6.綺堂玲の場合
夫の直也は東京で古くから続く和菓子チェーンの倅で、一族経営のためいずれは社長になるという立場だった。このタワーマンションの一室も、直也の金というよりは彼の親から買い与えられたものだ。
玲はいずれ社長夫人となる身だ。しばらくは専業主婦を続け、夫が社長になれば役員として召し上げられる算段だった。
玲は大学進学をきっかけに上京し、大学で直也と出会った。卒業と同時にすぐ結婚し、不妊治療の期間もあったが、何とか一族念願の男児である春流を出産したのだった。
この大都会で、何不自由ない家族三人での生活が永遠に続くのだと思われた。
しかし──
事の発端は今年の春のことだった。
息子の春流にももう手がかからなくなって来たし、この辺りで一度家の中を大掃除しておこう、などと考えたのがいけなかった。
「……何これ」
靴箱の一番上の段に、見慣れない菓子缶を見つけてしまったのだ。
開けてみると、たくさんの領収書が入っていた。
全て〝飲食代として〟と書いてある。日付を見てみると、直近一か月でこんなにも飲食をしたことになるが、どういうことだろうか。
そういえばここ最近は「忙しいので夕飯はいらない」と言われる日が続いていた。
女というものは悲しい生き物だ。
すぐに「何か怪しい」と判断し、捜査員もかくやと思われる家探しが始まった。
ゴミ箱を漁ると、くしゃくしゃに丸めたレシートが出て来る。
玲は、すぐにそれが某有名ジュエリー店のネックレスを購入したレシートであることに気づいた。
価格はおよそ十万円。
そんな価格帯のネックレスなど、結婚以来もらった記憶はない。
「サプライズ……?」
そう思い込みたかったが、彼女の頭の中のアラートはこう叫び出した。
浮気!浮気!浮気!
「……残すは、スマホか」
玲は、見た目によらず計画性の高い女だった。
「それを突き付ける前に、探偵事務所に証拠写真の依頼をしなければ……」
浮気を疑えば疑うほど、なぜか玲の心は冷静になって行く。
それは、息子の春流がいるからだ。
直也は腐っても社長の息子だ。外聞の悪さから慰謝料なしに離婚は考えづらいし、大事な跡取りの春流に養育費を渡さないわけはないだろう。玲も、人生を出直すなら早い方がいいとすら思った。
今日も直也は遅く帰って来た。
玲は寝ているフリをする。直也はいびきがうるさいため、夫婦の寝室は結婚当初から別々だ。夫が別室で寝静まるまで今日は絶対に眠らないと自分に言い聞かせながら、玲はその時を待つ。
あっという間に静かになる。
時計を延々と見つめ、ようやく深夜二時になったところで直也のいびきが聞こえて来た。
玲はベッドを抜け出た。
いびきの爆音にかき消され、扉を開けるのも、ベッドサイドのスマホを取り上げるのも、まるで造作なかった。
自室に戻ってスマホのボタンを押し、暗証番号を入力する。
ベタにラインを確認するが、意外にも女性との甘い文面は確認出来ない。
マッチングアプリの類も見つからなかった。
ならば、とすぐに玲は知恵を働かせた。
DMが送れそうなSNSをしらみつぶしに探す。
すると──
「あった!」
彼がフォローしている美女のXアカウントとチャットした形跡があるのを発見した。玲は布団に潜り込みながら、それらの文面をスクショする。
ページを次々展開して、唖然とする。
なんと直也は、ひとりどころか複数の女性に粉をかけまくっていたのだ。
たまにSNSで美女らしきアカウントに爆撃しまくっているスケベ親父を見かけるが、直也もあれと同類のオッサンだったらしい。
その情けない文面を全て写真に収めながら、玲は段々興奮して来た。
(ショックなのに、謎の達成感があるのはなぜだろう……)
夫は美女にことごとく無視されるか怪しい商材のを勧められることを繰り返していたが、ついに相手をしてくれる女に辿り着いた。
Fumikaという女性のアカウントだ。
チャット内容を熟読する。
〝オープンハートのネックレス嬉しかったよ。また会おうね♡〟
(あっ)
レシートを確認すると、ここでネックレスを買った日とこの文章が送信された日は、一日しか変わらなかった。
(これか……)
しかもオープンハート……玲は苦笑いした。付き合っていた学生時代、直也に連れられそのジュエリーショップに行った時、オープンハートを勧められて「ダサイからいらない」と断ったことがあったのだ。
(直也、誰でもいいからオープンハート贈りたかったのかな……)
そう思った瞬間。
玲の目から、とめどなく涙が溢れて来た。




