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だから違うと言ってるでしょう  作者: 錫乃


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38/39

あなたに伝えなければと思っていたこと


目を開けた後少しの間ぼーっとしていたミハイルだったが、オーロラが目覚めて、かつ涙を流しているのを見て飛び起きた。


「オーロラ!? 目が覚め……っ!!!」


掛けていた毛布に足を取られてつんのめったミハイルが転んだ。

痛そうな音に驚いて、オーロラも思わず怠い身体を起こした。


「わっ、ちょっと、大丈夫ですか!?」

「大丈夫、大丈夫だ……」


明らかにどこかぶつけたろうに、しかしミハイルはすぐに立ち上がって倒れ込むようにしながらオーロラのベッドの傍までやってきた。


「大丈夫か、オーロラ。

どこか痛むのか!?」

「大丈夫です」

「だが、泣いているじゃないか」

「本当に、どこも痛くはありません。

もともと大した怪我はしておりませんし。

助けてくださったおかげです。ありがとうございました」

「気分が悪いとかは?」

「それもないです。

そう言うミハイルの方こそ、ひどい顔色です」


心配そうにオーロラを見つめるミハイルの顔は青白く、今にも倒れそうだ。いつも涼やかに見えた青い瞳の下にはくっきりと隈もできてしまっていた。

オーロラは少しこけた彼の頬に手を伸ばしかけたが、触れる直前に止めた。本物の令嬢が現れ自分達の契約結婚は終わりを迎えたことを思い出してしまったのだ。そうなってしまうと、一度は素直になれた心がまた急速に閉じてしまう。先ほど思わずいつも通りに名を呼んでしまったことも、今更ながらに後悔した。

オーロラが躊躇いがちに手を下ろしてしまうのに気づき、逆にミハイルの方がその手を捕まえた。


「オーロラ、よかった……」


自らの頬にオーロラの手を当てそう呟いた後、彼は黙り込んでしまう。オーロラの手を頬に押し当てたまま目を閉じている様子は、まるで彼女の存在を確かめているようだった。

眠ることも食べることもせずにずっとオーロラの傍にいたと、グリフィスが言っていた。心配をかけたのだなと申し訳なく思うオーロラだったが、同時にこの距離は駄目だという思いもどうしても湧き上がってきてしまう。彼の様子を見れば憎まれたり疎まれたりはしていないと思うが、オーロラ自身の気持ちとミハイルの気持ちが同じとは限らない。

触れた掌から自分の心が伝わってしまいそうで、オーロラは意を決して彼の手の中から自分の手をゆっくりと滑らせて抜いた。

離れていく温もりにミハイルの顔が傷ついたように歪むのに心を痛め、オーロラは目を伏せてしまった。苦しくて、彼の温もりから離れた手をもう一方の手でぎゅっと握り合わせる。

それでも、どうしても伝えなければならない言葉を唇に乗せた。


「…アウローラ様に、お会いしました」

「……ああ、私も会った」


少し間をおいて、淡々としたミハイルの声がした。

彼がどんな表情をしているのか見る勇気のないまま、オーロラはこの数日間の自分の行動について謝罪し深々と頭を下げた。


「ご挨拶もなしに侯爵邸を去ったこと、失礼をいたしました。

そのせいで侯爵様や皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」


一方のミハイルは、オーロラの言葉遣いと態度に彼女が自分から距離を取ろうとしているのを感じた。

もとはと言えば身勝手極まりない契約を持ち掛けたのはミハイル自身だ。こんな風にオーロラが一歩引いた態度を取るのも自業自得でしかない。


(だが、もしもここで躊躇って踏み出さずにいたら、きっともうオーロラの隣には戻れない)


