第1録 とある異世界人の邂逅
気がつくと俺は、六畳一間、その名の通り6枚の畳が敷かれたアパートに寝転がっていた。
目線を動かすと大きな窓から見えた空があまりに綺麗な青をしているので、『あぁ、俺は本当に異世界に来てしまったんだな』と心の中でつぶやいていた。
「異世界活動、ねぇ……」
俺は意外にも落ち着いていた。それどころか少し楽しみだという感情すら持っていた。悔しいが、異世界活動をしてみたいという意思は本当だったし、こうして実際に異世界に来てみるというのは非日常感がとてつもなく、心昂らずにはいられない。
「それにしても、あの魔法……」
と、昂りかけていた感情がスッと冷めるのを感じる。同時に頭の中では今さっき、というかラクライアで最後に見た一連の光景が映し出されていた。
俺の魔法解除魔法「アンドゥ」が効かなかったところを見ると、あの文字が絡みついて来たのはリニアの魔法ではないだろう。リニアの魔法程度だったら、俺の魔法で解除できる。つまり、もっと高度な魔法使いによる魔法であり、トリガーは俺の異世界活動をしたいという意思だった、と考えるのが自然だ。そしてそれを知っていたリニアはその魔法使いとグル、といったところか。
「あいつ、許さん」
思わず拳を力強く握ろうとすると、手の中に物の存在を感じて力を緩める。これは、リニアが俺と一緒にワームホールに入れた手帳のようなもの?
とりあえず黒革の表紙を見てみるとそこには、白い文字で「異世界活動録」と書かれていた。名前から察するに、異世界での活動を書き留める記録用紙のようだ。ペラリとページを一枚めくると、ルールらしきものが書かれている。
☆異世界活動における注意
・その一、活動先の世界では『五月ホタル』と名乗り、『風日高等学校』に通い、学生生活を送ること。
・その二、活動録は行動に伴って自動的に更新されていくため、特に記入する必要はないが、特記事項があれば手書きで記すこと。
・その三、異能力が活動先の世界に存在しない場合、活動先の世界で生まれた人間が見ている前では異能力は使うことができない。
以上
「……なんだこれは」
それ以降のページは全くの白紙で、何も書かれていない。つまり俺は異世界活動として何を活動すればいいのか、何を記録すればいいのかすら何も分からなかった。
そもそもここはどこだ?異世界だというのは知っているが異世界にも沢山ある。時代は?文明は?科学は?どうなっているのかわからないものだらけで、動きようもなかった。
「とりあえず、この時代の知識を得ることにするか」
俺は寝転がっていた堅い畳から立ち上がり、玄関へと向かう。どうやら日常生活を送るのに不便はないようにしてくれているらしく、服や家具、調理器具などは必要最低限は準備されており、靴も玄関に置いてあった。一つ、わかったことはーー
「この世界では、家に入る時には靴を脱ぐものなんだな」
俺は小さく頷いて、外の世界へと足を踏み出した。
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その時代のことを知るためにはまず、文献を読むのが得策だ、というのは俺の持論である。魔法を使って言語を解読できるようにしたため、俺はここの言語での読み書き、そして会話も問題なくできる。念のため魔法を使う際には人目につかない所を選んだのだが、どうやら正解だったらしい。ここでは魔法を使っている人間は全く見当たらない。
文献はどこで読めるのかと道行く人に尋ねてみると、かなり不審そうな人を見る目で図書館とやらを教えてくれた。どうやらこの世界にいる人間は知らない人に話しかけられることを過度に嫌うらしい。覚えておこう。
兎にも角にも、図書館とやらに向かうことにする。途中で通った川沿いの歩道には淡いピンクの花を蓄えた木々が沢山咲いていて、文献はここで読むのもいいかな、なんて思った。ラクライアによく咲くアルカスの花に似ていて、なんとなく気に入ったのだ。
川沿いの歩道を抜けると大きな道にぶつかった。音がしていたのでなんとなく気がついてはいたのだが、どうやらこの世界にも車はあるらしい。だが魔法らしきものが存在しないこの世界ではどうやって動いているのか?それも文献を読めばわかるだろう。
少し待っていると車が一斉に止まったので何かと思うと、柱の先の高いところに付けられた三色灯の赤色が点灯しているのに気づいた。先ほどまでは緑色が点灯していたので、緑は進め、赤は止まれ、ということなのだろう。じゃあ間の黄色は何だ?……この世界にはまだわからないことが多すぎるな。
俺は車通りが突然無くなった大通りを横断して、向こう側に見える図書館に早足で向かった。
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しばらく文献を読んでいるとすっかり外は暗くなっていて、図書館の閉館時間も近づいていた。小一時間ほどでこちらの世界の情報を集めきった俺は、ライトノベルと呼ばれるこちらの世界での娯楽本を読み始めた。タイトルに『異世界』と入っているのが妙に気になったので読み漁っていると、『こちらの世界』から『異世界』へと転移して何故かその転移先の世界で主人公が八面六臂の大活躍を見せ、女の子にはモテモテ、いつのまにか身につけたとんでもない能力で世界を救う、というものばかり。なるほど。この日本という国では異世界というのは行けば無条件に最強の力を手に入れられて女の子にモテモテになる場だと思われているらしい。そんなわけあるか。
