初仕事は『あたたかい』
朝の光が差し込むと同時に、リリアナ便利堂の一日は始まる。
すっかり住み慣れた廃教会の空間も、今では整ったベッド、薪ストーブ、調理棚、そして作業机が並び、かつての面影はほとんどない。
「よし……朝の棚点検、完了です。昨日借りられてたノコギリと鉄製バールは返却済み、備品箱に戻しました」
エルドが几帳面な字で記録をつけながら、そっと手帳を閉じる。
「完璧ね。助かるわ、こういう地味な仕事って、意外と後回しにされがちなのよ」
「リリアナさんは、本当に“ありがとう”ってちゃんと言ってくれるんですね」
「それが当然よ。仕事は、誰かの手によって成り立ってるもの」
そのやりとりを、厨房の奥でカイルが炒めていた鍋から煙を上げながら覗く。
「できたー! 本日の朝食は、干し肉と野菜の炒め物だ! リリアナさん、現代で買ってきたあの調味料、やっぱり魔法っすね!」
「ほう……これは“焼き肉のタレ”という文明の力よ。ありがたく味わいなさい」
「うめぇっ……これだけで一日働ける気がしてくる……!」
3人の温かな食卓に、コンコンと扉を叩く音が響いた。
「はい、開いてますよ」
扉を開けると、立っていたのは小さな少女だった。年の頃は十歳前後。手には布に包んだ包みを抱えている。
「こ、こんにちは……! あの……お願いが、あります……!」
少女は震える声でそう言った。
「どうしたの? ひとりで来たの?」
「お母さんが、病気で……村のお医者さまが、山の“青い花”を煎じれば効くって……でも、その花、山奥にあって、狼が出るって聞いて……」
リリアナはすぐに少女を中に招き入れ、詳細を聞いた。
依頼内容は「青薬草の採取」。希少でありながら、きちんとした知識がなければ見つけづらく、しかも狼の群れが出るという危険な地域に自生しているらしい。
「お母さんに薬を……お願い、できませんか?」
エルドが立ち上がった。
「俺、行きます!」
リリアナがすぐに顔を上げた。
「でも、狼が出るって……一人じゃ危険よ」
「大丈夫です。山の地図は見ましたし、足場や時間帯を選べば、危険は減らせます。俺、以前も道案内の補佐をしていたので!」
リリアナはしばらく考え込んだ。そして、カイルに目配せをする。
「カイル、彼をサポートできる?」
「了解っす。俺が後ろから見張ってます。何かあったら、すぐ手を出すつもりで行くっす」
「……わかった。ふたりで気をつけて。これが青薬草の図鑑ね。花弁は五枚、香りはすこし柑橘系。間違えないように」
「はい!」
エルドの目に、強い決意の光が宿っていた。
* * *
森の奥、ぬかるむ斜面を踏みしめながら、ふたりは進んでいた。
「……それにしても、エルドって意外と根性あるな。初仕事がこんなキツい山登りになるとは」
「はは……実は、足はもうパンパンです」
「マジかよ……無理すんなよ?」
「でも……誰かの“ありがとう”をもらえるって、こういうことなんだなって思いたくて」
ふと、カイルは自分の初仕事を思い出した。泥だらけの雑用でも、リリアナの「助かったわ」が胸に残った。あの言葉が、今日までの原動力だった。
「……あ、見てください! 崖の近く! あれ、青い花、五枚……間違いないです!」
「おお……まじであった!」
慎重に足を進め、二人は無事に“セラウィア”を採取した。
と、その時だった――
「グルルルル……!」
藪の奥から、複数の目が光る。
「クソッ、やっぱり来やがった……!」
カイルがすかさず前に出て、手に持っていた投げナイフを構える。
「逃げろ、エルド!」
「でも……!」
「花は守れ! それが仕事だ!」
エルドは、ぐっと唇を噛み、踵を返した。
リリアナの言葉が脳裏をよぎる――「任された仕事を、最後までやり遂げる人は、必ず信用を得られるわ」
彼は、花の包みをしっかり抱きしめ、走った。
数分後、カイルも無傷で戻ってくる。狼は群れから外れた個体で、威嚇だけで撤退したようだった。
「……よっしゃ。これで“初任務”、完了だな!」
* * *
少女にセラウィアを手渡した時、彼女は泣きながら何度も頭を下げた。
「ありがとう……ありがとう……! お母さん、きっと助かります!」
リリアナは微笑んで、報酬として差し出された手編みの巾着を受け取る。
「お代は、十分よ。あとはお母さんを、しっかり支えてあげて」
少女が去ったあと、リリアナはエルドの肩をそっと叩いた。
「おめでとう、便利堂の従業員第一号の任務、合格よ」
「……すっごく、緊張してました」
「でも、やりきった。それが何より大事」
「リリアナさん……これからも、全力で頑張ります!」
「期待してるわよ、エルド」
こうして――
便利堂はまた一歩、信頼と実績を積み重ねていった。