幼稚園から大学までの一貫校で、優唯は推薦で月星大学の合格をすでに手にしていた。そう言う意味では高校に入学した時、いや、幼稚園に入った時、いや、生まれた時から合格は決まっていたのだ。
月星大学には帝王学科と言う変わった学科があり、優唯はその学科に合格していた。月星大学は日本有数の私立大学で、帝王学科は受験料が五十万円、一年の授業料が一億円と言う一般庶民には手の出ない金額が設定されていた。
しかも、受験は学力だけではなく、やはり家柄や資産、個人の資質など、個人の努力だけではどうにもならない事まで試験の対象となるので、ある意味、日本の中では一番難易度が高い学科かもしれない。
普段はそれほど多くの受験生はいないのだが、優唯が来年入学すると言う事で、ここ数年、帝王学科は非常に人気があった。
優唯と同級生になれないが、同じ学科なら知り合う可能性はあるのだ。赤崎家と繋がりを持つ事は非常に重要な事で、こんな機会がない限り、なかなか知り合う事ができないので、人気が高くなっていたのだ。
しかも、来年は優唯と同級生になれるという事で、倍率は百倍にまで跳ね上がっていた。
すでに合格を決めている優唯は三学期にはほとんど学校には登校していなかった。学校ではすでにやる事がなく行った所で時間の無駄でしかなかったからだ。
そんなある日、優唯は自宅にある浴室で、一人お風呂に入っていた。浴室は普通の家が一軒建つほどの広さがあり、一人で入るには大きすぎるほど大きいのだが、優唯にとってはこれが普通だった。
大理石でできた床に埋まっている形の浴槽の縁に両腕を乗せ、足を伸ばして入浴している優唯は湯煙の中に人がいるように思えた。
そもそも、優唯専用の別邸に知らない人が入ってくること自体、有り得ない事で、しかも優唯が入浴している最中の浴室ならなおの事だ。浴室の外には姉妹が控えており、さらに廊下には何人ものメイドや執事が警備をかねて控えているのだ。
何かの間違いだろうと思い、入浴を続けていると、優唯に向かって声を掛ける人物がいた。
「おい、テメーが憑代か? 俺と契約させてやる。喜べ」
湯煙の中から見知らぬ人物が現れた。こんな所にまで知らない人物を入れてしまうなんて警備の人間は何をやっているのだろうと優唯は思う。当然、警備の人間はすぐに解雇する事になるのだが、まずは目の前の人物をどうにかしなければいけない。
女性ならば入浴している所に知らない人物が、それも男性が現れれば慌てて体を隠したりするのだが、優唯は一切そのような行動はとらず、男性の前でも湯船に浸かりながら浴槽の縁に両腕を乗せて裸体を晒している。
優唯がパチンと指を鳴らすと、外に控えていた里緒菜と玲緒菜が浴室に入ってきた。優唯の体を洗うために外で待っていた姉妹は浴室の中に知らない男性が居る事に驚いた。
「申し訳ありません。優唯様。今すぐこの者を排除いたします」
自分たちのあずかり知らない所で主の前に知らない男性を侵入させてしまった事に謝罪の言葉を述べると、姉妹は同時に男に飛びかかった。姉妹は武術を嗜んでおり、普通の男性なら赤子の手をひねるように制圧できる。
里緒菜が首を、玲緒菜が腰を掴んで男の動きを拘束しようとしたのだが、姉妹は男の体をすり抜けてしまった。
「なっ! どうして!?」
驚く姉妹だが、すぐに頭を切り替え、相手がホロスコープではないのかとか、色々な可能性を考え始めた。だが、浴室には姿を映すようなカメラはないし、そもそも、そんな物をこの屋敷に設置できるはずもない。
だとすると目の前の男は何者だろうか。姉妹は左右に分かれて少しずつ男との距離を縮める。今度こそ男を拘束しようと両手を広げて男に向かって行くが、やはり男の体はすり抜けてしまい、姉妹で抱き合うような格好になってしまった。
「もう良いわ。下がりなさい」
優唯が浴槽から立ち上がると、姉妹は慌てて優唯の後ろに着き、持って来ていたタオルを優唯の肩にかけた。
