第二話
俺はいま、何故このメンバーで駄菓子屋に来ているのか、不思議でならない。
学校に来て早々、「昨日はありがとう! お礼にお菓子おごってあげる!」という、安上がりなお礼をしてくれるらしい綾瀬に話しかけられ、「結構だ」と、確かに拒否をしたはずなのだけれど。現状は悪化していた。
昨日俺が出会った二人の生徒。
男の方は、九條祐樹という名前らしく、そしてもう一方の女は姫川茜という名前なんだとさ。
九條祐樹とやらには特徴がないので、説明するのは難しい。強いて言うならば、やはり細い眉毛と生意気な言動だろう。
そして姫川茜について。
田舎の女にしては珍しく、髪の毛はオシャレなショートカットだ。スカートは短いし、やや着崩している制服を見ていると、都会にいてもおかしくはないと思える。
これは余談だが――九條祐樹と姫川茜はかなり仲が良い。
さて、人物紹介は以上だ。
次からが本題なわけだな。
俺は綾瀬に連れられ、おまけに九條と姫川も一緒で、駄菓子屋に来ているのである。学校から十分ぐらい歩いた位置にあり、俺の家とはまったくの逆方向。坂道だらけのこの町は、学校へ通うのも一苦労ではあるが、駄菓子屋に行くのも同じように苦労を強いられた。
民家が連なるこの場所に、駄菓子屋は溶け込んでしまっている。恐らく、初めてここに来た人は、これが駄菓子屋なのか分からないだろう。
しかも、綾瀬が「お婆ちゃん」と呼ぶこの人は、目が開いているのかそうでないのかも判然としない、まるで生きた化石のようなお婆ちゃんである。
「どうしたの舘林君? そんな浮かない顔しちゃって」
「いつも浮ついてるお前には分からないだろうな。俺が何故こういう顔をしているのか」
「ううん……分かんないや。後で教えてね!」
嫌になるな、本当に。
二人仲良く駄菓子を選んでいる九條と姫川を横目に、俺は店の中に設置された椅子に腰をおろす。座るだけで、ギシリと音が鳴る。まさか壊れるんじゃないだろうな。
慌てて立ち上がり、椅子を睨みつけていた俺のもとに、綾瀬は近寄る。
「舘林君はどれがいい? いま千円持ってるから、あたしはなんでも買えるよ!」
鼻息を荒くし、自慢げな顔をする綾瀬。
「そうか。お前が好きなものを買えよ。俺は帰るから」
「つまりそれは、あたしのセンスに任せるってこと?」
「そうじゃない。俺はお菓子はいらない。それでもう帰る」
「え? じゃあ何でここまで来たの?」
「お前が俺を連れて来たんだろうが……」
真顔でとんでもないこと言ってきた。
俺と綾瀬のやり取りを見ていたらしく、姫川はクスッと笑う。
「あ、ちなみに、あたしのオススメはこれだよ!」
そう言って綾瀬は、爪楊枝に得体の知れないものが突き刺さったお菓子を指さす。いや、これがお菓子なのかどうか怪しいところではある。まあここでは、お菓子としておこう。
「これは……なんだ……?」
「いやぁ……実は、あたしもこの名前知らないんだよねえ……」
「じゃあ、この爪楊枝に刺さってる黒い物体は?」
「それも分かんないんだよ、あはは!」
そんな恐ろしいものを俺に勧めてきたのか、綾瀬は。
「二人とも決まった? うちらはもう決まったけど」
いつの間にやらビニール袋をぶら下げて、買い物を済ませている姫川。それと九條も。相変わらず九條は俺のことを睨んでくるけれど、まあ気にはしない。
「俺は買わない。だから買うならさっさとしろ、綾瀬」
「もう……頑固だな、舘林君。分かった。じゃあ、あたしが適当に買っちゃうからね」
鼻歌交じりに選別を始める綾瀬。その後ろ姿を見ていると、つんつんと姫川に突かれた。
「最初はあんたのこと、まじで最低なやつかと思ったけど、勘違いだったみたいだね」
「いや、勘違いじゃない。俺は最低なやつだよ。だからあんまり関わらないでくれ」
