縁は異なもの
人の縁は、不思議だ。
どこで誰と繋がっているのか。
全てを知るものは、きっと。
この世には、存在しない。
*****
「なぁ。この後ってお前ら、時間ある?」
そんな元エースの言葉を、かつてのキャプテンはあっさりと断つ。
「悪い。俺、今日中に東京まで出ないと……」
明日の朝一の飛行機で、南米まで飛ぶらしい。
「日曜日なのに、何? 仕事のトラブル?」
「まあ……な」
質問した俺に返ってきたのは、歯切れの悪い答えで。その声音に思わず、『ガンバレ』の意味を込めて、彼の背を軽く叩く。
「こうやって、桐生に背中をどやされるのは、何年ぶりだろうな」
「高校の頃は、俺が松本に頭を小突かれる方が多かったけどな」
三人の中で一番背の低い俺の言葉をなぞるように、マツの拳が俺の頭頂部に降ってきた。
その手を軽く払うよう、受け流す。
高校時代にバレーボール部の顧問としてお世話になった恩師が一昨日亡くなって、土曜日の今日が告別式だった。
定年間近の先生に教えていただいた俺たちは、五十代とはいえ、参列者のうちでは若い方らしい。先生の教え子と覚しき参列者たちは、顔見知り同士がなんとなく集まるようにして、最後のお別れをして。
出棺を見送ったあとは、それぞれが流れ解散の雰囲気で、寺から駅へと向かっていた。
『また、今度。ゆっくりと飲みに行こう』と言って別れたマツを、駅前の交差点で見送って。
「キリは、ヒマ? 久しぶりなんだし、コーヒーでも飲みに行かないか?」
「ピヨが、コーヒー?」
カフェインが苦手で、チョコレートすら口にしなかった丹羽からの意外な提案に、その顔をのぞき込む。
「なんだよ。悪い?」
「いや、悪くはないけど。飲めるようになったのか?」
「飲めないよ、相変わらず。でも、香りは好きになったんだ」
「へぇ」
「近くに、良い店があるんだけどさ」
コーヒー好きらしいピヨの嫁さんも気に入っている、“良い店”だとか。
駅前まで出ていたものを、少し引き返す。
さっきの寺から、二筋ほど西にある裏通りを入って。
昭和の雰囲気を保つ薬屋の前を過ぎたところに、その喫茶店はあった。
紺地に白い刺繍で“きっさ”と書かれた暖簾と片引き戸は、喫茶店というよりも小料理屋の風情で。
暖簾がなければ、見落としそうなひそやかな店構えだった。
店の前で毛づくろいをしている黒猫を避けるようにして、ピヨが引き戸を開ける。
「らっしゃいっ」
カラリと軽い音を立てた引き戸の奥から、威勢のいい低い声が俺たちを迎えた。
この声は、どこか……懐かしい?
カウンターの向こうに立つ、作務衣姿の男性と目があって。その顔にも既視感を覚えた俺に、彼は人懐っこい笑みを浮かべた。
「カウンター席でも、よろしいですか?」
伸べた右手で、五つの椅子が並ぶカウンター席を示す彼に、なんとなく頷きながら、
「ピヨ、どこにする?」
隣の友人に尋ねる。
『入り口に近いと、落ち着かないな』とか言っているピヨの言葉と重なるように、店の奥の方から
「おい。桐生さんだ」
俺の名前が聞こえて。先客である二人の男が、立ち上がるのが見えた。
背中合わせに四つ並んだ四人掛けテーブルのうち、一番奥の席にいたのは。
ついさっきまで同じ寺に居たはずの後輩たちだった。
「なんだ、お前らも来てたのか」
ピヨの声に、手前にいる背の低い方が
「お久しぶりです……丹羽さん」
と頭をさげて。
もう一人の方も、テーブルの向こうで腰を折るような挨拶をよこした。
『先輩がたは、上座へどうぞ』という言葉と共に、奥側に座っていた奴が手前へと席を移動して。
譲られるままに、彼らが座っていた最奥のテーブルに相席する形になった。
ピヨと軽く譲り合った後、俺が通路側の椅子に腰を下ろしたところで、作務衣の男性がお冷やとメニューを持ってきた。
