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リボンの不思議

作者: 沙華やや子
掲載日:2026/02/09

ムニャムニャ……お布団の温もり……ニャムニャム……。


 2月のキーンと冷える朝。


「ハー、ハーハーッ……」

 動きやすいデニムパンツを履き、分厚い猫耳ピンクのパーカーを着た雪瑚(ゆきこ)は真っ白い息を幾つも吐き出しつつ、ポニーテールを揺らし出勤路を走っている。赤いスニーカーは軽快に路面を蹴って行く。ファーのスヌードを付けていたけれど、要らなかったかもと感じるほど、慌てているからポカポカだ。


 佐田雪瑚(さだゆきこ)、フルーツパフェが大好物な31才。

 ようやく新しい仕事に慣れてきたところだ。


「遅刻しちゃうよー。変な夢、いつまでも見てたな~」


 雪瑚はゆうべ、というか明け方、目覚まし時計を抱きしめながら、夢を見ていたらしい。

 まっ白なバラの咲き誇る花畑に、知らない男性と手を繋ぎ寝そべっているというもの。


 どこかに(これは夢だ。職場に間に合わないぞ)などと感じている自分がいた。

 そしてその現実の雪瑚は(お花がつぶれて可哀相)と感じてもいたし、今思えば(あれ? 棘で痛いんじゃぁ……)などと顔をしかめつつ、やっと職場である衣料品物流倉庫に到着した。職場は近所なのだ。


(ギリセーフ!)

「おはようございま~す」


「あ、ユキちゃんおはよ。珍しいね、今日はギリギリじゃない」


「はい、松崎(まつさき)さん、今日は二度寝・三度寝しちゃいました!」


「あらあら、お仕事始めて1カ月、よく頑張ってるもんね、ユキちゃん。疲れが出てるかな?」 


 松崎香(まつさきかおり)45才。彼女はこの倉庫の主任だ。


「いいえ、遅刻しそうになっても間に合わせるだけの体力がありますから、大丈夫!」

 ブイサインをしてニカッと笑って見せる雪瑚。


「オッケー! ああ、そう。ユキちゃん、今日からバイトで来てくれる時田惇太(ときたあつた)さんよ!」

 雪瑚はゼーハーと息を上げつつ松崎に挨拶したので、松崎の後ろ辺りに居た華やかな男性に気づかなかった。

 新人君は松崎の前に一歩出、雪瑚に向き合った。


「初めまして。時田惇太です。よろしくお願いいたします」


「初めまして。わたしは佐田雪瑚と申します。よろしくお願いします!」


 身長が150cmもない雪瑚はスラッとした惇太を見上げた。


 こげ茶色の瞳。毛先だけブルーに染めた髪。顔ピアス……。ファッションとは相反する静かなムード。


「ハッ!」


「ン……?」

 息を飲んだ雪瑚に惇太が不思議そうな表情を浮かべる。


 惇太は33才。上記の通り、派手で少し童顔。男くささとセクシーさが同居したモテそうなタイプだ。


 その魅力に雪瑚が眩暈を起こしたのは事実だが、ハッとした訳は他にある。

 明け方夢に出て来た人だったから!


 そう、雪瑚は薔薇の上で戯れた見知らぬ男性の顔をはっきりと憶えていた。特に瞳の輝きが綺麗だった。深い海のようだった。


 『仕事がんばるぞ!』とたくし上げたのか、彼の前腕が今、雪瑚の前で露わになっている。


(薔薇の棘でケガしていないかな!?)だなんて気になりまじまじと見てしまった。


「ど、どうかしましたか? 雪瑚さん」

 心配そうに惇太が言う。


 我に帰った雪瑚。


「いえ、なんでも……」


(怪しい素振りだったろうな)と自分が恥ずかしくなりつつ雪瑚がそう言うと、穏やかな表情に惇太は戻った。


 さあ、今日もお仕事スタートだ!


 この倉庫のやり方は、イマドキ式……ではない。原始的とでも言おうか。未だに伝票と籠を載せた台車を手にしたスタッフが、伝票に記されたものと合致するアルファベットと数字の書かれた棚まで行く。

 その中の商品を籠に入れて行く。

 これを『ピッキング』と言うのだが、この会社は中小企業の部類なので、デジタル化や自動化には見向きもしない。というか、用意できるだけの資金が無いのだろう。


 結構体力を使うし、慌ただしくもある。

 けれど、体を動かす事が好きな雪瑚には向いている。


「惇太さん、がんばって! わかんない事あったら、ユキちゃんに何でも聞いたらいいよ」


「そ、そ~んなー、松崎さん、あたしまだ新人です」


「ムム、新人にしては出来過ぎだぞ! ユキちゃん、ファイト! よろしくね」


「はい」


 ……とは、松崎から言われたものの、惇太は憶えが早く記憶力も良い。男性ゆえ力持ち。雪瑚の教える事など1つも無さそうだ。


 ――――そして昼休憩。


 お昼はおひさまキラキラ。早朝はあんなにも冷えたのに、10度以上気温は上がった。

 雪瑚は動き回り体が暖まっている。


(今日は中庭でお弁当、たーべよ~っと)


 雪瑚は冬枯れの桜の木の下にあるベンチに腰掛け、そっとお弁当を開けた。


(あ! 今日のお弁当イケてるからSNSに載せちゃう!)