「ああ、やっぱり。思った通りだよ、舘林」
俺の肩に手を添えて、姫川は耳元で囁いたのだ。
「舘林は、ツンデレなんだよね? 今はツンツンしてるけど、本当は寂しがりやで、うちらにかまって欲しくてたまらないんでしょう? もう……可愛いやつだな!」
思い切り俺の背中を叩いてくる姫川は、正直なところ鬱陶しい。それに、女性用の香水でもつけているのか、甘ったるい匂いがするので近寄らないで欲しい。
さらにさらに本音を言えば、俺が姫川と話していると、九條が凄い目つきで睨んでくるので、それが面倒なのだ。
まさかとは思うけれど、いや、まさかな。
「お待たせ! ほらほら買ったよ、舘林君!」
たかだか合計百円ちょっとのお菓子を、そんなに自慢されても困る。
「はあ……良かったな。じゃあもう、帰っていいか……?」
これでようやく解放されると思った。しかし、そうはいかなかったのだ。
姫川は言った。
「はあ? ちょいちょい、舘林。それは有り得ないでしょ」
「なんで……?」
「お菓子を買ったなら、食べる。それが普通でしょ?」
何を言い出すのかと思えば、姫川はごく当たり前なことを言った。
「そうだな」と、俺は頷くと、今度は綾瀬が話に割り込んできて。
「つまり、寄り道だよ、舘林君!」
「そうか。行ってらっしゃい。それからさようなら」
冗談ではない。こんな寒い冬に、お菓子を買って寄り道するなど考えられない。ここがもし都会なのであれば、まあ許せる。まあついて行ってもいい。
だがここは田舎だ。
寄り道できるところは皆無。
俺にはもう予測できているのだ――綾瀬は俺の思考を遮るようにして、言った。
「だめだめ。これから一緒に砂浜行って、お菓子食べるんだから!」
ほらな、こうなると思ったよ俺は。
どうやら、この田舎では海に行くのと、都会の高校生がカラオケに行くのとが、同じような感覚らしい。困ったものだ。非常に困ったものだ。
困り、考え、そうした結果、俺は逃走をするという結論に至った。
「舘林君が逃げた!」
店から飛び出し、両足を必死に動かす。外の冷たい空気が俺の頬を叩く。撫でたのではない、引っ叩くのだ。それほどまでに寒い。
「出番だよ祐樹!」という、悪党みたいなセリフを言う姫川。その後に、「仕方ねえな……」というやる気のない九條の声もした。
幸い、俺の妨げになるようなものはない。
人もいなければ車もほとんど通らない。そんな絶好の逃げ道だらけなので、俺は心の中では「勝ったな」と、思ってしまう。
何と戦っているのかは分からないけれど、とにかくそう思ったのだ。トップスピードで坂を駆け下りるのは危険なので、少し力を抜く。その拍子に、背後を振り向いてみた。
「嘘だろ!?」
「おいおい、面倒なことさせんなよ!」
あっという間に追いつかれていた。もちろん、九條に。両手の振りが滑らかで、足運びも常人ではないのが分かる。
「お前まさか陸上部とかじゃねえだろうな!?」
急いで前に向き直り、俺は後ろの九條に問いかける。口を開いている余裕があるなら、もっと走ることに集中した方が良い気がする。だが、少しだけ気になってしまったのだ。
「そのまさかだよ! ていうか早く止まれ!」
「アホか! 止まったら極寒の中お菓子食わされるんだろ!? やってらんねえよ!」
追いかける者と追われる者。
二人の珍走劇はまだまだ終わらない。
俺が持ち前の俊敏性で急な方向転換をすると、九條は止まり切れず、その場で盛大な地団駄を踏むことになる。まあ、その場と言っても何歩か先に進んではいたけれど。
「ってめえ! ちょこまかすんな!」
「うるせえ! さっさとお前はあいつらのとこ帰れ!」
