消えた侯爵夫人(二度目)
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マーガレット夫人に背中を撫でられて少しだけオーロラが落ち着きを取り戻した頃、ワイスナー家の執事がリンデルト侯爵家から緊急の訪問の問い合わせが入ったと告げた。
「来たようですね」と夫人は笑みを深めた。
その冷ややかな横顔を見たオーロラは思わず「ひっ」と声をあげてしまい、はしたないと睨む恩師にまた謝ることになった。
「思ったより遅かったですね。
ミハイル殿自身ではなく、腹心の執事長でも寄越したのかしら?」
「いえ、訪問予定者はリンデルト侯爵様ご本人と、それから王立騎士団第四師団の副師団長様が同行されていると……」
「オーブリー様まで……!?」
「侯爵家兄弟が揃ってお出ましとはね。
いいでしょう。
オーロラさん」
「っ………はいっ!」
「邸の奥に隠れるのと、一旦街へ降りて身を隠すの、どちらがお好み?」
「………はい?」
ミハイルに加えオーブリーまでもがこちらに向かっているということにオーロラは慌てるが、そんな彼女に恩師は事もなげに尋ねてきた。
一瞬理解が追いつかなかったオーロラだったが、夫人の意図するところを汲み取り困惑する。
つまり、この場は会わずに逃げろということらしい。
「いいのでしょうか……?」
「いいのですよ、とりあえず追いかけさせてやりなさい。
いま一度、ひとりで冷静になってよく考えてみるのもいいでしょう。
まあ、貴女が会いたいというなら、止めはしないけれど」
「っ……」
言われてオーロラは唇を噛み目を伏せた。正直なところ、まだどんな顔で会えばいいかわからない。
オーロラは、迷った末に二つ目の選択肢を選んだ。
「では、当家の護衛2名をつけます。
それからこれもお持ちなさい」
夫人が引き出しから取り出して渡してきた品は、オーロラが学院時代に使っていたものだった。
懐かしさに浸る暇もなく、ドレスのままでは目立つからと急いで動きやすい格好に着替えさせられ、そのまま追い立てられるように一般市民街へと向かった。
いつ用意されたのか、平民の町娘が着るような簡素だけど可愛らしい服に身を包めば、我ながら貴族には見えないなと苦笑する。スカート丈はくるぶしが見える程度、白いブラウスの上に寒くないようにと少し厚手の上着を重ねる。この最近着ていた高級な貴婦人のドレスより格段に動きやすく、オーロラはこちらの方が自分には馴染むような気がした。
「あまり離れていかれませんよう」
「わかりました」
護衛たちにそう言われ、頷く。
王都内は、秋の終わりに毎年開かれる実りに感謝する祝祭の期間中で、割と人が多かった。
例の注意喚起されている件も頭を過ぎりはしたがが、ワイスナー家に来てからの新聞にも特に目立った動きは掲載されていなかったから、状況は落ち着いているのかもしれない。人々の笑顔には不安は見受けられなかった。
大道芸を披露する人やそれを見る見物客でごった返す大通りの両脇には、珍しい外国の商品や、地方の特産品を並べた露天商が立ち並ぶ。
食べ歩きできるものを売る店の香ばしい匂いも風に乗って流れてきて、普通なら気分が浮き立つところだろうがオーロラの表情はどこか浮かないままだった。
行き交う楽しそうな人々の間を縫って歩きながら、オーロラはミハイルとの日々を振り返る。
先ほど泣くほど好きになっていたのだと自分で自覚したばかり。ここで普通の令嬢なら、心の中は恋しさでいっぱい、彼を想いまた涙を流していてもおかしくない……のだろうが。
そこはオーロラという娘が他とはちょっと違うところ。
恩師に「冷静になって考えてみろ」と言われたのをきっかけに、弟たちに淡泊だと言われた性格が出て、オーロラは今、自分の恋心(?)について本当に冷静になって考えていた。
現時点で、ミハイルのことを好きなのは間違いないようだ。他の女性が彼の隣にいると考えて泣けてくるほど、そしてできればまたこの先も共にありたいと思うほど。絆された、と言えばそうなのだろう。
では―――いったいいつから好きになったのか?
あと―――いったいどこを好きになったのか?
まず、『いつから』問題の方だが、思い返せば、挨拶回りの終わりにミハイルが契約の更新を行いたいと言った時点では、もうだいぶ絆されていた。『正式な伴侶を迎えたら』という条件を見たとき、複雑な気持ちになったのも確かだから。
では挨拶回りの前はどうだったろうかと考えると、微妙なところだ。ダンスの練習に付き合ってくれたりと、ずいぶん距離は縮まっていたし、ミハイルに遠慮がなくなったと言われたりもした。
ダンスをしていて、ミハイルの整った綺麗なお顔が間近にあって、近づいた距離にオーロラにしては珍しくドキッとしたのも覚えている。
婚姻式の誓いのキスは二人で相談して省略したし、溺愛サービスはあったが腰に手を当て隣を歩くのや指先にキス程度までで、あそこまで密着してまじまじとミハイルのことを見たのはダンスのときが初めてだった。
(え、顔なの? 結局顔なの??)