藍色の布製コースターをセットする彼の横顔と、正面に座る背の高い方の後輩の顔を見比べて。
俺の視線に気づいた後輩が、イタズラっけを含んだ笑みを浮かべる。
こいつは……まったく……。
「こちらがメニューと、当店の約束事になります」
店員から差しだされたクリアケースを、思わず受け取って。
「約束事?」
オウム返しに尋ねた俺に、
「この店、マスターが偏屈で」
と、ジンがうそぶく。
その言葉に、作務衣姿の彼は苦笑いをこぼす。
彼はどうやら、“マスター”らしい。
「偏屈でもなんでも、ルールは守らないとな」
生真面目にピヨが言いながら、おしぼりを広げる。
「それに、ここの約束事が特別なわけじゃない。どこの店でも守るべき、不文律にすぎないし」
と言われて、ざっと目を通す。
おしゃべりは控え目に、とか、店内禁煙とか。
ピヨが言うように、『マナーを守って下さい』という程度のことだったけど。
「不文律ってのは、文章化しないだろ? 普通」
「文章化する店があっても、いいじゃないか」
『お互いに判りやすいのは、いいことだ』とか言っているピヨは、昔から曲がったことが嫌いなヤツだった。
先に頼んでいたらしい、後輩二人に紅茶が運ばれてきて。
そのついでのような形で、コーヒーの飲めないピヨがオレンジジュース、俺がブラックコーヒーを頼む。
『少しお時間を……』と言い残して、マスターがカウンター内へと戻っていった。
ヤカンに水をくむ音をバックに、
「改めまして。ごぶさたしてます、丹羽さん」
ジンが頭を下げる。
そのハスキーな声に、ピヨがため息をついた。
「ジン。お前、高校時代とは別人だな。見た目といい、その声といい……」
「この三十年で、色々ありましたから」
「まぁな。お前らがまさか、芸能人になるとは思ってもみなかったよ。俺は」
「俺自身が思っていませんでしたし」
と言って、喉の奥で声を立てずにクツクツ笑うジンは、大学卒業と同時にロックバンドのヴォーカルとしてデビューしていた。
高校時代、低くてよく通る歌声で文化祭の名物男だった彼は、三十代半ばに喉の病気をして。
現在は、色気あるハスキーボイスを武器に、ヒットチャートを騒がせている。
そして。
「亮も変わったな」
「そうですか? 髪が短くなった程度で、丹羽さんほどは……」
ピヨが声をかけたもう一人の後輩も、ジンと同じバンド――織音籠――で、キーボードを弾いている。
本人は『変わってない』と言ってはいるが、デビュー当初は化粧もしていたような……?
「俺も、色々あったんだよ」
そう言って、ピヨが左頬を撫でた。
そこには、高校時代にはなかった傷痕が残っていて。
「丹羽さんの、それは……」
言いにくそうに尋ねた亮に、
「仕事の事故でさ。濃塩酸をかぶって……」
ピヨは肩をすくめて見せる。
「そんな危険な仕事なのか?」
日常生活で、塩酸なんてまずお目にかからないと思う。
しかも、濃塩酸って……。
「いや、製薬メーカーの研究所だから、そんなにヤバイものを扱ってるわけじゃない。さすがに五十歳を過ぎて、実験よりも書類仕事が増えてきてるし」
「確かに、そんな歳だよな」
そろそろ俺にも“責任者仕事”が回ってきそうな職場の事情を思い出して、天井を仰ぐ。
同期の同僚でもある妻は、とっくに一つの部署を任されているのだけど。
「で、その……」
亮が言葉を探すように、言いよどむ。
「何が言いたい? 亮?」
お冷やのグラスを手に、助け船をだしたつもりだったけど。
しばらく逡巡した彼は、
「彼女は……その傷のことは……」
薄茶色の目を窓の方へと逸らせながら、意味不明な問いかけを落とした。
「知ってる。っていうか、結婚して子供もいる」
意味不明な質問が、ピヨには通じたらしい。
「何も、言わなかったんですか?」