民家と民家の間を潜り抜け、狭くて走り辛い道をあえて選ぶ。古ぼけた民家は時代からポツリと取り残されたようで、玄関の扉は錆びれ、壁の塗装は剥がれ落ちてしまっている。
しばらく走るとすぐにまた坂が出現し、俺は坂を下っていくことにした。
歩いて見るのとは違う景色。
のんびりとしていたこの町の雰囲気は、こうして走りながら見ていると、何かの映画の舞台のようにも思える。
玉ねぎやらニラやらの畑が目に入る。案外、潮風などに関係なく、育つ作物もあるらしい。その土地に合った作物は、何かしらあるということか。
そして――段々と広がっていく壮大な海。
季節外れの海は嫌いだ。夏の海も嫌いだ。だけれど、走りながら見る海は、そこまで嫌いじゃないかもしれない。
「お前……! 頼む……! ちょっと頼むから止まれ……!」
景色を眺めながら走っていた俺は、背後から聞こえる頼りない声で、振り返る。
「なんだよ! もうヘロヘロじゃねえか!」
煽るように言ってみたが、もはや言い返す気力もないようで、九條はただ、待ってくれと言うだけであった。ちょっとばかし可哀想に思えたので、俺は徐々にペースを落としていく。そしてようやく俺のところにたどり着いた九條は、へなへなと地面にしゃがみ込む。
「おいおい、いきなり座んなよ。身体に悪いぞ」
肩で息をする俺と、虫の息の九條。俺は言いようのない優越感に浸る。
「お前……! 化物かよ……!?」
「お前はあれか? 陸上やってるって言ってたけど、短距離タイプなのか?」
「そうだよ……! だから長距離は……苦手だ……」
呼吸をするか喋るのかどちらか一方にして欲しい。
「まあ、とにかく。俺の勝ちだ九條。お前はさっさとあいつらのとこ帰れ」
ようやく息が整い、九條は言った。
「いや……俺はもう家に帰る。舘林を逃がしたまま戻れば、姫川にどやされる……」
そんな情けない言葉に俺は笑う。しかし、心を少しでも許してしまった自分が嫌で、俺はすぐに真顔になる。
「そうかよ。じゃあな」
そう別れの挨拶を告げ、俺はそのまま海を目指して歩く。まだここに来たばかりだから、海岸線沿いに歩かなければ、家の位置がよく分からないのだ。
「そうだな……今日ぐらいは、身体を動かそうか」
昨日に続き今日も全力疾走したことで、俺の身体は疼く。
あの音が蘇る――仲間の応援歌、監督の怒声、そして両足に伝わる感触。
何もかもが鮮明で……やはり、忘れることなど出来なかった。
引っ越しをするのと同時。
俺の夢も、思い出も、気持ちも、何もかも置いてきたはずなのに……。
「いや……忘れられるわけがねえよな。あれだけ全力でぶつかったんだから、俺は」
拳を開き、そしてすぐに閉じる。
「あいつら……今頃は次の大会に向けて、頑張ってんのかな……」
俺の儚い記憶たちは――波の音に掻き消されていく。
簡単に折れてしまいそうな気持ち。
俺は何度も首を横に振り、弱い自分を否定する。その後。少し早歩きをして帰宅した俺は、家に帰るとすぐに着替えをする。まだまだ馴染みのない制服から、二年間の思い出が詰まったユニフォームに。背番号は七番。誰しもが憧れるエースナンバー。
けれど――
「もう……似合わなくなっちまった」
鏡の前に映る俺の姿は、ただのコスプレをした十七歳。
天才と謳われた俺はそこにはいない。もう、いないのだ。
こみ上げてくる口惜しさ。もし俺が引っ越しをしていなければ、あの試合に勝てた。そして、こんな田舎にやってこなければ、サッカーを続けることができたのに。
聞いて呆れる。
運動部は陸上部しかなく、ほとんどが文化系の部活だなんて。
俺の人生はここに来た瞬間に終わったも同然だ。
親父の言葉を思い出す。
『そんな部活に必死になって、どうするんだ。このバカ息子め』
それなら俺はこう、親父に聞き返してやりたい。
