第5録 氷窟と化す廊下にて、爆発
これは本当に現実なのか?という戸惑う気持ちと、まぁ異世界なんだからこんなこともあるか、という妙に冷静な気持ちが相まった奇妙な感情が渦巻いていた。
俺の目の前では一見大人しそうで、眼鏡をかけた中学生の少年のような斉藤くんが、自分のらしきフィギュアを、手を前に翳すポーズを取りながら飛ばしては爆発させ、校舎を破壊していっている。そしてそれを避けつつ動きを止めようと、廊下の壁や天井を凍てつかせ、器用に滑っているナツメが縦横無尽に動き回っていて、まるでアクション映画のワンシーンを見ているかのようだった。
「げ、芸術!!!ば、爆発!!!!!」
「うるさいな」
攻撃もそうだが、会話の温度差もすごい2人。とはいえひたすら爆発をさせ続ける斉藤くんに、ナツメは防戦一方だった。
先程のナツメの話から考えるに、どうやら俺の世界の魔法とナツメの世界の魔法はシステムが違うらしい。俺の世界では、基本属性『火』『水』『風』『雷』『土』の5つが存在し、皆、自分の魔力に合った魔法を得意とする。水は火に強い、火は風に強い、風は土に強い、土は雷に強い、そして雷が水に強い。このような循環で魔法の強さは決まっているのだが、その基本属性以外にも魔法は存在する。例えば今ナツメが使っている『氷』。これは『水』と『風』の両方の属性を併せ持った魔法属性だ。温度変化というとんでもない事象を起こせる代わりに、『火』にあまり強くなくなる、という欠点もある。とはいえ、基本属性でないというだけで対策はされにくいという長所もあるから、やはり弱い能力とは到底言えないだろう。
「そろそろ静かにしてもらおうか」
攻撃を避けながらも侵食を続けていたナツメの氷がじわじわと斉藤くんへと近づいている。天井や地面、壁までが固まっていき、まるで廊下は氷のトンネルのようになっていた。と、同時に気温が急激に下がり、木漏れ日の暖かい春だというのを忘れてしまいそうになるほどの寒さが体を襲う。
「な、なんだよお前……なんで僕の攻撃が当たらないんだ、なんで僕の……僕の!!!」
「なにここ寒っ!」
ナツメの完膚なきまでの防御術に苛立ちを隠しきれなかったのか、発狂寸前までになっていた斉藤くんの後ろに、なにやら人影が見えた。この声は、おそらくあいつだ。
「ちょっと、ナツメ!ホタル!なにやってんのよ!廊下なんて凍らしたら怒られるわよ!」
「引っかかるのはそこなのか、レモン」
相も変わらず妙なところで小市民ぶりを発揮するレモン。お前の怖いものの基準がよくわからないぞ。
そんなレモンもすぐにさまざまな異常事態に気づいたようで、周りをキョロキョロと見渡して、顔を青ざめさせた。戸惑いが表情に明らかに出ていて、不安げにこちらに歩いてこようとする。まずい、嫌な予感がする。
「って、なんで廊下が凍ってんの……?てかこの人、誰だっけ?なんで人形を周りにぶら下げてんの……?なんでこんな壁に穴とか空いてんの?ねぇ、ホタル」
「レモン!来るな、逃げろ!」
「えっ」
「芸術ー!!!!!」
まるで鳴き声のように斉藤くんが人形を飛ばす。俺の嫌な予感が的中してしまったようだ。あんな爆発、普通の人間が受けたら、確実に死ぬ。
「フィックス!!!」
俺はやぶれかぶれで魔法を発動させようとするが、やはり発動する気配はなかった。
もうだめだ。
一瞬そう思ったが、レモンの方に飛ばされた人形は爆発することなく、レモンの周りを数回回転したかと思うと、レモンの体にぴったりとくっつき、と同時にレモンの体が宙に浮いてレモンは苦悶の表情を浮かべた。
「えっ、な、なに!?く、苦しい……」
