一話:ハル退職代行の一日
「…なるほど、二ヶ月分の依頼料の未払い。加えて不当なパーティからの追放、ですか。」
「はい…僕は補助魔法しか使えないので、一人で魔物の討伐依頼を受けることもなかなか出来なくて…」
メントハラス王国は日々、奴隷契約や一方的な主従関係に苦しむ人が後を絶えない。現在依頼を受けている彼の悩みも、ここ王都タルパスでは日常茶飯事だろう。王族や貴族は明らかに規律違反な奴隷契約もシラを切り、数々の冒険者ギルドが一方的な雇用関係の押しつけや不公平な契約をしていると言う。
「リオンさん、一つ確認をしたいのですが、」
「この契約書、正式なギルドのものですか?」
「いえ…個人で結んだものです。パーティリーダーのエドワードさんと…」
「ギルドを介していないのですね」
契約書の端を軽くめくりながら、視線を滑らせる。契約の文言は一見まともに見えるが、細部を読むと実に都合の良い形で歪められていた。
「雇用契約において、報酬の支払いを『ギルド規定によらずパーティリーダーの裁量に委ねる』とありますね。つまり、エドワードさんが気に入らなければ、どれだけ働いても支払いの義務が発生しません。」
「えっ!?そ、そんな…!でも僕、ちゃんと依頼をこなしました!回復も補助もしたし、討伐報告も出しました!」
「ええそうでしょう。そこは疑っていません。」
ため息を一つ。契約書を指で弾く。
「しかし、ここにある『裁量』という言葉。これは、支払うかどうかはリーダーが決めるという意味であり、正当な評価のもとに決定されるとはどこにも書いていない。」
「つまり、あなたがどれだけ働こうが、彼の気分次第で一方的に追放し、報酬を踏み倒せる契約になっているんですよ。」
「加えて『最低十年』の所属義務がある、簡単には抜けられないシステムが作られています。」
「そんな…」
リオンの顔が青ざめる。
「明らかに不当契約ですね。通常ならギルドが仲裁に入るべきですが…ギルドが動かないということは、エドワードさんにそれなりのコネがあるのでしょう。」
椅子の背にもたれ、動揺する彼を制止する。
「では…こちらも『契約』に則りましょうか。」
リオンが顔を上げる。
「え?」
「この契約には抜け道があります。手続きは任せてください、貴方はただ果報を寝て待つだけでいい。」
「なぜなら私は『退職代行』、ですから。」
その時、背後から低くくぐもった笑い声が聞こえた。
「…ククッ、また随分と面白い手を使うつもりだな?」
「メフィスト、今回はお前の力は借りない。」
「はぁ?つまんねえな。」
俺の影が揺れ、そこから這い出るように、メフィストが現れた。俺は薄く笑うと、契約書を指でトン、と叩く。
この国も俺が元いた世界も、本質は同じだ。たまたま地位と名誉を得ただけの薄汚れた人間が罪なき人々から搾取を続けている。弱肉強食とはよく言ったものだ。契約書をもう一度見つめた。どこをどう読んでも、契約と呼ぶにはおこがましい。こんなものはただの合法化された搾取だ。
紙一枚で人の人生を縛れるとは、よく考えたものだ。それを許しているのはこの国の連中。まるっきり俺のいた世界と同じだ。
「正しさは、力を持つ者の都合によって決まる。誰かが異を唱えても、声の大きい者が押し潰すだけだぜ。」
メフィストが興味深そうに俺を見ている。俺がどんな手を使うのか期待しているのだろう。悪魔というやつは、いつだって混乱と破滅を楽しむもの。
「気に入らないんだよ、そんな世界が。」
俺は淡々と続けた。
「誰かが勝手に決めた『都合のいい世界』を受け入れるのも。」
俺は、この手でどうしようもないものを覆すために生きている。救えなかった命を思うたび、痛烈に思い知る。俺は無力だった。あのとき、俺が力を持っていたなら、何かを変えられたのかもしれない。