そんな下らない仕事のために、俺を巻き込むのか、と。
「いや……いやいや、もうやめよう。何もかも忘れようぜ、舘林弓弦。お前はもう死んだ。お前は……死んだんだよ……ううっ……」
急激な涙に堪え切れず、俺は嗚咽を漏らしながら泣いた。
泣いて、泣いて、もう涙も枯れてしまったはずなのに、また俺は泣いているのだ。
「ちくしょう……! 何もかも嫌いだ! 親父も嫌いだサッカーも嫌いだこの町も嫌いだこの家も嫌いだこの学校も嫌いだ――……みんなに八つ当たりしてる俺も……嫌いだ……」
我武者羅に壁を殴りつけていた拳は赤く腫れ、血が流れていた。
決して諦めない――情熱の赤。俺の高校のユニフォームはそう呼ばれていた。けれど今、俺にはこの赤色のユニフォームは、何故か灰色に見えて仕方なかった。
「痛いな……心が、張り裂けそうだ……」
自暴自棄になり、日に日に嫌な人間になっている。
そんなことは分かっているさ。
綾瀬のやつに、普通に「ありがとう」と、言いたい。姫川に「ふざけんなよ」と、笑ってツッコミを入れてやりたい。九條に「友達になってくれよ」と、手を差し伸べたい。
けれどそれができない。
俺は今でもスターで、サッカーボールを蹴り、グラウンドを駆け抜け、ゴールを決めて、全校生徒から英雄と言われていたあの舘林弓弦だと、そう勘違いしているのだ。
クラスメイトが笑えば、まるで俺のことをバカにしているように思えて、無性に腹が立つ。
こんなものは被害妄想。
誰一人として、俺のことなど見ていないのだから。そう――単なるクラスメイトなのだ俺は。それ以下でもそれ以上でもない。
血が滴り、床に落ちる。
涙はもう、落ちることはなかった。
こんな時にお袋がいてくれたのなら、どれだけ幸せなことだろう。決して叶うはずのない想いを胸に秘め、ポツリと呟く。
「お袋……俺、どうすればいいのかな……お袋ならこういう時、なんて言うんだ……?」
机に飾られた写真立てには、子供の頃の俺と一緒に優勝トロフィーを持つ、お袋の姿がある。俺がサッカーをしている姿が好きだと、お袋はいつも言ってくれた。
恐らく、俺がここまでサッカーに執着しているのは、お袋が原因なのだろう。
サッカーをしている間は、とっくの昔に死んでしまったお袋に会えるような気がして、お袋と会話をしているような気がして、心が安らぐのだ。
「また暴れたのか、このバカ息子め」
いきなり部屋の入り口から声が聞こえたので、俺は思わず驚く。
「なんだ……親父かよ……黙って俺の部屋に入ってこないでくれ」
「そんなに血だらけな手を見て、放っておけるわけがないだろ」
「親父には関係ない」
「いい加減大人になれ、弓弦。お前にはもうサッカーもなければ、母親もいない。そろそろ現実と向き合え。じゃないと、もっと悲惨なことになる」
壁に寄り掛かったまま親父は、こう付け足した。「このままじゃお前は、誰からも助けてもらえなくなる、そういう寂しい人間になってしまうぞ」と。
「………」
ポケットからハンカチを取り出し、親父はそれを俺に放り投げた。
「いらねえよ、こんなの」
俺が投げ返すと、親父は何故か、気味の悪い笑みを零す。
「そんな手を見られたら、家の前まで来てる友達たちにびっくりされるぞ。さっさと血を流して包帯を巻いたら、出迎えてあげなさい」
「友達……?」
俺の問いかけには答えずに、親父は立ち去っていく。
おおよその見当はついているけれど、まさかという思いが捨てきれず、俺は急いで血を流す。包帯が見つからず、仕方なくガーゼを張り付ける。
玄関まで向かう途中で、いまだにユニフォーム姿なことに気がつき、これまた慌てて制服に着替え直す。
少し緊張した面持ちで扉を開け放つと――そこにはやっぱり、あいつが立っていた。