先ほどグリフィスが言ってくれた言葉にも勇気を貰い、ミハイルは布団の上で無意識にぎゅっと握り合わせていたオーロラの両手に再び自分の手を重ねた。

傷に響かないようそっと、でも逃げないでほしいという願いを込めてぎゅっと、彼女の手を握る。


「オーロラ……侯爵邸に戻ったとき、君が居なくて私がどれだけ驚いたか。

ちゃんと君のところに帰ると言ったのに、私を置いていくなんて悲しいじゃないか。

そんなに侯爵邸から、私のところから去りたかったのか?」

「そんなことは……ありません。

でも、本当の令嬢が見つかったら、速やかに去るというのも、契約にありましたから…」

「それでも、せめて私が戻るまで待っていてほしかった。

二人で決めた契約だ。どんな形で終わるにせよ、二人でちゃんと話をしてから、だろう?」

「………はい、申し訳、ありませんでした」


謝ってほしいわけでは決してなかった。それでも侯爵家や自分が嫌で出ていったのではないと聞いて、ミハイルはそれだけで胸がいっぱいになった。

だがそれだけで満足してはいられない。今日こそはちゃんと、最後まで話をしなければならない。

躊躇っていてはオーロラは離れていくばかりだ。


「アウローラ嬢には、君が出て行ったあの日、包み隠さず全部、話した」

「………全部?」

「ああ、全部だ。

よく覚えてもいない昔の出来事を誇張し縁談除けの便利な口実に使っていただけで、かつての出会いなど全く記憶にないし、貴女には全く興味がないと。

最初は話が通じなくてだいぶ苦労した。自分こそ運命の相手なんだから侯爵夫人にしてくれと言って聞かなくて、だから全部話した。

侯爵位はいずれ弟に渡したいと思っていること。

その後は侯爵家を離れてのんびり土いじりでもしようかと思ってると」

「土いじりって……」

「どうもリンデルトの爵位を狙う分家筋の者とも裏で繋がってる可能性があってバラすのもどうかと思ったんだが、いくら断っても幼い頃に約束したんだから結婚してくれと言い張るばかりで埒が明かなくてな。

全部話したら、そりゃあもう、綺麗に手のひらを返して侯爵邸から去っていったよ。

侯爵夫人の地位に就いて一生贅沢三昧と踏んできてたのにアテが外れたってとこだろう。

私が弟に爵位を譲りたいと言っているのは本邸内では多くの者が知るところではあるが、外部には漏らさぬよう緘口令は敷いてある。もし分家筋の何某(なにがし)かが騒ぎ出したら、それを漏らしてそいつらに伝えた本邸内の鼠まで一網打尽にしてやるつもりだ」


実際には、ミハイルはアウローラ嬢を説得して侯爵邸から去らせるために想像以上に多大な労力と時間を割いたのだが、あらためてアウローラと自分とは全くなんの関わりもないことを伝えたくて、あえてさっさと帰っていったような言い方をした。

オーロラの方も、()()アウローラ嬢が手のひらを返して去っていくところは想像しにくかったが、()()アウローラ嬢だからこそ引く時も早かったのかもしれない、と妙に納得した。

一方で、侯爵家を離れて土いじりという未来図はオーロラも初耳であったので、そこもびっくりした。日々莫大な金額を動かして事業を切り盛りするミハイルがのんびり花や野菜に水遣りする姿も、なかなか想像できない。


「オーロラ」

「……はい」

「君と出会って、共に過ごして、仕事でもたくさん助けてもらって、私は心から感謝している。

思えば出会い方からして信じられないほど、失礼で、常識はずれで、ありえない提案をした私に、君は誠実に、応えてくれた。

だから、このままではだめだと、こんな歪んだ関係に君を縛り付けたままにはできないと、思ったんだ」

「侯爵様……」

「王都に帰ったらその時こそ、本音で話をしようと、思っていた。

ありのままの、私で……なのに」


そこで一旦ミハイルが言葉を切り、少しだが眉間に皺を寄せながらオーロラの手を握る自らの手に力を込めた。


「なのに、侯爵邸に戻ってみたら私に何も言わないまま、君は消えていた。

代わりに君じゃない、見知らぬ女がいた」

「申し訳ありま……?」


勝手に侯爵邸を出ていったことを責められたのだと謝罪の言葉を口にしかけて、オーロラが途中で止まる。ミハイルが若干の苛立ちを見せた理由と、自分の謝罪した理由が、微妙にずれている。


「見知らぬ女性、ではないですよ、ね?

アウローラ様こそ本当の『約束の令嬢』で……」

「いや、そもそも顔も覚えていなかったんだぞ? 十分知らない女だろう。

『約束の令嬢』なんぞ始めからいない。

架空の初恋をでっちあげて縁談避けとして便利に噂をばら撒いてただけだと、何度言ったら信じてくれるんだ?」


他でもないオーロラが、これほどまで『約束の令嬢』という架空の存在に振り回されている。

つくづく自分がこれまでついてきた嘘は罪が深いと、ミハイルはあらためて悔いた。


「まさか本当に”ホンモノ”が出てくるなんて夢にも思ってなかった。我が家の調査部の怠慢と、自分の能天気さに腹が立つ。

本物が現れたら速やかに去るだなどと、あんな条項、付け加えるのではなかった。

よりによって私が留守の侯爵邸に乗り込んできて、しかも君に手を挙げたそうじゃないか、あの女……!」

「あの女って……」


(そりゃ、いきなり乗り込んでこられたのも、手を挙げられたのも事実だけど)


