第2録 夢ならばどれほどよかったでしょう
「私は、異世界人よ!」
そう言い放った、レモンという少女は、ゴロツキ3人に対して堂々たる態度でいたのだが、それが良いことなのかどうかは正直よくわからなかった。自分が異世界人だと言い張る行為は一般的には頭のおかしいことだというのは俺にもよくわかっていたし、そもそもそんなものの存在は一般的には、特にこの世界では認められやしないからだ。
「異世界人?何言ってんだお前、頭でもおかしいんじゃねーか?」
「しかも正義の味方ぶって登場した割に、弱そうな女じゃねーか」
ダルマが馬鹿にするように言う。キンパも同じように嘲笑するような笑みを浮かべている。間違いない。その反応が正しい。おかしいのは俺と、このレモンとかいう少女の方だ。
「ふん、勝手に言ってなさい。こっちにも作戦ってもんがあるのよ」
そう言ってレモンはファイティングポーズを取る。そういえばさっき悪は許さないとかどうとか言っていたが、こいつ、戦えるのか?本当に作戦なんかあるのか?
そう思ったのがわかったかのようにレモンはこちらを見てニコリと小さく微笑んだ。暗がりだから見えづらいがくりっとして大きめの目が特徴的な、可愛らしい子だな、なんて呑気に考えていると、レモンは近くにあった大きめ石を拾って『まぁこれでいいか』と呟いた。そのまま大きく振りかぶって。
「くらいなさい!」
パリン。
投げた石は電灯を破壊し、ガラスの破片が辺りに散らばった。なんだ?これが作戦?もしかしてこれを陽動にして逃げろっていうことか?
「あー!割っちゃった!」
……どうやら違うらしい。電灯を割ってしまったことがよほどショックなのか、敵前にも関わらずレモンは頭を抱えてうなだれてしまっている。
「おい、お前。何がしたかったんだ?」
「……お前じゃない。レモン」
「そこは今どうでもいいんだよ。作戦ってなんだったんだ?」
「私の豪速球であいつらを気絶させる作戦、よ」
「はぁ……」
馬鹿かこいつは。そんなもん作戦でもなんでもないじゃないか。というか相手を狙って投げて電灯にぶつけたのならコントロールにかなり難があるぞ。速球自慢の外国人投手でももうちょっとまともな所に投げるだろう。
「て、てめぇらー!」
一連の勢いに呆然としていたキンパがそこで思い出したかのように金切り声を上げる。啖呵を切ったはいいが続いて何を言うべきか考えていなかったようで、しばし考えてから再びこちらを睨んできた。
「殺す!」
語彙力を家に忘れてきたのか、こいつは。これがこいつの全力の語彙なのだとしたらパラメーターの振り方を完全に間違えてるだろ。
心の中でキンパを罵倒しながら、俺は何となく先ほどまでとは違う『感じ』を覚えていた。まさか、と思いつつ手に力を込めると、魔力が手に満ちるのを感じた。何故だ?まだ魔法が使えるレベルではないが、先ほどのゼロの状態と比べるとかなり魔力を感じる。さっきと違うところはどこだ?いや、まさかとは思うがもしかしてーー
「殺すって言ってんのが聞こえねーのか!」
「うるせーな、聞こえてるよ」
俺がゆっくりと立ち上がると、ナイフに怯んでいない俺に怯んだのか、キンパは少し顔をひきつらせる。頭を抱えていたレモンもこちらを見て不思議そうな顔をしている。
さっき、魔力を込めようとして出来なかった時と、今しがた、魔力を少し込められた時の差は何か。その答えが俺の思っている通りだとしたらこのルールは思っている以上に抜け道だらけな気がする。しかし今はそれに頼る他ない。
