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19 冷や水


 俺は突っ立って見ていた。

 山賊が転がる夕闇の街道。

 肌を刺すような冷気。

 倒れたまま動かないユミリ。

 駆け寄っていくムライザとロォガル。


 そのすべてがゆっくりに見えていた。

 音が遠くに聞こえ、赤い景色もどこか白く見える気がする。

 体が動かなかった。

 初めて感じるざわめきが胸の中にあった。


 ユミリが死ねば、『王都四輝星フォースター』で過ごした楽しい日々が終わってしまうような気がして、ゾッとした。


 中学の卒業式、顔をくしゃくしゃにしている女子に、何を大袈裟なと思ったが、今初めて気持ちがわかった気がする。

 そうだ、別れとは辛いものなのだ。


 俺は施設をたらい回しにされるたびに転校を余儀なくされた。

 だから、そんな単純なことにさえ気づけなかったのだ。


「当たりどころは悪くありません。ユミリ、気を強く持ってください」


「やじりから赤腹毒縞蛇レッド・リィ・ポイズンの臭いがしやがる……」


「持ち合わせの解毒薬でなんとかなりそうですか?」


「こんな珍しい毒に備えてねえよ……」


「ですよね。王都まで走るしかありませんね。私がユミリを背負いますから、ロォガルは先行して薬の調達を。急いで」


「……いや、俺が治癒しよう」


 首尾よく話を進める二人に、俺は割って入った。

 患部に手をかざして、一言。


「《最高位治癒/ハイエル・ヒール》」


 聖なる光が夕暮れの赤色を上書きしていく。

 俺の知りうる最高の治癒魔法だ。

 矢傷どころか、ユミリの鼻にあったニキビまで消えてなくなった。


 ユミエが目を開けると、ムライザとロォガルが歓声を上げて抱きついた。

 よかったよかった、と涙を流している。


 俺も素直に嬉しかった。

 喜ぼうとした。

 だが、自己表現は不得手だ。

 どんなふうに喜べばいいのか、やり方がわからない。

 だから、二人を模倣することにした。


「……」


 そのとき、ふと気づいてしまった。

 俺の心の中には二人とは違うものが潜んでいることに。

 仲間を案じる熱い衝動のずっと奥に、人形が必死に人間ごっこしているような虚ろがある。

 俺は喜んでいる様子を演じようとしているのだ。

 真似して喜んだふりをしようとしているのだ。

 中坊だったあの頃のように。


 そう思うと、急に冷や水をかけられたようだった。

 そもそも、仲間ってなんだ?

 冷たいシャーレの上で雑菌みたいな生まれ方をした俺に、仲間なんているのか?

