働く令嬢を舐めちゃいけない
「変なところで会うわね、ニセモノさん」
見下ろしてくる碧眼の冷たさとそこにはっきりと浮かんだ侮蔑に、オーロラはこの再会がありがたいものでは絶対にないということを悟った。
「……どうして、貴女がここに? アウローラ様」
先日、リンデルト侯爵邸に自分が本物だと言って乗り込んできた、アウローラ・エンゲ嬢だった。
エンゲ侯爵のお孫様がなぜこんなところいるのだと混乱するオーロラの前で、アウローラ嬢は明らかに前からの知り合いという様子で男達と話している。
「お嬢、知ってる娘ですか?」
三つ黒子の男が東方訛りの北大陸公用語で尋ねるのに、アウローラ嬢は鼻で嗤って答えた。
「私の初恋の方相手に、私のふりをしてお宅にまで乗り込んだ泥棒猫よ」
「は? じゃあこいつぁ貴族の娘なんですかい!?」
「リンデルト家に入れるよう手引きしてくれた人に聞いた話じゃ、貴族とも言えないような、ド田舎の三流伯爵家だそうよ」
「お嬢にも初恋なんてかわいらしい時期があったんだな」
「五月蠅いわね。
昔ね、伯爵家以上の子女を招いたお茶会が王城であって、そこでとっても素敵な方と恋に落ちて。
すぐにお父様とお祖父様に頼んで私の釣書を送ってもらったのだけど、どういうわけか先方からお返事がなかったのよねぇ。その後お母様の再婚で南の大陸へ渡っちゃって、それきりになって。
でも、久しぶりにフェアノスティの友達と連絡を取ったら、その方が私のことを探して未だに独身を貫いていらっしゃるって言うから。
だから、手引きしてくれた人の協力もあって王国に戻って来たのに、私のフリをして先に侯爵家に入り込んでいた女がいたのよ」
「そいつがこの娘か?
こんなかわいい顔してやるなぁお前」
「ほんと、性根が卑しいったらないわ。
それにしても、こうして見ても髪や瞳の色だけは私のにそっくりね。
お祖父様に、この女の買い手を私に選ばせてって頼んでみようかしら」
マーガレット夫人から聞いた当時の話を思い出す。
とはいえ、微妙に内容が食い違っている気がするが。
それにしても、どうして彼女がここ、人身売買組織の隠れ家のような場所にいるのだろう。彼女が”お祖父様”と呼んでいるのはエンゲ侯爵のことだろうか。
ミハイルとアウローラが出会った茶会の後、侯爵家では彼女の身辺調査をしたという。
『祖父の侯爵にも暗い噂があり、これは駄目だということになりました』
たしかそう、マーガレット夫人は言っていなかったか。
つまり―――
(人身売買組織の背後に、王国の侯爵家がいるということ!?)
オーロラが愕然となったとき、破落戸風の男が部屋に転がり込むように入って来た。
「頭ぁ!! 大変です、騎士団がっ……」
「うるせぇ、落ち着いてしゃべれ!何がどうしたっ?」
「騎士団が、このアジトの周りに集まってきてやがる!」
「なに!?間違いねぇのか?」
「指揮を執ってるやつに見覚えがありやす!
王立騎士団の、第四師団副師団長でさぁ!!」
(オーブリー様……!!)
ワイスナー子爵家のタウンハウスに向かっていたはずのオーブリーが来ているということは、”鈴”の存在を夫人から聞いてそれを頼りにここを突き止めてくれたのだろう。
王立騎士団第四師団と聞いてただ事ではなさそうと思ったのか、アウローラ嬢が金切り声を上げる。
「ちょっと、なんでアジトがバレてんのよ!?
あんたまさか、第四師団とつるんでわざと捕まったんじゃないでしょうね!??」
キッと睨みつけられ、オーロラがふるふるふるっと勢いよく首を横に振った。
「とにかく逃げねぇとな。
まだここを包囲はされてねぇんだな!?」
「たぶん……」
「おい!捕まえてるやつらはいるだけ箱に詰めて荷馬車に乗せろ!暴れたり騒ぐ奴は切り捨てろ!」
「へい!!」
「別嬪のお嬢さんも一緒に来てもらうぜ」
三つ黒子の男がオーロラに手を伸ばしてきて、反射的に逃れようと身をよじる。
だが、オーロラを連れ出そうとした男を制したのはアウローラ嬢だった。
「待って!!
