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37 吼えよ、虎(sideニシゼキ)


 星が揺れている

 右へ、左へ。

 西関ニシゼキ虎魂トラコはそれをぼーっと見つめていた。


「みんなは僕の言うこと、信じてくれるよね」


 誰かがそう言った。

 脳の奥に直接響くような深く心地よい声だった。

 ニシゼキはこくりと頷いた。


「毎日、少しずつ、すり込んだだけあったな。僕の初歩的な催眠術でも時間をかければこの通りだ」


 神のごときその声の、「催眠術」という言葉だけがトゲのように頭を突いた。

 ニシゼキはぴくりと眉を動かした。


 何かよくないことが起きている気がした。

 しかし、それがなんであるのか考えようとすると、ひどく頭が痛む。

 何も考えてはいけない。

 ただ黙って声の主に従わなければならない。

 不思議とそういう気持ちになっていた。


「みんなにお願いがあるんだよ」


 星が揺れる。

 それに合わせて、暗い部屋に立ついくつもの影が左右に揺れ動いた。

 10人はいるだろうか。

 ここがどこかはわからない。

 だが、ガタンゴトンと等間隔で響く音と、船に乗っているような揺れがゆりかごにいるような安らぎを与えてくれた。


「マネキ・マヤトを殺してほしいんだ」


 ずきり、と。

 ひどい痛みを感じて、ニシゼキは顔をしかめた。

 周りの影がこくりと頷いた。

 それがひどく不気味に思えて、背筋が粟立った。


「とはいえ、僕が使える程度の催眠術じゃ思考を誘導することしかできない。殺人の強要は少し難しいんだ」


 涼しげな顔でそう言ったのは、スズシだった。

 召喚3日目にして城を出て以来、彼は出奔組のリーダーとして振る舞っていた。

 何かと優柔不断な担任、国後クナシリ文子フミコよりよほど頼りになり、持ち前の占星術で出奔組を導いてくれていた。


「だから、催眠術を強化する心理的アプローチをいろいろ試してみたんだ。僕が頼れるリーダーとして振る舞い続けてきたのも、僕の命令を強化するためだったんだ。気づいてた?」


 スズシの見下したような顔が鼻についた。


「この異世界という非現実的な環境も僕に味方した。城を出たことで、拠り所さえ失った出奔組の君たちを精神的にジャックするのは容易かったよ。あ、こうして、種明かしをするのも、術の効果を高める狙いがあるんだ。正直者は信用されるからね」


 一言言い返してやりたくなった。

 しかし、唇はわずかに震えるだけで言うことを聞かない。


「マネキはひどい奴だ。みんなもそう思うだろう? あいつは、ユーギを殺したんだ。そして、なんの罪もない騎士たちの命までも奪い、玉座の間に火を放った。みんなも知っているよね? 怖いよね?」


 頭が勝手にこくりと頷いた。


「僕たちで止めよう。あの人殺し、マネキ・マヤトを。これ以上の罪を重ねさせないためにも。それが彼のためにもなる。……ふふ、物は言いようだ。でも、こう言えば、君たちも殺したくなっただろう?」


 反論したいのに、また頭はこくりと動いた。


「マネキは強い。あいつは残酷で強力な、おそらくは魔法剣士の英霊を宿している。でも、僕らだって強い。龍級の戦闘系英霊が7人もいる。この戦力なら圧倒できるはずだ。きっと勝負にすらならないよ」


