追われないために
朝焼けがトランデールの街を包みはじめたころ、“便利堂”の隠れ家には、静かな緊張が満ちていた。
リリアナは机の上に広げた一枚の羊皮紙を見つめていた。それは、貴族マーベラス家と地下商会〈黒獣の爪〉との間に交わされた密貿易の記録書──裏市場に流れる禁制薬と、逃亡奴隷の取引に関する詳細な取引履歴だった。
マリスが震える手で指差した。
「……この印章、間違いなく父の執務室にあったものよ。私がまだ館にいたころ、何度も見たわ」
「決定的ね」とリリアナは静かに言った。
カイルが奥の棚から持ち出した古い地図を広げた。
「証拠は揃いましたけど、これをどう使います? 役所に駆け込んでも、すぐに潰されちまいますよ、上から」
「だからこそ、“交渉”よ」
リリアナはその羊皮紙を丁寧に封筒にしまい、金糸の封をかけた。
「この証拠は、世に出せば確実にマーベラス家が傾く。でも、出さなければ──使える。カードとしてね」
マリスが息をのむ。
「……脅すの?」
「違うわ。揺さぶるだけ。私たちの“本当の目的”はマーベラス家を潰すことじゃない。“あなたを追わせる理由”を消すこと。つまり、手を引かせるの」
エルドが腕を組みながら言った。
「そのためには、向こうに“損得の理屈”を理解させなきゃならん」
「ええ、だから交渉相手は、マーベラス家の“懐刀”──直接命令を出している側近に絞るわ。屋敷の動線はマリスの記憶をもとに、侵入ルートも決めてある」
カイルがにやりと笑った。
「じゃあ、交渉チームは?」
「私とエルドが直接交渉。カイルは外の見張り、マリスは地下で待機。念のため、脱出ルートは二重に用意する」
リリアナは封筒を手に取り、凛とした表情で言った。
「これは“脅迫”じゃない。“選択肢”を与えるの。彼らが沈黙を選ぶなら、私たちも黙っていましょう。……けれど、刃を向けるなら、そのときはこちらも牙を剥く。それだけ」
マリスがゆっくりと頷いた。
「……私も、覚悟はできてる。最後まで、見届ける」
火の粉が舞う中、リリアナは静かに呟いた。
「では、始めましょう。“裏ギルド”のやり方で」