俺はさっきのレモンよろしく、道端に落ちている手頃な大きさの石を掴む。そして大きく振りかぶって。
「ほいよ」
パリン。
電灯が割れた。
「何がしてーんだお前らは!」
俺の行動を警戒しつつも大人しく見守ってくれていたダルマがついに声を荒らげる。とはいえ、電灯が2つ割れてしまったため辺りはかなり見渡しづらくなり、顔は判別出来ないぐらいになっているため、シルエットと声だけで判別している。
「ちょっとアンタ!何やってんのよ!電灯割っちゃったら弁償しないといけないのよ!1つでも高そうなのに2つも割っちゃうなんて!」
その1つはお前が割ったんだぞ。俺が2つとも割ったみたいな言い方をするんじゃない。というか自分は異世界人だとか豪語する割には電灯の弁償代とか庶民的なところを気にするんだな。
弁償代は嵩んでしまったが、どうやら俺の読みは当たっていたらしい。俺の手にはかなりの魔力が感じられたし、これなら一度ぐらい魔法も使えそうだ。
魔法のない世界で生まれた人間の見ているところでは魔法が使えない、というのは本当にその言葉の通りらしく、電灯が消えて視界が悪くなった途端、すなわち俺の姿が見えにくくなった途端、魔力が体に戻ってきたのだ。なんて抜け道だらけのルールなんだ。
「ま、いいか。お前、ちょっと目を閉じておいてくれないか?」
この至近距離だと流石に見えてしまう可能性が高いからな。レモンには目を閉じておいてもらった方が魔法も使いやすいはずだ。
「いやよ」
「えっ」
思わず上ずった声が出る。
「いやとか言ってる場合じゃないんだよ、な?一瞬でいいから」
「なんでアンタなんかの命令を聞かないといけないわけ?」
「ぐっ……」
こいつ……思ったより強情だ。たしかに見ず知らずの俺の言葉に従ういわれはないのかもしれないが、突然現れて状況を良くもしていないお前ごと助けてやろうとしているのに……!と思うがそれを口で説明することは出来ないから説得も出来そうにない。魔法使うからちょっと目をつぶっててね!なんて誰が信じるんだ、ちくしょう。
「もういいか?流石にもういいのか!行くぞオラ!」
随分と待ってくれたもんだ、ダルマとキンパ。しかし今度の今度こそ待ちきれなくなったようで、二人して走って襲いかかってくる。
俺の想像していた通り、レモンをかばいながら戦うという展開になってしまった上に、かばう相手はこちらの言うことを全然聞いてくれない。なんてディスアドバンテージ。疫病神か?
なんて嘆いてる暇もない。あまり近づかれたら俺の姿をある程度視認できるレベルになってしまい、たぶん魔法が使えなくなる。そうなるとナイフで傷がついて変な菌に感染して……なんやかんやで死ぬかもしれない。いやだ。なんやかんやで死ぬのはいやだ。大往生がいい。
というわけで俺は手に魔力を込め始めた。レモン?知らん。もうそんなやつは知らん。
「え、ちょっとアンタ、何してんの?あいつらこっちに向かって来てるのに目なんかつぶって」
「うるせぇ!くらえ、フィックス!」
たぶん、魔法は発動しなかっただろう。レモンは俺の表情すら読み取れるほどしっかりと俺を視認していたんだから、魔法が発動する方が異常だってもんだ。しかし、俺が目を開けるとーー
「わ!何あいつら!すごい体勢で固まってる!」
レモンの言う通り、フィックス、すなわち固定の魔法は発動していた。暗闇のためはっきりとは分からなかったが2つの影がしっかりと固まっている。一体何故発動した?発動条件は俺が想像していたものとは違ったっていうのか?
