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曖昧模糊 針生-1

曖昧模糊では視点が変わっております。ご注意ください。


 針生は誰も居ないリビングで、椅子に座りながら紅茶を嗜んでいた。

 学校から戻ると一人で住むには大きすぎる家で、紅茶を楽しむのが日課になっている。ダージリンから香るマスカットのような香りで鼻腔をくすぐるのが堪らなく好きなのだ。

 針生は昨日初めて話した男子生徒の事を思い出す。その男子生徒の事は前から少し気になっていたのだ。


 月星高校では試験の結果が掲示板で発表されるのだが、その男子生徒は必ずと言って良いほど毎回下から数えた方が早い位置だった。

 学年でトップテンを外した事の無い針生にとって、その男子生徒は気にするような対象ではないのだが、ある時、数学のテストで間違えた所を先生に聞きに行った時に偶然、その男子生徒の点数を見てしまった。

 その時の数学のテストでは満点は二人しかおらず、一人は月星高校始まって以来の天才と噂される女子生徒で分かっているが、もう一人が「釆原 紡」と言う名前の生徒だったのだ。

 たった二人しかいない満点の内の一人と言う事で、どれだけ優秀な成績の持ち主かと思えば、掲示板では下の方で驚いた。それが成績上位の人間なら針生はそれ程興味を惹かれなかったであろう。だが、「釆原 紡」と言う名の生徒が最下位に近い所にいた事で興味を持ったのだ。

 それとなく釆原の事を同級生に聞いてみると、釆原は自転車で登校してくる事で有名だった。思い返せば針生もバスの中から何度か自転車で登校する生徒を見ていたが、それが釆原だとは今まで知らなかった。

 シャトルバスで登校すれば楽なはずなのに、何故彼は自転車で登校してくるのだろう。ほんの些細な事だが針生は釆原に興味を引かれていった。


 ある日、針生がお弁当をどこで取ろうかと思い、色々構内を歩き回っていると、釆原の姿を見つけた。釆原は普段誰も近寄らない屋上の前の扉まで行き、いきなり扉を蹴飛ばすと、涼しい顔をして屋上に出て行ってしまった。

 実に手慣れている。ああいう行動が初めてでないのが今の行動だけで分かった。針生は扉の所まで行くと見事に鍵が解除されており、あの扉を蹴飛ばしたのは鍵を開けるためだと理解した。

 釆原の後に続いて屋上に出た針生だったが、屋上には誰も居なかった。確かに釆原は屋上に出たはずなのに一体どこに行ったのだろうと辺りを見渡すと塔屋の上から物音がした。

 針生は食事をする場所を探していただけで、釆原と一緒に食事をする気ではなかった。自分の中でそう言い聞かせると針生は釆原に声を掛けた。


「貴方何をしているの! そこは私の場所よ!」


 やってしまった。普通に声を掛ければよかったのだが、照れ隠しをしようとしたため、我儘な女性見たいになってしまった。驚いた顔をしている釆原だが、針生は覚悟を決めると梯子を上り釆原を隣まで行くと、横にずらして釆原の座っていた場所を奪った。

 今まで釆原が座っていたため、その場所は暖かくなっており、針生はその暖かさを感じると少し恥ずかしくなってきた。

 恥ずかしさを隠そうと、釆原のお弁当からハンバーグを強奪して食べてみると、これが予想以上に美味しくて驚いた。針生もほぼ毎日お弁当を作っているのだが、これぐらい美味しいハンバーグは作った事がなかった。

 女子力の高さを認めつつ、お返しに針生は自分が作ってきた玉子焼きを釆原の口に放り込むと、美味しそうに食べてくれて安心した。ただ、「あーん」をした感じになってしまったのは、後から思い出すと顔が真っ赤になってしまう。

 折角隣でお弁当を食べていたのだが、釆原は自分のお弁当を食べ終わるとさっさと塔屋を降りてしまった。ほとんど何も話せず別れてしまっては何のために勇気を振り絞ってここまで来たのか分からなくなってしまう。

 針生も急いでお弁当をかきこみ、釆原の後を追った。片手で梯子をもう一方の手にお弁当を持って梯子を降りている時、急に吹いた強風が針生の短いスカートを捲り上げる。月星高校の女生徒の制服は、ブレザーにチェックの模様の入った丈の短めなスカートだったので、風に煽られると成す術がなかった。


 ――見られた!


