ロマンスの欠片もありゃしない
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「そして、一年、長くて二年ほどしたら、離婚してほしい」
(………だから、何言ってんの?この人)
音にするのはギリギリ堪えたが、今度ばかりは顔に表情を乗せるのを止められなかった。
何とも形容しがたい顔になっているとオーロラ自身もわかる。
だが、理解できないものはできないし、出てしまった呆れ顔はもうひっこめられない。
「………どういうことですか?」
「契約結婚、というやつさ」
「契約……結婚?」
「うちの家門は、諸外国との貿易と国内市場での商い、両方で結構な利益を得ている。
歴史もあるので、分家や与力の家門も多い」
「……ええ、存じ上げております」
「でもね、富があるということは、それを狙う連中も多い。
知っての通り、私は独身で、しかも運命の相手を探す夢見る男、ってことになってる。
実際は、縁談話をいちいち断るのが面倒くさいから、そういうことにしてたら噂に尾ひれがついただけなんだが。
後継を作れる状態にない、結婚するかも怪しい当主に、今後も家門を預けてもいいものかという話がこのところ分家筋から出てきていてね」
「はぁ」
「私には弟が一人いる。
優秀な奴で、今は王立騎士団で騎士をやってるんだが、ずっと前線に出るわけにもいかないだろうし、弟が騎士を引退したら彼に家督を譲ろうと思っている。
だが、今すぐではない。
弟も騎士団をまだ離れる気はないようだが、あと一年か二年の間には説得するつもりでいる。
それまでの間、私は隙あらば家督争いに名乗りを上げようとする分家を抑えつつ、しっかりと家門を率いて侯爵家当主の座を守り切らないとならない。
そのため、とりあえず婚姻して後継を作る意思があることを示す必要がある。
そこで、今までさんざんお世話になってきた縁談除けの噂を、さらに利用しようと思ってな。
捜していた『約束の令嬢』がついに見つかったのだと言えば、それまで結婚の“け”の字もなかった当主がいきなり婚姻を結んだとて納得できるだろう」
「そう、ですかねぇ……」
「探している、ということになっている『約束の令嬢』なる女性についてだが……
伯爵家以上で年の頃が近く、金色の髪に、碧眼。
そして名前は『オーロラ』。
結婚してもらわねばならんのだから未婚であるのも重要なポイントだ。
それに合致する令嬢は、フェアノスティ王国内に君一人だ」
「……本当に?
探せばもっと他にもいそうですけど…?」
「いや本当に、君一人だった」
「はぁ。
ですが、再三申し上げていますように、私は王家の茶会に出席もしておりませんし、『約束』をした覚えもございません」
「それもわかっている。
こちらとしては、今現在を乗り切るために『妻』となってくれる人が欲しいだけで、真の意味で伴侶を探してはいない。
むしろ、弟に家督を譲る際に、さらっと離婚に応じてくれる女性が望ましい。
そういう点で、バーリエ伯爵令嬢、貴女は理想的だ。
失礼ながら、貴女は結婚に対してそれほど熱心ではない。
違うかい?」
そんなことありません、とは言えなかった。
もともと希薄だったオーロラの結婚願望。
さらには、こちらの有責ではないにしろ一度婚約を解消した令嬢に新しい良縁が訪れるのは稀であるということ。
幸い今のところ周りの理解と協力もあり、職も得て自立も進んでいる。
実際、このまま独身でもいいかと思っていたところではあった。
黙り込むオーロラを見て畳みかけるように、侯爵がさらに付け加えた。
「しかも君は、私を見ても全く恋愛的な感情を抱いてない。
だろう?」
「え」
「私は、侯爵という地位に加え、財もあり、この見た目だからね。
取り入って益を被ろうという欲望を向けられるのはもちろんだが、大抵の女性からはどうしてもそういう恋慕の情を向けられることが多いんだ」
臆面もなくそう言ってのけるのには少々呆れるが、言うだけはあるご面相なのは確かだ。
誰が見ても美しいと印象を受ける美術工芸品のように整った顔立ち。
それに加え、騎士を思わせるような引き締まった体躯。
出会った女性には悉く惚れられるとのたまうのも無理はないのかもしれない。
ただリンデルト侯爵の言う通り、オーロラ自身は今のところ侯爵の見た目にはちっとも惹かれてはいない。
実をいうと、オーロラの両親であるバーリエ伯爵夫妻もリンデルト侯爵には及ばないものの美男美女だったりする。
特に父親のグリフィス・バーリエは、壮年になった今でも王城で開かれる新年の宴などに出席すると隙あらば女性に囲まれまくるほどの美形である。
