好きにしていいと言われると時間を持て余すのは何故だろう
仕上がってるとこまであげちゃいます。
以降は日に1話ずつくらい仕上げてアップしてけたらいーな。
頑張ります。
出会ってすぐ求婚という体を装った契約、更に引っ越しという怒涛の一日を終え、バーリエ伯爵家姉弟がリンデルト侯爵邸で暮らす日々が始まった。
引っ越しの翌日には、マシューとメイ、そして双子の弟たちの見守る前で、ミハイルとオーロラは婚姻証明書に署名を行った。
きわめて簡略な婚姻式だが、二人とも成人済みであるので両親の立ち合いは省略できるのだ。
署名ののち、指先に小さな傷を作って血を垂らし、そこに親指を押し付けつつ魔力を流す。
それをもって、婚姻を証明する魔法契約書は完成である。
この婚姻証明書を貴族院に提出し、王の承認を得られれば婚姻は成立する。
ただ、王が提出された婚姻証明書に否と言うことはまずないので、とりあえずこれで晴れてオーロラがリンデルト侯爵家に嫁いだという形式が整った。
幼い頃からミハイルの傍で世話をしてきたのだという執事長のマシューは感極まった様子だし、反対にまだこの結婚に懐疑的な双子達は怪しいところがないかと新婚夫婦の一挙手一投足を凝視していた。
新婦のオーロラはいろいろな意味で居た堪れない気持ちでいっぱいであった。
その一方で、隣の新郎ミハイルは終始嬉しさを隠しきれないという様子で、眩いばかりの笑みを浮かべてオーロラを見つめている。
血を落とすために指先を傷付けた際など、すぐさまオーロラの指に自分のハンカチを押し当て、自ら止血と痛み止めの効果がある侯爵家秘伝の薬で手当てをしてくれた。
包帯を巻いた指先と、その手の甲に口づけを落としながら、
「痛い思いをさせたね、オーロラ。
でもようやく婚姻を結ぶことができて、嬉しいよ」
と蕩けるような極上の笑みを浮かべるという徹底した溺愛モードのオプション付きである。
あまりの過剰演技にゾワッときたオーロラが「やりすぎでは?」と小声で抗議するも、ふふっと愉し気に笑みを深めただけで流された。
婚姻式のあと、ミハイルが侯爵家本邸内をさらっと案内してくれたのだが、その間も彼はオーロラの手を握り腰に手を回してぴったりとくっついた状態だった。
もちろん、顔は美麗な社交スマイル溺愛バージョンを装備したままである。
侯爵家にオーロラたちが来た当初は、皆、最初にタウンハウスを訪れたトレバンと似た反応だった。
ストレートには表現しないものの、どこか『え?本当に?』という雰囲気が使用人の間に漂っていた。
ところが、侯爵家使用人のトップにある執事長マシューはオーロラを『奥様』と呼び誠心誠意仕えているし、若い侍女の中でも侯爵に近しい存在のメイがオーロラ専属として付けられている。
なにより他ならぬ侯爵本人が、オーロラを溺愛する様子を隠そうともしていない。
数日のうちに『あ、これ本気のやつだ』というのが使用人の間での共通認識となり、オーロラたちへの待遇は当主であるミハイルに対するそれに準じるものとなったのだった。
痛みも傷跡もきれいさっぱり治った指先をじっと見ながら、オーロラは『ミハイル様の溺愛モード効果すんごいな』と密かに感心していた。
「もしかして、まだ痛みますか?」
髪を整えてくれているメイが背後から心配そうにオーロラに尋ねてきたのに、大丈夫よと笑って答える。
安心した顔で、メイは再び髪の手入れを始める。
他の使用人は態度がだんだん変わってきたのだが、執事長のマシューとメイというこの侍女は、最初からずっと一貫してオーロラに対して丁重に接してくれている。
特にメイは、朝から晩までずっと専属でついていてくれるということもあり、今ではオーロラの一番の話し相手になっていた。
どうやらメイはミハイルの乳母の娘で、幼い頃から一緒に育った乳兄弟のような仲らしい。
だが決して気安い態度なわけではなく、代々リンデルト家に仕えてきた家柄ということで幼い頃からしっかりと主家子息と使用人の娘という線を守るよう躾けられてきたということだった。
一体彼女はいくつなんだろうと一度だけメイに年齢を尋ねてみたのだがにっこり笑って流されたので、以降オーロラはその話題には触れないでいる。
「美しい御髪ですね、お嬢様」
婚姻式を終え、マシュー他の使用人は皆オーロラのことを『奥様』と呼ぶようになった。
『お嬢様』以上に『奥様』は耳慣れない呼称で、せめて一番近くで長い時間を過ごすメイには名前で呼んでほしいと懇願した。
ただ、それでもメイには名前で呼ぶことを固辞されてしまったので、折衷案になるかは微妙なところではあるが『お嬢様』の呼称で妥協してもらったのである。
「メイが手入れしてくれているからよ、ありがとうね」
「いえいえ、最初に櫛を入れさせていただいた時にも、輝くように美しい御髪でしたよ。
それにお嬢様の瞳、青とも緑ともつかない綺麗な色で、お名前の通り、本当に北辺のオーロラのようです」
「メイはオーロラを見たことがあるの?」
「幼い頃、両親と兄と一緒に北辺に旅行に行ったことがありまして、そこで」
「へえ~」
一つ驚いたのは、執事のトレバンがメイの実の兄であるということだった。
長身のごつめなトレバンと、背が低く華奢で可愛い印象のメイは、外見的な共通点はほぼないので言われるまで気が付かなかった。
「バーリエ領は王都よりは北にあるけど、オーロラがでるほど北に寄ってはいないから、私は見たことがないの。
なんでも両親が若い頃に見たことがあるらしくて、生まれたばかりの私の瞳の色からこの名前を付けたのですって」
「素敵ですね」
「いつか私も、自分の目でオーロラが見てみたいわ」
「何が見たいって?」
「きゃっ、ミハイル様!?」
突然背後から声が掛かって鏡越しに見れば、笑顔のミハイルが立っていた。
「ミハイル様、支度中の女性の部屋に押し入るような子に育てた覚えはございませんよ」
「なんだか楽しそうに話すのが聞こえたので、つい…」
「部屋の外で、大人しく、お待ちになってくださいませ」
「悪い……」
メイに叱られてすごすごと出ていくミハイルを、オーロラは珍しいものを見た気分で鏡越しに見送った。
(ほんと、メイっていくつなのかしら?)
