待ちます、いつまでも
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しめまでもうひと踏ん張り、頑張ってます。
一方その頃、王都東貴族街にあるワイスナー子爵家のタウンハウスでは――――
「リンデルト侯爵家のご兄弟が揃っての訪問とは、仰々しいこと」
マーガレット=ワイスナー前子爵夫人自らが訪ねてきたミハイル=リンデルト侯爵一行を出迎えてくれた。
貴族礼法のお手本のような丁重な挨拶を受けた直後に出てきたのが、先のセリフである。
先ほどまでの態度とはまるで違う冷たいその視線に、先頭にいる侯爵家の兄弟は一瞬身体を強張らせ、後ろに同行している彼らの部下たちは困惑して顔を見合せた。
前に居並ぶ一同を静かに見ていたマーガレット夫人だったが、真正面にいるミハイルの顔色に目を止め、眉を顰めた。
「なんです? その酷い有様は。
そんな顔色で来られたら、意地悪の一つも言えやしないではありませんか」
マーガレット夫人から懐かしくも厳しい口調で叱られて、オーブリーの肩が思わずビクリと揺れた。
だが今のミハイルにはそんな攻め口に怯んでいる暇も余裕もない。
「私の妻は、こちらにいるのですか?」
「存じません、と言いたいところではありますが。
そうですね、バーリエ伯爵令嬢は現在当家でお預かりしています」
「バーリエ伯爵令嬢ではなく、リンデルト侯爵夫人です。ワイスナー前子爵夫人」
「あの子は侯爵家から自らの意思で去りました。もうそちらには戻らないつもりなのではなくて?」
「オーロラの意思は、彼女に直接確認します」
「会わせない、と申し上げたら?」
ビリッと兄から剣呑な圧をした魔力が溢れ出るのを感じ、「やべっ」と思ったオーブリーが一歩前に出た。
「ご無沙汰致しております、ワイスナー先生」
「お久しぶりね、オーブリー殿。王都の守りの要、王立騎士団第四師団の副師団長様におなりとか。
あのひ弱な甘えん坊がこんなにもご立派になられたお姿を拝見できるとは、長生きはするものですね」
「んん゛っ………
先生、今現在王都では行方不明者が多発しています」
「新聞に出ていたあれですね」
「兄に聞いたところ、侯爵夫人は幼少時、今回の事件でも捜査対象となっている人身売買組織と接触していた可能性があります。是非とも事情を伺いたい。面会をさせてください」
「情の次は正攻法で接見を要求するというわけですか。
本当に、兄弟揃って小賢しい。あの素直なレイチェルの息子達とは思えませんね」
すぅっと細められた水色の瞳は氷のように冷たい。
オーブリーは部下の手前、後退りそうになるのを何とか堪えた。
(めっっっちゃ怖ぇ………!
それにさっき意地悪言えないって言わなかった!??
ざくざく斬ってくるじゃん!!)
何をどう言っても勝てる気がしない。
だがここで引く訳にはいかないと、オーブリーはぐっと耐える。
「夫人………オーロラは、彼女はこちらで元気に過ごせていますでしょうか」
オーブリーと前子爵夫人の会話の成り行きを黙って見守っていたミハイルが尋ねた。
「………そうね。少なくとも、今の貴方よりは顔色は悪く無いですよ」
「そう、ですか…………よかった……」
一拍置いて返ってきた答えに、ミハイルが心底ほっとしたように微笑んだ。
いつになく弱さが滲む声に、彼の背後で目線を下げ控えていたトレバンは、主人の心痛を思い表情を曇らせた。心労に乱れたプラチナブロンドは、侯爵邸を出る前にトレバンが整えて一つに結えた。背筋を伸ばし毅然と振る舞ってはいるが、侯爵夫人が行方知れずになって以降、ろくに食事も睡眠も取っていない。
オーロラが侯爵家に来た当初にミハイルが見せた溺愛ぶりで、使用人のほとんどはこれは本当に愛ある結婚だと信じた。だが、一番傍でミハイルを見てきた一人として、トレバンにはオーロラに対する態度は社交の場でミハイルが見せる紳士的なポーズとそう大差なく感じていた。
潮目が変わったのは、ミハイルの執務室に花が飾られた時だ。珍しいなと思って綺麗ですねと言うと夫人が生けたという。保存魔法をかけますかと尋ねたら、少し考えて必要ないと答えた。
