10 口論
俺はぐるんぐるんと腕を回した。
運動後の心地よい疲労感と達成感がある。
やはり、実戦は勉強になる。
路地裏でたまたま出くわしたチンピラでも幻術を使うのだ。
対人戦闘中は常に《看破/シーザル》を発動させておくべきだろう。
またひとつ知見を得た。
「……これ、死んだんちゃう?」
獲得した経験値を噛み締めていると、ニシゼキがそんなことを言った。
壁に寄りかかったまま微動だにしない暴漢の周りで、右往左往している。
「あかん。息してへん……」
そりゃそうだろう。
頭が潰れているからな。
もはや呼吸の有無は関係ない。
もう死んでいる。
「あかんやん。あかんやん、これ……」
ニシゼキはバケモノでも見るみたいな顔で俺を見た。
暴漢から女子を助けたら涙ながらに感謝されるのが鉄板だが、このときのニシゼキの目には俺への恐怖がはっきりと表れていた。
俺は肩をすくめて言った。
「別にいいんじゃないか?」
「いいって何がええの? 悪い人やったけど……でも、人やん」
でも、人やん、か。
そりゃまあ、人やな。
人殺しはよくない。
平時の一般論ならそうだな。
だが、有事の実際論では話は別だ。
「あかん。血が止まらへん……」
ニシゼキは自分の手が汚れるのも気にせず、暴漢の頭を圧迫している。
止血を試みているようだ。
「意味ないと思うぞ?」
「何が意味ないの? このままやと死んでまうて。人の命、なんやと思うてるん?」
助けた乙女に説教されるとは思っていなかった。
俺は豆鉄砲を食らったハトみたいな顔をしていたと思う。
「いちおう俺、治癒魔法を使えるが」
「ほんま!? せやったら、やってえな! この人、助けたってぇな!」
「チャンスを与えるのか? 与えたチャンスでそいつはまた悪さをするぞ。誰か殺されるかもな」
「そないなこと、うち、わからへんよ。でも、こんなんあんまりやん」
ニシゼキは涙をこらえた目で俺をギン、と睨んだ。
「それに、うちな、同級生をな、人殺しにしたないねん。あんた、うちらのこと助けてくれたやん。いい人やん。せやから、うち、あんたを人殺しにしたないねん。そんなん絶対嫌やもん」
感傷的で非合理的。
俺とは相容れない思考回路の持ち主だ。
でも、真っ直ぐに物が言える奴は嫌いじゃない。
好きでもないが、羨ましいと思う。
中学までの俺にはできなかったことだ。
「わかった」
俺は矛を収めた。
でも、節を屈するわけではない。
あくまで合理的な理由だ。
まだ他人の体で治癒魔法を試していなかったことを思い出した。
頭が潰れた状態から蘇生できるか試してみたい。
「《最高位治癒/ハイエル・ヒール》」
女神でも降臨したような光が路地裏に満ちた。
肩こりがスーッと引いていくのを感じる。
俺に効いてどうする……。
苦笑しながら見守っていると、しぼんだ紙風船に空気を吹き込むようにして潰れた頭が元に戻った。
さすが聖女様の魔法だ。
これなら、切断された手足も生えてくるかもしれない。
ほかの二人も治癒しておく。
ただし、逃げられても面白くない。
《麻痺付与/パラライト》の魔法で行動不能にしておく。
「なんや、あんた、満足そうやな」
ニシゼキが挑むような目で俺を見ている。
満足?
まあ、そうだな。
いろいろ検証できた。
ゴロツキも命をかければ人の役に立つらしい。
「この人な、言うてたやん。オレが悪かった、て。謝る、て。言うてたやんか。なんで殺したん?」
「悪人の命乞いなんて便所の落書きみたいなものだろ。実際、そいつは自分が有利と見るや、攻勢に転じた」
「でも、殺すことないやん。あんた、そない強いねんから、ほかにやりようがあったやろ」
俺は強い。
その気になれば、ハイガルシア城を一人で陥落させ、国王の首で城門を飾ることもできる。
だが、同時に弱くもある。
たった1本の矢で死ぬ。
ナイフが首をかすっただけで死ぬ。
保有する最大火力が、イコール生存率ではない。
人間は脆い。
ちょっとの油断で死んでしまうのだ。
だから、殺ると決めたら、確実に殺るしかない。
でも、ニシゼキが言いたいのは、そういうことじゃないのだろう。
この口論は価値観の相違によるものだ。
シマウマは食われたくないが、ライオンは食いたい。
どちらの意見も正しい。
だが、両者の意見が折り合うことは絶対にない。
「うちな、もうひとつ言いたいことあんねん。あんた、なんですぐ助けてくれへんかったん?」
ニシゼキはしゃべっているうちに段々ヒートアップするタイプらしい。
叩きつけるような口調になっている。
お前たちの技をコピりたかった、とは口が裂けても言えない。
これについては、俺が100悪い。
「あんとき、あんた、動物同士の喧嘩でも見とるみたいな冷めた目ぇしてたで。同じクラスの仲間やん。普通、困ってたら一も二もなく助けへんか?」
同じクラスの仲間?
たしかに、同じクラスではある。
でも、仲間ではない。
そもそも、俺の人生の中に仲間などと言える人物がいたことはない。
「あかん。うち、腹立ってきたわ。あんた、微塵も悪いと思ってへんねんな。全部顔に書いてあるで」
今や声には、はっきりとした怒気が孕んでいる。
と、ここで、空気だったナナキが初めて存在感を示した。
ニシゼキの服を引っ張り、いさめるような目をしている。
味方に撃たれたとばかりにニシゼキはショックを受けている。
だが、同時にハッとした。
「ごめんなさい!」
ニシゼキは俺に向かって勢いよく頭を下げた。
後ろ髪が、ブン。
サソリの尾針みたいに飛んでくる。
危ねえな。
「うち、嫌な子になっとるな。自分の身ぃも自分で守れへんのに、助けてくれた人に文句言うて。うち、最低やわ。関西人、こんなやから嫌われるんやろうな」
関西人、関係ないだろ。
「ごめんなさい。でも、うち、ほんまに思うててんもん。あんたに人、殺してほしくないてな。だって、一人殺したら際限なくなるやろ。うちら、人間の形した兵器やもん」
「そうか。俺も反省するよ」
俺は神妙な顔で心にもないことを言った。
「あんた、ほんまはなんとも思ってへんやろ。うち、そういうのわかるねん。関西人やし」
だから、関西人なの関係ないだろ。
「あっ、あかん。うち、また喧嘩腰になってる……」
ニシゼキはナナキの髪に顔をうずめて思いっきり息を吸い込んだ。
すっきりした顔になる。
鼻から吸うタイプの精神安定剤か何かなのか?
「おおきにな。助けてくれて。ごっつ怖かったし、ほんま助かったで。うちが駄々こねても全然怒らへんし。あんた、器デカイねんな」
「興味がないだけだ」
お前らにも、チンピラの命にも。
俺がぶっきらぼうにそう言うと、ニシゼキは寂しそうな顔をした。
人情味がある奴なのだろう。
関西人だからかもしれない。