「く、くく、ぼ、僕がこいつを殺すと思ったか?まさか!こいつは人質だ!こいつに巻きついてるフィギュア、小春たんは確実にこれまでのフィギュアたちと同じく爆発する。で、でもそれは僕次第だ。お前らが抵抗しなければ爆発はさせない。ほら、降参しろ!なぁ!!!」
斉藤くんは全身を震わせるようにしながら笑い、それにつられて周りの人形たちもカタカタとこちらをあざ笑うかのように振動しているのが伺えた。
しかし、早口にがなりたてる斉藤くんの目を見ると、人を殺す勇気が無いこと、そして人を殺すような人じゃないということもなんとなくわかった。ただ、なにがスイッチになって感情の赴くままに爆発させてしまうかわからない。無闇に気持ちを逆撫でさせるべきではないだろう。
「おい、ホタル」
「なんだよ」
いつのまにか俺の横に戻ってきていたナツメが、顔は斉藤くんの方を向いたままで、俺に声をかけてきた。激しく動き回ったからか、顔色は少し悪く、息も荒い。
「レモンの体が宙に浮く前、何故あの人形は変な動きをしたんだ?斉藤くんが物や人を浮かせられる魔法を使うなら、わざわざ人形を投げる必要もないだろう。その場で魔法を使えばいいんだから」
「たしかにそうだけど、あれが魔法発動のトリガーなんじゃないのか?」
「それは考え難い。さっきから彼は人形をこちらに投げては爆発させてばかりで、僕の動きを止めようとする気配は一切なかった。だから僕はてっきり人間には通用しない魔法なんだと思ってたぐらいだ」
「それは、ナツメの動きが速いから」
「単純にそれだけが理由なら、複数個を投げて僕の動きを制限した上で僕の動きを止めてしまえばいい。しかし彼は毎回手を振りかざしては1つの人形を飛ばしてくるばかりだ。あんなにたくさんの人形を浮かしているのに」
なんだ?こいつは一体何が言いたい?
「たしかに。じゃああの人形を浮かす魔法と飛ばす魔法は別の魔法ってことか?」
「それも考え難い。斉藤くんに与えられている魔法は1種類のはずだ」
「1種類のはず?なんでそんなことがわかるんだ?」
「……」
俺のその問いには、ナツメは答えない。答えたくないのか、答えられないのか、おそらく前者だろうが、そこを今責めている時間はない。こうしている間にもレモンの命はずっと危険に晒されているのだから。
「まぁいい。で、何が言いたいんだ結局」
「それは自分で考えろ」
「は?ふざけるな!レモンの命が危ないんだぞ!」
俺は、問答ばかりを投げかけてくるナツメに対して、焦りからくる苛立ちのあまり、声を荒らげてしまった。しかしナツメは、表情1つ変えずにこんなことを言う。
「これは、君自身が考えなければいけないことなんだ」
俺はそのセリフを聞いて、リニアの言葉を思い出していた。たしかあいつも同じようなことを言っていた。
『これは、君にこそやってほしい仕事だからさ』
なんなんだって言うんだ。俺は一体何をすればいいんだ。何を期待されてるんだ。
今の俺は所詮役立たずだ。魔法も使えない、ただの人間だ。それがあんな爆弾魔に勝てるはずなんてないだろう。その勝つための方法を俺が考える?何を言ってるんだ。ナツメの方が頭が切れるし、なんだったら斉藤くんの魔法のトリックもわかってるんじゃないか?そう思ってしまうと、レモンが苦しんでいる中何もしないナツメに余計に腹が立ってきた。
「なんで俺なんだ!別にお前がやっちまえばいい話だろ!」
「それじゃダメなんだよ」
「なんで!」
「それは言えないよ」
こいつと話してても埒があかない。
「わかった。じゃあ俺がやってやるよ」
「彼の魔法のカラクリはわかったのかい?」
「わからねー。けどこのままぼーっとしててもレモンの命が危ないばっかりだ。お前がやらないなら俺が突っ込むまでだ」