その女は私の顔と名前を知ってるわ。
もしも逃げられたりでもしたら、組織の背後が探られて面倒よ!」
ふん、と眉間に皺を寄せながら、三つ黒子の男がオーロラの後ろ手に縛られている腕を強引に引っ張り上げて引き摺るように部屋の隅へと連れていった。
そこには、羊皮紙やら紙やらが入った木箱がいくつか乱雑に積み上げられていた。
「なら、勿体ねえがここで証拠品と一緒に灰になってもらおうか」
そのままどさりと木箱の横に投げ捨てるように座らされた。
痛みをこらえてオーロラが見上げると、冷たい笑みを浮かべたアウローラ嬢が壁にあったランプを手に見下ろしていた。
「この部屋はアジトの中でも一番奥、しかもあの扉は内側からは開かないのですって。
騎士団が踏み込んでくるにしても、ここに辿り着く頃には貴女は証拠の品と一緒に燃えちゃってるでしょうね」
冷ややかな声で告げられ、オーロラの身体に震えが走った。
「お嬢、急いでくれ! 裏口から逃げるぞ!」
男どもが扉からアウローラ嬢を呼んだ。
すぐ行くわと答えた後、彼女の手からランプが地面に落とされた。
ガシャンという音とともにガラスが割れ、中の油が漏れ火が燃え移る。
「さようなら、ニセモノさん」
嫣然とした笑みを残し、ドレスの裾を翻してアウローラ嬢が入り口に消え、すぐに扉が閉められた。
―――ガチッ―――ズ、ズズ―――
鍵が閉まる音と、何か重いものが動かされたような音がした後、ドタドタという足音が遠くなっていった。
漏れた油に着いた炎が一人残されたオーロラのいる方へとじわりと這い寄って来て、やがて木箱の傍まで辿り着いた。
オーロラは恐怖に頭が真っ白になりかけたが、ギリッと歯を食いしばる。
(しっかりしなさい!混乱してる暇も落ち込んでる暇もない!!
こんなとこで死んでなんてやらない!
何より証拠品が燃えちゃう!!)
さしものアウローラ嬢も、直接人間に火をつけるのは躊躇ってくれたらしい。
オーロラはそう考えるも、身が焼かれる恐怖はまだ完全に去っていないのも同時に自覚した。
木箱はこの部屋に置かれてしばらく時間が経っていたからか湿っているようで、すぐに火の勢いが強まることはなさそうだが、燃え上がるまでそう長くは保つまい。
オーロラは動きづらい身体を何とか動かし、恐怖に震える自分を叱咤しながら、脚で炎を消そうとしたが、湿った場所とはいえ油があるため、火の勢いを少し弱められてもそう簡単には消えるわけもない。
その時、古い木箱の縁がギザギザとひどくささくれ立っているのに気づいた。よく見れば補強用に打ち付けられた金属も鋲が抜けかけ飛び出している。
オーロラは再び足とおしりでにじり寄り、背中を木箱に向ける。そして手を縛っている縄をごしごしとささくれに強くこすりつけた。
木の破片が手にも刺さるし、金属の端にも肌が当たって痛い。だが燃え広がろうとする炎への恐怖に比べれば何ほどでもない。ごしごしと上下に腕を動かすことしばし、もともと緩かった縄の結びが少し緩んだのを感じた。痛みをこらえ、縛られた手首を捻ってみると、木箱や金属で手に怪我をして滲んだ血が潤滑油代わりになり、なんとか縛られていた縄から腕を引き抜くことができた。
(『お嬢さんの力じゃどうすることも出来ねぇ』なんて、言ってたわね……!!)
思い出すと悔しさや腹立ちが湧き上がり、恐怖に打ち勝った。
「普通のっ、お嬢さんとはっ、違うんだから……!!!」
落ちていたランプを蹴り飛ばし、地面を這う炎を踏み消しながら、着ていた上着を脱いだ。
上着をばさばさと木箱に燃え移った炎に打ち付ける。
「働く令嬢をっ……舐めないでよねっ!!!」




