契約内容は遵守してくださいね
ブクマといいね、ありがとうございます。
「だから何度言ったら分かるのさ!
騎士団は辞めるつもりはないからね!」
「リンデルト侯爵家はどうするつもりなんだ!」
「兄上が立派に継いでるんだから今のままでいいじゃないか」
ずず、と冷めかけたお茶を啜りながら、兄弟の間に挟まれた形のオーロラは無言を貫いていた。
場所を中庭から室内へと移しても、侯爵家兄弟の言い争いは続いていた。
双方譲る気配はないので、議論は平行線のまま。
自分はここで何をしてるんだろう、今からでも気配を消してそおっと退出できないものか。
そう思うオーロラだったが……
「オーロラ!聴いてるか!?」
「義姉上、聴いてる!??」
時折こうやって兄弟から言葉が飛んでくるので、退出もままならない。
「聴いてますよ」とだけオーロラが返事をし、またぎゃんぎゃんと兄弟が言い争いを再開する、という流れをさっきから延々と繰り返している。
(いやほんと、聴いてるだけなんだけど)
大切な爵位の継承話のはずなのに、譲るだの受け取らないだのとこれだけおおっぴらに言い合いをするほどだ。
おそらく、二人が揃うとしょっちゅうこうなっていたに違いない。
その証拠に、今までこの二人の間に入ってとりなしていたであろう執事長のマシューは、終始何事もないかのように黙って壁際で控えている。
『何とかしてよ』と視線を送ってみるものの、にっこりといい笑顔を向けられただけだった。
助け舟は期待できそうにない。
「えーっと、よろしいですか?」
茶器を卓に戻した手をすっと挙げて、言い争う二人に声を掛ける。
ぴたりと口を閉じて視線を送って来る兄弟に、コホンと咳払いをして話し出す。
「ひとつ、私は侯爵夫人の立場が欲しくてミハイル様と婚姻を結んだわけではありません。
ですので、ミハイル様が侯爵閣下であってもなくても、私は構いません」
「オーロラ……」
ぱぁ、とミハイルが笑顔になるのをオーロラは少し呆れながら睨む。
(なんでちょっと嬉しそうなのよ。
お金をちらつかせて純然たる契約結婚を提案したのは貴方でしょうに)
実際、ミハイルが侯爵でなくなったらオーロラは離婚してリンデルト家を離れることになるのだが、オーロラ自身はまたただのオーロラ・バーリエに戻るだけなので『構わない』という言葉には嘘はない。
まだどこか嬉しげな兄はとりあえず置いておき、オーロラは続けて弟の方へと視線を向けた。
「ただ、オーブリー様が今ある地位に誇りを持ち騎士団を離れがたいとおっしゃるのも、十分理解できます。
その若さで副師団長にまで昇り詰めたのなら、優秀であると同時に多大な努力をなさったであろうことは、騎士の世界についてまったく知識のない私にも想像は難くないですから」
「あ、義姉上ぇ……」
今度はオーブリーが涙目になっている。
こちらはこちらで素直な反応過ぎて、契約結婚であることを隠している身であるのに義姉と呼んでもらうこと自体が心苦しいほどだ。
たしかオーブリーはミハイルより二つ年下の25歳ということだ。
23歳のオーロラよりも年上の男性、しかも王立騎士団の副師団長まで務める騎士様に義姉と呼ばれるのは戸惑いがあったのだが、オーブリーを見ていると15になったばかりの双子達を相手している気分になる。
「お聞きしましたところ、オーブリー様は以前に副師団長になるまでは騎士団で頑張る、とおっしゃっていたとか。
今はその地位になられたわけですが、次は師団長様になることを目指されているのですか?」
「んー、特に師団長になりたいってわけではないんです。
ただ、私たちが王都の治安を守っているのだという誇りある仕事です。
まだ辞するつもりはありません」
「侯爵家御当主も、責任ある誇り高きお仕事ではあると思いますが?」
「それはもちろん承知していますし、侯爵家のために私が役に立つのなら何でもお手伝いするつもりはありますが。