 そう思った針生は急いで梯子を降りると、恥ずかしさで下を向きながら釆原の方に向かっていく。


「見たわね?」


「見てない」


「正直に言えば怒らないわよ?」


「本当に見てないです」


 どうやら釆原に普通に聞いても答えてくれなさそうなので、針生は少しだけ変化をつける。


「釆原君。私思うの。男の子ってどうしようもなくエッチなんだって。だから不可抗力だからと言って釆原君が私の下着を見てしまったとしてもそれは仕方がないと思うの」


 釆原は針生が下着を見てしまっても仕方がないと言うと意固地だった態度を変化させ始めた。


「下着なんて服と一緒の素材なんだから服を見られるのと下着を見られるのは変わらないと思わない?」


 釆原の態度はますます軟化していく。これはいける。針生の女の感がそう言っている。


「そうでしょ? だから素直に言って。私の下着――何色だった?」


「薄い水色……かな?」


 成績通り、あまり頭は良くないようだ。そのくせ数学で満点を取るなんて針生としては納得がいかなかった。



「パ――――ン!!」



 色々な思いの籠った右手が釆原の頬を捉えた。遮るものがほとんどない屋上で出た音は本町の方まで聞こえてしまっているのではないかと思えるほど遠くまで飛んで行った。

 偶然風が吹いただけなので、釆原が悪いわけではないのだが、下着を見た対価としてはこれでは少ないぐらいだ。それならと思い、針生は釆原からスマホを受け取ると、メッセージアプリをインストールして自分のIDを登録して返した。

 これでいつでも連絡が取れる。思った以上の成果を手に針生は屋上から出て行った。屋上を出て扉を閉めたとたん、針生は急いでトイレに入ると個室に籠った。


「どうしよう。下着見られちゃった。いきなり叩いちゃったりして嫌われちゃったかな? 謝ったら許してくれるかな?」


 表面上は割と平気な顔をしていたのだが、内心ではこれほど動揺していたのだ。針生はトイレの中で頭を抱えて苦悶する。折角お弁当を一緒に食べて仲良くなりかけたのにあんなことをしてしまっては意味がなくなってしまう。

 だが、メッセージアプリで自分のIDを登録しても嫌な顔はしていなかったので、もしかしたら嫌われた訳ではないかもしれない。『ハンバーグ美味しかった。明日も楽しみにしているわ』と書いて送ったメッセージの返事が来ていない。やはり嫌われてしまったのか?

 答えの出ない問題に頭を悩ます針生は、体調不良という事で先生に伝え、保健室でこの日の授業を終えた。


 家に帰った針生は紅茶を入れると、スマホと睨めっこをしていた。針生はもう一度、釆原にメッセージを送ろうか悩んでいたのだ。

 用事もないのに針生の方からメッセージを送ってしまうと、釆原の事を気になっているんじゃないかと思われてしまうのが嫌なのだ。かと言って釆原からメッセージが来ないのでどうした物かと考える。

 何度もスマホを手にとっては机に置くと言うことを繰り返し、遂にメッセージアプリにメッセージを書き込んだが、最後まで送信ボタンは押せなかった。そうしている間に部屋の中は暗くなっており、スマホで時間を確認するとすでに八時を回っていた。

 暗い部屋の中を手探りで電気のスイッチの所に行き、部屋の明かりをつけると、夕食と明日のお弁当の準備を始める。あのハンバーグを超える一品を作らなければと思うのだが、学生のお弁当でそこまで手の込んだ物を作る訳にはいかない。そんな手の込んだ物を作ってしまえば気を使って食べてくれなくなってしまうかもしれないからだ。


「これね。これが良いわ」


 冷蔵庫の中を眺めていると、ウインナーが目に留まった。ウインナーなら少し手を加えれば意外と美味しくなるし、気を遣わずに食べてくれるだろう。

 ウインナーにパスタソースを絡める事で、ただウインナーを食べるよりは味に深みが出た。針生はこれを釆原に食べてもらう事に決め、早く明日の昼食時間にならないかと布団の中で待った。


 次の日、学校に行くと、雪が舞ってきた。この天気では屋上で食事をするのは厳しいと思い、釆原に休み時間毎にメッセージを送るが一切の返事がない。

 既読の印さえ付かないので、今日は休みなのかと思い、釆原の教室に行くと、普通に学校には来ていたようだ。釆原のクラスメートが呼び出してくれたのだが、釆原は針生の呼び出しに逃げるように教室を出て行こうとしている。


