第0録 卒業後に異世界活動はいかが?
往々にして、異世界人というのはその世界の命運を握るほどの力を握っているものだ、というのが人々の認識であり、小説や漫画での定番というものだろう。
実のところ俺が生まれたのは、ラクライアという土地で、地球のどこにそんなところがあるのだ、と聞かれると、そんなところはない、としか答えようがない。
ふざけるな、冒頭から頭のおかしいことばっかり言ってるんじゃねぇ、と思うのもごもっともなのだが、事実なのだから仕方がない。俺は異世界にあるラクライアという土地からやってきた、異世界人なのだ。
きっかけは単純なことだった。俺の住んでいたウェザリポル王国では、訓練所での成績優秀者順に卒業後の進路を選べるというのがルールであって……おっと、そうだな。まずは訓練所について説明しないといけない。訓練所というのは、いわゆるこちらの世界でいう学校だ。7歳から15歳までそこに通って、学問から剣術、ひいては魔法といった技術を学び、卒業後の進路に活用していく。騎士になる者もいれば、魔法使いとして行きていく者、学者として知恵を王国のために絞り続ける者もいる。それを選ぶのは個人の意思に委ねられるのだが、その年の卒業生が全て騎士になってしまったり魔法使いになってしまったりしては敵わない、ということで定められたルールが、先程俺が言いいかけたルールで、それぞれの職に人数制限を設け、成績優秀者順に選べる、というものだ。
自分で言うのも何だが、剣も魔法も勉学も秀でていた俺は、学年トップという成績で訓練所を卒業。見事一番最初に職を選べる立場にあった。
歴代の学年トップ卒業生は、王国騎士であったり、王国専属魔法使い、そして王国専属学者になってきた。名誉ある仕事であることは間違いないし、なにより給料がいい。5年も働けば一般人の一生稼ぐ金を稼げるとも言われていた。まぁそこは、あくまで噂でしかないのだが。
そんなわけで、俺も当然のように王国専属なんちゃらになると思われていたと思うし、俺もなんとなくそう思っていた。そうしておけばとりあえず安泰なのだから……という選択の意思を失った屍のような、世間という大きな流れに身を任せる木の枝のような、そんな気持ちの方が楽じゃないか、と思っていた。家族もそれを望んでいたに違いない。望まれていたことにも気づいていた。
だけど俺はどこかで、それは違うんじゃないか、と思ってもいた。俺の人生、俺が決めたい。だがしたいことなんてない。どうしたらいい?何をしたらいい?俺は何がしたい?
「どうしたんだい、ホタル。頭かかえちゃってさ」
訓練所の教室で一人席に着いてぼーっと悩んでいた俺に嘘臭い笑みを浮かべて近づいてきたのは、俺の悪友、もとい友人のリニア。金髪に碧眼で中性的な顔立ちという、ラクライアでも人気のあるそのルックスに、女性人気はとてつもないものであるのは言うまでもない。
対する俺は黒髪に黒目というあまりにも地味な見た目で、普段から落ち着いているからか、冷徹な印象を抱かれてしまっているようで、「漆黒の一匹狼」なぞという恥ずかし過ぎる呼び名で呼ばれていたりする。俺本人の耳にも届いているのは、その呼び名が浸透し過ぎているということもあるのだがーー
「漆黒の一匹狼ともあろうお方が、情けないよ?」
その二つ名を付けて広めたのがこのリニアであるということにも由来する。本人がいつものニヤケ顔で言ってきたのだから、間違いないだろう。
「うるさい。その名前で呼ぶな」
「まぁね。本名はホタルなんて可愛らしい名前なのに、どうしてそんな二つ名がついちゃったのか」
心底不思議そうな顔をするな。拳が出そうじゃないか。
「で、どうしたの?」
いい加減ふざけるのもやめにしたのか、少し落ち着いたトーンで聞いてくるリニア。一々話し始める時にあぁいうやりとりをしなければならない自分ルールでも課しているのか?
