第7録 光って消えるただそれだけと知りながら
『お前が挑発すればたぶん、斉藤くんは人形を飛ばしてくる。だがお前は何もしないでくれ、その人形は俺がどうにかする。だから、その後斉藤くんの視界を奪ってくれ。それでもうあとは俺が決める』
お世辞にもわかりやすいとは言えないし、不確定な要素が多々ある作戦だったが、それでもナツメは何も言わずに俺を信じてくれた。だったら俺はその信頼に応えないといけないだろう。
予想通り、ナツメの挑発に対して即反応した斉藤くんは、恐らく顔をひん剥いて怒りをあらわにしているだろう。今教室にいる俺からは顔は見えないが、先ほどまでの表情を見ていれば容易に想像はつく。
「ああああ!!!これが芸術なんだよ!!!!!」
斉藤くんの声だ。じゃああと3、2、1、ここだ。
「フィックス!!!」
「……思ったよりギリギリだな」
とてつもないスピードで飛んできて、開いた扉から一瞬見えた人形を固定する。爆発の寸前だったのか、至る所に割れ目が生じて、熱を発しているのがわかって、あと1秒でも遅ければ、と少し寒気がしてしまった。ナツメも思わず苦言を呈してこちらを一瞥したものだから、俺も苦笑いしてしまう。
俺がゆっくりと教室から廊下に出ると、斉藤くんは目を丸くして戸惑いを隠せない様子だった。
「じゃあ次は、僕の番だな」
ナツメは腕を前に伸ばしたまま固まっている斉藤くんの方へとアイススケートの要領で滑って近づき、瞼を閉じた状態で凍らせた。これでもう、斉藤くんの目は俺を捉えることはない。
「さ、後は任せたよ」
もうこのままナツメがトドメを刺すことは容易なのだが、俺の力を見たいのだろう、あえてそこで斉藤くんへの攻撃は止めて、ナツメは空気中の水分から氷の刃を作り出し、レモンと斉藤くんの間の空間を切り裂いた。すると人形はだらりと力なく地面に落ちて、捕らえられていたレモンも自由の身になり、地面にそのまま落ちる、ことはなくナツメの腕の中に綺麗に収まった。
「なんだ、やっぱりわかってるんじゃないか」
俺はナツメを少し睨みつけて呟く。斉藤くんの魔法のカラクリはこうだ。斉藤くんは決して人形を浮かしているわけではない。爆発魔法を使っているわけでもない。斉藤くんは細い、肉眼では見えないような細い魔法の糸を操っていて、それで人形を投げたように見せて、その先端についた糸に魔力を込めることで爆発させていたのだ。ナツメの話を信じるなら、斉藤くんが使える魔法は1つのはずなので、人形が爆弾になっているカラクリは他の誰か、恐らく斉藤くんに魔法の力を与えた奴の魔法だろう。そしてそいつが恐らく、ナツメの殺したい奴、とやらだ。
話が逸れたが、とにかく斉藤くんは細い糸を使って人形と繋がっていた。だから人形を固定すれば斉藤くんの体が動かなくなるのは明らかだった。よくよく考えれば、斉藤くんが体を震わせて笑うのと連動して震えていた人形や、わざわざ人形を飛ばすたびにこちらに腕を振るようなモーションをしていたのは、演出や格好つけてなどではなく、糸で繋がっていて、行動が連動していたからなのだろう。ナツメの言う通り、相手の行動をよく見ていればわかったはずなのに、と今更ながら後悔してしまう。
ただ、かなり衰弱して眠ってしまっているようだが、レモンも無事のようだし、幸い死人も出ていない。ダルマとキンパは地面に寝そべってぐったりとしているが、まぁあいつらは大丈夫だろう。
とりあえず、勝手にやってくれた斉藤くんには、それなりの罰を与えないといけない。俺は、今やナツメ以外の視線がなくなったこの廊下で、ありったけの魔力を込めた。
「な、なんだよこれ!前が見えない!冷たい!だ、誰か助けてくれ!」
「うるせーよ、誰も助けなんてこないさ」
「ち、違うんだ!今まで僕は、いじめられてて、でも力をもらったから、見返してやろうと思って、それで」
「言い訳は後で聞く。珍しく俺も苛立ってるんだ」
