出会いの二日目-6
針生が帰った後、僕が後片付けをしていると後ろから「グゥー」と言う可愛い音がした。何の音かと思い、僕が後ろを見ると、アルテアが俯いてお腹を押さえていた。耳は真っ赤になっており、どうやらお腹が鳴った音が聞かれたのが恥ずかしかったようだ。
「そ、その、違うんです。肉体を得てからまだ何も食べてないので……、それで……」
居間に掛かっている時計を見ると、時間はすでに十時を過ぎていた。道理でお腹が空くはずだ。僕もお腹の具合を確認すると、お腹と背中が付きそうなぐらい空腹なのを感じる。
時間も時間なので何か簡単に作れる物と考えながら飲み終わった紅茶を仕舞いながら冷蔵庫を見ていると、豚肉と大根の買い置きがあった。
明日のお弁当の事も考え、豚肉と大根の炒め煮を作る事にする。豚肉と銀杏切りにした大根を軽く炒め、出汁に醤油、砂糖、みりんなどで味を調整した後、豚肉と大根を入れて煮込む。出汁が少なくなった所で片栗粉でとろみをつけ、ごま油で香りを付ければ完成だ。
お皿に豚肉と大根の炒め煮を盛って、ご飯をよそい、アルテアの居る所まで持っていくと、アルテアはすぐに食べ始めた。
「いただきます」
僕は両手を合わせから食事を始めようとすると、アルテアが不思議そうな顔でこちらを見ている。どうやら「いただきます」と言って手を合わせたのが不思議だったようだ。
「その『いただきます』と言うのは何なのですか? 私の居た国では食事の前にそのような動作は行わないのですが?」
食事の前の作法は国によって違うので、多分、アルテアの居た国では「いただきます」と言って食事を始める習慣はないのだろう。
「いただきます」はこっちの国では食事をする前の挨拶みたいなものだと説明すると納得したように感嘆の声を上げ、アルテアは一旦箸をおいて「いただきます」と両手を合わせた。
アルテアは意外と言っては何だが、上手に箸を使って食事をしている。見た目も服装もかなり日本人っぽい感じなので箸も使った事があるのだろうか。
「えぇ、人間族は同じように二本の棒を使って食事をします。ですからここでも同じように食事ができるなんて驚きです」
驚くのはこっちの方だ。外国人(?)なので一応、フォークとナイフはお盆の上に持って来ていたのだが、どうやら必要がないようだ。
「こんな美味しい食べ物は初めてです。お肉も柔らかいし、この野菜も味が染みていておいしい。そしてこのお米が今まで私が食べた中でも一番おいしいです」
美味しいと言ってくれるのは純粋に嬉しい。おかず的にご飯によく合うものだからお米も美味しく感じるのだろう。それに空腹と言うのも加われば僕の料理でも十分に美味しいと思えるのも納得だ。
アルテアは箸が止まらないようで大根と豚肉を交互に取ってはごはんと一緒に口の中に次々と入れて行った。
お皿にあったおかずの八割方を食べたアルテアは満足したような顔をしている。僕は二割ぐらいしか食べられなかったのだが、アルテアが喜んでくれたなら良しとしよう。内心では明日の母親の分とお弁当の分をあらかじめ取って置いた事にホッとしていたのはアルテアには内緒だが。
食事が終わった事で、お皿を片付けると僕はお茶を淹れてこたつに戻ってきた。お腹が一杯になった所でお茶をすすると満腹感から体の力が抜けてしまいそうになる。
「先ほどの食事は本当に美味しかった。ありがとうございました」
アルテアが頭を下げるが、僕はそれは違うと指摘してあげる。日本では両手を合わせて「ご馳走様でした」と言えば、それで作ってくれた人に対する感謝もあらわす事になるのだ。
「ご馳走様でした」
アルテアが両手を合わせて感謝の言葉を述べたので、
「お粗末様でした」
と返した。料理を作って感謝されたのは久しぶりだったので嬉しかった。母さんは僕が作るのが当たり前になって軽い感じで「ご馳走様」と言ってくるので、ここまでちゃんと言われたのは久しぶりだった。
良い気分になり、このままお風呂に入って寝てしまいたくなってしまうが、僕はさっきまでアルテアが話していた事が完全には理解できていなかったのでこのまま寝てしまう訳にはいかない。