 スマホを取り出し、素敵なアングルを探り始める雪瑚。


 そよぐ風にお花の香りが混ざっているように感じた。


(不思議ね、水仙……? いいえ、この倉庫の辺りには全く水仙は咲かない)


 そう思ったのは一瞬で、良い写真を撮ろうとスマホの画面にくぎ付けの雪瑚。


 パシャリ!

「やった~!」


「お疲れさまです」


(あ……)


 やって来たのは惇太だ。


「食堂の暖房が暑くて……。ここ、良いですか?」

 ゴツゴツした大きな手で、レジ袋を持っている。


 ベンチはここしかない。そして大き目のベンチだ。5人ぐらい座れそうな。


「あ、惇太さん、お疲れさまです! もちろん。どうぞ!」


 惇太は菓子パンと総菜パンを頬張った。


(お弁当じゃないのね。一人暮らしなのかな?)とか、気になる雪瑚。


 二人は何を話す事もなく、ペコペコのおなかを満たす事に集中した。


「フー。ごちそうさまでした!」と雪瑚。


「雪瑚さん、早食いだね」


(え。カッコいい顔して悪戯を言う!)

 なんだか雪瑚は嬉しくなった。

「もー! 惇太さん?!」


「アッハハハ、ごめん、ごめん」


 おもむろに惇太は、黒いジャンパーのポケットから文庫本を取り出した。


 惇太の表情はリラックスしているが、夢中で読んでいる風なので、雪瑚は静かにしていた。


 見上げると冬の紫がかった青空が美しい。あの青には、来たる春の贈りものである花びらが含まれているからであろうか。青色なのにピンクが見える。

 そんな事を思いつつ清らかな空気を吸い込んでいた雪瑚。


「そうだよ……僕はうお座。うお座生まれだ。君もだろう」


 いきなり惇太が声を出したのでドキッとした。

 隣を見る雪瑚。


 どうやら彼は本を朗読しているらしい。


 誕生日は2月23日。うお座生まれの雪瑚は話し掛けられているのかと勘違いした。


「でも、一緒だったのは星の世界だけではなかったね。明け方、夢で君を抱きしめた。君の黒髪はまるで蜂蜜のような甘い匂いに包まれていた。私は少女のような笑顔に、薔薇の棘が突き刺さる痛みをも忘れた……」


 ドキリ! と言うのを通り越しゾッとする雪瑚。


「そ、その本……は?」


 すると惇太は大切そうに文庫本の表紙にてのひらを当て言った。

「僕の著書です。自費出版で出したんですよ」


(今朝の遅刻間際の夢の内容とかぶってる!?)

 驚く雪瑚。


 それにしても、惇太はいわゆるチャラいファッションだが、雰囲気は芳醇な土のように落ち着いていて、瞳は泉のような潤いがある。静かな佇まいだ。


 あまりの偶然(?)にびっくりはしたが、雪瑚はロマンチックな気分になった。

 惇太に魅力を感じる。


「本の題名はなんというのですか?」


「あ、ああ。気になりますか? 雪瑚さん」


「はい! あたし、小説は時々しか読みませんが、ポエムを自作するんですよ。だから文章が大好きなの。教えて!」


 すると惇太が、少々照れながら答えた。

「『うお座のリボン』です。ギリシャ神話によると……あ、そんなに神話に詳しくないんだけど……悪い奴から逃げ切った母である女神と息子のキューピットの尾を、リボン結びした形が夜空に浮かんだ。それがあの星のうお座なんだって!」


 雪瑚は自分の生まれ星座の事が知れてなんだか嬉しいし、とても興味深い。


「今の季節って、うお座は見えますか?」と惇太に訊いてみた。


「ああ、秋から12月頃が一番見えるんだ。この季節は……今」と言って、空を指さす惇太。

「お昼間に実はうお座は輝いているんだよ」


「そうなんだ~」

 そう言い、再び空を見上げる雪瑚。


(あたしが生まれた日は凄い雪で、ママは産気づいた時タクシーを捉まえられず、雪の中を歩いて病院までおばあちゃんと行ったと言ったわ。[そうして、雪のように白いあたしの雪瑚が生まれたのよ]と、ずっと前のあたしのお誕生日にママ、幸せそうにメールをくれたんだよね)


「あ、あの……ね、惇太さんって、なに座なの?」


「うん。『ヴィーナスとキューピットのリボン』うお座さ」


 惇太と夢の中で純白の薔薇の上、寝転んだ明け方の雪瑚。

 魔法にかかったみたい。


 惇太は、本と星座の話をずっと前を向きとつとつと話した。静かな横顔に胸を熱くした雪瑚。


(これはなんだろう?! ミラクル? 単なる偶然?)


 ジリリリリリリリ……。昼休憩を終えるベルが鳴った。


(あたし、この人と離れたくない)


 キュ……!


 ポッケに文庫本をしまい終わった惇太の左手を、うつむきながら右手で握る雪瑚。

 自分でもわからない、なんでそんなに大胆になってしまったのか。


 惇太の頬がサッと、紅く染まった。

 そして惇太は、雪瑚の小さな手を、優しく両手で包み返してきた。


「明け方、貴方の夢を見たの」


「え!?」


 その驚愕の表情を見た時(惇太さんはヘンテコな魔術師なんかじゃないのね!)と確信した小心者の雪瑚。ホッとした。ウフフ。


 ラブワンダーが二人に起こるのはきっとこれから。



よろしくね♡

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