俺は基本属性の話をしたと思う。そしてそれを掛け合わせた応用属性、ナツメの『氷』のような応用属性の話もしたと思う。あと1つ、話していない魔法属性が実は存在する。それが特殊属性、基本属性からかけ離れた魔法属性だ。俺のフィックスなんてのは、物体を空間軸、時間軸ともに魔法発動時の状態で留めるという、基本属性とはかけ離れた魔法属性、特殊属性に属するもの。俺が訓練所をトップで卒業できたのも、この魔法のおかげだっていうのは正直なところある。
「ナツメ、よく聞いとけ。俺の得意とする魔法属性は『時』。物体の時間を操る魔法だ」
「物体の時間……とんでもない魔法だけど、それで攻撃なんてできるのかい?」
「物理でやっただろ、力の強さは質量と加速度の大きさに依存する。だから俺は、俺自身を時間を速める」
「時間を速める?」
「まぁ見とけ」
俺は斉藤くんに向かって一直線に走り始める。俺の走る速度なんて知れているから、このまま殴ったところで大したダメージにはなりやしない。
「アクセラレイト」
だから俺は俺自身の動く時間を、動画の早送りのように早めて速度を上げて、上げて、上げる。
「くらっとけ」
『ゴッッッッッ!!!』
「ぐっっっっっっっ!!!!」
加速に加速を重ねた俺の右ストレートは、斉藤くんの頰にクリーンヒットし、斉藤くんメガネを吹き飛ばし、斉藤くんは壁に叩きつけられた。かなり速度は抑えたつもりだったが、斉藤くんを気絶させるには十分過ぎたようで、斉藤くんはくたびれたテディベアのように地面にうなだれる。
「くっ……くっくっくっ……あははははは!」
ちょっとやり過ぎただろうか、と思いつつナツメの方を見ると、あの無表情のナツメが破顔して笑っている。その原因は、俺も実のところなんとなくわかっていた。
「クラットケ!だって、クラットケ!」
「仕方ないだろ。俺自身の動き全てを早送りにしてるんだから、ピッチが早くなって声が高くなっちまうんだ」
テレビなどで見たことあるだろう。早送りにして声が高くなって、スローモーションにすると声が低くなる現象。あれと同じことが起こっているに過ぎない。ただ、恥ずかしいからアクセラレイトを使っている時はあまり声を出さないようにはしているのだが、今回は思わず声を発してしまって、それがよほどナツメのツボにハマったらしい。
「クラットケ……すごい早口で高い声で言ったね……くくく」
「もういいだろ!で、この後どうするんだよ」
ナツメは呑気に笑っているが、廊下は悲惨なことになっていた。壁は爆発やらなにやらで凹み、裂け、天井には穴が開き、窓はほとんど全て割れてしまっている。校舎に関しては時間さえかければ直せないことはないだろう。だが、それ以上に、この学校の生徒や先生に、魔法を見られているのが大きな問題だ。斉藤くんが人形を宙に浮かして飛ばし、爆破させてきたことは、今までは一部の人間にしか行っていなかったから大事になっていなかったものの、これだけ目撃者、被害者がいてはそうもいかない。魔法の存在が知られることはこの世界の理に反するに違いなかった。
「クラットケ……くくく……はぁ、笑った。で、なんだっけ?」
「だから!この後処理をどうするんだって」
「そんなのは大した問題じゃないよ。僕がやる」
「やる、って言ってもお前は氷魔法使いだろ?それでどうやって」
「いつ、僕が氷魔法の専門家なんて言ったんだい?僕の専門は、精神魔法だよ」
そう言うと、ナツメは呪文の詠唱を始める。そして、強大な魔力の円が、ドーム状になって、ナツメを中心に広がって行くのがわかった。あのナツメが詠唱をしなければ発動しないような魔法なのだから、相当強大な魔法に違いない。魔力の濃度に思わず目眩がする。しかし、やはり違う世界の呪文だからだろうか、何を言っているのかが全く認識できない。
やがて、呪文を唱え終えたらしいナツメが、額に少し汗をかきつつ、最後に発動の呪文を発した。
「※※※※」
何を言ったかわからないが、そう唱えると、一気に魔法の円が弾けるように魔法のドームは消え去った。一体何が起こったんだ?