「無理もありません。私が逆の立場であったとしてもツムグと同じような反応になったと思います。けど、これだけは分かって欲しい。私は決して嘘を言ってはいないと」
嘘を言っているなんて思ってはいない。ただ、理解が追い付いていないだけだ。異世界転移。レガリア争奪戦。九つの種族。不思議な魔法。どれ一つ取っても普通に生活していては経験の出来ない事だ。
それにしてもアルテアはどうしてこの戦いに参加しようと思ったのだろう。レガリアを奪い合うと言う事は死んでしまう事だってあるのに。
「私の家は代々人間族を束ねる家系なのです。ですが、レガリアを奪い合う事で王を決めるようになってから人間族は一度も王を出していません。人間族から王を出す事は家の悲願であり、私の最大の目標なのです」
アルテアは訥々と話し始めた。その表情には悔しさ、緊張、そして決意の色があらわれているように見える。
「私はこの戦いで命を落としてしまうかもしれない。ですが、そんな事よりも私は自分の夢を追ったのです。馬鹿な事をと思うかもしれませんが、私は自分の命を懸けてでも人間族から王を出したいのです」
湯呑に視線を落としていたアルテアは視線を上げて僕の目をじっと見つめる。濁りのないその瞳からアルテアの真剣さが伝わってくる。僕にはアルテアみたいにすべてを掛けてもしてみたい事はあるのだろうか。いや、今の僕にはそう言う物は存在していない。
同じ年数を生きて来てこれだけ違うのかと言う思いが去来する。それはアルテアに対するひがみであり、自分に対する情けなさなのかもしれない。
「そのために私は剣の腕を磨いて来ました。いつ始まるか分からないレガリア争奪戦に向け、毎日剣を振ってきたのです。そして今、私は夢を叶えるための一歩を踏み出したのです。私はこのチャンスを逃したくない。厳しい戦いになるのは覚悟の上です。我儘を言っている事も承知しています。ですが、私と一緒に戦ってくれませんか?」
アルテアの瞳に力がこもる。その表情は真剣そのもので見ているだけでこちらが圧倒されてしまう。
それにしてもアルテアの表情はまだ生きていたころの父さんに似ているような気がする。死ぬ間際、父さんは今のアルテアと同じような表情で僕に言った「誰かを守れるような人間になれ」と。その言葉は今でも僕の心に残っていてそうなれるようになりたいと思っている。
僕の手は自然とアルテアの出した手を握っていた。白鳥の首のように白く細い指は少し力を入れると折れてしまいそうだった。そんな女性が命を賭して戦うのだ。それに僕が答えなくてどうする。僕は初めて女性を守りたいと思った。
「ありがとうございます。必ず私はこの戦いを勝ち抜きます。二人で勝利を掴みましょう」
強張っていたアルテアの表情が自然と綻ぶ。それにつられるように僕も力を抜くと顔の彼方此方が痛い。どうやら知らない間に僕も緊張して普段使わない顔の筋肉を使っていたようだ。
話が一段落した所で、僕はお風呂を入れようとこたつから立ち上がる。ふと、アルテアは今日は何処に泊まるのか気になった。こんな田舎ではこの時間から泊まれる宿泊施設などない。
「もちろんこの家に泊まります。寝ている時に敵から襲われるかもしれませんから」
えーっと、それは拙いんじゃないか? 一軒家に女性と二人きりで寝るなんて何かあったらどうしろと言うのだ。いやいや、僕が手を出さなければ何かある事なんてないか。そう考えると大丈夫なような気がしてきた。賢者モードに入れば問題ないのだ。
お風呂のお湯が溜まった所でアルテアにはお風呂に入ってもらう事にする。別に意味はない。寝る前にお風呂に入ってもらうのは、僕の家では普通なのだから。
アルテアがお風呂に入っている間に僕はアルテアが泊まる部屋の用意をする。一階は台所や居間があり、母さんの部屋も一階にある。居間で寝てもらう訳にはいかないので、二階で空いている部屋をアルテアに使ってもらう事にする。
僕の部屋の隣になってしまうのが扉で仕切ってあるので大丈夫だろう。押し入れから予備の布団を取り出すと、部屋の中央に敷く。ベッドの予備はないので、床に寝てもらう事になるが、我慢してもうしかない。