兄上は私などよりずっと優秀な方です。
その兄上が侯爵位を引き継ぎ今もこうして立派に侯爵家を守っておられる。
爵位については現状がベストなのだと思うのです。
それに、私は身体を動かして事態の解決に当たる騎士の仕事の方がどちらかと言えば性に合っていますし」
互いを優秀だと認め合っている。
本当に仲のいい兄弟なのだなぁとオーロラは改めて感心した。
日常的に言い争っていても、それが兄弟間のしこりとなって疎遠にならないのがその証拠だろう。
でも、ここは少しの譲歩を見せた方がいい。
「ミハイル様、これは今すぐオーブリー様に爵位をお渡しするのは無理でしょう」
「オーロラ!?」
「義姉上っ!」
「諦める、ということではありません。
ミハイル様がオーブリー様に侯爵位を渡したいと思っている決意は固いようですし。
でも、オーブリー様にそれを受け入れる心づもりがないうちに、騎士団を辞めさせ侯爵位を継がせる、というのはあまりにも無理な話。
ミハイル様もそれは分かっていらっしゃるから、強引に話を進めるのではなく説得という手段を取っていらっしゃるのでしょう?」
「それは……
だが、私が侯爵位にいる間は……」
ミハイルが言い難そうに言葉を濁した。
弟や執事長たちがいる手前、契約結婚について明言することはできないからだろう。
彼が侯爵位を弟に譲るまで契約結婚は継続する約束である。
逆に言えば、ミハイルが侯爵位にいる間はオーロラは侯爵家から離れることができない。
「焦らず、説得の機会を窺ってまいりましょう?
オーブリー様が継いでみたくなるよう侯爵家を安定させて、ゆっくり説得していきましょう」
「義姉上ぇぇ」
「オーブリー様も。
侯爵位を継ぐこと自体を断固拒否していらっしゃるというわけでもないですよね?
無理強いはいたしませんが、侯爵位を継ぐ未来について、少しだけ前向きに考えてみてください」
「う…わ、わかりました」
騎士団の勤務に向かうためオーブリーが席を立ち、彼を送り出すために執事長も部屋を辞した。
残った侍女たちも下げ、二人になるとミハイルが口を開いた。
「よかったのか?
侯爵位を渡すまでは、君は私の妻のままだぞ?」
差し出がましいことを言って怒らせたかもしれないなと思っていたオーロラだったが、そうではないらしい。
「契約妻に居座られるのではと、不安になりました?」
「いや、そんなことは思ってはいない。
だが……」
「やる気がない人に無理やり継がせて務まるほど、侯爵家当主は簡単なお仕事ではないでしょう?」
「それは、そうだが」
「オーブリー様は幼い頃から騎士になりたかったのですか?」
「そうだな……
私が先に学院に入って、二年遅れて弟が入学してきた時、騎士志望だと聞いて驚いた。
当然、領地経営について学ぶために入学するものとばかり思っていたからな。
学院入学前の2年ほど、同じ教師に師事して並んでいろいろ学んでいた時期があったんだが、たしかに、剣術の指導を受けていた時の方が生き生きしていたな。
地頭はいいくせに、座学は苦手な子だった」
「ミハイル様はどうだったのです?」
「勉学についてか?」
「いえ、ミハイル様は、騎士になりたいと思ったことはなかったのかな、と。
幼い男の子なら、一度は憧れるでしょう?」
「まあ、なくはなかったが……
私は平凡で、騎士で身を立てる未来を考えるほどは実力が伴わなかったんだ。
その点、剣術も、魔法も、オーブリーは幼い頃からめきめきと頭角を現した。
あいつは私と違って非凡だからな」
そう言うミハイルの顔は、一抹の寂しさは見え隠れしたものの、すぐに弟自慢をするお兄ちゃんの顔になっていた。
自分でも気づいたのか、少し照れ臭そうにこほんと一つ咳払いをしてミハイルの方が話題を変えてきた。
「そういう君はどうだったんだ?」
「私?」
「結婚願望は薄い、と調書にはあった。
でも、お嫁さんになる、は幼い女の子の憧れでもあるんじゃないか?」