『どこを』問題の方の答えも割り込んできそうになって、オーロラの眉間に令嬢にあるまじき皺が寄った。
ミハイルは、幼少時にいろいろあったせいで自己評価が低い様子が見受けられるが、実際はとんでもないハイスペックイケメンである。顔よし、家柄よし、能力あり、財力も十分すぎるほど。性格は…若干難ありな気もするが、リンデルト侯爵家当主としての仕事に真摯に取り組む姿は好感が持てると、働く令嬢なオーロラも思う。
挨拶回りの旅の途中、バーリエ伯爵領で見た意外な姿も。一緒に採ったリンゴで並んでアップルパイを作ったのは、予想外な彼の一面を見たのも手伝ってとても楽しかった。
それに、と、オーロラはミハイルとの心の距離を縮めるきっかけになった理由をひとつ見つけた。
「強いてあげるなら、本のこと、かな……」
思わず立ち止まってしまい、護衛の一人から「どうかされましたか?」と聞かれて「なんでもない」と誤魔化しまた歩き出した。
貴族女性の読む本といえば、刺繍の図案集だの、恋愛小説だのが多いし、オーロラもそれらを読むことはある。一方で外国語の本を読んでいる女性は少数派だ。しかもオーロラは伝記本やら伝承集やら、ジャンルは雑食中の雑食。学院時代も理解してくれる友人はほぼなく、特に男性には怪訝な目で見られたものだ。元婚約者の幼馴染などは読書好きだといったら読んでいるのは恋愛ものの小説だろうと決めつけてきた。
あくまで読書は趣味だ。だから他人に理解されなくとも別に構わないと、オーロラ自身も割り切ってきた。
でも、東方の本を読んでいるとメイから聞いて、希望の本があれば取り寄せてくれるとミハイルは言ってくれた。欲しい本をリストにして渡した時も、そのラインナップが普通女性が好みそうにないものばかりでも、馬鹿にしたり引いたりしなかった。
ただの趣味、でも自分の中に大事なものとしてある事柄を、ありのままに理解してくれた異性は、家族以外ではミハイルが初めてだった。
そのままのオーロラを、見てくれる人。
そう思ったとき、オーロラの中のミハイルが、それまでとは違う、自然体な距離で隣にいてくれる異性になった気がする。
今頃、そのミハイルはワイスナー家のタウンハウスで恩師のマーガレット夫人と対峙しているだろう。
体調が悪そうだと聞いて少し心配になるが、ミハイルがオーロラを探している理由は本当に自分が抱えている気持と同じだろうか、という点も、改めて冷静に考えると疑問が強くなった。
ハイスペックなミハイルと違い、オーロラ自身は非常に平凡。実家は伯爵家とはいえ清貧の極み、しかも一度婚約解消している訳ありでもある。
我ながら好きになって貰える要素が見つからない、とオーロラは落ち込む。
(やっぱり、恋や愛とは別の理由で探しているんじゃ……?)
とはいえ別の理由についてもオーロラには心当たりはないのだが。
(翻訳か通訳の仕事のこと?
素人仕事なんだから侯爵家が本気だして探せば代わりなんていくらでも見つかるよね………
いただいたものは全部侯爵邸に置いてきたし、指輪も……返したし)
そんなことを考えながら歩いている時、立ち並ぶたくさんの露店のうち、様々な種類の装飾品が並ぶ店にオーロラの目が止まった。
護衛の男性に声をかけて店の前で立ち止まり、並べられた品を覗いてみた。宝石というよりは、荒削りの原石や、正規品を加工する時に出来たクズ石というに近いかもしれないが、それぞれ工夫して美しく仕上げられた指輪やブレスレットが並んでいた。
目を引いたのは、青みが濃い石がついた、指輪。
(あの指輪には、似ても似つかないけど………)
軽くなってしまった左手を、もう一方の手が無意識に押さえた。かがみ込んで品物を見ていたら、くいくいっと脇から袖を引かれた。何?と見ると、よく日焼けした、簡素な服を着た街のごく普通の子がにこにこしながらオーロラを見上げていた。
「もっと綺麗な石がついたやつ、あるよ!」
「そうなの?これより青いやつもある?」
「あるよ!こっち!」
「あ、ちょっと……!」
かがみ込んだ体勢のままで手を引かれ、店と店の間からすぐ後ろに延びた細い路地に案内された。
強引な子だなぁと思いながらも見てみれば、路地の入り口すぐの場所に大きなトランクを開いて中の商品を売っている別の露天商がいた。確かにたくさん、様々な色のついた石をあしらった品を扱っているようだが、狭い路地という場所にふっと警戒心が湧いた。
「んー、やっぱりさっきのお店にしようかな。
教えてくれてありがと…」
店を教えてくれた子とともにすぐ表通りに戻ろうと振り返ってみたが、子供の姿は見えなくなっていた。あれ、と思ったその瞬間、背後から肩を掴まれ刺激臭のする布で口と鼻を押さえられた。瞬時にぐらっと視界が霞み意識が遠のく。
「よう、別嬪さん」
耳元で聞こえたしゃがれ気味の男の声にざわっと肌が泡立つ。
羽交い締めにされ動きづらい中、視界の端で先ほどまで品を陳列していたトランクの中の板が品物ごと持ち上げられ下に空洞が現れたのが見えたのを最後に、オーロラの意識はぷつんと途切れてしまった。