「帰るか……」
小さくため息をつきながら図書館の外に出ると少し肌寒かった。日本には四季というものがあり、今は春、具体的に言うと3月の末なので、夜はまだ冷える。こちらの世界での俺の体がどうなっているのかはわからないが、風邪を引いたら風邪の菌がウェザリポル王国のものより強くてこじらせて死にました、なんて冗談にもならないので、早めに帰って風呂で温まろう。
そう思いながら桜の綺麗な川沿いの道を小走りで進んでいると、電灯が切れていて視界の悪いところで人影にぶつかった。
「いたっ……あ、すいません」
「あぁーん?すいませんだぁー?」
その頑張ってドスをきかせている声を見ると、この世界でよくいる、いや最近は少なくなってきたといわれる、ヤンキーというグループに属する男3人が立っていた。1人は金の長髪で左目は隠れて右目だけが見えており、口やら鼻やらにピアスをたっぷりつけていて、1人は短髪で筋肉質、知能のあるゴリラ、いやそう言ってはゴリラに失礼か。知能のある肉ダルマという感じ。そして最後の1人は黒いパーカーのフードで顔を隠しており、そんなに背が高くない。俺より少し低いぐらいだろうか。
なんてわかりやすいキャラ立ちをしているんだ、こいつらは。なんて思いながら、おそらくさっき声を出してきた肉ダルマの方を見る。
「えーっと、ぶつかったからすいませんって言ったんだけど」
「おいおいガキ、なめてんじゃねーぞ?すいませんで済んだら警察はいらねーんだよ!」
「はぁ?何を言って……」
「ちょうどストレスが溜まってたとこだったんだ。お前はボコボコにしてやる」
嘘だろ。こんな古典的なヤンキーは天然記念物並だって……いうのはライトノベルで読んだ知識だけど、こんなゴロツキみたいなやつらがいるなんて思ってもなかった。ごめんで済んでないから警察は本当に必要だと思う。俺に。
そんな泣き言を言っていても仕方がない。相手がここまで好戦的な場合、話し合いで解決ができる気配は微塵もないため、武力で抑え込むしかないだろう。特に武器も持ってないようだし、素手でーー
「ちょうどコレを試したかったんだよ、ダルマ」
「へっへっへっ、こいつを実験台にしちまえよ、キンパ」
嘘だろ。こいつらダルマとキンパって呼び合ってるのか?そんな身体的特徴をあだ名にしちゃう?じゃあもう1人はなんだ?パーカーか?パーカーなのか?
「オイラは見ておくでヤンスよ」
「ナツメ、お前はいつもそうだよなぁ。まぁいい、今日は俺にやらせてくれよ」
ナツメ!?こいつだけ普通に名前なのか!?というかオイラとかヤンスとかって口調の方も特徴があり過ぎる気がするが……
そんなことはどうでもいい。キンパが出した試したかったコレ、とやらはいわゆるバタフライナイフ。チンピラ御用達の見た目はカッコいいけれど扱いが案外難しいあれだ。
しかし武器があるとなると少し素手では分が悪いか。じゃあとりあえず魔法でーー
「あ」
「あ?」
思わず出てしまった声に相手も反応するが、その理由を説明してる場合じゃない。そうだ。こちらの世界で生まれた人間の前では魔法は使えないんだった。使ってはいけないとかではなく使えない。たしかに魔力を込めようにも魔力をどこにも感じなかった。
体術で勝てる相手だとは思うが相手は一応武器を持っている。もしちょっと傷でもついてそこから菌が入ってそれが異世界人には耐性の無い菌でめちゃくちゃ爛れたり腫れたりして、それが原因で死んだりしたら成仏もできないぞ。そして何より、加減を間違えて殺してしまっても事だ。
「てめぇー!なにボーッとしてやがんだ!」
俺がうーん、と悩んでいると、いよいよ痺れを切らしたのかキンパが甲高い声を上げて喚き始めた。
「いや、ちょっと待っ」
「ダメだ、もう待てねぇ!俺のバタフリャーナイフの餌食になれ!」
「あ、噛んだ」
「そこまでよ!」
キンパが中部地方で使われる方言のような噛み方をして俺に飛びかかろうとした瞬間、横の草陰から突然飛び出てきて俺の前で腰に手を当て、ヤンキーたちの方を向いて仁王立ちする人が現れた。砂のついたセーラー服のスカートをひらつかせて、ぐしゃぐしゃになった髪のところどころに葉っぱを引っ掛けている彼女は、その堂々たる立ち居振る舞いに対して既に満身創痍のような格好をしていた。
「白昼堂々こんな善良でひ弱そうな一般市民を襲うなんて、私の目の黒いうちは許さないわよ!」
白昼でもないし、ひ弱でもないし、一般市民でもないのだが、とりあえずこの子は俺の味方をしてくれるらしい。敵が増えたわけではないようで安心したが、これはこの子を庇いながら戦わなければならない、逆に大変なパターンじゃないか…?とこっそり頭を抱える。
「なんだぁ、お前?女がしゃしゃり出てくるんじゃねーよ!」
「女とかどうとか関係ないのよ!悪を見過ごすことは出来ないわ!」
「まさかお前、今時正義の味方のヒーロー気取りか?女は家に帰ってアイカツフレンズ!かHUGっと!プリキュアでも観てやがれ!」
ダルマ、お前やけに詳しいな。好きなのか?
全力で声に出したいのを我慢して口に蓋をしている俺をよそに、少女はふん、と鼻を鳴らしてダルマとキンパの方に向き直る。
「正義の味方?ヒーロー?違うわ。私はレモン。そう、私はーー」
少女は一瞬溜めてから、はっきりと言い放った。
「異世界人よ!」
「……は?」
蓋をしたはずの俺の口からは、元気よく言葉が飛び出していた。