「んーーー」
そうですねぇと、頬杖をつきながらオーロラはちょっと考えるような顔になった。
「調書に、私の過去の婚約解消についての記述もありましたよね?」
「………すまない」
「あ、いえ、責めているわけではなくてですね」
契約結婚するにあたって、オーロラとその実家であるバーリエ伯爵家について調べたというのはすでに聞いていた。
さきほどミハイル自身も、オーロラに関する調書について言及をしていたが、あらためて本人から指摘をされると後ろめたさを感じたのかもしれない。
「別に隠しているようなことでもないので。
幼馴染というか、隣の領地にたまたま同世代の男子が生まれていて、経済的にも関係が深い両家の間で結ばれたゆるーい政略結婚、になる予定でした。
これがまあ、自他とも認める美男子でして、同じ学院に婚約者がいると知れ渡っていてもなお、デートの申し込みがひっきりなしにあるほどだったそうです」
「……なるほど。
それにしてもなんか、他人事っぽいな…?」
「政略でしたし、正直なところ嫌いというわけではないけど熱愛しているわけでもなかったので、特に嫉妬もしませんでしたし」
「君は昔から君のままだった、と」
「左様です。
で、不作の年があってうちの伯爵家の家計が傾いて、持参金もなくなってしまったことで両家で話し合い、婚約は穏便に白紙に戻りました」
「穏便に…?」
「ええ、穏便に。
相手も、私に特に恋愛感情は持ってなかったので、そこはもう本当に穏便に。
彼の方は令嬢から引く手あまたでしたのですぐに次の縁談が決まりましたし。
ですが、その婚約解消劇の最後に、ちょっとした事件がありまして……」
「事件?」
「婚約は解消になったものの、別に仲違いの末というわけでもなし、ただの幼馴染に戻って最後にお茶でも飲みながら話をしようということになって。
それで、うちの領地にあるそこそこ評判のカフェで一緒に思い出話なんかをしてたわけです。
そうしたら、その席に彼の新しい婚約者となった令嬢が押しかけていらっしゃいまして……」
『この泥棒猫っっ!!』
小説や舞台などにあるお決まりのセリフとともに頬を打たれたことを思い出し、オーロラが思わず左頬を撫でた。
その仕草を見て、その場であったであろう顛末を想像したミハイルが、眉根を寄せる。
「それは……調書にはなかった。
大変だったな……」
「ええ、まあ。
すぐに誤解だとわかっていただいて、謝罪もしていただきましたけどね。
そんなことがあったので、縁談とか婚姻とかに対する私の熱意はそれまで以上にゼロになったというわけです」
「なるほどな…」
「ですので、ミハイル様」
「なんだ?」
「契約の第六項は、遵守してくださいね」
オーロラの言う第六項というのは、契約時に最後に付け足した
『約束の令嬢』本人が見つかった場合、本契約による婚姻関係は速やかに解消すること
という項目である。
「人生、二度も修羅場はごめんですから」
「……わかったよ」
悪戯っ子のようなオーロラの言い様に、ミハイルもにやりと笑って頷いた。
そしてふと、真顔になって尋ねる。
「今も、か?」
「はい?」
「今こうして、私と婚姻を結んでいる状態で侯爵邸にいるのも、実は苦痛だったりするんじゃないか?」
真剣な顔で尋ねられ、一瞬きょとんと動きを止めた後、オーロラは噴き出すように破顔した。
「ふふ、あはは」
「オーロラ?」
「苦痛を感じているなら、オーブリー様に『気が向くまで待ちます』的なことを言ったりしませんよ」
「それは、そうだが…」
「ミハイル様も、侯爵家の方たちもみんな、申し訳ないくらい私に良くしてくださっています。
苦痛に感じることなんて、ありませんから」
「そうか」
ほっとしたのか、神妙な面持ちだったミハイルに笑顔が戻った。
こんな風な反応をされると、契約だからと割り切っている自分が申し訳ないような気がして、オーロラは心の中でそっと謝っておいたのだった。