その名を呼ぶだけで
ブクマ、いいね、ありがとうございます。
あともうちょいですー。締めまで頑張ってまいります。
ふっと意識が浮上して、何度か瞬いた。
魔力灯の柔らかい光が照らす部屋、ここは―――――
「侯爵……邸……?」
契約結婚からのふた月を過ごした部屋だと気づき、何処からが夢でどこまでが現実か、わからなくなる。
(拐われて、ミハイルが、助けにきて……
あの場所でアウローラ様に会ったのは、夢…だった…?…)
オーロラが混乱する記憶を辿って仰向けに横たわったままぼーっとしていたら、
「目が覚めたんだね?オーロラ」
すぐ近くで、懐かしい声がした。
「お父、様…………?」
「気分は?」
「大丈夫、です………」
バーリエ伯爵領にミハイルと訪ねて挨拶した、父だった。
「お父様がいらっしゃる……では、ここはバーリエ領?」
「いや、ここは王都のリンデルト侯爵家のお邸だよ。
拉致された君を侯爵様達が助けて、こちらに運んで下さったんだ」
「ど……して、お父様がここに?
私、そんなに長く寝ていましたか……?」
バーリエ領から王都までは急いでも数日かかるのに、とオーロラが言うと、グリフィスが微笑んで経緯を説明してくれた。
「オーロラが助け出されてすぐ、オーブリー殿が飛竜を飛ばしてバーリエ領まで駆けつけてくれたんだ。そして私を乗せて王都まで運んでくださったのさ。
飛竜って早いねぇ。王都まであっという間に着いたよ。だから、オーロラが眠っていたのは半日ほどだよ」
オーブリーが飛竜の背にグリフィスを乗せて連れてきてくれたらしい。
流石に母のナディアは飛竜で飛ぶのは負担が大きそうだったので、オーブリーから借りた通信魔道具で状況を聴きながら馬車で王都に向かっているそうだ。
「王都までの道中、オーブリー殿から話は聞いたよ。
契約結婚のこと、侯爵家を出た経緯、あと組織に攫われたこととか、だいたいね」
グリフィスの話を聞いているうちに、オーロラは自分の身に起こった一連のことが、しっかり現実だったと思い出した。
そして、横になったままおそるおそる父の顔を窺い見る。
取り急ぎ伯爵領を出てきたのだろう、慣れない飛竜の旅のせいも手伝ってか、父の顔には疲労が滲んでいた。いつも通りほのほのと微笑んではいるが、目はあんまり笑ってない気がする。
「言いたいことは山ほどあるんだけど」
「………はい」
「まずは、無事でよかった」
「心配をかけてしまって、ごめんなさい」
「そうだね、まずそれを言わないと。
みんな、本当に心配したんだよ。
王都に危険があると知りながら外に出してしまったとワイスナー夫人には謝られてしまったが、一瞬でも護衛の視界から脱したのは迂闊だったね。
いくら護衛の方にいてもらっても、当の本人が警戒心が薄いんじゃ、護りようがない」
「はい、仰るとおりです………」
「昔からオーロラはそういうところがあるよね。
何か興味を引くものを見つけると周りに目が行かなくなるというか」
「う……ごめんなさい…」
まだ起き上がる気力がなくて枕にくっついたままで申し訳ないとは思いながらも、首だけでも動かしてオーロラは頭を下げた。
そんな娘に、父グリフィスはうんうんと頷いた。
「それから、“契約”についてだね」
父はオーブリーから全部聞いたと言っていた。
つまり、侯爵家の皆にももう、契約上の妻であったことが知れ渡っているということだ。
「他人や周りにいる人間に頼らず、自分だけでなんとかしようと抱え込むことがある。それはそれで、裏を返せば自立心があるって意味で、君のいいところでもあるけれど。
バーリエ領の財政のこと、オーロラにはたくさん心配も迷惑もかけて申し訳ないと、私達の方こそ思っている。ほんとにね。
でも、君が伯爵家のために犠牲になることなんて、誰も望んでない。伯爵家の運営は伯爵であるこの父の仕事なんだから。
もしも困った時、助けて欲しい時にはちゃんと言うよ。婚約解消をするかを相談したときのようにね。家族なんだから」
「はい………ごめんなさい。お父様」
「最後に、婚姻について嘘をついていたことも。
娘が幸せな結婚をしたとばかり思っていたから、それが演技だったなんて、信じられなかったよ」
「…っ………申し訳、ありませんでした」
「私だけじゃなく、今心配しながらこちらに向かっている母様や、侯爵家のご両親にも。
会って直接、ちゃんと謝罪をしなさい。
そこの、彼と二人でね」
「……………あ…」
そこの、とグリフィスに身振りで示されて、オーロラはようやく、父の背後にあるソファに沈み込んで泥のように眠っているミハイルに気がついた。
「オーロラが侯爵邸を出た後すぐ、邸に戻ってきたんだそうだ。
それ以来、君の行方を探していた間、睡眠も食事もほとんどとってなかったらしい。
救出にあたっても、たくさん魔力を使ったり、ずいぶん無茶をしたそうだよ。助け出してからもずっと休みもせず、君の傍から離れなかったと。
こんなにも、愛してもらっているんだね、オーロラ」
「それは…別に愛とかじゃなくて、契約の相手として助けに来てくれただけで…」
愛してもらっているという父にオーロラは否定を返しながら、自分自身の発した言葉に切り付けられていった。分かった上で受け入れたはずの契約上の妻という立場に虚しさを感じるようになったのはいつからだったろう。
ひとりで落ち込む娘の頬に触れ、父グリフィスはふるふると首を横に振った。
「ただの契約相手のために、食べも眠りもせずここまで必死になってくれるかな?