「意外か?」
「ええっと……はい」
二人の会話についていけなくなった俺は、ジンに目で尋ねる。
尋ねられた彼もどうやら判っていないらしく、白い湯呑みを手に、困ったように笑って見せた。
「お前は、登美さんの何を見てた」
「……」
「そんな些細な事に、拘るような人じゃない」
「……はぁ」
ピヨの重ねるような物言いに、亮が縮こまる。
『だいたい、お前は。モテるからといってだな……』と、本格的なお小言へ向かっていくピヨを、そろそろ止めるべきかと悩んでいると、
「俺、丹羽さんの奥さんって、知らないんですけど」
ジンが口を挟んだ。
「ちょ、ま、お」
亮が上げた動揺したような声に、構うことなく
「写メ見る?」
と、ピヨが礼服の内ポケットからスマホを取り出す。
『これ、かな?』とかつぶやきながらテーブルに置かれた画面を、ジンと二人で覗き込む。
中学校の入学式らしき、
桜の下で撮られた母娘の写真。
「亮、これって……もしかして?」
ジンが複雑そうな声をだす。
「……そうだよ」
投げやりな亮の答えに、俺だけがついていけなくって。
「ジン?」
「登美さんって、亮の昔の彼女、です」
簡単な解説を受けて、やっと関係性が見えた。
「世間って、狭いなぁ」
呆れ半分な声が出てしまった俺に、
「本当ですね」
と、ジンも頷く。
「いや、桐生さんたちにだけは、言われたくないですから」
テーブルに行儀悪く肘をついた亮が言い返してきたところで、俺たちの分の飲み物が運ばれてきた。
焦げ茶色の湯呑みを両手で持ち上げる。
しっくり馴染む手触りに、頬が緩む。
一口、含んで……。
「あれ? この味?」
どこかで、飲んだことがある?
心当たりを探って、辿り着いたのは……正面の後輩。
「ジン?」
「さすがに、判りますか」
「……だよな?」
「ええ。美紗が好きなので、時々分けて貰ってます」
そう言って、コーヒーを“飲まない”男は、アーモンド型の目を細めた。
「美紗って? 誰?」
グラスの氷をストローで突く涼しげな音とともに、コーヒーの“飲めない”ピヨが首を傾げる。
「うちの嫁さんです」
「って、キリ?」
ジンの答えに、ピヨがこっちを向いた。
「お前、ジンの嫁さん知ってるんだ?」
「亮だって、ピヨの嫁さんを知ってたじゃないか」
「あれは、ほら。その……」
「何?」
「……昔、亮と遭ったことがあるんだよ。デートの最中に」
「ほー」
狭いな。世間。
「もしかして……『久しぶり』なのは、俺だけ?」
考え考えって口調で、ピヨが誰にともなく尋ねる。
「さっき、キリには挨拶をしなかったよな? お前ら」
後輩たちが『ごぶさたしてます』と頭を下げたのは確かに。ピヨに対してだけだった。
さて、どう言ったものかな?
軽く思案を巡らせている間に、ジンが
「うちの嫁さんと、桐生さんの奥さんが姉妹なので」
あっさり、ネタばらしをする。
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げたピヨが、慌てたようにカウンターをうかがう。
『おしゃべりは控え目に』と書くような“偏屈マスター”は、他に客がいないせいか、咎めることはなくて。
静かに洗い物をしていた。
「キリ」
「うん?」
「俺、聞いてないけど?」
「うん。言ってないな。わざわざ電話するほどのことじゃないし」
「亮は、知ってたんだろ?」
『水くさいじゃないか』と、脇腹を小突かれる。
「あ、俺は仕事仲間として、結婚式に呼ばれたので」
フォローのような亮の言葉に
「ん? 親戚の小父さん枠だろ?」
ジンが、ずれた事を言う。
「うちの息子の、じゃなくて、お前の結婚式の話だろ。亮がしているのは」
フォローにならんだろ、それじゃ。
「息子が結婚?」
え、ちょっと待て?