父は幼馴染である母に幼少からずっと求婚し続けて結婚にこぎつけたほど惚れ抜いているので女性問題が起きたことはないのだが、それでもお近づきになりたいご婦人は絶えないらしい。
双子の弟たちも両親に似て整った容姿をしており、幼い頃より同年代の令嬢たちによくまとわりつかれていた。
加えて、オーロラと一時期婚約関係にあったバーリエ領と隣接する子爵家の長男が、これまた学院でも人気を集めるほどの美男子であった。
同時期に学院に在籍していたオーロラは、煌びやかな婚約者に比べなんとも地味で平凡な令嬢よと陰で噂されてしまうほどだった。
そんなわけで、自慢じゃないが見目麗しい男性には少々耐性がある方だ、とオーロラは自負している。
整いすぎるほど整ったリンデルト侯爵のお顔をじぃーっと観察するも、恋愛的な感情は湧くことなく、綺麗なお顔だなぁくらいの感想が浮かぶのみだ。
どこかで見たことがあるように思うのは、美術品の絵か彫像で似たような顔を見たことがあったからかしらなどと考えて、ふと思いだした。
(この方のお顔…バーリエ領の祠にある妖精王様の肖像画に似てるんだわ)
世界を創造した妖精王は、原初の混乱期に自ら竜と妖精たちを率いてこの世に降り立ち、共に混乱に立ち向かったフェアノスティ一族にこの地の守護を任せたというのが、王国建国の物語として伝わっている。
土地によっては水の妖精や大地の妖精と縁が深くそれぞれの恵みに感謝する風習があったりするのだが、すべての妖精たちを統べる妖精王を崇める土地もある。
オーロラの故郷、バーリエ伯爵領のある地方でも、要所に妖精王信仰の祠があり、偶像や肖像画が祀られていたりする。
(ああいう肖像画って、誰が描いたものでもなんとなく似たような印象になるのって、なんでかしらね)
妖精王はその御髪は白絹、瞳は金色の、女性とも男性ともつかぬ見目麗しい方だ、というのが定説で、オーロラの記憶の中の肖像画でもそのように描かれていた。
そこにあった面差しが、どことなく目の前のリンデルト侯爵と重なるものがある。
まあ、オーロラ自身はそれほど熱心に祠に詣でていたわけではないので記憶違いかもしれないが。
そんなことを思いながら思わずまじまじと侯爵の顔を見ていたことに気づきしまったと思ったのだが、そんな不躾なオーロラの視線すらリンデルト侯爵は笑いながら軽く受け流した。
見られるのには慣れている、ということだろう。
「それで?
オーロラ嬢から見たこの顔の印象はどうかな?」
「大変、見目麗しくていらっしゃると思います」
「それだけ?」
「故郷で見た創世の妖精王様の肖像画に似ていらっしゃるな、と思っておりました」
「ああ、それもよく言われる。
この白金色の髪のせいかもしれない。
瞳の色は伝承にある金色とは違うんだがな」
「そうですね」
「ほら、こうして言葉を交わしていても、君からは恋情とか、その手の熱を一切感じない」
侯爵に言われ、オーロラの目が泳ぐ。
突拍子もないことを言い出す変な人、というのがオーロラから見た侯爵の正直な印象だ。
でも高位貴族家のご当主に“あなたに興味はございませぇん”なんてことが言えるわけもない。
「そのようなことは…ございません、よ??」
「くく、表情が隠せてないぞ、バーリエ伯爵令嬢。
認めてしまえ、男としての私に興味ないだろう?」
さらに砕けた言葉使いになった侯爵に面白がるように言われ、うぐっと言葉に詰まる。
が、もうどうにでもなれ、と開き直った。
「……そうですね、はい」
「はは、正直者だな。嫌いじゃないぞ」
「……ありがとうございます」
ここから生きて帰れるかなと思いながらも、ワインを口に含んで唇と喉を潤した。
オーロラがグラスを置くのを待って、侯爵が再度説明した。
「先ほども言ったが、私は真に生涯の伴侶を探しているわけではない。
もし結婚して子供でも生まれてしまったら家督を弟に譲る段に話がややこしくなりそうだからずっと縁談を断ってきたんだが、それも限界がある。
だから、手っ取り早く言い訳に使ってきた『約束の令嬢』という設定を利用することにした」
「設定って……」
「彼女を見つけたということにして結婚し、しかるべき時にはさらっと離婚したい。
私に対して恋愛感情を感じてない君は、まさにこの契約結婚にはうってつけだ」
「別れるときに恋着されないから?」
「その通り。
もちろん、対外的には夫婦として振舞う必要があるが、実際の夫婦関係は必要ない。あくまでポーズだからな。
侯爵夫人としての社交活動も求めない」
「…………」
大体の話はわかった。
だが、それに首を突っ込むかどうかはまた別問題だ。