たとえ夫婦の愛情じゃなかったとしても、大切に想われてるのだけは間違いない。そうだろう?
最初は契約だったかもしれないけど、オーロラだって今は彼のことをとても大事に思っている。違うかい?」
「……………」
グリフィスに言い当てられ、オーロラは唇を噛んで黙り込んでしまった。
契約上の結婚なんてものをしたばかりにすっかり互いに気持ちがすれ違ってしまっている二人に、グリフィスはやれやれと眉を下げて苦笑するしかない。
「先ほど彼が眠る前に話をしてね、たくさん謝られたよ。
自分まで倒れそうな様子なのに、それはもう必死に。
彼にも同じことを言ったんだけどね。
契約上の結婚から始まったのでも、いいじゃないか。
きっかけなんて、たいした問題じゃない。
大事なのは、互いにどう想っているか、だろう?
それともオーロラは、本や演劇の中みたいに劇的な出会いじゃないと、愛や恋にはなっていかないのかい?」
揶揄うように聞いてくる父に、オーロラは少し頬を膨らませる。
「………恋愛小説は、好きじゃないわ」
「ははは、そうだったね」
幼い頃にしてくれたように、グリフィスがオーロラの頭を優しく撫でた。
「彼が目覚めたら、ちゃんと話をしなさい。
意地を張らず、心のままに。
でも今はもうひと眠りしたほうがいい。
彼も、もう少し休ませてあげないとね」
グリフィスを見ていたオーロラの目線が、父の背後へと移る。
「ミハイル………」
彼の名を呼び、オーロラは唇を震わせていた。
グリフィスはそんな娘にほっとしつつもほんの少し寂しげに笑うと、娘の視界を遮らないよう、そっと部屋を出て行った。
静寂が戻った室内には、ミハイルの寝息とオーロラ自身の息遣いだけが聞こえる。
東海に行く彼を侯爵邸で見送ってから10日あまり。助けられた際の朦朧とした状態での再会を除けば、ずいぶん久しぶりだ。
ミハイルの顔は血色が悪く、もともと余り日に焼けてない肌が更に透き通るように白く見えた。
疲れ切っているせいか少し眉を寄せて、ときおり苦悶するような表情になり眠っている様子は、顔立ちが整っているからこそかえって残念な感じが増している気がする。
毛布から覗く服装も、いつも高級な衣服をパリッと着こなしている若き侯爵家当主の面影が微塵も残らないほどくたびれている。
これほど疲れ果て、無理をして憔悴しきってしまうほど、ミハイルはオーロラのことを心配し探し回った末に助け出してくれたのだ。
次第にオーロラの視界がゆらゆらと歪み始めた。
ひとすじ、またひとすじと、オーロラの目尻から滑り落ちる涙が枕を濡らしていく。
意地を張らずにと父が言ったように、自分を分厚く包んでいたなにもかもを脱ぎ捨てた心で、オーロラの瞬きを忘れたその目はただただ真っ直ぐに、眠っているミハイルを見つめていた。
「ミハイル……」
彼の名を呼ぶだけで、満たされる。
目を開けて自分を見てほしい。その声で自分の名を呼んでほしい。
(ああ、駄目だ。私、この人のことが好きだ)
一つ瞬きをしたら、睫毛の先で涙が跳ねた。
「ミハイル」
微かな呼び声に反応し、その濃い青の瞳がゆっくりと開いていくのを、オーロラは静かに涙を流して見ていた。