「優唯様、あの者は必ず私たちが排除しますのでお下がりください」
里緒菜の声にも優唯は何も反応を示す事なく、男の元に歩き出した。タオルが肩に掛かっているとはいえ、隠そうとしない優唯の体は裸も同然だ。もし男がどこかに武器を隠していたら無防備な優唯では何もできない。
姉妹は優唯の後ろから離れる事なく付いて行き、もし、男が少しでもおかしな行動をしたら自分の体を盾にしてでも優唯を守るような態勢を取っていた。
「この屋敷に無断で入って来るなんて貴方何者?」
男の前に立った優唯が男に尋ねる。湯煙のせいかもしれないが、男の存在は物凄く気薄に感じられた。
「俺は王を決める戦いをしに、ここにやって来たエルバート=エクハルトって言う者だ。アンタには俺と契約をする栄光を与えてやる」
エルバートはそう言うと口角を上げる。すると後ろに控えていた姉妹が割って入る。
「貴様! 優唯様に向かってアンタとは無礼にもほどがあるぞ!!」
確かに優唯の事を「アンタ」と呼ぶ人物に優唯は会った事がなかった。同級生には赤崎さんとさん付けで呼ぶように言っていたが、呼び捨てにする者すら一人もいなかったのだ。
だが、エルバートは優唯の事を「アンタ」と呼ぶ。しかもエルバートは王を決める戦いをしていると言う。優唯はエルバートに俄然、興味が沸いてしまった。
優唯が片手をあげて、姉妹を制すると、姉妹は飛び出しそうになった体を戻し、赤崎の後ろに付いて頭を下げる。
「へぇ。王を決める戦いとは面白いわ。ゆっくり話ができる場所に移りましょう」
優唯がエルバートの横を通り過ぎようとすると、エルバートは優唯の前に手を伸ばし、行く手を阻むようにした。だが、その手は優唯に当たる事なくすり抜けてしまった。
さっき姉妹がエルバートの体を通り抜けたのを見ていた優唯だが、実際に自分が体験してみると不思議な感覚になり、どこか面白かった。
「悪いが、この通り幽体の状態だから、ここで話をさせてくれ」
エルバートがそう言うと、優唯は再びパチンと指を鳴らす。それを合図に玲緒菜が浴室から出て行ったが、里緒菜の方は優唯の護衛をするために後ろに控えたままだ。
暫くすると、玲緒菜は他のメイドも連れて、椅子や机を運び入れる。すると浴槽の隣に簡易的に話の出来る場所が出来上がった。机の上には冷たいジュースも置かれており、抜かりはない。
優唯が椅子に座ろうとすると、里緒菜が椅子を引き、優唯の動きに合わせて椅子を優唯が座りやすい位置に調整して戻す。どこかのビーチみたいな感じになっているが、ここは浴室で優唯はほとんど素っ裸だ。
優唯が椅子に座って足を組むと、机にあるジュースを一口飲む。エルバートは幽体なので、椅子に座る事はできないが、話をしやすいように、椅子に座ったように見える態勢を取っている。
「これで話ができるかしら? さあ、面白い話を聞かせてちょうだい」
優唯がエルバートに話を促すと、エルバートは自分の素性や目的について話し始める。
エルバートの話はにわかには信じられるものではなかった。だが、優唯にとってエルバートの話が信じられるかどうかは問題ではなかった。問題はその話に興味を持てるかどうかだった。
その点で言うとエルバートの話は非常に興味深い物だった。王を決める戦いの事、異世界から来た事、契約の事。どれもが琴線に触れる物ばかりだった。
「にわかには信じられない話ね。けど、嘘を言っているようにも思えない」
湯煙の中で優唯はエルバートを見つめるが、エルバートの表情は動かない。
「優唯様、騙されてはいけません。この者の言っている事が本当である保証はどこにもないのです」
「そうです。この者は嘘を言って赤崎家に取り入ろうとしているだけです。優唯様、排除のご命令を」
里緒菜に続いて玲緒奈が優唯に進言するが、優唯はその音を煩いと思った。
