38 夢
夜行列車に揺られていると、まだ小学生だった頃のことを思い出す。
週刊誌の記者や興味本位で見物に来た大人たちから逃げ出して、初めて来た駅の、初めてのホームで、最初に来た電車に飛び乗って、俺は小さな逃避行に打って出たのだ。
なんという路線なのか、どこに向かっているのか。
何もわからなかった。
でも、俺はあのとき、夢を見ていたのだ。
窓の外の真っ暗な町並みを見つめながら夢を見ていた。
誰も俺のことを知らない町に行って、ちゃんと「人間」として扱ってくれる人たちと幸せに暮らす。
そんな夢を。
その夢はまあ、叶わなかった。
3つ先の駅までしか乗れない切符を握りしめて終着駅の改札口を通り抜けようとした俺は、無慈悲にも駅員に止められ、そのまま保護されてしまった。
時間にして1時間半の、本当に小さな逃避行だった。
俺は揺れる車窓に額をつけた。
車内も、そして、窓の外も、あの頃よりずっと暗い。
俺は、あの頃の俺が夢見た通りに、俺のことを誰も知らない世界にやってきた。
でも、どうだろうな。
夢が叶った達成感はこれっぽっちも感じないかな。
結局、俺は「人間の偽物」なのだ。
自分自身がそう思ってしまっている。
どこの町だろうと、どこの世界だろうと、人間の世界に帰属意識を持つことはできないだろう。
彼らは本物で、俺は偽物。
この隔たりが埋まることはないのだから。
「何を考えているの? マヤト」
寝台に横になっていたカザネが、体を起こしてベッドサイドに腰かけた。
俺はかすれた声で言う。
「夢……かな」
「それにしては、哀愁たっぷりね」
「茶化すな」
「その夢、叶いそうかしら?」
「いいや。永久に叶わない」
「じゃあ、目標設定に無理があったのね。誰もがプロ野球選手になれるわけじゃないわ。現実的なところで妥協しなさい。猫を飼うとかね」
「だいぶ妥協したな……」
俺は息で白くなった車窓をローブで拭った。
夢なんてキラキラしたものに食指が向いたのは、ムライザたちのせいだろう。
彼らはどこまでも真っ直ぐで俺にはまぶしすぎた。
カザネにも信じる正義があるし、アコイも夢中になれるものを見つけたらしい。
俺はずっと暗いところにいる。
どの列車に乗っても、永遠に光の側へは行けない気がする。
「……俺はダメだな」
ぼっちに慣れているせいか、カザネがいるのを忘れて独りごちってしまった。
慌てて咳払いする。
「なら、私はもっとダメね」
カザネは俺の手を引いて寝台に座らせた。
不遜にも俺の太ももに頭を乗せてくる。
膝まくらだ。
逆だろ、普通……。
お前がまくらになれよ。
「怖いのよ、私」
「怖い?」
「目をつむると、あなたが見えなくなるんですもの。起きたら一人だったらどうしよう。こんな異世界で一人なんて耐えられないわ」
「そうか」
俺はずっと一人だった。
だが、寂しいのは最初だけだな。
やがて、何も感じなくなる。
「こうして、下敷きにしておけば逃げられないわね。朝になるまでこうしてなさい」
カザネは目をつむった。
「お前も大変だな」
俺なんぞに関わってしまったばかりに逃走中の死刑囚になってしまった。
「お前の英霊は一生涯逃げ続けたんだろ? どうやってモチベーションを維持していたんだ?」
「逃げる人の心理なんてひとつよ。怖いだけ。捕まるのが、じゃないわ。向き合うのが、よ。自分の責任とね」
深い考察だ。
彼女も自分の英霊と夜な夜な対話しているのかもしれない。
膝を貸してやるから、いいアドバイスを貰ってこい。
逃げの達人によろしくな。
◇
夜通し走り続けた働き者のハイガルシア号が目に見えて速度を落とした。
かれこれ10時間以上は走っているが、ようやく最初の停車駅だ。
終着駅はさらに10時間先という話。
ハイガルシア王国はなかなかに広い国らしい。
ところで、俺たちはどこで降りればいいんだ?
相談しようにも、カザネお嬢様はまだ深い眠りの中……。
本当にこいつはなんの役にも立たないな。
トンネルに入ったタイミングで、戸を叩かれた。
鯉口を切りつつ、戸を開ける。
通路にいたのは車掌だった。
暗さとうつむきがちな立ち姿もあって、帽子の下の顔は見えない。
眼と星をかたどったペンダントを胸に下げていた。
「こちらをお預かりしております」
半分に折られた便箋を手渡された。
――聖剣を示せ。
開くと、そう書いてある。
示せってのはなんだ?
乗車券代わりにこの車掌に見せればいいのか?
そもそも、誰からのメッセージだ?
よくわからん。
「ご乗車ありがとうございました。次はアリンガ、アリンガ」
車掌はそれだけ言って下がっていった。
ご乗車ありがとう。
次で降りろということか。
そういえば、アコイが言っていた。
この線路の先にも戦いの大渦がどうの、と。
聖剣で戦えってことなのか?
マジでよくわからん。
誰かの占いの上に敷かれたレールをガタンゴトン、ガタンゴトン……。
気に食わんな。
反・国王派もイマイチ信用ならない。
奴らにとって俺には利用価値があるのだろうが、俺からすれば実体の見えないカルト勢力だ。
俺の味方と決まったわけではない。
こんな差出人不明な便箋なんぞ無視して、自分の道は自分で決めるべきだろう。
ここからは、棒を倒して俺自身で占おう。
トンネルを抜けると、一面の緑が見えた。
緑の水平線だ。
果てしない大平原に牙のようなものが乱立している。
アリ塚という話だが、高さにして20メートルはある。
アリも2メートルくらいあってもおかしくない。
素敵なところだな。
ほどなく、ハイガルシア号は駅に停車した。