 いや、いない。


 目の前にいるこいつらはパーティーメンバーだ。

 だが、それだけだ。

 クラスメイトと同じ。

 決して仲間などではない。

 なんせ、俺は人造人間。

 人間の偽物。

 俺たちは別の生き物なのだ。


 別れを辛いと感じたさきほどの感情も、実はただ、人間っぽさを模倣していただけなのかもしれない。


 俺は仲睦まじい三人を見下ろした。

 彼らとの間には越えられぬ壁がある。

 見ることも触ることもできない壁。

 だが、俺は決してあちら側にはいけない。

 それを俺は最初から知っていたはずだ。

 でも、仲間ごっこに明け暮れるうちに忘れてしまっていた。

 人間に囲まれて踊り狂っているうちに、自分まで人間だと勘違いしてしまった、人形。

 それが俺だ。

 あいつが喜劇だと笑ったのも納得だ。


「ありがとう、マヤト。おかげで仲間を失わずにすみました」


 ムライザが満面の笑みで言った。

 ロォガルも男泣きしながら俺の肩をバシバシ叩き、言葉にならない様子だ。


「でも、今の巫女系統の魔法では?」


「んだよぉマヤトぉ! お前、女だったのかよぉ……」


「男だったろ。一緒に場末の犬娘をハメたこと忘れたのか?」


「……あー、そういや、ついてたな。オレより可愛いのが」


「ロォガル、あんた、妻子持ちなのに何してんのよ」


 一度仲間を失っているからだろう。

 ムライザとロォガルは泣きながら笑っていた。

 綺麗な涙だと思った。

 きっと俺の模倣魔法でも真似できないのだろう。


「さあ、お財布をあさらせてもらいましょう。仕留めた山賊から金品を強奪するのは冒険者のマナーですからね」


 山賊から強奪するのか。

 いい性格をしている。


 マナーを守っているうちに、日がとっぷりと暮れてしまった。

 ユミリの体調も気になる。

 その日は王都に直帰せず、大事を取って野営することにした。


 野うさぎの肉を煮詰めたシチューを口にした後、俺は焚き火の団欒を離れて一人、川辺に向かった。

 昨日まではあの団欒が心地よかった。

 でも、今は違う。

 気づいてしまった。

 全部俺の勘違いだったと。


 彼らはいい人たちだ。

 いい人間。

 そう、人間なのだ。

 俺と違って彼らはれっきとした人間なのだ。

 人間の偽物として生を受けた俺が、彼らの輪に加わるなど土台無理な話だったのだ。

 もしかしたら、俺は普通の人間ってやつになりたかったのかもしれない。


 思えば、俺にとっては初めてのことばかりだった。

 チームの主戦力として頼られて、本物の仲間みたいに接してもらって。

 初めてのことばかりだったから浮かれていたのかもしれない。

 ムライザたちと出会ってからの数日間、俺はどこにでもいる普通の少年って感じに振る舞っていた。

 らしくない。


 何やっているんだろう、俺は。

 勝手に舞い上がって、勝手に落ち込んで。

 くだらない。

 元の俺に戻ろう。

 俺は俺という生き物。

 世界に1匹しかいない新種の生物。

 人間とは似て非なるもの。

 俺に仲間はいない。

 ちゃんと分別をわきまえ、種の垣根を越えてしまわぬように気をつけよう。

 犬は食卓に上がるべきではない。

 人間が犬小屋に入ってはいけないように。


「なんか急に冷めたな……」


「それを言うなら、冷えたでしょ? もうじき冬だものね」


 ユミリが俺の隣に腰を下ろした。

 川の底で揺れる光る藻と、飛び交う無数のホタルが、整った顔立ちを緑色に照らしている。

 見た目年齢こそクラスの女子と変わらないが、エルフの血が入っているから年齢は少し上のはずだ。


「マヤト、助けてくれてありがとね。あんた、あんなにすごい治癒魔法を使えるのね。聖人様ってやっぱすごいわ」


 ユミリは岩に手をついて顔を近づけてきた。


「嫌じゃなかったら、これ、受け取ってくれる?」


 頬でチュッと音がした。

 はにかみ顔のユミリがいたずらっ子な笑みを浮かべていた。


「お姉さんからお礼のチューよ! もうほっぺを洗えないわね!」


「そうかもな」


 彼女は俺のことを好きなのだろうか。

 そう期待する男心の実に99.97%が身勝手な勘違いである。

 この数字は俺調べだが、当たらずとも遠からずであるはずだ。

 俺も戯れとして川に流した。


 しかし、それ以来、ユミリは事あるごとに俺にちょっかいを出すようになった。

 服の裾を引っ張ったり、食事のたびに手が当たる距離に座ったり、横顔をチラチラとうかがってきたり。

 それでも、俺は気づかないふりをしていた。


 もし、ユミリが俺のことを好きだと思っているのなら、それは、とても愚かだ。

 彼女は俺のことを知らないのだ。

 俺は人間ではない。

 人間の偽物。

 正真正銘の偽物なのだ。


 そんな偽物を好きになる人間がいるとしたら、そいつは、贋作を本物だと信じ込んで大枚をはたく馬鹿な小金持ちと同じで、とてつもない愚者だ。

 だから、どんなに想いを寄せられても俺がユミリを好きになることはない。

 偽物に騙されるような奴に魅力など感じられるわけがない。


 そして、時間は流れ、彼らと過ごす最後の夜がやってきた。

 まだ、このときの俺は、翌日の朝一番に勇者ユーギを殺すはめになるなどと想像すらしていなかった。


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