「里緒菜、玲緒菜。二人とも少しの間黙ってらっしゃい」
思考の邪魔と言わんばかりに、後ろを見る事なく姉妹に命令すると、姉妹は何も言えず黙ってしまった。
「それで? 俺と契約してくれる気になったのか?」
エルバートとしても赤崎と契約できなければ終わってしまう。他に波長の合う者を探そうとしても時間が掛かってしまう。だが、そんな様子は一ミリも見せる事なく尊大に優唯の前で構えている。
「一つ質問よ」
優唯が指を一本立てながらそう言うと、エルバートは眉をピクリと動かす。
「貴方はこの戦いに勝てるほど強いのかしら?」
最初から負けると分かっている戦いをする気は優唯にはない。赤崎家が負けると言う事は許されないのだ。だとすれば最低限の条件として勝利が求められる。
「誰に物を言っている。俺は王国で最強のドラゴニュートだぞ」
犬歯をむき出しにして、親指で自分の胸を指すエルバートの答えに優唯は契約をする事を決める。椅子から立ち上がると、姉妹は椅子が邪魔にならないように音もたてずに引く。
エルバートの前まで行った優唯は肩にかかっていたタオルを邪魔だと言わんばかりに投げ捨てる。本当に全裸になった優唯の体は女性としては理想的と言っても良いほどだった。大きなバストは重力など関係ないと言わんばかりに張っており、ウエストは片手で握れると思えるほどの細さだ。ヒップは程よい肉付きで男性好きする美しさだ。
そんな優唯を前にしてエルバートも同じように立ち上がる。
「もし、不甲斐ない戦いをするようなら赤崎家すべてを使って貴方を叩き潰すわよ」
「あぁ、安心しろ。俺は最強だ。誰にも負ける気はしねぇ」
そのやり取りに二人は笑顔になる。優唯がエルバートの方に腕を伸ばすと、指先がエルバートの体の中に入って行った。あまりの現象に優唯は少しだけ戸惑ってしまうが、すぐに気を取り直し、指を更に押し込む。
すると指に何かが当たる感触があった。これが先ほどエルバートが言っていた心臓なのだろう。そう思った優唯は人差し指を動かし、心臓に傷を付けた。
急に襲い掛かる頭痛に優唯はその場に座り込むように倒れる。後ろに控えていた姉妹が既の所で優唯が床に座り込んでしまうのを防ぐと、エルバートの方を睨みつける。
「貴様! 優唯様に何をした! 殺されたいか!!」
姉妹の言葉も今の優唯には聞こえない。それぐらい酷い頭痛がしているのだ。だが、そんな頭痛の最中、頭の中に声が聞こえた。
『契約者には一つギフトを与える』
『ギフト』と言う物はエルバートの話の中には一度も出て来ていない。しかし、その声を聴いた後、頭痛は不思議と治まっていた。
優唯が両脇を支える姉妹をどかすと、エルバートに詰め寄る。体格で言うとエルバートの方が大きいのだが、そんな風には見えないオーラが優唯の体を包み込んでいる。
「『ギフト』を与えるって声が聞こえたわ。これは貴方の話には出てこなかったものよ。どういう事?」
話に聞いていなかった声が聞こえた事で、優唯はエルバートを詰問する。
「『ギフト』? それは俺も知らない事だ。どういう物か見せてもらえるか?」
優唯はどうやれば『ギフト』を見せられるか考えると、徐に自分の腕に噛みついた。白いきめ細やかな肌に自分の歯型が付き、血が流れ始める。
「優唯様! しばしお待ちを。今、治療道具を持ってまいります」
里緒菜が駆けだそうとした所で、優唯は歯型の付いた所に手をかざす。手から淡い光が溢れると、血が止まり、付いていた歯形が消え、元の白いきめ細やかな肌に戻っていた。
「なるほど。自己治癒能力か。魔法の一種だな」
エルバートが落ち着いてその能力を分析するが、姉妹の方は何が起こったのか理解できなかった。
「アハハッ! これは凄いわ。こんな事ができるようになるんて、なんて面白いの」
浴室に優唯の大きな笑い声が響いた。声が床や壁に反射し、エコーのかかったような笑い声はどこか不気味に思えた。