オーロラ自身は一度婚約解消になった身で今後結婚の予定も希望もないので、そこに離婚歴が加わったとて今更だとも思う。
けれど、オーロラの一度目の婚約話がダメになったことで両親が心を痛めているのも知っているので、離婚前提の契約結婚なんて、許してくれるわけがない。
それに今、オーロラは両親から弟二人を学院卒業まで責任もって預かっている状態だ。
なにより、高位貴族のお家騒動に巻き込まれるとか、面倒ごとの匂いしかしないではないか。
「お話は理解いたしました、が、私には荷が重すぎます。
ですからやはりお断りを……」
「契約結婚に協力してくれるなら、日に金貨10枚を給与として渡そう」
「…………はぃ!?」
金貨一枚は銀貨100枚、銅貨にして10000枚。
フェアノスティ王都での3人家族の一カ月の生活費が金貨3枚から5枚ほど。
それを一日に金貨10枚とは、破格中の破格である。
「もちろん、衣装や食事、その他侯爵夫人としての必要経費はそれとは別に用意する。
離婚時には相応に慰謝料も払おう」
このくらい、と言いながら、侯爵は手のひらを広げてオーロラに示した。
「……5?」
「金貨5万枚」
「5まっ………!」
「悪い話じゃないだろう??」
にこにこと満面の笑みを湛えるリンデルト侯爵を、オーロラは半ば睨みつけるように凝視する。
幼い頃、礼儀作法を教えてくれたご婦人が
『美辞麗句を並べる男、とりわけ見目がいい男はみな詐欺師だと思いなさい』
と言っていたのを思い出す。
しかも目の前の男は、金を取ろうとするのではなく払おうと言ってきているのだ。
胡散臭い。でも不利益より得られる私益の方が格段に大きいように思える。
頭を抱えそうになるオーロラに、リンデルト侯爵が畳みかける。
「悪いが、バーリエ伯爵家を調べさせてもらった。
誠実な領主として領民には慕われているが、不作の年に負った借金がまだ残っているそうだな。
借金の返済その他、諸々の資金援助もしよう。
言っては何だが我が家からすればそれほどの額でもないし、妻の実家を気遣うのは夫の務めだからな」
今度こそ、オーロラは淑女として習った行儀作法も全部吹っ飛んで、食卓に肘をついて両手で顔を覆って唸った。
怪しい。
面倒ごとの予感しかしない。
指の隙間から見れば、さも楽しいと言わんばかりの表情のリンデルト侯爵の笑顔が見えて、癪に触って仕方ない。
だが、家族と、家門のみんなと、領民たちの助けには―――確実になれる。
「~~~~~~っ わかりました!」
「引き受けてくれるか」
「………お引き受け、いたします」
オーロラの答えに満足そうに頷くと、リンデルト侯爵は上着の内ポケットから透明な水晶片を取り出した。
「それは?」
「魔法契約に用いる記録結晶片だ。
見たことはないか?」
「見たことは、ありますが」
「紙に血判を押す物と違って、これなら魔力を流して登録することで契約印とすることができるから痛くなくていいだろう」
「確かに」
「あー、でも貴族院に提出する婚姻証明書はいまだに紙だな。
一度は痛い思いをさせることになるか」
「……承知いたしました」
古来、魔道具の核として使う魔晶石は魔法使いたちが自らの魔力で創り出す物で、大変貴重だった。
ところが、ある特殊な水晶を精製・加工することでできた鉱物が、魔法使いが創り出す魔晶石と同等の効果が得られることがわかった。
それ以降、フェアノスティ王国の魔道具技術は格段に進歩し、また価格も大幅に抑えられたことにより広く一般に流通・普及するに至った。
その精製魔晶石の原料になる特殊な水晶が産出される鉱山のうち最大のものを所有しているのが、他ならないリンデルト侯爵家なのだ。
リンデルト侯爵家は国内外で交易他様々な事業を持っているが、魔晶石産業が主軸といっていいだろう。
魔法使いの創るものよりは精製魔晶石は価格は安いとはいえ、紙の魔法契約書と比べたら格段に高い。
なので、バーリエ伯爵領で商取引に用いるのはだいたい安価で手に入りやすい紙の方、ナイフなどで小さく傷を付けて血を滲ませた指先を押しつけて魔法契約を発動するタイプのものだった。
(魔晶石で出来た魔法契約用の記録結晶片は自領の特産品みたいなものだもんね、そりゃ使い放題だわ)
「結晶片に手を触れて、魔力を流してくれるか」
手袋を外した侯爵の手により差し出された四角い結晶片の、彼が持っているところと対角になる部分に恐る恐る触れて、オーロラは慎重に魔力を流し込んだ。
互いの魔力が通ると、記録結晶片が淡く光る。
「契約術式起動
契約者 甲 ミハイル・リンデルト
契約者 乙 …」
