第4録 走る梦の影を追いかけて
「さ、学校も終わったし、早速メンバー選びをするわよ!」
朝から意気込んでいたレモンは、始業式後のホームルームが終わるや否や俺と佐藤にそう声をかけてきた。仁王立ちをして胸の前で手を組むのがレモンの慣れたポーズなのだろう。とんでもなく偉そうだが、本人は無意識でやっているようなので余計にタチが悪い。
「メンバーを探すって言ってもどうやるんだ?こんな変な部活、誰も興味なんて持ちやしないだろ」
「そうだそうだー!」
元気よく同調する佐藤に反して、レモンは『はぁー』と大きくため息をつく。
「アンタたち本当馬鹿ね。みんな異世界に行きたいに決まってるでしょ。だから異世界に行くための方法を探す異世界活動部は最高の部活よ。むしろどうやってメンバーを選ぶのかを悩むぐらいよ」
「何を言ってるんだお前は」
たしかにレモンはメンバー探しではなくメンバー選びと言っていたが、こういうことだったのか。こいつの異世界に対する評価の高さはどこから来るんだ、一体。
「実際、既に入部希望者が来てるのよ」
「は?」
こいつ、頭がおかしくなったのか?いや、元々ネジが外れてるところはあったが、自分は異世界人だと喚くのみで、妄言を吐くことはなかったはずだ。なのに、今朝作ると決めたばかりの部活に既に入部希望者がいるだと?こんな都合のいいことがあってたまるか。
しかし実際にレモンは教室の外に顔を出して、誰かと話している様子だ。
「ほら、入って」
「おじゃまするでヤンス」
「お、お前は」
以前見た時は周囲が暗かったしフードも被っていたから確信は持てなかったが、その語尾とこの見た目、どう考えても絡んできたヤンキーの1人、そして俺が異世界人だと何故か知っているナツメにしか思えなかった。
「なに?ホタル、アンタ知ってんの?まぁいいわ。自己紹介して」
「オイラは雨天ナツメ、2年2組でヤンス」
「え。なにアンタ先輩なの?まぁいいわ、なんでも」
やはりそうか。
ナツメは嘘くさい笑顔でこちらを見ている。フードをかぶっていないため顔がよく見えるが、中性的な顔立ちと低い身長も相まって、見た目だけでは女の子にも見えるぐらいだ。
しかし、見た目で油断してはいけないのはわかっている。俺はコイツに魔法を一瞬で解かれているし、おそらくコイツは俺以上に強い。そして何より、何故コイツがこの部活のことを知っているのかが不明だった。
「雨天……先輩。なんでこの部活を知ってる?この部活はレモンが今朝作ったばかりのはずだ」
「え?このビラがその辺りにばら撒かれていたからでヤンスよ?」
「は?ビラ?」
ナツメが見せてきたビラには確かに、『異世界活動部、始動!鋭意部員募集中!』との文字が。なんだこれは、誰がこんなことを、と言うまでもないだろう。
「レモン、こんなもんいつ作っていつばら撒いたんだ」
「昨日作って、今日のホームルーム前に各クラスにばら撒いてきたわ。自分のクラスは私がいれば自然と集まってくるでしょ?」
「はぁ、そうですか……」
もう呆れて物も言えないので、ひとまずレモンは放っておく。
そしてポケットに手を突っ込み、なにを考えているのか、ずっと嘘くさいニヤケ顔でこちらを見ているナツメの方へ向き直った。
「雨天先輩、ちょっと聞きたいことが」
「おい!このクラスに沙本レモンはいるか?」
俺の言葉を遮ったのは野太い大きな声。学校指定のものではないジャージを着た背の高い男で、手にはビラが握られている。まさかまた入部希望者?
