23 聖剣
森の中には異様な静寂があった。
その中心にあるのは勇者ユーギの首だ。
しーんとした時間がしばらく続き、騎士隊長らしき人物が膝から崩れ落ちたことでようやく物音が立った。
騎士たちが堰を切ったように泣き始めた。
世界が終わったぁ……、みたいな感じで絶叫している奴もいる。
魔王完全討伐への道筋が目の前で断たれたのだ。
当然と言えば、当然のリアクションだ。
まあでも、落ち着けよ。
そして、目ん玉かっぽじってよく見てみろ。
聖女の魔法の使い手がここにいるじゃないか。
俺というメンズの聖女がな。
5本爪で斬り裂いたからユーギの首はパイナップルの輪切りみたいになっている。
でも、ちゃんと順番通りに重ねて引っ付ければ、まだ間に合うはずだ。
斬首イコール死ではない。
聖女の魔法なら切断された手足すらくっつく。
なら、首でもいけるはずだ。
そうだろ?
俺は一歩踏み出した。
すると、騎士たちが一斉に抜剣した。
「ち、近寄るな……! げろう!」
「おのれ、勇者様をよくも!」
「隊列を組め! 勇者様をお守りしろ!」
ガチャガチャと鎧の音が響き、ファランクスのごとく盾が組まれる。
誤解だ。
だが、それを伝えるすべはない。
「早く聖女ヒジリベ様のもとへ! 大聖堂へ早く!」
「勇者様をなんとしてもお助けするのだ!」
結論から言えば、勇者ユーギは助からなかった。
脳細胞はサバよりずっと傷むのが早い。
血流が途絶えて数分で壊死が始まり、やがて、死滅する。
細胞に働きかけ、爆発的再生を促す聖女の魔法をもってしても、細胞が死滅していては意味がない。
俺がこの場で治癒していたら、助かったかもしれない。
敬愛すべき勇者ユーギから蘇生の可能性を奪ったのが、護衛たる騎士たちだったというのは皮肉な話だ。
「聖剣を忘れるな!」
赤いパイナップルを抱えた騎士がそう叫んだ。
俺は足元に転がっていた聖剣を拾い上げて、彼らのもとに放り投げてやった。
すると、騎士たちの間にどよめきが起きた。
「聖剣に触れた、だと……」
触れたからなんだ?
俺が触ったら汚れるってか?
と、一瞬イラっとしたが、「勇者以外は聖剣に触れることができない」という設定があったことを思い出した。
実際、拾い上げようとした騎士が金の光に打たれて弾き飛ばされている。
騎士たちはどうにか聖剣を回収しようとして、しかし、弾き飛ばされる、というコントを何度か繰り返し、ついに諦めた。
とはいえ、野ざらしにするわけにもいかないので、結界魔法を多重に張ることで手打ちとした。
そのくせ、誰も見張り役として残ろうとしなかったのは、たぶん、俺のことが怖かったからだろう。
天候を操り、龍すらも一撃で殺しうる相手と、人気のない森の中で睨めっこなど命が2つあってもやりたくはないはずだ。
王都の方角に駆けていく騎士たち。
それを見送りながら、俺は迷っていた。
彼らを殺すべきだろうか、と。
勇者殺害――。
俺を待つのは確実に死刑だ。
俺が助かる唯一の道は逃走しかない。
目撃者たる騎士たちは殺したほうがいい気がする。
殺して、埋める。
運がよければ、何もかもなかったことにできる。
ただ、バレると後が怖い。
今のところ、俺には正当防衛という大義名分がある。
殺されそうになったから反撃したのです、と法廷で訴えることができる。
まだ、俺は真っ白なままだ。
だが、口封じすれば、完全に黒になる。
白かろうが無理やり黒にして死刑にされるのが封建社会あるあるだが、潔白を訴える余地は残しておいたほうがいい気がする。
「殺して埋めても、たぶんバレるだろうしな」
この世界には様々なチート能力があふれている。
現場に残された残留思念を読み取るとか、死者の霊と対話するとか、過去に起きたことを見る魔眼とか、いろいろあるはずだ。
完全なる証拠隠滅は不可能だろう。
いずれ、必ずバレる。
俺は迷った挙句、騎士たちを見送った。
これが正解だったのかは、死刑宣告を受けた今となっても判然としない。
このときの俺の方針はこうだ。
「とっとと逃げるか」
王都と反対方向に回れ右。
どうすれば、追跡師をまけるだろう。
逃げると言っても、どこへ?