だが今は違う。
「よく考えろハル、こういう奴が不正を指摘された瞬間にいい子ちゃんになって言うことを聞くと思うか?」
「エドワードの契約には明らかな不正がある。つまり、俺の力が強化される条件は十分だ。」
契約書を破り捨てる。紙は黒く燃え、魔法陣が足元に浮かび上がった。
「さあ、『退職代行』を始めよう。」
ふっと微笑み席を立つ。腐った世界を少しでもマシにするために。俺は、俺にしかできない仕事をするだけ。
「…契約書の内容は以上になります。内容に相違はありませんか?」
「あぁ、ないぜ。ぜーんぶそのまんまだ。」
冒険者ギルド『オルトロスウルフ』、筆頭のエドワードは想像のままの人物だった。机に脚を置き、俺が話している最中もジョッキに注がれた酒を堂々と口に運んでいた。
「そうですか。」
俺は微笑みながら契約書を指で弾いた。エドワードは酒を飲みながら、勝ち誇ったように笑う。
「なんたら代行さんよ。ここにいる連中は全員俺の味方だ。お前の戯言が通る場所じゃねぇぜ。」
「悪いのはあの弱虫リオンだ、現にあいつはここに来ることすらできてねえ!」
「「「ハハハハハ!!」」」
見渡せば、ギルドの連中がこちらを嘲笑っている。確かにここは彼の縄張りだ。俺が何を言おうが、都合よく揉み消す算段だろう。
「なるほど。」
俺は肩をすくめ、契約書を軽く掲げた。
「では、彼を、リオンさんをこれからも何卒よろしくお願いいたします。」
「…は?」
エドワードが目を細めた。俺は静かに続ける。
「契約書にはこう書いてありますよね、『当契約者は最低十年の所属義務』があると。」
「ああ、それがどうしたってんだよ。」
「ですがこの契約、『所属する』とは書かれていますが、『働く』とは書かれていませんね?」
「は?」
「つまり、彼は十年間ギルドに所属し続ける義務はありますが、別にここで仕事をする必要はない。」
「冒険者にはギルドは一つしか所属しては行けないという決まりはありません。これから彼にはもっと適した環境で活動してもらいますので。」
ダァン!!
「ざけんな!適当なこと言って俺らの労働力を奪うつもりか!?」
エドワードはジョッキを乱暴に机に叩きつけた。酒が跳ね、ギルドの床に散る。
「赤の他人のてめえの言ってることなんざ通るわけねぇだろうが!契約に異議があるなら裁判でも何でもしてみやがれ!」
「裁判ですか。好都合でしょう。」
「まだ気付かないんですか?もし裁判になれば、まずいのはあなたの方ですよ?」
「…何?」
「この契約の問題点は二つあります。一つ目は、労働の対価が確定していない点。これは不当契約に該当します。」
「……」
「そして二つ目。ギルドの登録者は、ギルドを『所属先』として選ぶ権利はあるが、強制労働をさせられる義務はない。つまり、あなたがリオンさんを労働させることを強要するなら、それは『奴隷契約』と見なされるわけです。」
ギルド内の空気が変わる。エドワードの表情が僅かに引き攣った。
「そ、それがどうした?お前が好き勝手言ったって――」
「ええ、私は法律家ではありません。」
俺は契約書を広げながら、懐からもう一枚の書類を取り出した。
「ですが、この街の『監査官』がこの件をすでに把握しています。」
エドワードの顔色が変わる。
「お前…!」
「訴訟を起こせば、あなたが不正を働いていたことが公になるでしょうね。」
「…くっ!」
エドワードの拳が震えた。
沈黙が落ちる。周囲のギルドメンバーも、さっきまでの嘲笑が消え、明らかに戸惑い始めていた。
「…うるせぇ。」
エドワードが立ち上がる。
ギルドの男たちも、ゆっくりと立ち上がった。
「何をほざこうと、お前さえ居なければ弱虫リオンは何も出来ねえ。」
「俺たちが甘い蜜を吸う邪魔をするなら、死んでもらうぜ。」
「…やっぱりこうなるか。」