「ちょっと待ちなさいよ」


 釆原の所まで走っていき、肩を掴んで歩みを止めさせた。どうやら釆原はメッセージを見ておらず、針生が来て注目を浴びてしまったので逃げ出したらしい。

 そんな事で逃げるなんてと思いつつも針生は釆原とどこでお弁当を食べるかを相談すると、屋上に行こうと言う事になった。

 実際には屋上ではなく屋上に行く扉の前にある踊り場らしいが寒いのは変わりないのではと思いながら付いて行くと、釆原が隠していたダンボールを絨毯代わりにし座った。


「凄いわね。そんな物まで用意してあるんだ」


 素直に針生は驚いた。踊り場でどうやって食事をするのかと思ったら段ボールまで隠してあったのだ。これは日常的に屋上を利用しているのではと伺える。

 釆原がお弁当を広げた時、針生は良い事を思いついた。お弁当の写真を撮るのを口実に釆原の写真を撮ってしまおうと。


「ちょっと待って。写真撮らせてよ写真!」


 針生がスマホを取り出して、お弁当の写真を何枚か撮ると釆原が興味深そうにこちらを向いた。


 ――チャンス!


 見事こちらを向いた釆原の写真を撮る事に成功した。内心では両手を上げて喜んでいるのだが、表に出さないように、あくまでも自然にポケットの中にスマホを仕舞った。もう何があっても写真は消さないと心に決めて。

 スマホを仕舞い終わった針生が横目で釆原のお弁当を見ると、そこには美味しそうな生姜焼きが鎮座していた。針生は何も言わず生姜焼きを奪い取ると、昨日のハンバーグ以上の美味しさにショックを受けた。


 ――何なのこの美味しさ。とても素人がお弁当に入れてくる美味しさじゃない。


 お店で出せるレベルの生姜焼きと素人が作ったウインナーでは比べるまでもなく完全に負けてしまっている。でも、折角作ったのだから食べてもらいたい。針生は思い切って釆原のお弁当箱の上にウインナーを置くと釆原が喜んで食べてくれた。


 ――良かった。喜んでくれている。嬉しい。


 それが正直な針生の感想だ。それからはお弁当を何時食べ終わったのかも分からないほど動揺していた。だが、針生には釆原に伝えなければならない事があった。


「残念だけど、明日はクラスメートと食事をするから来れないわ」


 針生にとっては凄く残念な事だった。できれば友達との約束を反故にして釆原との昼食を優先したかったが、前々からの約束なのでどうしても断れなかったのだ。

 だが、針生の言葉を聞いた釆原の反応はあっさりしたものだった。もっと残念そうにしたり悔しがったりはできないのかと思い、思わず針生は頬を膨らませてしまう。

 自分の思うようにはいかない釆原の態度に、針生はそのままその場を立ち去ってしまった。これはもう少し作戦を考える必要があると思いながら。


 今日は雪が降っているため、全員下校時刻が早くなるらしい。針生も学校の指示に従い、授業が終わった後、すぐに家に帰る事にする。

 帰り道、周りに誰も居ないのを確認するとスマホの待ち受けを今日のお昼に撮った釆原に変える。満面の笑みと言う感じではないが、割と良い感じで写真は撮れていた。

 ニヤケた顔でスマホを見ながら家の扉を開けると、そこには見た事もない怪しい人物が足を組んで座っていた。


 ――嘘ッ! 強盗!?


 針生の体が強張った。女性の一人暮らしのため戸締りには十分に気を使っていたのだが、家の中まで入りこまれてしまえば戸締りも意味をなさない。

 怪しい人物は針生に気付いただろうが動く事はない。なぜそんなあやふやな表現になるかと言うとその人物は仮面を着けていて視線がどこを向いているのか分からなかったからだ。

 怪しげな人物に怪しげな仮面。勝手に家に入り込んでいた事を考え、針生が声を上げる。


「貴方は誰! どうやってここに入ったの?」


 身の危険を感じた針生は手に持っていたスマホで警察に連絡しようと操作をするが、いつの間にか目の前に来ていた怪しい人物に驚き、スマホを落としてしまった。


 ――えっ!? なんで急に目の前に?