「まぁ……なんだ。卒業後の進路に悩んでてな」
「へぇ、それは意外だな」
本当か嘘か、リニアは目を見開いて驚いた表情をする。
「ホタルはてっきり王国専属職に就くと思ってたよ」
「俺もそう思ってたさ。けど何となく、それでいいのかな、って思って」
「それでいい、っていうのは?」
二人しかいない教室はあまりにガランとしていて、妙に寂しさが漂っていた。外を見るとピンク色の花を蓄えた木々が風に揺れて綺麗で、そのコントラストが余りに美しかったからか、俺は自分でも意外なほどロマンチストのようなセリフを吐いていた。
「自分にはもっと他に、誰かのためにやれることがあるんじゃないかな、って思っちゃってさ」
「へぇー」
今度こそ心底驚いたような表情をしたリニアに、やっぱりさっきのは表情を作ってやがったんだな、と思いつつ、そんなに驚くほどのことなのか、とどこか冷静に思ってもいた。
そしてその驚いた表情から少し考えたような表情になったのち、リニアは言った。
「じゃあさ、こういうのはどう?」
リニアが俺の顔の前に出してきたのは、進路用のパンフレット。こんなものは俺もとっくに見ていたし、自分が就ける職業には全て目を通していた。まぁ、俺の成績から言って就ける職業は全てなので、全てに目を通したことになるのだが。
しかし、リニアが指差していたところには、俺が見たことのない職業が書かれていた。
「異世界……活動?」
異世界、というのは文字通りなのだろうか。そういう世界があることは聞いたことはあるし、座学でも習ってはいた。ただ同時に、高度な技術を持つ者のみが辿り着ける場所であり、普通の人間がおいそれと行ける場所ではないということも知っていた。そんな、異世界活動なんて仕事があったのか?
「こんなのあったのか?俺のパンフレットには載っていなかったように思うんだが」
「ほんとにー?それ、印刷ミスじゃない?異世界活動は、数年に一度しか現れない職業で、とっても名誉ある仕事らしいよ」
俺の疑問はサラッと流して、突然異世界活動のポジティブキャンペーンを始めるリニア。これは何かおかしいぞ。俺の勘がそう告げている。
「リニア、ちょっとそのパンフレット貸してくれ」
「いいよ」
俺はリニアからパンフレットを受け取ると「異世界活動」という文字のところを見てみる。印刷に怪しいところはない。もし偽造されているとすれば、魔法によって書き足された、という場合だ。
俺は指先に集中し、リニアに気づかれないように「アンドゥ(やり直し)」の魔法をかけて文字をなぞる。
……何も変化はない。俺の思い込みか?
「どう?タネも仕掛けも、魔法もないでしょ?」
「……気づいてたのか」
俺は小さく舌打ちをしつつ、もう一度パンフレットを見てみる。自分のパンフレットは残念ながら家に置いてきてしまったから、見比べることも出来ないが、恐らくこれはリニアのイタズラとかではなく、実際に書かれている文字なのだろう。本当に俺が見過ごしてしまっただけのようだ。
とはいえ、他の職種、例えば最難関と言われる王国専属騎士でも募集人数3人であるのに、異世界活動の募集人数が1人というのも、妙に引っかかる。噂すら聞いたことなかったし、一体この仕事は何をするんだ?
「で、どうする?異世界活動、やってみたくない?」
またも妙に目につくニヤケ顔でリニアが言ってくる。この顔、8年来の付き合いでも未だに本当に腹がたつがーー
「興味ない、というと嘘になる」
「つまり、異世界活動、やってみたい、ということだね?」
「まぁ、そうだな」
俺はこの時のことを後に何度も何度も後悔することになる。何故あんなに気軽に返事をしてしまったのか。何故あのニヤケ顔に不審感を抱かなかったのか。何故やってみたいと思ってしまったのか。
そんなことを今更言っても仕方ないのだが、俺の記憶が正しければ、その時俺が返事を、すなわちYesの意思を示した途端に、「異世界活動」の文字がパンフレットから浮かび上がってきて、肥大化し、網状になって、俺の体にまとわりつくようにして拘束してきたのだ。
「な、なんだこれ!?おい、リニア!」
リニアの方を見ると、少し申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ている。なんだ?なんなんだその表情は?
「ごめんね、ホタル。君には異世界に行ってもらわないといけない」
「ふざけるな!俺は行くなんて一言も」
「異世界活動をやりたいという意思に反応してその魔法は発動しているんだ。君はさっきはっきりとYesの意思を示した。だから、行ってもらわないといけない」
なんだこれ?本当に、俺は異世界に?
思うより先に、どこからともなく引力を感じる。振り向くと、真っ黒なワームホールのようなものに引きつけられているのがわかった。
「騙すような真似をしてごめんよ。だけどこれは、君にこそやってほしい仕事だからさ」
「いや、待て、何を」
「じゃ、頑張ってね!あ、これだけ渡しとくよ」
そう言ってリニアがワームホールに投げ入れたのは一冊の手帳のようなもの。それが吸い込まれて行くと同時に、俺の体も勢いよく吸い込まれていった。
「リニア、お前、許さないからなーー」
その声がどこまでラクライアに残ったのかは、わからない。