追われ人、そして最初の闇依頼
その日、便利堂は穏やかな陽光に包まれていた。開店から数時間が経ち、客足も落ち着いた午後――リリアナは帳簿を手に、在庫と売上を確認していた。
「釘はあと三箱、手回し式の削り器は残り一つ。明日には補充が必要ね……」
エルドは背後からそっと声をかけた。
「リリアナさん、ちょっと……表に妙な人が来てます。ほとんど隠れるようにしてて……声もかけられないんです」
「……様子は?」
「黒ずくめのマントで、髪も顔も見えない。だけど動きが女の人っぽい気がします」
リリアナは帳簿を閉じ、店のカウンターをカイルに任せた。
「わかったわ。私が出る」
扉を開けると、確かに店の軒先の影に、一人の人物が身を縮めるように座っていた。
「こんにちは。何かお困りですか?」
返事はない。代わりに、相手の肩が小さく震えるのが見えた。
「……怖がらせるつもりはないの。ただ、誰かに助けてほしいと思って、ここまで来たのなら――話してみない?」
しばしの沈黙の後、その人物はゆっくり顔を上げた。マントの奥から覗くのは、泥と汗にまみれた少女の顔。年の頃は、リリアナとそう変わらない。
「た、助けて……お願い、匿って……殺される……っ」
その瞬間、リリアナの背筋に冷たい感覚が走る。
「名前を聞いてもいいかしら?」
「――マリス。マリス・フェルミナ」
「入って。話は中で聞くわ」
* * *
リリアナはマリスを裏手の倉庫に案内し、湯で絞った布と温かいスープを渡した。
「落ち着いたらでいいわ。何があったのか、話してくれる?」
マリスは、震える手でスープをすくいながら、途切れ途切れに語り出す。
「私……伯爵家の……養女だったの。でも、本当はただの……口減らしの……捨て子で……」
「……」
「屋敷では……道具みたいに扱われて……それでも我慢してた。でも、ある日……ある日、貴族の会合で……不正の証拠を……偶然、知ってしまったの」
「“何も見なかった”って黙ってればよかった。でも、怖くて……逃げたの。伯爵家を夜中に抜け出して……それからずっと、追われてる」
「……それで、ここに来たの」
冷え切った夜の廃教会で、マリスの震える声が響いた。煤けた暖炉に薪がくべられ、炎がやっと灯りを取り戻していた。
リリアナは彼女にブランケットをかけながら、そっと口を開く。
「マーベラス家の令嬢が、よくここまで辿り着いたわね。下手をすれば、命を落とすところだったでしょう」
「……失礼を承知で言うけれど、私は“便利堂”に助けを求めに来たの。あなたが何者かなんて知らない。でも、噂で聞いたの。“どんな依頼でも引き受けてくれる”って」
マリスの瞳は真っ直ぐだった。恐怖もあるはずだが、それ以上に確かな覚悟があった。
リリアナは、しばし沈黙したのち、小さく笑う。
「……その覚悟、気に入ったわ」
傍らのカイルが眉をひそめる。
「でもリリアナさん、マーベラス家って貴族の中でもかなり厄介な家じゃないすか? 噂じゃ、裏で“処理人”を抱えてるって……」
「ええ、知ってる。だからこそ、ちゃんと“隠れ家”を整備しないとね」
リリアナは立ち上がり、廃教会の奥に視線を向けた。
「マリス、あなたを正式に“保護”するわ。便利堂の依頼として受ける。でも条件があるの。今夜から、あなたはここで“働く”のよ。身を隠すだけじゃ見つかる。働きながら、生き延びましょう?」
マリスは目を丸くしたが、やがて頷いた。
「……わかったわ。お願い、します」
カイルが腰を上げ、壁際の板を持ち上げた。
リリアナは小さくため息をつき、棚から書きかけの依頼票を取り出した。
「じゃあ、これは“最初の非公式依頼”になるわね」
マリスが目を見開く。
「依頼……?」
「ええ。あなた自身が、あなたの身柄保護を依頼する。報酬は、“情報提供”。その会合で見た内容を詳しく教えてもらうわ」
「……そんなことで、助けてくれるの?」
「そんなことが、あなたの命を狙う理由になってるのよ」
* * *
その夜。閉店後の便利堂に、三人の影が集まった。
「マジかよ、貴族の不正とかヤバすぎじゃないっすか」
カイルが頭を抱えた。
「しかも相手は〈マーベラス家〉か……西部でも有名な実力派の領主一族だ。迂闊には手を出せないな」
エルドも腕を組む。
「でも、マリスさんが見たのが本当に“奴隷流通”の帳簿なら、それは国家法で禁止されてる。放っておけば被害者が増える」
リリアナは頷いた。
「私たちは、正義の味方じゃない。あくまで“便利屋”」
「でも――」
「でも、その依頼が正しいと判断したなら、引き受ける。それが裏ギルドのやり方よ」
全員がうなずくと、リリアナは一枚の鍵を持ち出した。
「……さて、今回の依頼は長期になる。マリスの匿い先の確保と、今後の備蓄が必要になるわね」
「まさか、それって……!」
リリアナは微笑んだ。
「ええ。ホームセンターへ行って、設備の強化と物資の調達をしましょう。リリアナ便利堂、初の“防衛拠点化”よ」
カイルが声を上げる。
「じゃあ、今日は夜通し改造祭りっすね!」
「騒ぎすぎるとマリスを驚かせるから、ほどほどにね?」
「は、はいっ」
「《開け、倉庫》」
——世界が反転する。
今回は“コンビニ”ではなく、“ホームセンター倉庫”へと転移した。
薄暗い倉庫には、整理された工具、資材、防犯グッズの山。
「時間との勝負ね……!」
リリアナは棚を巡り、以下の物資を手早くバッグに詰めた。
・組み立て式の間仕切りパネル
・毛布と寝袋
・防音マット
・懐中電灯と単一電池
・南京錠と鍵
・超小型監視カメラ(作動はまだ未定)
そして、細く呟いた。
「今回は“守るための道具”。戦うのは……まだその時じゃない」
戻ったリリアナは、さっそくカイルと共に地下スペースの整備にかかった。
パネルで間仕切りを作り、床にはマットと毛布。簡易照明が天井から吊るされ、最終的には小部屋のような空間が出来上がる。
「すごい……本当に、別の部屋みたい……!」
マリスが感嘆の声を漏らす。
「これが、あなたの“安全地帯”よ。でも、完全じゃない。だからこそ、私たちが守る」
「ありがとう、リリアナさん……」
その夜、リリアナは日誌を開き、静かに記した。
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依頼記録 No.002
依頼主:マリス・マーベラス・フェルミナ
内容:保護及び身元秘匿
報酬:情報提供(マーベラス家の内部情報)、協力関係構築
状態:進行中
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そして、夜が更ける頃。
廃教会の外れに、一人の黒装束の男が立っていた。
「……確かに“匂い”は残っている。だが、消されたか。奴ら……ただの“なんでも屋”ではないようだな」
風が吹き、黒いマントが揺れる。
リリアナの“裏ギルド”としての戦いが、静かに深まっていくのだった——。