「もう……舘林君! いきなり逃げるなんて卑怯だよ!」
たいして鋭くもない瞳で俺を睨み、綾瀬は続けざまに言う。
「罰として、あたしと一緒にお菓子を食べてもらうからねっ!」
変わってしまった日常。もう戻れないあの青春。俺はこの町に来て――死んだ。けれどいま俺は、生きながらにして生まれ変わろうと、しているのかもしれない。
痛む手をおさえながら、俺はほんのちょっぴりだけ、笑ってしまう。
「それはまさしく罰ゲームだな……でもまあ、仕方ない。少しぐらいは、付き合ってやるよ」
「なんで偉そうなんだよ、お前」という、九條の声。そして「だから祐樹! なんであんたこそ偉そうなのよ!」という、姫川の声も。
「え……? なんで二人まで……?」
姫川は九條の頭をパシンと叩くと、俺にこう言った。
「いやぁ……まさか祐樹に走り勝つなんて、凄いね? さすがは元サッカー部のエースって感じ?」
何故それを知っているのか。
あまりにも俺が驚いた表情をしていたのだろう。綾瀬が横から説明をしてきた。
「担任の先生から聞いたんだよ、舘林君が転校して来る前にね。ほら、高校二年の終わりから転校してくるのは珍しいし、あたしたち気になっちゃってさ!」
担任の先生とはいえ、そこまで話してもいいのかよ。俺の個人情報だぞ、それ。
「それでね、聞いてよ舘林」と、姫川は言う。
「祐樹なんてさ、スポーツ万能なやつが転校してくるってことで、対抗意識燃やしちゃってさ。でもまあ、祐樹の得意な走りで負けたんだから、これでもう諦めがつくでしょ」
「まあな。認めるよ、舘林のことは。もう自分がアホみたいだぜ、これじゃあ」
「あんたは実際アホでしょうが」
「うるせえな……茜だってアホだろうが!」
そんな、醜い争いをしている九條と姫川に呆れながらも、これだけは言っておかなければいけないと思った。
「あのさ……みんな」
ここに来てから初めて、感謝をしようと思った。
嫌なことばかりだと思ったこの田舎にも、少しは良いことがあるのかもしれない。
頬を小指で掻きながら、俺は言う。
「わざわざ、その……ありがとう……ございます……」
「お前ってさ、ありがとうって言葉、似合わないな」
「………」
俺が勇気を振り絞ったというのに、九條はあっけらかんとそう言ったのだ。
「はあ……ごめんね舘林。こいつ無神経だからさ。悪気はないんだよ、たぶん」
「いや……いいけど、別に」
綾瀬は俺の顔を覗き込むと、すぐに九條に視線を移し、言った。
「ほら祐樹君、舘林君に謝りな? 拗ねちゃったよ?」
「拗ねてないから」
「祐樹、いま謝ったら、舘林のデレデレタイムに突入するかもしれないよ?」
懐かしい響きだ。
こちらに転校する前に、サッカーができないというフラストレーションから、俺は何を思ったかギャルゲーをやってみた。そしてその作中で、ヒロインの好感度が上がると、ボーナスタイムとやらに突入するのだ。
デレデレタイムとはすなわち、ボーナスタイムのようなものなのだろうか。
しかしそれにしても――九條を責め立てているようで、その実は、俺への集中砲火をしている綾瀬と姫川であった。
九條は言った。
「そうか? じゃあ、悪かったな舘林。ほら、これでお前は俺にデレるんだろ?」
「九條、お前だけには絶対デレないからな」
「はあ? おい話が違うぞ」
「祐樹、まだ足りないんだよ。舘林をデレさせるためには、もうひと押しって感じだね」
そんな、他愛もないどころか、かなりどうでもいいやり取りをする俺たち。こんな時でもやはり、波の音はうるさい。
青空を駆ける鳥の群れを一瞥し、俺はこの悪くはない雰囲気に、しばらく身を置いてみることにした。こうして俺は、転校から二日目にしてようやく、この田舎に馴染みつつあるのであった。たぶん。