「沙本レモンなら私よ!なに、アンタも入部希望者?にしてもちょっと高校生には見えないわねぇ。留年しまくってるの?」
「高校生に見えなくて悪かったな。俺は厳島。この学校の生徒指導担当だ」
「生徒……指導?ってことは、先生?」
レモンの声が震えているのがわかる。そう、この女、ヤンキーに向かって啖呵を切るなど突然大胆な行動に走ったりする割には、電灯の弁償代を考えるなど小さいところもあるようで、今はただ、単純に先生に怒られるのが怖いのだろう。
「こんなビラばら撒きやがって。ちょっと来い!」
「え、やだやだ!ホタル、アンタ来てよ!」
「ちょっと俺は所用があって無理だ。佐藤、お前が行ってくれ」
「えー!まぁいいけど」
一瞬嫌そうな顔をした佐藤だったが、意外にもあっさりと承諾してくれて、嫌がるレモンと一緒に生徒指導の厳島先生と教室から姿を消した。
さて、こう言っては何だが、これでちょうどいい。俺はナツメの方に向き直った。
「さてと、雨天先輩。アンタに聞きたいことがあるんだが」
「ん?オイラに何の御用でヤンスか?」
「……まだそのモードなのかよ」
放課後ながらまだ教室には生徒が数人残っているからだろうか、ナツメは言葉遣いを直そうとしない。つまり『私は異世界なんて知りませんよ』というスタンスなのだろう。嫌に目につくニヤケ顔がそれを物語っている。
だったら、と俺はナツメの手を掴んで教室を飛び出した。
「ちょっと来てくれ」
「強引でヤンスなぁ」
そんなことを言いながらも素直について来てくれるナツメを引っ張って、俺は目に付いた空き教室らしいところに連れ込んだ。
そこはホームルームを受けた教室とは違って、大きな机が1つと、簡素な棚、掃除用具入れのみがある部屋だった。部屋自体も大きくなく、教室の半分ぐらいのサイズしかなく、どうやら授業で使うものではないことはわかった。各教室に当てられた何年何組、という表札も掲げられていない。真っ白な表札のみが掲げられているだけだった。
「で?僕に聞きたいことってなんだい?」
先ほどまでとはうってかわって無表情でこちらを見てくるナツメはまるで別人のようで、俺は少し恐怖を覚えてしまった。
ごくり、と唾を飲み込み、部屋の扉を閉める。
「まるで二重人格のようだな。精神系の魔術でも使われてるみたいだ」
「精神系の魔術を受けている者は白目と黒目が反転する。僕はそうなっているかい?」
「……まぁいい」
そんなことを聞きたいわけじゃないんだ。もちろんナツメの目は黒が内側に、白が外側にある通常の目をしている。緊張のせいか、余計な質問をしてしまった。
こほん、と小さく咳をして気持ちを仕切り直す。
「お前は、どこから来たんだ?」
「どこ、って言っても絶対分からないと思うな。そもそも僕の国の名前をここの言語で発声するのも難しいんだよ」
「そうか。じゃあ、一体ここに来た目的はなんなんだ?」
「目的、目的ねぇ」
うーん、と顎に手を当てて斜め上を見て考えてから、ナツメはこちらに向き直った。
「君を殺すためだよ」
「えっ」
背中を冷たいものが通ったような嫌な感覚に陥り、空気が凍りついたような錯覚に襲われる。それほどまでにナツメの殺気は凄まじいものだということか。
いや、違う。実際に隅の方から部屋が凍り始めていた。窓や扉が凍てつき、自分の息が白く吐き出されるのが目に見える。ほんの数秒でこの部屋は冷凍庫のようになってしまっていた。
「俺を殺す、だと?」
「ハハハ、なんてね」
表情1つ変えずにわかりやすすぎるほどに作った笑い声だけを上げて、ナツメは冗談なのかそうでないのか、そう言った。と、同時に魔法を解除したのかゆっくりと部屋の温度が戻ってくるのを感じる。やはりナツメは、俺より強い。圧倒的に。
「君なんか殺してもどうしようもないよ。僕が殺したいのはーー」
『ドンッッッッッ!!!!!』
「な、なんだ!?」
その瞬間だった。爆発のような轟音が響き、学校全体が揺れるのを感じた。悲鳴と怒号が混じり合うような声が方々から聞こえてくる。恐らく、生徒たちのものであろう。
「あーっはっはっは!!!」
それと同時に、高笑いのような大声が響き渡る。声の正体は、扉を開いて廊下を見渡すとすぐにわかった。
「あれは……」
「知り合いかい?」
「見たことはあるが、今朝見た時はあんな姿じゃなかったんだけどなぁ」
廊下を走って逃げていく生徒たちの中に1つ、異様な物体が見えた。眼鏡をかけた少年の周りに、小さな人形が沢山浮いている。そしてその中心部にいる少年は、俺の前の席にいる、斉藤くんとやらだと思う。あんな高笑いをしていなかったし、あんな表情もしていなかったから何とも言えないが、姿形だけを見るとおそらく間違いない。
そしてパニックになって逃げていく生徒たちの中で、2つの影が斉藤くんの足元でぐったりしているのがわかった。
「あれは、ダルマとキンパ?」
「あいつら、また面倒を持ち込んだみたいだね」
制服の上着は着ておらず、柄の派手なTシャツを着た大柄な男と、制服は着ているものの着崩していて、ピアスがやたらと目立つ男。どう見てもダルマとキンパだった。その2人を斉藤くんは冷徹な目で蹴り飛ばす。が、力が足りないからか、2人の体は動くことはない。むしろ少し足が痛かったのか、斉藤くんは顔を歪ませた。
「けっ。ぼ、僕をいじめようとするから悪いんだ。僕はもう、誰にも負けない力を手に入れたんだ!そうなんだよ!!なぁ!!!あっははははは!!!!!」
気が狂ったように叫び、斉藤くんはまたダルマとキンパを蹴り飛ばした。声が少し震えているのは、慣れないことをしているからなんだろうか。周りの人形も斉藤くんに合わせて小さく震えていた。
「なんだ、あいつらが原因なのか?」
「どうやらそうみたいだね。新入生でパシリに出来そうな奴を探していたら彼を見つけて、彼を脅したところ反撃を受けた、ってとこだろう」
「この世界の人間は癇癪を起こすと人形を浮かすのか?」
「ハハハ、冗談はよしてくれよ」
そう言ったナツメの顔は全く笑っておらず、むしろ怒っているような気さえした。さっきの無表情とは違って、明確に感情が表立っているような気がする。ナツメの手に力が込められ、頭に小さく青筋が立ち、歯ぎしりが小さく聞こえてきた。
「あんな頭のおかしいことをするのは、あいつしかいないんだよ」
「あいつ?」
斉藤くんのことだろうか。さっき言っていた、ナツメの殺したい人っていうのは、斉藤くんのこと?
