動き出す歯車と最初の依頼
──森の奥の苔むした廃教会。
雨漏りは止まったが、まだ床は軋み、壁はところどころ崩れている。
それでも、数日前に比べれば格段に“拠点”らしくなっていた。
リリアナは使い込まれた雑巾で額の汗を拭いながら、軽く息を吐いた。
「はあ……掃除って、ほんっとうに骨が折れるわね……」
傍らでは、カイルが集めた木片をせっせと薪用に削っている。
「でも、なんかこう……店って感じしてきましたよね! 教会跡ってのが、逆に雰囲気あるっす!」
「でしょ? ちょっと頑張れば、ちゃんとした“なんでも屋”になるはずよ」
だが、建物の修繕は簡単ではない。
資材が足りないのはもちろん、工具も限られている。
釘も金槌も、さすがに現代のコンビニ倉庫では見つけられなかった。
そこでリリアナは、近隣の村の廃屋から使えそうな木材や古道具を回収し、
さらに村人と干し肉や塩との物々交換で、古い工具を手に入れた。
「あの村の鍛冶屋、話のわかる人で助かったわ。交換したこの鉄製のハンマー、まだまだ使える」
「え、これって村のやつだったんすか? すげー……」
カイルが感心したように、古びた金槌を眺める。
「でも、リリアナさんがいきなり“干し芋五枚と交換よ”って言ったとき、俺ビビりましたよ……」
「交渉は勢いが大事なのよ」
二人がそんな会話を交わしていると、廃教会の扉が軋んだ音を立てて開いた。
「失礼します。……こちらに、“便利堂”があると聞きまして」
現れたのは、年の頃は十代前半。旅装束を着た少女だった。
背には荷物袋。目つきが鋭く、どこか事情を抱えていそうな気配を纏っている。
「ええ、いらっしゃい。ようこそ、“なんでも屋リリアナ便利堂”へ」
リリアナはすぐに立ち上がり、手を差し出した。
「あなたが最初のお客様ね。名前を伺っても?」
「ユーニャです。旅の途中で……実は、ある品を探していまして」
「ふむ、依頼内容を詳しく聞かせていただけるかしら」
ユーニャは頷き、荷物袋から一枚の羊皮紙を取り出す。
そこには精緻な植物の図が描かれていた。
「この薬草、“赤銀花”というのですが……持ち帰れば村の病に効く可能性があると、旅の学者さんに聞きました」
「なるほど。でも、これ……かなり標高の高い地域に咲くやつね。普通の旅人なら遭難するわ」
「だからこそ、頼りたいんです。あなたに」
一瞬、場に沈黙が落ちた。
だがすぐに、リリアナはニヤリと笑う。
「面白いじゃない。引き受けましょう」
「えっ、いいんですか!? 報酬は少ししか……」
「初仕事よ? 宣伝を兼ねて破格でいいわ。命に関わる話なら、なおさら」
その場で簡単な契約が交わされ、リリアナたちは翌朝の出発に向けて準備を進める。
翌朝、日の出と同時に、廃教会には活気が戻っていた。
リリアナは荷物の最終チェックを終えると、手製の水時計に目をやった。
「よし……水の滴りは安定してる。帰りの目安には使えるわね」
「リリアナさん、こっちは準備できました!」
カイルが大きめの背負い袋を抱えて現れた。中には水筒、干し肉、ロープ、ランタン、そして小さな折りたたみ式のスコップなど、現代のコンビニで仕入れた“便利グッズ”がきっちり収まっている。
「ユーニャも来たわよ」
教会の入り口で、軽く手を上げたのは依頼人の少女・ユーニャ。昨夜よりも引き締まった表情をしていた。
「準備は万端です。あとは、どこまで踏み込む覚悟があるかだけ……ですね」
「それは、あんたに言われるまでもないわね」
リリアナはにやりと笑い、背負い袋を手に取った。
「さて、目的地は“銀霧峠”。地図だとここから東に三日。標高が高く、獣道も多いから注意して進みましょう」
「了解っす!」
「このルート、何か危険な魔物とか出るんですか?」
「出るわよ。昼は大型獣が多いし、夜は音に敏感な飛行系が飛んでくることもある。寝床と焚き火の場所選びが勝負ね」