そう言って、何やら数え始めたピヨは放っておいて、亮がマスターにおかわりを頼む。ジンも、それに便乗して。
「そうか。俺が結婚してからそろそろ十五年って考えたら……そうなんだな」
ピヨは、一人で納得している。
「ピヨ?」
「いや、余所の子は大きくなるのが早いって言うな、と」
『昔、会ったことがある子だから、実感した』と言ってピヨは、ストローに口をつけた。
「お待たせしました」
後輩たちのおかわりが運ばれてきて。
「よろしければ……」
と、棒状の焼き菓子が盛られた小鉢のような器がテーブルに置かれた。
「これは?」
ピヨの問いかけに合わせて、マスターの顔を見上げる。
アーモンド型の目を和ませた彼は、内緒話の風情で声を潜めて。
「他にお客様も居られないので。所謂、裏メニューのようなものです」
と言って、傍らのジンの肩に軽く手を置いた。
そして
「いつも、お世話になってますから」
意味深な言葉を残して、立ち去る。
「チョコレート味か?」
一つ手に取った亮が、矯めつ眇めつしながらジンに聞く。
「んー、多分。ホワイトデーがらみのヤツだと思う」
と答えたジンの言葉に、ピヨが軽く身を引いた。
「キリ」
「ああ、うん」
こいつは、食わないな。
「丹羽さん、どうしたんです?」
亮が、目聡く俺たちの会話に気づいた。
「俺、チョコレートはパス」
「は?」
「体質的に……」
両手の人差し指で、小さくバツをつくる。
「だったら、包んでもらいますか? 娘さんや奥さんへのお土産に」
「できるのか? そんなこと」
怪訝そうなピヨに、提案したジンが頷いてみせて。
静かに席を立った。
カウンター越しにマスターと、何やらやり取りをして。
「会計の時に、渡してくれるそうです」
と言いながら、戻ってきた。
「お前、結構な常連?」
座り直すジンにピヨが尋ねる。
「んー、それなりに、ですかね。なにぶん住んでるのが、隣の市ですから、そうそうは来れませんけど」
実家からの帰りに、寄り道することがあるらしい。
「でも、よく見つけたな。裏通りの店なのに」
「兄貴から、教えてもらいました」
しれっとしたジンの答えに、咽せかけた。
まったく……こいつは……。
「先輩たちこそ、よく見つけましたね?」
告別式の寺の近所とはいえ……、とジンが俺たちの顔を見比べる。
「あぁ、俺の実家がこの近所」
「なるほど。だから、丹羽さんは“約束事”に驚かなかったんですね」
「まぁな。最初は、さすがに驚いたけどさ。登美さんの好きそうな店だから、それこそ実家に顔を出すついでに……な?」
ピヨがさらりと嫁さんの事を話すのを聞きながら、亮は昔を懐かしむような顔で湯呑みに口をつける。
裏メニューのお菓子は、ブラックコーヒーとよく合って。二百円追加で、俺もおかわりを頼む。
豆を挽くミルの音に、引き戸を開ける音が被さった。
入ってきた俺たちと同年代と覚しき女性二人は、マスターに勧められるまま、カウンターの真ん中に腰を下ろす。
「亮」
「ああ」
ジンの低い声に、亮が残った紅茶を飲み干して。
「すみません。俺たちは、そろそろ……」
「ああ、もう行くか?」
「はい」
ジンは、俺の言葉にそう答えながら、ちらりと視線をカウンターへと流す。
どうやら、ほかの客を憚って……らしい。
「マスター」
ジンの声に、ヤカンの火を止めたマスターがレジへと向かう。
マスターの背も高いが、こうして並べてみると、ジンの方が高い、か?