俺の足元で、影がうごめいた。
「メフィスト、準備は?」
「ククッ、言われるまでもねぇよ。」
影の中から、不気味な笑い声が響いた。エドワードは俺を見据え、鼻で笑う。
「ハッ、なーにが準備だ?さっきからずっと、お前からは魔力の欠片も感じねぇ。」
ギルドの男たちもそれに続くように笑い出した。
「頭は切れるかもしれねえが、腕はさっぱりってか?」
「一人でのこのこと来たことを後悔するんだな!」
俺は静かにエドワードを見据え、ゆっくりと片手を挙げた。
「では証明しましょう。」
手に取った契約書を一枚、彼らの目の前に突き出す。
「『違約の裁き』。」
瞬間、ギルドの男たちの装備に異変が起こった。
「あ!?」
エドワードの握っていた剣が、ボロボロと崩れる。それだけではない。彼の指にはめられた魔力を増幅する指輪、部下たちの腰に吊るされた魔法の杖――それらが次々と灰になり、消えていった。
「お前らが使っていた装備、そのほとんどは『正当な対価を支払わずに得たもの』。つまり、盗品になる。」
「なっ…!?ふざけんな!!」
「ふざけているのはどちらだ?」
俺は静かに歩を進める。
「違法な取引によって得た装備は、持ち主が不正を認識している限り、俺の力の前では形を保てない。自分の装備が消えたということは……つまり、そういうことだろ?」
「て、てめえ!!」
怒り狂ったエドワードが殴りかかる。その拳を、俺はわずかに体を傾けて避け、握りしめた拳を突き出す。エドワードは風に散る紙切れのように吹き飛んでいった。
「エドワードの旦那!」
「どういうことだ!?こいつ、さっきと別人みたいな力が出てやがる!」
「そ、それだけじゃない。魔力量が桁違いに増えてるぞ!」
「『背信の秤』。」
「契約詐欺、強制労働、窃盗…犯した罪の重さに応じて、俺の能力は強化される。」
「お前たちの罪の重さ、その身で味わってもらおうか?」
背後から、メフィストのくぐもった笑い声が響いた気がした。
「…ハルさん、今回は本当にありがとうございました。」
リオンは足元を見つめたまま、頭を下げた。
「僕…やっと、あのギルドから解放されたんですね。あんな人達に縛られてたなんて思うと、ゾッとします。」
彼の言葉には感謝だけでなく、深い安堵の色が滲んでいた。
「気にすることはありません。」
「貴方は、無理して耐えていたんですよ。どんなに苦しんでいても、声をあげることができなかった。そんな状況に居続ける必要はありません。」
リオンは少し驚いたような表情を浮かべる。
「ハルさん…本当にすごいです。あんなに簡単に、契約を破棄するなんて…。」
「仕事ですから。」
俺は背筋を伸ばし、静かに続けた。
「退職代行という仕事は、ただの転職支援なんかじゃない。あくまで、契約に縛られ、苦しんでいる者を解放するためのもの。」
「契約が不当に結ばれ、力で押しつけられた者たちを、必ず救う。これは、強く産まれた私の使命だと思っています。」
リオンは深く頷き、何かを決意したように顔を上げた。
「僕、今後は自分の力でしっかり生きていきます。無理な契約や、理不尽な仕事にはもう縛られません。」
「それでいいでしょう。」
俺は軽く頷き、リオンの背中を見送った。
「貴方がこれからどう生きるかは、貴方次第だ。ただ、もしまた困った時は、遠慮なく来なさい。」
リオンは一瞬、目を見開いてから、微笑んで言った。
「…ありがとうございます、ハルさん。」
そして、部屋を出て行った。その背中を見送ると、俺は再び椅子に座り、静かにため息をついた。
「おいお前、依頼料受け取ったか?」
「あ。」
『ハル退職代行サービスタルパス支部』のある一日は、こうして幕を閉じた。
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