俺の問いに対する返答もしないまま、ナツメは廊下をゆっくりと歩いて斉藤くんの方へと向かっていく。俺も仕方なく無言でついていくが、ナツメが何を考えているのかはわからなかった。
「あっははは……あ?だ、誰だよお前ら」
近づいていくうちに流石にこちらに気づいたのか、斉藤くんは俺とナツメを交互に見る。その目は恐怖に怯えているようで、自分の力を信じている自身に満ちているようで、異様な感情が渦巻いているような気がした。
斉藤くんの問いに対して、ナツメは何も答えない。俺も口を紡いでいると、耐えきれなくなったのか、斉藤くんが息を荒らげて声を上げる。
「な、なんだよ!僕とやろうってのかよ!!!」
「まぁ、そうなるかな」
「ぼ、僕にはこれがあるんだぞ!!!」
悲鳴にも似た甲高い声で人形を振り翳す斉藤くんの様子はかなり異様で、気が触れているとしか思えなかった。これがある、と言ってアニメのフィギュアを振り回すのはどういう意図があるのか。『俺はオタクだぞ!』と強くアピールしているようにしか見えない。
「人形遊びはもう卒業しろ」
「に、人形じゃない!フィギュアだ!これは芸術なんだ!」
目が正気ではなかった。血走り、瞳孔が開きかかり、憎悪に満ちている。こんな目を、普通の人間が出来るものなのか。こいつは一体、今までどんな目にあってきたというのか。
「あは、あはは、あははひはひはひは!!!そうだよ、芸術だよ。芸術ってのはさぁ!!!」
「なっ!?」
俺が一瞬気をそらした瞬間、もう目の前にはフィギュアが飛んできていた。可愛らしくポーズを決めて笑うその顔が歪むのが一瞬見えた後、その内側から強烈な力が与えられ、裂け目が生じてーー
「爆発、なんだよ」
『ドンッッッッッ!!!!!』
爆発、した。至近距離で爆発を受けて俺は命もないかと思ったが、意識はまだある。いや、もう死んで霊体になったのか?そういえば嫌に寒い。これは死んだからか?死後の世界はこんなに寒いものなのか?
「無事か?ホタル」
爆発によって生じた煙がなくなると、俺の周りを氷が囲っているのがわかった。おそらく、というより確実にこれは、ナツメの魔法だ。
「何故、俺を助けた?」
「素直に礼も言えないのか」
「いや、その、ありがとう」
「いいさ。そして君の質問に対する答えはこれだ。君にまだ利用価値があるから」
「利用価値?」
「ま、色々とね。あと彼を倒すのも少々厄介だから手伝ってほしいんだよ。僕の能力は『青』の魔法……君の世界で言う、『水』に分類される。そして彼の魔法は『赤』の魔法、『火』に分類される。一見すれば僕が有利なんだが、彼の魔法は少々特殊だ。爆発、すなわち『赤』と『緑』、『火』と『風』の混じった魔法を使ってくる。そして僕は『青』の中でも『紺』の魔法、『氷』が得意だ。そうなるとーー」
「氷が火で溶かされて水が風で弾かれちまってダメってことか」
「理解が早くて助かるよ。だから君に助けてほしくてね」
ナツメの理論は非常に単純で、わかりやすいものだったが、だからこそ俺は不信感を覚えてしまった。ここまで自分の弱点を分かっている人間が、何の対策もしないものなのだろうか?もしかして、俺の手の内を見ておきたいだけなのでは?そんな風に考えてしまう。
そんな俺の考えを見透かすかのように、ナツメは嘘くさい笑みを浮かべた。
「あとは、単純に君の実力を見てみたいんだ。どれだけ利用価値があるか、というところをね」
「人殺しには加担しないぞ」
「ハハハ、大丈夫さ。殺すのは僕がやる」
また奥歯をギリ、と噛みしめる音が聞こえた。と、同時に廊下全体を氷の膜が纏っていく。
「さて、そんな話は置いておいて。君の『制限』はこの世界の人間に見られているところでは魔法は使えない、といったところだろう?」
「そうだが……あいつは、斉藤くんはこの世界の人間なのか?」
「そうだよ。だから彼が見ている前では魔法は使えない。難儀なことだね」
「だったらどうやって俺に魔法を使わせようっていうんだ?」
「僕が彼の視覚を奪うから、あとは任せたよ」
そう言って器用に氷の上を滑って、高笑いをし続けている斉藤くんの方へと突進していくナツメ。
俺は心の中でアンタを疑ってるのに、どうして俺のことをそんなに信頼していられるのか、俺には一切わからなかったが、ここはやるしかない。
俺は暗闇の中で小さく灯るロウソクの火のように、ほんのかすかに感じ取られる魔力を探し始めた。