人身売買組織の隠れ家で話をした限り、アウローラ嬢も後ろ暗い取引に関わっているのは明白だ。侯爵夫人としてはとても迎え入れられないのはわかる。

それでも、完全なるポーズだったとはいえ結婚を約した相手だと周囲に言い続けた令嬢本人が現れたというのに『あの女』呼ばわりとは。

呆気にとられるオーロラに、ミハイルは重ねた手の力をふっと緩めてまた優し気な笑顔を向けた。

これから契約結婚を解消しようとしている女に向ける笑顔じゃないでしょう、とオーロラは焦る。

ベッドに座って両手を捉えられたままでは、俯くか顔をちょっと逸らすのが精一杯で距離を取ろうにも離れられない。


「あの、侯爵様…?ちょっと、近いです…」

「……また侯爵様と呼んだ。

君は夫の名も忘れてしまったのか?」

「そういう訳ではないですが……」

「ここにちゃんと君がいると、確認させてほしい。

君が侯爵邸を去った後ずっと行方がわからなくて、ワイスナー家にいると突き止めた矢先にまた消えて、やっと見つけ出したのに今度は気を失ったまま目を覚まさない。

どれだけ心配したか」

「……ご心配をおかけしました」

「あの女、アウローラ・エンゲはもともと王国のなんとかって伯爵家の二女だったのだが、例の茶会のあと、伯爵と母親が離婚。

すぐに、南大陸の貴族と母親が再婚することになって一緒に南大陸へ渡っていたそうだが、最近になってまた王国に戻ってきて、母の実家のエンゲ侯爵家に籍を移したらしい。

そうしたら、私と君の結婚の報を経緯も含めて聞き及んで、それは自分のことだと知ったようだ。

で、侯爵本家を引っ掻き回して俺に対する家門全体からの求心力を損わせるのを目的にしたうちの分家筋一族の手引きを受け、リンデルト本邸に乗り込んできた、と」

「………行動力のある、ご令嬢ですね」

「ああ、無駄にな。

あちらの国でもずいぶん活発に、奔放な交友関係を築いていたらしい。

いろいろ、主に男がらみで問題を抱えていたところ、心機一転しようと王国に戻ってきたようだ」

「………うゎぉぅ」

「しかも、祖父のエンゲ侯爵が奴隷の闇取引をしていたとは。

令嬢自身もそれを知っていたと、しかも見目いい男性奴隷は自分のものにしたりもしてたとか、ほんとにとんでもない娘だ」


その後、オーロラが閉じ込められていた部屋から数々の証拠品が押収された。

エンゲ侯爵家へと逃げ帰ったアウローラ嬢の身柄も押さえられ、エンゲ侯爵邸にも捜索の手が伸びた。

事が事だけに侯爵は爵位と領地を王家に返上になる可能性が高い。しかも奴隷取引以外にも掘り下げて調べれば余罪が出るかもしれないという話だ。

ここ数年来なかった高位貴族の没落劇に、王都では号外が飛び交い、王城でも混乱を収めるための会議がひっきりなしに開かれているという。


「あのときの茶会のことは本当に私自身の記憶にはほとんど残っていなかった。

周りの大人や、同じくちびだった友人たちの話を総合すると、私と少し話をした令嬢が

『しょうらいわたくしたちけっこんすることにしました』

的なことを言って回っていたらしいというのが分かっていた程度で。

私は家名すら覚えてなかったんだが、今回、本人に会ってなんとなーく思い出したよ」


最近のあれこれでミハイルもようやくほんの少しだけ思い出した。

それでも、派手なドレスだったような気がするのと、くるくる巻いた髪が揺れて面白いな、と思った程度の記憶だったけれど。

金髪碧眼という特徴は、あとで茶会で話した令嬢について聞かれてピンと来なかったミハイルに、彼女について思いださせようとした大人たちが『ほら、金髪で碧い目の子と話しただろう?』と繰り返し訊いて印象づいたものだった。


『ミハイルさまは、こうしゃくけのごちゃくなんなのですよね?』

『おとうととふたりだから、そうなるね』

『なら、おおきくなったらこうしゃくさまにおなりになるのね!

すばらしいわ!!

ミハイルさま、おとなになったらわたくしをつまにしてくださいませ!』

『……つま?』

『けっこんしてくださいまし!

そうすればきっとしあわせになれますわ!』


「―――なんか、そんな遣り取りをした記憶がな、ぼやっとだが浮かんできた」

「………幼少から行動力のあるご令嬢でしたのね」

「まったくだ。

私の方はその場でコイツやばいなと思って、笑って無言のまま躱して距離をおいた、たしかそうだった気がする」


幼い頃からミハイルはミハイルだったのだなぁと思い、オーロラが思わずふふっと笑った。

その笑顔に、ミハイルも安心したような顔になって笑った。


「契約結婚の提案を君に持ち掛けて、我が家の事情に巻き込んで。

その上、留守の隙を突かれて護り切れず、怖い目に遭わせてしまった。

本当に、申し訳ない」

「いえ、拐われたのは私の軽率な行動のせいです。

たくさんご迷惑をかけて、なのに危険な場所にまで助けに来てくださり、本当にありがとうございました。

それに、最終的に契約結婚すると決めたのは、私自身ですから」

「あの時、君に頷いてもらって本当に良かった。

………君は私にとって、大切な存在だ。

でも、だからこそ、誤った関係は正さねばならない。

―――オーロラ・バーリエ伯爵令嬢」


握った手をそっと放し、ミハイルが居住まいを正した。



「君と結んだ契約を、終わらせたい」


次が最終話の予定です。

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