白の前触れ
灰色。白くもなく、黒くもない。縁起が良い訳でもなく、悪い訳でもない。それなのに、そこから逃げることなんかできやしないのに、私はその色が好きにはなれなかった。
そんな私でも、まれに生きている実感を覚える時がある。
それは灰色の毛先を紅く染める時。
紅く染まれば染まるほどに全身が『生きている』と鋭い喚き声を上げる。私は喚き声に怯えて声が出ない。笑い声が、喚き声に怯える私を取り囲み、いつまでも『それ』を続ける。
やがて私は耐えられなくなって、目を開けていられなくなる。
目を閉じて訪れたそこは穏やかな場所に思えた。何も起きない。打たれることも、笑われることも、囲まれることも、何も――――。
ただし、そこはとてつもなく暗くて、良く見える目をどんなに研ぎ澄ましても何も見えない。とてつもなく静かで、良く聞こえる耳をどんなに研ぎ澄ましても何も聞こえない。動かない体は何にも当たらない。触れられない。
そこはただ、ただ、とてつもなく『穏やか』な場所だった。
雨に打たれ、あの喚き声が頭の中をメチャクチャに駆け回り、目を覚ます。笑い声を立てていた人たちは側にいない。
私は、唯一、自分の居場所だと言いつけられている場所まで這う。やっとの思いで辿り着くころには毛先の紅は雨に流されて、もとの灰色になっている。『居場所』はどうにか雨をしのいでくれるようだった。
我慢できなくなった私は、頭の中に響く喚き声をそのままに、泣き始める。しゃにむに。けれど、涙は出ない。出たところでこの雨の中、それとこれと、自分でも区別なんかつきやしない。
降りしきる雨が私の声までも掻き消して、誰も私に気付かない。
泣き続ける。やはり、涙は出ない。多分、私の涙は他の人たちとは違ったところにしまってあるのかもしれない。
悲しいのか、辛いのか分からない。
酷く寒い。喚き声を聞き疲れて、泣き疲れて、瞼を支えられなくなってしまう。
できるだけ体を丸めて、静かに眠りに就く。
しんしんと雪が積もる。目が覚めるとそんな季節だった。辺りは静まり返っていて、ここに生きているのは私を除いて、降り積もる雪だけのように思えた。
誰ひとり私の前に現れない。寄り付かない。雪でさえ傍観をきめこんでいる。でも私は、それならそれでもいいと思えた。徹底して私を避けるのなら、私は私の世界に籠っていればいいのだと思えたから。
心残りは数えればきりがない。でも今更、どうしようもない。諦める。
唯一、そこに『いる』私も、無数の白い結晶たちも言葉を交わさない。
そんな静かな冬の出来事だった。