僕が一階に戻ると、ちょうどお風呂場からアルテアが出て来た。アルテアは先ほどと同じ袴姿をしており、当然と言えば当然だが、パジャマは持っていないようだ。
気の利かな事を反省しつつ、お風呂上がりで上気した顔のアルテアをその場で待たせると、母さんの部屋に行き、パジャマを見繕う。適当に選んだので、アルテアに合うかどうか分からなかったが、着替えてもらうと思いの外、ぴったりとしたサイズだった。
「これは何でしょう?」
脱衣所に戻ってパジャマに着替えたアルテアが再び出て来た。自分の姿を不思議そうに見るアルテアはどうやらパジャマを知らないようだ。
「これはパジャマって言って寝る時に着る服だよ」
そう言えば普段着も何か用意した方が良いかもしれない。こちらの世界で晴れの日以外は袴姿では目立ってしまって仕方がない。明日学校から帰ってきたらアルテアを連れて洋服を買いに行くとするか。
湯冷めしてしまっては申し訳ないので、早速アルテアを寝室に案内する。大した部屋ではないのだが、アルテアは布団がある事に喜んでくれた。いくら何でも布団もなしで泊まらせたりはしない。
「凄いです。こんな柔らかそうな布団は初めてです。こちらの世界にきてこのような場所で眠れるなんて思ってもみなかったです」
そう言えばアルテアはこっちにきてからどうやって寝て居たんだ? 僕の家に泊まるぐらいだからお金も持ってないだろうし。
「昨日は林の中で起きていました。幽体だったのでそれほど睡眠は必要ではなかったのです」
そう言う物なのか。そう考えると幽体と言うのもなかなか便利そうだ。でも、今は肉体を持ってしまったから睡眠も食事も必要と言う事か。
押し入れの中に入っていたので少しペタンとなっている布団を見て、一度天気の良い日に干すともっと気持ちよくなるはずなのでタイミングを見て干しておこうと思った。
僕は今からお風呂なので、先に寝てても良いと告げると部屋を出た。アルテアが入った後のお風呂って考えると、ちょっとモヤモヤした気分になるが、なるべく考えないようにしよう。
湯船に浸かり、天井を見上げると、今日の出来事を思い返す。色々な事があり過ぎて頭の中が整理できていないので整理をしようと思ったが無理だった。あまりに難しすぎる。僕の頭では整理するには一週間は必要だろう。
のぼせる寸前まで湯船に浸かった後、お風呂場を出るとパジャマ姿のアルテアが立っていた。もしかして、一人では寂しくて眠れないとか言ってくるのかと思ったが、流石にそういう事ではなかった。
「敵が来た時にすぐに守れるように、ここに居ただけです。ヴァルハラの件もありましたから」
気持ちは嬉しいのだが、アルテアも疲れているだろうから早く寝ていて欲しかった。アルテアにお礼を言うと鍵のかけ忘れがないか確認して二階に上がっていく。
ベッドに入って目を瞑るが、隣の部屋にアルテアが居ると思うとなかなか寝付けなかった。何かある訳ではも何かする訳でもないが、隣の部屋に女性が居ると言うだけで、なぜか心臓の鼓動が早くなって寝付けないのだ。
僕が頻繁に寝返りを打ったせいだろうか、部屋を仕切っている扉の方からアルテアの声が聞こえた。
「ツムグ、まだ起きていますか?」
申し訳ない。もう少し静かにするからゆっくり寝て体を休めて欲しい。
「いえ、そう言う事で声を掛けた訳ではありません。今日はありがとうございました。最初は私に協力してくれないと思っていました。けど、ツムグが私の手を握ってくれて嬉しかった。私は必ずすべてのレガリアを手に入れて見せます。それまでよろしくお願いします」
その言葉を最後にアルテアから声は聞こえなくなった。協力も何も僕の心はもう決まったのだ。アルテアを助けて無事に元の世界に戻す。それが今の僕の目標だ。
「おやすみ。アルテア」
アルテアからの返事はなかった。もう寝てしまったのだろう。たが、高鳴っていた心臓の鼓動は不思議と収まっていた。これなら寝られると思い瞼を閉じると、そのまま意識を手放した。