「今僕は、半径1kmにいる人間の記憶から、さっきの魔法に関する記憶を消した。それぞれ何かしら別の記憶で補うことだろうし、この壁の穴や窓ガラスに関しても多分、テロリストが来たとか、ヤンキーが暴れたとか、超常現象なんかで片付けられるだろう。ただ、さっきの魔法が効かなかった人間が4人だけいた」
「効かなかった?」
「あぁ。意図的に魔法を防ぐ人間もいれば、無意識に防いでいる人間もいたし、そもそもこの魔法が効かない人間もいたよ」
「で、その4人っていうのは」
「君と、斉藤くん。そして僕の目的であり、斉藤くんに魔法を与えた張本人。あいつはいつも自分の与えた魔法を使って人間が暴れる姿を近くで見て、楽しむような頭のおかしなやつなんだ」
ナツメが吐き捨てるように言う。
「じゃあ、4人目ってのは誰なんだ」
「君も薄々分かっているだろうけど、レモンだよ」
「……やっぱりか」
「君は多分、精神魔法に対しての訓練を受けてきたんだろう。だから、無意識に防いだ。これは別に構わない。そして僕が狙ってる……そうだな、仮にAとしておこうか。あいつは精神魔法を防ぐ魔法を発動した。僕もかなり広い範囲に発動したものだから、簡単な防御魔法で、防がれてしまったよ。まぁ、あいつの記憶なんて消そうと思わないしそこも別に結構だ。厄介なのは残り2人」
「斉藤くんと、レモンか」
「そう。斉藤くんは、Aによって、精神魔法を受けないように魔法でプロテクトをかけられている。だから僕の精神魔法では彼の記憶は消せないし、彼の異常性を戻すことも出来ない。元からこんな人間だったのか、魔法を得たことでこんな人間になってしまったのかはわからないけどね」
「じゃあ、レモンは」
そう俺が尋ねると、ナツメは腕の中で眠りについているレモンを見ながら、小さくため息をついた。
「情けない話だが、それだけがわからないんだ。レモンに何故魔法が効かないのか。あの弾かれ方は、防御魔法の類というよりも、何かの加護に近いものがあったと思うんだけど、まさかそんなはずもないだろうし」
俺はさまざまな可能性を考えていた。
最初にレモンに会った夜のこと、魔法が使えたこと、異世界に行きたいと涙ながらに懇願してきたこと。
まさか、と思いつつも、1つ可能性を考えていた。
「いや、そうとも言い切れない」
「どういうことだ?」
「レモンが異世界から来たんだとすると、加護を受けてても不思議じゃないだろう」
「それは、そうだが。そんな突拍子もないことをどうして?」
「それは」
「おーい!ホタル、ナツメ、大丈夫かー!?」
タイミングがいいのか悪いのか、廊下に飛び込んで来たのは佐藤と、生徒指導の厳島先生だった。
「お前ら!ヤンキーのテロリストが超常現象で廊下をぶっ壊したらしいけどみんな無事か!?」
「……おい、ナツメ」
「よくばりセットになってしまったらしいな」
「冷静に言ってる場合か!」
それからは早いもので、救急車でレモンと斉藤くんは病院に運ばれていき、俺と佐藤、ナツメは厳島先生の車で病院へ向かった。幸い2人とも命に別状はなかったが、斉藤くんが『自分はとんでもないことをしてしまった』と叫んで仕方がないため、止むを得ず鎮静剤を打ったようだ。彼の精神が壊れてしまわなければいいが。いや、すでに壊れてしまっているのかもしれない。彼の過去に何があったのかはわからないが、人の言葉というものは、精神魔法よりも簡単に、人の心を壊してしまうものだ。
しばらくしてレモンの両親がやって来て、俺たちは挨拶だけして病室を出た。病室の中では厳島先生がレモンの両親に謝り、レモンの両親が『先生、頭をあげてください』と言うやりとりがしばらく続いていたが、そうしている間にも、結局斉藤くんの両親が病院に来ることはなかった。
「あいつは……Aは、心の弱い者を付け狙う卑怯者だ」
夕日が差し込む病院の待合室。疲れて寝てしまった佐藤の隣で、ナツメはぽつりと零した。
「斉藤くんは、心が壊れていたのかもしれない。けど、誰か1人、寄り添ってくれる誰かがいたら、何かが違ったのかもしれない。私も、もしかしたらこうなっていたかもしれない」
「私?」
「……僕も、こうなっていたかもしれない。あの人に出会わなければ。だから、人の心の弱さにつけ込む、あいつの卑怯なやり方をやめさせたいんだ。ホタル、手伝ってくれないだろうか」
無表情のままながら、その内に秘めた怒りはひしひしと伝わってきて、俺も思わず唇を噛んだ。
「わかった、絶対にやめさせよう」
夕日の角度が変わって、ナツメの顔に日差しが当たる。目元がキラリと光った気がしたけれど、見ていなかったことにしてやろう。
「ありがとう」
顔をこちらに向けることなく、表情も変えないままだったが、ナツメは小さく、そう呟いた。