侯爵が詠唱を途切れさせ、目でオーロラに名乗るよう促してきた。
「……オーロラ・バーリエ」
「本婚姻関係に関する契約条項を表示」
侯爵の詠唱により、結晶片の上に契約条項の画面が浮かび上がった。
『甲と乙は、本契約において次の項目を順守することとする。
一、甲と乙は対外的に仲睦まじい侯爵夫妻として振る舞うこと。
二、契約期間中は互いを唯一の伴侶とし、他者と情を交わすことがないこと。
三、婚姻継続中も子を生す必要はない。よって、夫婦間の肉体的接触は社交上の必要最低限のみとし、またこれを強要しない。
四、甲は乙の侯爵夫人としての体面を維持するための費用を全面的に負担すること。
かつ別途、甲は乙に契約の対価として日額金貨10枚、契約終了時には金貨5万枚を支払うこと。
また、必要に応じ、乙の生家であるバーリエ伯爵家への援助を行うこと。
五、本契約は、一年後、ないし甲が侯爵位を譲る時までを期限とすること。
上記項目に甲が違反した場合、違約金として契約終了時に渡す金額を即金で支払うこととする』
「何か付け加えたい項目はあるか?」
「私が契約違反をした場合に関する条項がないようですが?」
「こちらが頼み込んで結んでもらう契約結婚だ。
君に不利益になる条項は必要ないだろう?」
好条件すぎて怖い、とも思うが、わざわざ自分から不利益を被る条項を付け加えることはないだろう。
「前もってこんなものまで用意してるなんて……
私が断る、という可能性は考えていらっしゃらなかったので?」
「断る要素が見当たらなかったからな」
「……」
見透かされたというか、経済的に苦しい状況にあることで足元を見られたというか、やっぱり腹立たしい気もする。
だが結果としてオーロラは条件を呑んで契約することにしているのだから、何も言えない。
「いえ、特に追加したい項目は……」
そう答えてから、はっとした。
諸々の面倒ごとに加えて、例のアレもあったではないか。
「あの、閣下」
「ミハイル」
「はい…?」
「これから結婚しようという仲なのだし、名前で呼ぶようにしたほうがいい」
「え、いきなり名前呼びですか?」
「善は急げと言うだろう。
ほら、練習だ」
「………………………ミハイル様」
「よろしい」
「質問ですが…
もしも、契約期間中に本当の『約束の令嬢』が見つかったら、どうなさるおつもりで?」
「本当の?」
「幼い頃に出会われたという令嬢ご本人が名乗り出てこられたりとか」
「さんざん噂をばらまいてきた今現在まで誰一人名乗り出てこなかったのに?
それに商取引で王国中に根を張る我が家の情報網を駆使して調べたが見つからなかったのだぞ?
今更、ないと思うがな。
それに、ちびっこ同士の口約束なんぞを信じてそのまま大人になるおめでたいやつが本当にいると思うか?」
貴方がそれを言うのか、とたぶん顔に出てしまったのだろう。
ミハイルがオーロラの表情を見て快活に笑った。
「所作の美しさは文句ないが。
社交はしないにしても侯爵夫人としての体面を保つうえで表情を取り繕う練習はやり直した方がよさそうだな」
「……善処いたします」
「まあそんなに気になるなら、一つ項目を足しておくか」
『六、『約束の令嬢』本人が見つかった場合、本契約による婚姻関係は速やかに解消すること。』
「これでいいか?」
「はい」
「よし。
ではもう一度魔力を流してくれ」
もう一度、と言われ、オーロラがなけなしの魔力を振り絞って再度指先から結晶片に流し込む。
「『契約完了』」
ミハイルの詠唱を受け、表示されていた条文が光って結晶片に吸い込まれた。
触れていた結晶片が少し熱を持ったのを感じる。
すると、結晶片が互いの手から離れてひとりでに宙に浮き、光に包まれた。
一瞬眩く光った後、先ほどまで結晶片があった空間には、ミハイルの瞳の色によく似た青水晶の嵌った二つの指輪が浮かんでいた。
契約に使ったりする記録結晶片は、契約期間中に契約者それぞれの手で保管しやすいように姿を変えるものもあると聞いたことがある。
今回使ったのは、指輪に姿を変えるタイプのものだったらしい。
「手っ取り早く、これを婚姻の証の指輪にしてしまおう」
「…………」
いくら契約上の結婚とはいえ適当すぎやしませんか、と思わなくもなかったが、満足げなミハイルの様子に何を言っても無駄な気がした。
「大事な契約書だ。
大切に保管するか、常に身につけておくように」
部下か誰かに言うようなセリフである。
(しかも、身につけるより保管する指示の方が先に来るとか)
差し出された指輪の片方を受け取りながら、オーロラは全てのツッコミをごくんと呑み込んで黙っておくことにした。
契約完了。