それとも、まさかこの女、本当にーー
「物体を空間軸、時間軸共に発動時の状態で固定する魔法か。聞いていた通り流石だね、ホタル」
ダルマとキンパ、固まった2人の間から小さな影がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。近づくにつれて、それが3人組の残りの1人、パーカーを被ったちびっ子、ナツメだというのがわかる。
「お前、一体何者だ?なんで魔法のことを」
「まぁ、僕も君と同じような立場だよ。異世界からやってきて、こちらの世界で暮らしている。ちょうど1年前ぐらいからかな」
「1年前……ってことは」
「いや、違う。君のいた世界とは別の異世界からやってきているから、君のところの事情とは関係ないよ」
冷たい目をしていた、感情があるのかどうかわからないくらいに。そしてやはりさっきの取ってつけたような一人称や語尾はわざとやっていたってことなのか、口調もトーンも全く別物だった。
「まぁ、詳しいことはおいおい話していけばいい。君も風日高校に入ってくるんだろう?」
「君も……ってことは、もしかしてお前も?」
「先輩に向かってお前とは随分な口の利き方だね。まぁ僕はそういう体育会系な考えは持ち合わせてないから別にいいんだけど」
そう言ってくるりと体を翻して、ダルマとキンパの方に向かっていく。
「ちなみに、こいつら2人も風高だから、今後は気をつけなよ?目をつけられると面倒なタイプだから。あ、でもこいつらは異世界人でもなんでもないからね。本当にただのヤンキー」
そう言って2人の肩をポン、と叩く。その途端、自分の魔法が解除されるのを感じた。
「5分後にはこいつらは動き出す。早めに逃げなよ」
そう言ってナツメは姿を消した。空間移動魔法を使ったのだろうか。ちくしょう、軽々と高等魔法を詠唱もなしに使いやがって。
なんて嫉妬丸出しの愚痴を吐いている場合じゃない。とりあえず逃げないと面倒にーー
「ちょっとアンタ!さっきの魔法みたいなやつといい、意味深な会話といい、なんなの!?もしかしなくても異世界人なの!?」
げっ。こいつがいることをすっかり忘れてた。
ナツメがどこかに行くや否やこちらに駆け寄ってきたレモンは目を爛々と輝かせて俺の胸ぐらを掴んで前後に激しく揺さぶってくる。
「いや、そのだな、これはなんというか、あれだ!マジック!ショー!」
「んなわけあるか!」
俺もそう思う。
「あれなんでしょ?アンタ、本当は異世界人なんでしょ?」
「……だと言ったら?」
「私を異世界に連れてって!」
そんな、私を甲子園に連れてって、みたいな言い方されてもなぁ。
「たとえ、異世界があるとして……行ってどうしたいんだ?」
「私のことを知りたい」
「お前のこと?」
「お前じゃない。レモン」
「……やけにこだわるな」
見ず知らずの男にお前呼ばわりされたくない気持ちもわからなくもない。ただ、見ず知らずの女に異世界人を自称されたくない気持ちもわかってほしい。
はぁ、と小さくため息をついてレモンの方を見ると、先ほどの爛々とした目とはうってかわって、沈んだ表情をしていた。
「で、自分の何を知りたいんだって?」
「それ……は」
レモンが唾を飲み込むのが聞こえた。俺の胸ぐらを掴む手が少し震えている。
「……やめとく。この話は忘れて」
「え?」
レモンは突然俺の胸ぐらを離し、少し汚れたスカートと髪をはたいて砂を払ってから、俺の帰り道とは逆、図書館の方へと道を歩いていった。
「……泣いてた、のか?」
暗がりの中見えた目が潤んでいたような気がしたが、あれは俺の見間違いだったのか、それはもうわからない。
俺は20分足らずながら怒涛の時間を過ごして少々疲れ気味だったし、目の前の固まったヤンキーが動き出しても面倒だったので、異世界人を自称する少女のことは一旦忘れることにして、家に帰って温かい風呂に入ることにした。
「なんだったんだ、あいつ……」
とかなんとか言いながらレモンのことを忘れられない俺は、風呂上がりに何気なく異世界活動録を開いてみた。最初に開いた時には真っ白だったページに文字が書かれている。
「えーっと、ホタル、異世界に到着。道行く人に変人扱いをされる。図書館に行く」
なんか活動録というかは、日記みたいだな。
「ヤンキーに絡まれる。うち1人は異世界人、ナツメ・?????……なんだこれ、読めない」
俺の育った所とはまた違う異世界の言語だろうか。ナツメ、という名前は認識出来るがそれ以外の部分は認識できない。これは俺の認識に則っているからなんだろう。俺が名前を知った時点でこの文字は読めるようになるものなんだと思う。
「えっと、それから……ホタル、Xに出会う。……X?」
読めないとかではない。確実にXという文字だと認識はしている。だが、その部分の名前がわからない。
でも、どう考えても、俺がヤンキーに絡まれてから出会った人物は1人しかいなかった。
「レモン……お前は何者なんだ?」
活動録はその後、真っ白いページで埋め尽くされていた。