 何か乱暴をされるのではないかと身を硬くして、瞳を閉じる針生だったが、針生の体には何の変化もなかった。


「大丈夫だ。私は君に危害を加えるつもりはない。安心してくれたまえ」


 針生が恐る恐る目を開けると、目の前にいたはずの怪しい人物は再び椅子に座り、足を組んでいた。


「座ったらどうだ? ここは君の家だろ?」


 勝手に人の家に上がり込んでおいて不遜な態度を取る人物に針生は苛立ちを感じるが、ここは大人しく従っておく。十分に距離を開けて何時でも逃げ出せるようにして。


「良い心がけだ。私はヴァルハラ。訳あってこちらの世界に来た者だ」


「は? 何を言っているの? どこか違う世界から来たみたいじゃない。それに仮面をずっと着けているなんて失礼だとは思わない?」


 眉間にしわを寄せて針生は馬鹿な事を言わないでと言った表情を見せる。そんな話をすぐに信じれるほど針生はお人好しではないのだ。


「その通り、私はここではない世界から来たものだ。私たちは今、王を決める戦いをしていてな。それで転移をしたらこの世界に来ていたと言う訳だ。仮面は申し訳ないが外せない。外れないと言った方が正しいかな」


「何よその話。そんなのどうやって信じろって言うのよ!」


 語気を荒げる針生だが、ヴァルハラは動じる事は無い。その泰然自若した態度が余計に針生を苛つかせる。だが、一つだけ気になる事が針生にはあった。それはヴァルハラの存在感が凄く気薄に感じた事だ。


「その気持ちは分からんでもないが、これは事実だ。この世界には君の知らない事がまだまだ一杯あるのだよ」


 何か子ども扱いされていると感じた針生は頭の中で何か一本の線が切れるような音を聞いた。


「へぇー。じゃあ貴方は私に知らない世界を教えてくれるって言うの?」


 ヴァルハラが口角を上げて怪しく笑う。

 今のは失敗したと針生は後悔した。これでヴァルハラに襲わせる口実を与えてしまったのだ。椅子から少し腰を浮かす針生だったが、ヴァルハラは動く事はなかった。


「あぁ、私と契約をすれば、君が今まで見た事が無い世界を知る事になるだろう。それは天国のような素晴らしい世界になるか、地獄のような見窄らしい世界になるかは分からんがな」


 すぐに何かをしてくる事がないと分かった針生は浮かした腰を下ろす。だが、契約と言う言葉に針生は尻込みをしてしまう。これは何かの悪徳商法なのではないだろうか。自分は何か騙されそうになっているのではないか。そう言った思いが込み上げてくる。


「ここが君の人生の転換点だ。ここで私と契約するか否かで君の人生は大きく変わる事だろう」


 針生はヴァルハラの眼を見つめる。仮面を着けているため、目など見えないのだが、確かに針生はヴァルハラの眼を見ている感覚がする。

 その眼は針生を試すような眼をしていると感じた。断った上で警察に連絡すると言う事も針生には出来たのだが、針生はしなかった。それよりもヴァルハラの挑戦的な態度が気に入らなかったのだ。

 自分では負けず嫌いと言う性格はあまり持ち合わせていないと思っていた針生だが、ヴァルハラの言動にどうしても引く事ができなかった。


「分かったわよ! 契約してやるわよ! それで良いんでしょ!」


 針生が椅子から立ち上がり、ヴァルハラを指さすと、ヴァルハラも同じように椅子から立ち上がった。


「素晴らしい決断だ。私は君の決断を尊敬するよ」


 針生をたたえるヴァルハラだが、針生は鼻を鳴らしてそっぽを向く。


「それで? 何をやればいいの? 判子でも押すの?」


「いいや、そんな物は必要ない。私の心臓に傷を付ければ、それで契約は完了だ」


 ――はっ? 何を言ってるの? そんな事をすれば死んで……。


 一瞬何を言っているのか針生には理解できなかった。普通の人間ならそんな事をしたら死んでしまう。だが、ヴァルハラが嘘を言っているようにも思えない。

 ヴァルハラが針生の前に立つと鍛えられた分厚い胸板が針生の視界を奪った。座っていた時には分からなかったが、ヴァルハラは釆原と同じぐらい。いや、少し大きいぐらいの身長だろうか。

 男性の胸を触ると言う行為に恥ずかしさも入りつつ、恐る恐る腕を伸ばす。その腕は小刻みに震えているが、人を指さすように伸ばした人差し指は確実に心臓に向かって行った。



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