 ふと、おかしい、と思った。

 占星術によりスズシには確実な未来が見えている。

 ゆえに、「おそらく」や「はずだ」、「きっと」などという曖昧な言葉は使わない。

 いつだって、彼は「必ずできる」と断言してきた。

 だからこそ、出奔組のリーダー足りえたのだ。


 何か妙なことが起きている。

 そんな得体の知れない感覚がニシゼキの全身を脚の多い虫のように這い回っていた。


「それじゃあ、役割を決めようか」


 スズシは天秤皿の上で星を揺らしながら、一人一人顔を覗き込んでいった。


光内ミツウチは強力な光魔法の使い手だったな。じゃあ、後衛だ。あいつの目を焼き潰してくれ」


「はい」


武峰タケミネはとにかく間合いを詰めて斬りかかれ。最速の一刀で首を叩き落とすんだ」


「はい」


「クナシリ先生は僕にタケミネの能力を付与してくれ」


「はい」


「ヒーラー役の――」


 嬉々として人殺しの、それも、クラスメイトを殺す算段を立てているスズシが異様に見えた。

 しかし、どういうわけか異議を唱えることができなかった。

 いつもなら、こんなことを言う奴の頬にはキツイ一発を叩き込んでやるはずなのに。


「ニシゼキ・トラコ、君は前衛向きだ。君の力でマネキを八つ裂きにしろ。いいね?」


 スズシが小馬鹿にしたような顔でそう指図した。


「せ……やな」


 自分の口がそう動いたのが信じられず、ニシゼキは目を回す。


「違うだろう? 返事はどうするんだったかな?」


「は……はい」


「結構」


 自分が自分ではないような、そんな感覚が吐き気に変わってニシゼキは口元を押さえた。

 スズシが隣に移る。


「君は……怪我させるわけにはいかないな。遠巻きに眺めていろ。僕は君みたいな未熟な体の子が好きなんだよ、妖精ちゃん」


「はい」


 その小さな声を聞いた瞬間、心臓を掴まれたような苦しさに襲われた。

 スズシが手を伸ばしたのが横目に見えた。


「さあ、顔を上げて。僕によく見えるように。ふふっ、目をとろんとさせて可愛いね。悪くないな、催眠モノというのも」


 腹の底をひやりとしたものがさする。

 心臓が胸の中で早鐘を打った。

 何か大切なものに魔の手が迫っているような、そんな感覚を覚えて体中から冷や汗が噴出した。


 今動かねば何かよくないことが起こる。

 そんな気がした。

 でも、体は自分のものではなくなったみたいに動かなかった。


「僕の指をしゃぶれ」


「はい」


 ニシゼキはかろうじて目だけ横に滑らせた。

 恍惚とした顔で笑うスズシ。

 そのみだらな視線の先に、小さな少女がいる。

 少女は口を開けていた。

 だらしなく開いた小動物のような口に、唾液が光る糸を引いている。


 少女の顔を見た途端、体の底がカッとなった。

 ナナキだった。

 親友のナナキっち。


 転校初日。

 不安でいっぱいだったニシゼキの手を、恥ずかしそうに引きながら、校舎を案内してくれた斜木ナナキ小花チナ

 あれ以来、二人は姉妹のように一緒にいた。

 自分にだけ笑顔を見せてくれるナナキが愛おしくてたまらなかった。

 その小さな口をスズシの指が穢そうとしている。


「……あかんッ!」


 胸の底で虎が吼えたようだった。

 ニシゼキは弾かれるように動き、スズシの手とはたき落とした。


「ナナキっち! ナナキっち! 何ぽわんとしてんねん! しっかりしぃーや!」


 小さな肩を何度も揺さぶる。

 ナナキの瞳に光が戻り、じわーっ、と涙の玉が浮かんだ。


「なんやこれ……。どこやねん、ここ……」


 泣きじゃくるナナキを抱きしめ、ニシゼキはあたりを見渡した。

 狭く揺れる室内。

 窓はあったが、外は真っ暗だった。


「なぜ、僕の術が効いていない? 関西人だからか?」


 スズシが狼狽した様子で後ずさる。

 関西、今関係あらへんやろ、とニシゼキは思った。


「困ったな。催眠術は一度解けると、打つ手がなくなる」


 催眠術――。

 その言葉で、すべてを理解した。

 スズシがこれから行おうとしていることの意味も。


「な、なんで、マヤトっちを殺そうとしてんねん、あんた!」


「馬鹿なのか? 説明をしただろう。あいつは、人殺しなんだよ。誰かが止めなければならないんだ」


「嘘やろ、それ。うち関西人やし、そういうのわかんねん。あんた、憎いだけやろ? マヤトっちのことが」


 スズシは笑顔のまま、ぴくぴくと頬を痙攣させた。


「なんや知らんけど、うちは協力でけへんわ! 喧嘩やったら二人だけでせんかいボケ! 催眠術なんか使いよってからに、卑怯モン! マヤトっちはな、一人でも逃げんと戦こうてくれたで? うちらのためにな!」


「わ、私もやだ……!」


 ナナキが思いのほか大きな声を出したので、ニシゼキはびくりと肩を竦めた。


「だって、だってマネキ君かっこいいもん! 私たちのこと助けてくれたんだもん……!」


 親友の涙の叫びが心強かった。

 マヤトの身に何が起きたのか。

 城下町を震撼させた勇者ユーギ殺害事件。

 その全容を知る立場にニシゼキはいなかった。

 だが、あの日、暴漢から助けてくれたマヤトが意味もなくクラスメイトを手にかけるようには思えなかった。


「マヤトっちはなぁ! ……まあ、たしかに、ちぃーとばかし冷めとるとこはあるで? せやけどな、あんたみたいにクラスメイトを洗脳するような卑怯な真似はな、絶対せぇへんねん。あんたと違ごうて一人で戦う強さを持ってんねん!」


 ニシゼキは虎になった気分でそう吼えた。


「情緒的に叫ぶだけのクソみたいな意見をありがとう」


 スズシは面倒臭そうに手を振る。


「じゃあ、君たちはもう結構だ。――彼女らを捕まえろ。縄で縛ってそのへんに転がしておけ」


 出奔組のメンバーがゾンビじみた動きで掴みかかってきた。

 英霊の力を使えば切り抜けることはできる。

 だが、ニシゼキの力は同級生に向けるにはあまりにも強力すぎた。


 二人は簀巻きにされて床に転がされた。

 スズシが冷たい目で見下ろしてくる。


「君たちは後で可愛がってやるよ。ナナキはもう一度催眠術をかけて身も心も僕のものにしてやる。ニシゼキはそうだな、……自分を虎だと思い込ませてみようか。ペンキで虎柄にして見世物小屋に売ってやる」


 揺れが小さくなり、そして、止まった。


「さて、僕たちは行こうか。決戦の地、アリンガ平原へと」


 ぞろぞろと遠のいていく足音に、ニシゼキは、アホおおおおお、と叫んだ。

 高い汽笛の音がその声を掻き消したのだった。


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