などと、どうでもいいことを考えている間に、亮が軽くこちらに頭を下げて。
後輩たちは、店から出ていった。
「なぁ、キリ」
「うん?」
「卒業してから、ずっとジンたちと付き合いがあったわけ?」
引き戸が閉まるのを待ったように、ピヨが尋ねてくる。
「いや。三十歳を過ぎて、ひょっこりと」
コーヒーのいい香りが店内に漂い始めるなか、さっきまで亮が座っていた椅子へと移動しながら答える。
氷が溶けて薄くなったジュースを、ストローで混ぜていたピヨの彫りの深い顔が、子供のような驚きの表情になった。
「そんなもん?」
「ああ。多分……お前の嫁さんが、うちの患者で来た頃、かな?」
俺が理学療法士として働いている病院に、骨折した彼女の付き添いでピヨも通っていたことがあった
あの頃は、確か……。
立て続けに、懐かしい顔との再会が続いて。
人の縁の不思議に思いを馳せたっけ。
「義妹の彼氏を紹介されてさ。それが、ジンだった」
「へぇ」
「そうしたら、ジンと亮は一緒に仕事をしてるわけだから、イモヅル式に、な?」
「あー。なるほど」
俺と嫁さんが結婚した時にまだ中学校に通っていたような義妹が、俺より二学年下の男と付き合っているとは思わなかったし、さらにそれがかつての後輩だった時の驚きといったら……。
「なんだかんだで、息子は亮にまで懐いたし」
「結婚式にも、呼んだって? うちの娘は結婚なんて、まだまだ先だから、想像もつかないな」
そう言って、ため息をつくピヨに小さく笑いながら、おかわりのコーヒーに口をつける。
「俺なんて、来月には祖父さんだぜ?」
「早っ」
まだ、五十歳をいくつか過ぎたところなのに……と、呆れた声を出された。
「ジンのところは、まだ小学生だけどな」
「……えらく歳の離れた従兄弟だな」
「嫁さんどうしの歳が、離れてるからさ。息子の感覚的には、ジンの方が従兄弟っぽいな」
「嘘つけ。あんな従兄弟、いてたまるか」
いや、あれでも、人の弟で。人の子の親なんだけどな。
世間話をしながら、コーヒーを飲み終える。
ゆっくりとしたペースでジュースを飲んでいたピヨのグラスも空になって。
そろそろ出ようと、席を立つ。
カウンター席の女性たちの後ろを通っていて、『きーちゃんってば……』『やっちゃんは、そう言うけど……』と、二人の会話の断片が耳に入る。
この年代の女性の会話は、姦しいものだけど。
周りに気遣うような低いトーンは、マスターの“約束事”のおかげだろうか。
会計を頼んだ俺たちに、
「お代は、先ほどの二人から……」
レジに立ったマスターは微笑みながら、ピヨへ“お土産”を手渡す。
その笑みに、感じるものがあって。
「落ち着いた、いい店ですね。あいつらが、よく来るのもわかります」
「弟に言わせると、“偏屈マスター”が好き勝手している店ですが」
「それは、弟だから言える戯れ言でしょう?」
そんな会話を交わして、視線が交わる。
「またのお越しを、お待ちしております」
そう言って軽く頭を下げたマスターが、振り返った俺に目で笑いながら声を出さずに唇だけで言葉を紡ぐ。
『桐生さん』と。
喫茶店の、隣。薬屋の前でピヨが
「後輩に奢られる、のはおかしいよな?」
と言い出す。
「キリから、あいつらに返しておいて?」
曲がったことの嫌いな彼らしく、財布を出そうとするのを押しとどめる。
「アレは、多分。マスターからの奢りだよ」
「そうか?」
「あいつらも、店から出るときに払ってなかったように思う」
亮の背中で隠れていたから、断言はできないけど。
「なんで、マスターが……」
納得いかない顔で、ピヨが首を捻っている。
こいつは昔から、納得がいかないことには、絶対に流されてくれない。
仕方ないな。
「お前、気付かなかったか?」
「何が?」
「マスターの声」
「声?」
「マスターの顔立ち」
「うーん?」
思い出そうと宙を睨む友人に、答えを与える。
「あのマスター、ジンの兄さんだよ」
ジンの結婚式で会って。
ジンに息子が生まれた頃にも、一度会ったことがある。
“弟”とよく似た
人当たりの良さそうな優しい目をして
接客業をしている、弟思いの“兄さん”だ。
*****
人の縁は、
巡り巡って
様々な大きさの円を、
描いているのかもしれない。
俺たち人間が目にするのは、
そのうち、ほんの一部分。
END,