はじまりの"裏ギルド"
便利堂に朝の陽が差し込む頃には、もう客が数人列を作っていた。すっかりこの地にも馴染み、修理道具や薬草の加工、日用雑貨の相談に訪れる者が絶えない。
リリアナは帳簿を整えながら、ほっと一息ついた。
「こうやって並んでもらえるようになるなんて……開店当初は想像もしなかったわ」
「いやぁ、リリアナさんの手際と頭脳、あと現代グッズの力っすね」
「カイル、それ言い方がちょっと引っかかるわね」
「ひ、誉めてるっすよ!?」
エルドは新しい木箱のラベルを書きながら口を開いた。
「でも、最近ちょっと変わった客が増えたと思いませんか? 見た目が普通の冒険者っぽくないというか……」
リリアナが筆を止める。
「……感じてた? やっぱり勘がいいのね。実は“ギルドの関係者”が視察に来てるのよ」
「ギルドって、あの中央の……?」
「ええ。便利堂の噂が広まって、“非公式ながらも機能している支援窓口”として注目されてる。いずれ正式に接触があると思ってたけど……」
その時だった。
――コンコン。
扉をノックする音。
「入ってください」
入ってきたのは、淡い銀の髪に渋い革装束を着た壮年の男性だった。腰には使い込まれた剣。目には場を見極める鋭さがあった。
「失礼する。私は〈ギルド西部方面・外郭観察部〉の副長、バルド・キース」
店内の空気が引き締まる。
「本日は“個人として”ご挨拶に参った。ご安心を」
「……ようこそ、便利堂へ。私はリリアナ。ここで店主をしています」
「存じている。噂は各地に届いているからな。物資の安定供給、的確な技術、対応力。そして、どこのギルドにも属さない」
バルドの目が、リリアナを射抜くように見据える。
「君に興味がある。できれば、一度話をしてみたかった」
リリアナは静かに椅子を指さした。
「では、お茶でもいかがですか? 日本の緑茶です」
「に、日本?」
「こほん、いえ、ちょっと特別な仕入れルートがありまして」
バルドは無言で腰を下ろすと、一口飲み、目を細めた。
「……うまい。品のある苦味だ。まるで情報戦のようだな」
「お褒めに預かり光栄です」
やり取りの間に、カイルとエルドは厨房に移動しつつ、耳をそばだてていた。
「な、なんか怖いっすね、あの人」
「でも、たぶん……悪意はなさそうだ」
* * *
話し合いは、静かに、しかし核心に迫る内容だった。
「今、ギルドは慢性的な“対応力不足”に悩んでいる。登録制や許可制の仕組みが、緊急事態には追いつかない。だが、君たちのような小規模の独立勢力は、その穴を埋められる可能性がある」
「なるほど……つまり、私たちに“裏の窓口”になってほしいと?」
「公式には依頼できない内容――失踪者の捜索、密輸の調査、魔道具の回収、あるいは……貴族絡みの揉め事。それらを処理できる信頼ルートを、今、中央は本気で探している」
リリアナは目を伏せて考える。
「でもそれは、“裏”に立つことを意味します。万が一問題が起きれば、私たちが全責任を負うことにもなりかねません」
「だからこそ、“表の依頼”ではなく、対価と判断を君自身に委ねる。必要とされるか否かを、君が決めればいい」
少しの沈黙のあと、リリアナは微笑んだ。
「――つまり、“裏ギルド”というより、“独立支援屋”ですね」
バルドの口元がかすかに緩んだ。
「そう解釈してもいい。だが、君がそれを認めるなら、我々は“非干渉”を選ぶ」
「その代わり……情報共有は?」
「必要最低限で。公文書には残さない」
リリアナは手元の茶を一口すすると、ひとつ頷いた。
「わかりました。必要な時に、必要な人を、必要なだけ助けます。それが“リリアナ便利堂”の在り方です」
バルドは立ち上がり、深く一礼した。
「ならば今日より、君たちは“必要な闇”だ。我々は、敬意を持って見守ろう」
そう言い残して、彼は店を後にした。
* * *
夜。
便利堂の灯りの下、リリアナは静かに帳簿を閉じた。
「これで……本当に始まったのね、“裏ギルド”の道が」
「リリアナさん」
エルドが声をかける。
「それって、すごく危険なことなんじゃ……?」
「ええ。でも、だからこそやる意味がある。誰にも頼れない人のための、最後の希望になる」
「……俺、ちゃんと覚悟、決めます」
「ふふ。頼もしいわね」
そしてカイルが、遅れて厨房から顔を出した。
「んでさ、リリアナさん。つまり、これから俺らは裏稼業ってやつに足突っ込むってこと?」
「違うわ。私たちはあくまで“便利屋”。それ以上でも、それ以下でもない」
「でも、今度はお尋ね者の保護依頼とか来たりしてな……!」
「……あり得なくもないわね」
三人は顔を見合わせ、そして笑った。
こうして、便利堂は“もう一つのギルド”として、その歩みを進めていく――
表のギルドが届かぬ場所に、もう一つの救いを。