あれこれ考えながら、俺は逃避行の第一歩目を踏み出そうとした。
と、そのとき、急に胸がざわめいた。
模倣の英霊が何か俺に訴えかけてくる……。
なんだ?
こんな日の高いうちから。
まだやり残したことがあるのか?
まだ満足できないのか?
お前の陰謀が華麗に決まってパーティーメンバーは全滅、俺は勇者をぶっ殺して大ピンチだ。
オラ、笑えよ。
最高の喜劇だな?
これでも、まだ満足できないか?
なら、このシナリオの大団円はどこにある?
どうすれば、お前は満足なんだ?
お前が見たというフィナーレはどこにある?
「……」
俺は静かになった森をぐるりと見渡した。
目は自然と聖剣に吸い寄せられた。
木漏れ日を浴びて黄金の光を振りまく勇者の剣。
血で赤く濡れているところが、逆になんとも言えないほど美しかった。
見ているだけで、胸がうずいた。
「……あれが欲しいのか?」
俺は破術師の魔法で結界を破壊した。
聖剣に触れると、黄金の光が森を満たした。
それは、召喚されたあの日、ユーギが聖剣に選ばれたときと同じ演出だった。
「俺が勇者……ってことか?」
勇者ユーギが死に、俺が次の勇者に選ばれた。
そう思った瞬間、胸の底から歓喜の念が膨れ上がってきて、脳天で爆発した。
射精などとは比べ物にならない快感。
でも、喜んでいるのは俺じゃない。
胸の奥にいるあいつ。
模倣の英霊だ。
俺は目を閉じ、自分の胸の奥にすべての意識を傾けた。
さすがに夢の中と違って、対話まではできない。
だが、模倣の英霊が歓喜して小躍りしているのが伝わってくる。
やめろ。
人の胸の中でタップダンスすな。
タカタカうるせえな。
「……」
模倣の英霊は、かつて、世界中のすべての技を模倣し、その時代の頂点に立った。
魔王すらも越えた存在となった。
彼の栄光に満ちた人生。
しかし、それは、《真影を映す魔眼》のひと睨みにより脆くも崩れ去った。
彼の人生のすべては偽物とみなされた。
すべてを手にし、すべてを失った英霊。
そんな彼が死した今、渇望するもの。
喉から手が出るほどに焦がれてやまないもの。
勇者を選ぶ神託の剣、――聖剣ハイガルシア。
決してまがい物などではない、人類の誰しもが憧れる本物の力。
……そうか。
「お前、絶対になくならない、誰にも取り上げられない、自分だけのおもちゃが欲しかったんだな」
勇者亡き今、三英霊の力を使える俺こそがこの剣の持ち主に最もふさわしい。
本物の勇者かどうかはわからない。
きっと偽物の勇者だ。
それでも、この剣は「俺」を選んだ。
「俺」を選んだのだ。
あいつは、それが嬉しくて堪らないのか。
存外、人間臭い奴だな。
俺は苦笑した。
「ところでお前、勇者やる気あるのか? 俺、ないんだけど」
これっぽっちもない。
嫌まである。
魔王に恨みもないしな。
胸の中から返事は返ってこなかった。
満足したみたいに穏やかだ。
あいつが満ち足りて成仏したのだとしたら、異世界に来て最大の朗報だ。
俺もタップダンスしたくなってきた。
ともかく、こうして、俺の逃亡生活が始まったのだった。