なんだかますます知りたくなったが、聞いちゃいけない気配も感じる。
もうちょっと仲良くなったら聞いてみようと、現時点では好奇心をぐっと抑え込んだオーロラである。
メイに促されて退出したミハイルと扉の前で落ちあい、手を取られて食堂に行き、双子達もそろって一緒に朝食を摂る。
その後、学院に行く双子と、仕事で侯爵邸から出かけていくミハイルを相次いで玄関先で見送りに出た後は、オーロラは完全に自由時間になる。
侯爵邸に来た当初、邸内の案内がだいたい済んだ頃に、周りに使用人のいないときを見計らってオーロラはミハイルに尋ねてみた。
「私は、侯爵邸で何をすればよろしいのでしょう?」
それに対してのミハイルの答えは至ってシンプルなものであった。
「何も」
「……何も? 何もしなくてもいい、ということですか?」
「そうだ」
「えぇ~……」
「双子が王都に来てからというもの、休みもなく働いていたと聞いている。
今は我が家からの援助もあり、契約で日毎に給料だって出ている。
仕事をする必要はなくなったのだし、これまで頑張り続けた自分への褒美だと思って悠々自適な生活を楽しんだらどうだ?」
というわけで、ミハイルが侯爵邸にいない時間は、まるまるオーロラが好きなことをしてもいい時間となった。
ただ、人というのはいざ好きにしてもいいぞと言われると、時間を持て余してしまうものだ。
忙しい時には、自由になる時間が持てたらあれがしたいこれがしたいと架空の予定を立てて、それすらも楽しめるというのに。
オーロラも、最初こそ、かねてより買い貯めるだけで全く読めていなかった本を手に嬉々として読み始めたものの、そんな日々には三日で飽きてしまった。
開いた本を前にぼーっと庭を眺めていたら、横からすっと茶器を差し出された。
「お邪魔してしまいましたか?」
気遣うように覗き込んできたメイに、笑いながら首を振る。
「いいの。字ばかり追いかけていたから、少し休憩をしようと思っていたところ。
お茶、嬉しいわ。ありがとう、メイ」
「いえ。
何をお読みになっていらっしゃるのですか?」
「東方諸島の伝承にまつわる本なの」
「なんだか難しそうですね」
「そんなことないわ、民間伝承だから、民話とか童話みたいな内容もあるの。
結構面白いのよ」
「まあ。あら?
でもそれ、原書、ですよね? 訳本ではなく?」
「東方諸島の本で訳されたものって、なかなかないのよ。
この原書も、取り寄せてようやく届いたの」
「貴重なものなんですね……」
「この本自体は多分現地ではありふれたもので貴重というほどでもないと思うけど、王国に入って来る数が少ないみたいで」
話をしながらお茶を飲んでいるうちに、本当に字に飽きてしまったような気になってきた。
もう今日は読書は止めようかな、と思っていると、オーロラの気持ちを汲んだようにメイが提案してきた。
「お嬢様、好きなお花はございますか?」
「お花?」
「はい。
リンデルト侯爵邸のお庭には季節の花が絶えず咲いています。
温室には、王都では普通見かけられないような南方の花もございます。
きっと、お嬢様が気に入るお花も見つかりますよ。
お花を摘んで、それを旦那様の執務室に飾って差し上げれば、きっと喜んでくださいます」
「花、かぁ」
ミハイルがオーロラの摘んだ花を飾られて喜ぶかどうかは定かではないが、気分転換にはちょうどいいかもしれない。
「そうね。メイ、案内してくれる?」
「はい、参りましょう」
その日、日付が変わってから侯爵邸に戻ってきたミハイルは、執務室に花が生けられているのを見つけた。
「奥様が摘んで、生けてくださったそうです」
「オーロラが?」
ミハイルの視線に気が付いたマシューが説明をしたのに聞き返す。
「奥様がお好きな花なのだと、メイが言っておりましたよ」
「オーロラの好きな花、か」
ミハイルは手を伸ばし、そっと指先で花弁に触れてみた。
今日の午後摘んだばかりだという花はまだ瑞々しく、そこだけぽっと明かりがともったように感じられた。
思わず笑みがこぼれた主人の横顔を、幼少から彼を見守ってきた執事長は微笑んで見つめたのだった。
忙しくてたまらん時にこそ休みの計画を考えるのって楽しいですよね。