「それ、ぜったい俺の役目っすよね……」
出発の支度を整え、三人は廃教会をあとにした。朝の光に濡れる森の道を、ゆっくりと踏みしめて歩く。リリアナは地図を片手に、時折足を止めながらルートを確認していく。
「ねえ、さっきから気になってたんだけど」
ユーニャがぽつりと口を開いた。
「リリアナさんの装備、どれも見たことない形だけど……どこの工房のものなんですか?」
「え? ああ、まぁ……ちょっと特殊なルートで仕入れたってだけ。企業秘密よ」
「企業?」
「いや、気にしないで。美女には謎があるくらいがちょうどいいのよ」
ユーニャが目を細めて笑うリリアナを見つめたが、それ以上は追及しなかった。
道中、リリアナはこまめに足元の植物や地形を観察し、地図にメモを加えていく。
カイルはその傍らで、採取可能なキノコや薬草を袋に詰めていた。
「これ、売れるかな……?」
「ちゃんと分類しなさい。毒キノコ混ぜたら、次の依頼来なくなるわよ」
「うぅ、プレッシャー……」
初日の宿営地は、川沿いの崖下に設けられた。周囲は岩に囲まれて風が遮られ、焚き火の煙も目立ちにくい。
リリアナはランタンを吊るし、乾電池の光で地図と資料を広げた。
「明日は獣道に入るわ。そこで“赤銀花”の群生地に繋がる分岐があるはず」
「花の採取には時間かかりそうですか?」
「午前中には終わらせたいわね。午後には霧が出てくるらしいし……」
ユーニャが薪を火にくべながら、静かに口を開いた。
「この薬草……村の子どもが熱病にかかっていて。もう何人も亡くなってる。私の妹も……」
「……そうだったの」
「だから、どうしても戻らなきゃいけない。でも私一人じゃ、花まで辿り着ける自信がなかった」
リリアナは黙ってユーニャを見つめたあと、そっと手を伸ばし、彼女の肩に触れた。
「安心して。私たちは“なんでも屋”よ。受けた依頼は、命をかけてでも果たすわ」
「……ありがとう」
焚き火の光が、三人の顔を照らしていた。
それはまるで、小さな信頼の灯火のようだった。
———
翌朝、三人は夜明け前に出発した。霧が立ち込める獣道を、手探りのように進んでいく。
途中、木の根に足を取られそうになったカイルが悲鳴を上げた。
「うわっ、転ぶ転ぶ……!」
「バランス見て! 谷に落ちたら三日は寝込むわよ!」
「もー、便利屋じゃなくて登山隊だよこれ……!」
「黙って足元だけ見てなさい」
そう言いつつも、リリアナはロープで道を固定し、滑りやすい斜面には持ってきた“滑り止めスプレー”を使って道を安定させた。
ようやく峠の上部に差し掛かったそのとき——
「あった……あれ、間違いない。赤銀花だ」
ユーニャが指差した先、朝露をまとった赤い花が数輪、銀色の葉の中で揺れていた。
「よし、慎重に採取するわよ」
リリアナは小型ナイフと密封袋を取り出し、花を丁寧に根本から切り取っていく。土も少量一緒に持ち帰るため、小さなスコップで地面を掘る。
「必要な分だけ。根こそぎ取るのは禁止よ」
「了解っす……!」
作業が終わると、三人は峠を下り、午後の霧が濃くなる前に川沿いの宿営地へと戻った。
ユーニャは抱える袋を見つめながら、深く頭を下げた。
「……本当に、ありがとう。これで村の希望が繋がった」
「依頼は完了よ。また何かあれば、いつでも便利堂へどうぞ」
そう言ってリリアナは笑った。
初めての報酬はユーニャの持っていた薬草ひと束。
小さな一歩。
しかし、それは確かに“裏ギルド”としての第一歩だった。
そしてその夜——
リリアナは一人、再び地下の“扉”の前に立っていた。
手作りの砂時計が、静かに時を刻んでいる。
「あと、一時間五十二分。次は……そろそろ調理器具が欲しいわね」
拠点の本格稼働には、さらなる準備が必要だ。
彼女の冒険は、まだ始まったばかりである。