「枯れたらまた別の花を生けてくれるだろう」と言った主人の顔は、幼少期からずっと見守ったトレバンからしてもなかなか見たことがないほど嬉しそうだった。その時を境に、トレバンはミハイルにとって大切な女性として、あらためて誠心誠意オーロラに仕えるようになった。
侯爵夫人を取り戻すためには、目の前の厳格そうな貴婦人をどうあっても攻略しなければならない。主人たちのやりとりを聞きながら、トレバンは貴婦人の背後の建物に侯爵夫人の気配がないかを探ろうと神経を研ぎ澄ましていた。
「先生、侯爵夫人に会わせてください」
「彼女には今、考える時間が必要です」
「しかし………!」
夫人と押し問答になりつつあるオーブリーの肩を押さえ、再びミハイルが夫人の前に立つ。
その顔は確かに血色が悪く、憔悴しているのが誰の目にも明らかだったが、不思議と透き通るような清々しさがあった。
マーガレット夫人を真っ直ぐ見て、薄く笑んでミハイルは言った。
「彼女を苛む者はもう、侯爵邸にはおりません。
これからは私が傍で彼女を護ります。
でももしも彼女が、オーロラが嫌な思いをしたあの邸に戻りたくないと言うなら、その時は私が当主を退いて侯爵家本邸を出ましょう」
「兄上っ!?」
「旦那様、それは………!」
突然の侯爵家当主の言葉に、弟のオーブリーと腹心のトレバンが思わず声を上げたが、それもミハイルは身振りで制した。そんな彼を見据えたまま、夫人の目がより一層冷たいものになった。
「平民にでもなるおつもり?」
「そうなると、身分の壁という問題が生まれてしまいますから。
当主を退き前侯爵となれば、仕事で長く家を空けることもない。侯爵家本邸から出て、別邸か、新しい家を探します。
いくらか私財の貯えがありますからそれで新しく小さな事業を興し、彼女と生きていきます」
「あの生真面目な侯爵家ご嫡男、いえ今やご当主様ね。
その貴方が、女性ために責任ある地位を捨てると?」
「責任ある地位だからこそ、このように腑抜けた状態の人間には務まりません。もともと私には、当主の座は荷が重かった」
「兄上!!」
「旦那様、けしてそのようなことはっ…!」
「でも、彼女がいてくれるなら、自分にもできる気がした。
当主としての今後も前向きに受け止めていけた。
オーロラは、欠けた私の一部を埋めてくれる大切な存在です。彼女なしで生きる自分など、想像出来ないほどに」
朝起きて、他愛無い話をしながら朝食を食べる。
一日を終え、行ってらっしゃいと見送ってくれた人の元へまた帰りおかえりなさいと迎えてもらう。
そんな当たり前を与えてくれた。
彼女でなくてもできたことかもしれない。
でも今更、彼女以外の誰かの隣に立ちたいとは、ミハイルは到底思えなかった。
「……もしもオーロラが、貴方の元には戻らないと言ったら、どうするおつもり?」
「戻って来てくれるまでいつまでも待ちます。
もちろん愛を乞う努力もし続けます」
「言っておきますが、あの娘は、頑固ですよ?
待っているうちに、年寄りになってしまうかも」
「じじいになっても、構いません。
年老いてもきっと、オーロラなら可愛らしいことでしょうし。
諦めずにずっと彼女に愛を奉げながら待ちますから」
それを聞いたマーガレット夫人は、「じじい」と呟いた後、数回瞬く間ミハイルの顔を見つめていた。
そしてふっと噴き出すようにしたあと、楽しくて仕方ないという様子で笑った。
ひとしきり笑った後、夫人は先ほどまでとは打って変わって柔らかな表情をミハイルに向ける。
「驚いたわ、ミハイル殿。
貴方、幼い頃に比べたら見違えるほど、人間らしい表情になったこと。
いったい誰の影響かしらね」
「私の妻が、私をまともな人間にしてくれたようです」
「そうかもしれないですね。さすがは私の愛弟子です」
「ほんとですよ。
自分でも驚くくらい、あっという間に彼女の魅力に落ちてました」
「ほほほ」
「俺たちも貴女の教え子ですけどね」とオーブリーが小声で付け加えると、そういえばそうでしたねと、夫人はまた笑った。
「やれやれ、あの子もですが、貴方も相当頑固者でしたね、思い出しましたよ」
「二人とも師に似たのではないでしょうか」
「まあ、言うようになりましたね。夫婦そろって頑固者なんて、周りの気苦労が絶えませんね」
夫婦の共通の師であるマーガレット夫人は揶揄されたのにやり返しながらにっこりと笑う。
