6 鬼教官の教え
ハイガルシア城、裏手。
城壁で囲まれた、だだっ広い軍事演習場。
賢者ケンザキの魔法ショーが頻繁に催されているせいか、荒涼としていた。
それをせっせとクラスメイトたちが整地している。
これも訓練の内らしい。
似合いもせぬ全身鎧を着せられているのも、負荷をかけるためなのだろう。
「整列エェェ――――つッ!」
オンドリルが吠えると、連中はよくしつけられた犬みたいに二列横隊を作った。
気分はすっかり兵士だ。
微妙に精悍な顔立ちをしているから面白い。
「俺もここを耕せと?」
俺は胡乱な顔でデカブツを見上げた。
「いいや、貴様はカスだ! よって、私が手ずからブチのめしてやる! 決闘形式の稽古でな!」
俺に木剣を投げてよこすと、オンドリルはボクシング風の構えを取った。
軽くジャンプし、拳を突き出しながら体を揺する。
当然だが、そこにあるのは強者の雰囲気だ。
しかし、現状、世界最強の力を有している俺に素手で挑むというのは笑止千万。
俺は手の中でペン回しのように木剣をもてあそんだ。
クルクル、クルルン。
こんなもの技と言えるほどでもない。
だが、同級生からは歓声が上がった。
「さあ、胸を貸してやる! どこからでも打ち込んで来い! 殺す気でな! おら、どうした腰抜け! チンチンがついているなら、勇ましく打ち込め! 戦士だろ! 戦え!」
オンドリルがあおってくる。
唾を散らすな。
やかましい奴め。
俺は木剣を正眼に構えた。
「……」
と、ここで俺は石みたいに固まった。
急に頭が白くなり、どうしていいのかわからなくなる。
思えば、俺は殴り合いどころか口喧嘩すらろくにしたことがない。
剣道の経験もない。
木剣を握ったのも今日が初めてだ。
模倣魔法のおかげで、相手を一瞬で制圧する技はいくつも持っている。
どうすればいいのか、頭の中には瞭然としたイメージができている。
しかし、それが体にリンクしていない。
そもそも、中佐レベルの相手を打ってもいいのか?
傷つけると、俺の立場が悪くなるんじゃ……。
「フハハ、わかったか! つまり、それが今の貴様だ、マネキ・マヤトよ!」
オンドリルがニンジン大の人差し指を俺に突きつけた。
勝ち誇った顔である。
「力を得たとしても、貴様にはそれを使う気構えがない! 人とは犬だ! 理性や良心、対面や利害、義務や責任といった見えぬ鎖に繋がれた犬! マネキ・マヤト、弱い犬たる貴様にはその鎖を断ち斬ることなどできん! ほれほれ、打ってこられまい! 相手が丸腰ともなれば、なおのことだ!」
なるほど。
それで、木剣を俺に渡したのか。
有利になったというのは誤認。
実際には「丸腰の相手に武器を向ける」という心理的鎖に束縛されていたのか。
オンドリルは鬼のような顔を俺にむん、と近づけた。
鼻が当たる距離でオラついてくる。
「打ってみろ! さあ、打ってみろ! できぬなら貴様は晩飯抜きで城内1000周だ! どうした? おお? さっさと打ってこんか!」
不思議なことに、俺の木剣はまったく動かなかった。
臆したわけではない。
単に、一歩目が重いのだ。
初めてのことをするという事実の前で足踏みしている感じ。
「だーかーらーこその訓練だッ! 訓練訓練、そして、訓練! 鍛えに鍛えて鎖を断ち斬り、不羈の犬となることで初めて剣を振るえるようになるのだ! 人を打つ訓練をした者にしか、人は打てぬものなのだ!」
納得した。
その通りだ。
オンドリルはすべてにおいて正しい。
俺は最強クラスの力を手に入れた。
使い方も知っている。
だが、使ったことは一度もない。
結局、人間ってのは練習でできたことしか本番では活かせないのだ。
「フンッ!」
目の前に突然、拳が現れた。
再び、なるほど、と思った。
鼻っ面を近づけたのは、死角を作り、拳の初動を見えなくするためだったのか。
銃弾すら視認可能な剣聖クラスの動体視力を有する俺でも、見えないものは対処できない。
ドデカイ拳が俺の鼻に突き刺さった。
一瞬、痛みみたいなものを感じた。
だが、負傷時に自動で発動するパッシブスキルが瞬時に傷を癒やしたらしい。
すぐに、何も感じなくなる。
足の裏が地面を離れた。
背中が地面につくより早く、オンドリルが覆いかぶさってきた。
馬乗りで顔面をボコスカ殴られる。
同級生の、主に女子が甲高い悲鳴を上げた。
みたび、なるほどと思わされた。
世界最強であるはずの俺が、素手でタコ殴りにされている。
これが、つまり実戦経験の差ということか。
訓練を積む意味ということか。
経験が足りないことは自覚していた。
だが、素手の相手に倒されるとは夢にも思わなかった。
経験不足による想像力の欠如。
実体験に優る宝はないな。
「勉強になる。ここで殴られていなかったら、俺は戦場で刺されていたかもしれない」
「そうだろう、フンガァ! 痛みをもって学ぶがいい、オラァ! 強い兵士とはすなわちッ! ハッ! 訓練を十全に積んだ者のッ! ことなのだ、となァッ! せあッ!」
オンドリルは俺を遠慮なく殴りつけながら、ふと眉根を寄せた。
「しかし、これは一体、フンッ! どうしたことだ! オラッ! こんなにもッ! 殴っているというのに、ウラッ! なぜ貴様は傷ひとつ負っておらんの――だァッ! まばたきすらァッ! せんではないか! アッ!」
それは、俺がもろもろの防御スキルに加えて、《自動治癒/オート・ヒール》と《治癒力向上/ヒーリン・ハイト》を重ね掛けしているからだ。
――回復量>被ダメージ
よって、永遠に殴られ続けても俺のHPが減ることはない。
オンドリルは肩で息をしている。
動きが鈍った一瞬の隙を突き、俺は流水の動きで拳を絡め取った。
顔に向かって落ちてきた拳はぬるりと向きを変え、硬い地面にぶつかった。
「ぅぐ……!」
わずかに怯んだその隙に、俺はすかさず手刀を振るった。
右肋骨の下から滑り込んだ指がレバーを突き上げる。
ぐおっ、とうめき声。
腰が浮いた。
俺はオンドリルの耳を掴んで地面に引き倒し、がら空きになったみぞおちに拳を深々とめり込ませた。
この間、1秒。
鎖を切る覚悟さえ決まれば、早いものだ。
「ほ、ほう……。貴様、やるではないか。立派な闘犬になれ、た……な……」
もう教えることはない、ぐはっ、とばかりにオンドリルは泡を吹いて気絶した。
俺は心の中で頭を下げた。
本当に勉強になった。
オンドリルは有能な男だ。
渡り人の指導育成を国王から一任されるだけのことはある。
なんとなく体育教師臭がして好きになれないが、その教えは本物だ。
自分の課題点がよくわかった。
経験不足。
実戦経験が足りなさすぎる。
望むと望まざるとにかかわらず、この世界にいる限り、いずれ戦火は降りかかるだろう。
もっと実戦的な経験を積みたい。
異世界生活、21日目。
この日、俺は城を出て、冒険者になる決意を固めた。
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