「ずいぶんと彼女に執着してるんだね」
そう言われて気づいた。俺は何故ここまでレモンの身を案じて熱くなっているんだ?やはりどことなく、レモンが『あいつ』に似ているからだろうか。俺はレモンに『あいつ』を勝手に投影してしまっているんだろうか。
『ホタルはいいよね。自由で』
『そりゃ、お前に比べたらな』
『あ、またお前って言った。私にお前なんて言うの、ホタルぐらいだよ?』
『なんだ、やっぱり嫌なのか?』
『嫌とは言ってない!』
そんな何気ない、本当になんでもない会話を思い出して、『あいつ』をレモンを投影するのはあまりにも『あいつ』に対してもレモンに対しても失礼なことのような気がして。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか俺は冷静になっていた。
「すまん、少し取り乱した」
「構わないよ。彼の取り乱しに比べれば可愛いものだ」
ナツメが言う彼、すなわち斉藤くんの方を見ると、何もしてこないでただ話し合っている俺たちに安心しているのか、次にいつ攻撃を仕掛けてくるのかと怯えているのか、引きつった笑みを浮かべて『ゲイジュツ……ゲイジュツ……』と小さく何度もつぶやいている。
その隣ではレモンが苦しそうに顔を歪めているのが見えて、俺は心の中でまた怒りのボルテージが上昇するのを覚えて、まずは落ち着け、と心の中で自分を宥めた。そのまま斉藤くんの方から視線は外さずにナツメに声をかける。
「よくわからないが、この戦いでは俺が斉藤くんをやっつけないといけないんだな?」
「そう。そもそも今の状態で突撃なんかしても君もレモンも爆死して終わりっていうのがオチだよ」
悔しいが、ナツメの言う通りだった。斉藤くんの視界を奪わない限りは俺は魔法も使えないままなわけで、先ほどの勢いだけで突っ込んでいたらおそらく、俺は死んでいただろう。
「でも、攻略法は必ずある。今までのことを考えて、彼の弱点をあぶり出すんだ」
「今までのことを考えて、弱点をあぶり出す……」
俺は出来る限り頭を研ぎ澄まして考える。
斉藤くんの動き、攻撃、手段、癖、それに付随した人形の動き、1種類の魔法、1体しか動かせない人形、レモンを浮かせる時に行った奇妙な動き、それを踏まえてーー
「もしかして……」
「何か思いついたかい?」
「あぁ。ただ、これを証明するには、お前の、ナツメの協力が必要だ」
「いいよ」
「えっ」
思わず俺の方が驚いて声を出してしまった。さっきからなんでナツメは俺をこんなにも信用するんだろう。
「僕の作戦、僕が彼を止めて君がトドメを刺す、っていうのは失敗してるからね。今度は君に乗っかるよ」
「でも、これは失敗したらお前がかなり危ない目に」
「構わないよ」
有無を言わさないその言い方に、思わず圧倒されてしまい、唾を飲み込む。理由はわからないが、俺のことを全面的に信頼してくれていることは間違いないようだ。だったら、やってやろう。
「じゃあ、作戦を伝えるぞ」
俺が伝えた作戦を聞いて、ナツメはニヤリと笑った。よくこんな状況で笑えるもんだ。なんだかそれを見てつられて俺も笑ってしまう。
「な、何笑ってんだ!!!」
さっきまでずっとニヤついてたお前に言われたくないよ、と思いつつ、俺は言う。
「作戦開始だ」
そう言ってすぐに俺はナツメと2人で先ほどまでいた部屋に入って姿を隠す。そして、ナツメは大きく息を吸い込んで、言い放った。
「おい、そこのフィギュア大好きキモオタ野郎!女の子を縛るなんてゴミみたいな性癖晒してないでさっさとオイラにそのクソ気持ち悪いフィギュアを投げてくるでヤンスよ!!」
……言い過ぎだ。