「ははは」「ほほほ」と笑い合う二人の貴族に挟まれ、ちょっとだけ帰りたいと思ってしまったオーブリーである。
だが、笑いをおさめたマーガレット夫人から告げられたことに、リンデルト副師団長の顔が強張った。
「今、オーロラはこの家にはいないのです。
王都内に気晴らしに行かせていますから」
「なっ………王都の、どの辺りですか!?」
「ここからすぐの大通り、秋の祝祭の市が立っているあたりに行くと言っていたわ。
当家の護衛を二人つけているから………」
「東部市街地…!」
オーブリーの顔に懸念が浮かんだその時、ワイスナー家の執事が慌てた様子でタウンハウス内から飛び出してきた。
「奥様!大変でございますっ
お嬢様がっ……!」
「オーロラがどうしました?」
「今しがた、護衛のセグド卿から緊急の知らせが…祝祭の市を散策中に、お嬢様の姿が急に見えなくなり、所在が分からないと。今現在も、護衛二人が付近を捜索中とのことですが…っ…」
オーロラの行方が分からなくなったと聞いて、ミハイルは息が止まりそうになった。
ようやく追いつきかけた背中が、また見えなくなってしまう恐怖に駆られる。
執事の話を聞いて、マーガレット夫人も手を額にやり不安げな顔になった。
「なんてこと………申し訳ございません、ミハイル殿。
今回は完全に私の落ち度です」
「我々はこれにて失礼します、夫人。急ぎ妻を探しに参らねば………
行くぞ、オーブリー」
「はい!」
「お二人ともお待ちを!」
急いで踵を返す兄弟を、マーガレット夫人が呼び止めた。
「探す場所は見当がついていらっしゃる?」
「いえ、ですが東部市街地は一番多く行方不明者が出ている地区なので、第四師団員も多数配置されていますし…」
「もしも闇雲に探すというなら、こちらをお役立てください。
オーロラには、何かあった時のために“鈴”を持たせてありましたので」
マーガレット夫人が差し出したのは、魔力探査機能がある魔道具だった。
それを見たオーブリーが希望を見出したという顔で声を上げた。
「鈴!? もしかして、発信機能がある魔道具ですか?」
「本当ですか!?」
「ええ、学院時代に持たせたていたものを念のために身に付けさせています。
捨てずに取っておいてよかった。ちゃんと手入れして魔力も補充してありますから」
そう言って、マーガレット夫人は魔道具をミハイルの手に託した。
「鈴はそれと対になっています。
私程度の魔力ではおおよその位置しかわかりませんが、貴方がたならもっと詳細な位置情報を割り出せるのではなくて?
いかがです、辿れますか?」
「兄上……!」
「無論です」
受け取ったミハイルは、魔道具の探査機能を起動し耳元に当てつつ、目を閉じて自らの感覚をそれに同調させた。
魔道具の機能により、周囲の空間を上空から俯瞰しているかのように感じられるようになる。探査対象である子機の気配は感じるものの、まだ遠く場所の特定は難しい。ミハイルは焦る気持ちを抑えつつ、魔道具に流す魔力量を徐々に増やして認識できる範囲を拡大させていく。まず自分の周り、それからすぐ傍で急いで東部市街区の地図を広げているオーブリー、マーガレット夫人や部下たち、そしてタウンハウスの建物からさらに周囲の建物群。そうして周囲に探査範囲をどんどんと拡げていき――――――
……リーーーン……
―――俯瞰している王都の建物群の中、とある一地点から強く鈴鳴りのような音を感じ取った。
「…………見つけた!!」
閉じていた目を開いたミハイルが、オーブリーの持つ地図上の一点を指差した。
指示された場所を確認し、すぐにオーブリーが部下に指示を飛ばす。
「東部市街地第一六七区…! 王都東門から近い地区だ!巡回中の小隊に通達し、この地区を包囲せよ!
それから東門から王都外へ出る人の流れを一時差し止めるよう、通行管理局に連絡!」
「了解しました!」
「兄上っ!」
探査魔道具との接続を切らないまま、ミハイルはそれを握る自分の左手の手首をじっと見る。
――――オマエノ護リタイモノハ何ダ?
(かつてこれにそう問われた時、なんと答えたのだったか)
朧気な“青”の記憶。
今なら、ミハイルの答えはひとつだ。
「……急ごう」
ミハイルは探査機が伝えてくる音の鳴る方へと駆け出した。




