恩師との再会
「だからあれほど、顔だけの男には気を付けるように言ったでしょう」
「お言葉ですが先生、ミハイル……様は、けして顔だけの男性では………」
「大事業を展開する侯爵家の当主。でも内実が女性を駒のように扱う男ではね。
しかも私の友人の娘でかつ大切な教え子でもある子を傷つけるだなんて、到底許せるものではありませんよ」
「ミハイル……様も先生の教え子では?」
「だからこそ、許せないのです!」
「でもミハイル……様は」
「まだるっこしいしゃべり方はお止めなさい!
契約とはいえ戸籍上はまだ正式な夫なのです。
呼び捨てにしても、誰も咎めたりしませんよ!!」
「………すみません」
再会からこちら、オーロラはこんな風にずっと恩師である老婦人に怒られていた。
リンデルト侯爵家本邸を出て馬車で学院まで送ってもらった後、オーロラは学院のカフェテリアで弟達に状況を説明した。
もう隠すこともないかと、契約結婚についても同時に告白し、案の定ものすごく怒られたのだけれども。
「とりあえずは、貴族街…は無理だから、一般市民層の宿泊施設を探してみる。
住むところが見つかるまでは、悪いけどそこから学院に通ってくれない?」
そう言ったオーロラに、顔を見合わせた弟たちはこう切り出した。
「俺たち、寮に入ろうと思ってるんだ」
「へ……? でも…」
「実はそのつもりで準備してた。
学院に申請もして受理されてる」
「僕は中等部を卒業したらバーリエに戻るから、あと半年」
「俺は高等部に進むから、とりあえず兄貴がいる半年は二人で相部屋にして、兄貴が卒業したら新入生がまた入るんじゃないかな」
「でも、寮費が……」
「それなんだけど……」
オーロラの懸念を、フォルツが説明した。
「実は、学院に通いながらアルバイトをしてたんだ、僕たち」
「アルバイト!?」
「商店の荷物運びとか、まあ内容はいろいろ?」
「苦学生も多いから、結構あるんだよ、バイトの紹介口」
「そう、だったんだ……」
姉さんばかりに苦労掛けられないだろ?というリントに、オーロラはきゅっと唇を噛む。
リンデルト侯爵邸の私室にあった双子の荷物がまとめられていたのは、近々寮へ移る準備をしていたかららしい。
「苦労だなんて、思ってないわよ」
「まあ、いつまでも頼りっぱなしじゃいけないなと思って。
リントは高等部まで進んで騎士の実力を磨いてから王立騎士団に挑戦したいって言うし、僕は僕で、社会勉強にもなるし。
二人でちょっとずつ頑張ったから、リントの二年分の寮費と高等部の学費の何割かは、稼げたと思う」
「本当なら、中等部の間は姉さんといて、卒業と同時に俺だけ寮にって思ってたんだけど、急に侯爵邸に移って、借家を引き払っちゃったじゃん。
けど、しばらく二人を見てて、まあ大丈夫なんじゃないかって、予定より早いけど兄貴と二人で寮に入るかって、決めたんだ。
正直いつまでも、姉の嫁ぎ先の世話になるってのも、カッコ悪いなと思ってたところだしな」
まさかほんとに訳あり結婚だったとは思わなかったけど、と双子が揃ってうんうんと頷いていて、オーロラは居た堪れなくなる。これまでも何度も心の中で謝ってきたが、改めて謝罪を口にして頭を下げた。
「嘘ついてて、ごめんなさい」
「家に援助もするって言われたのも大きかったんでしょう?」
「姉さん、1人でしょい込みすぎだよ、いろいろと」
「……ごめん」
「だけど姉さん、本当に、侯爵様とはこれきりで、よかったの?」
おずおずと心配を言葉にしたフォルツに、オーロラは何とも言えない表情で笑んだ。
「思えば最初から有り得ない話だったのよ。これで全部、元に戻る。
それだけよ」
オーロラは自分自身にも言い聞かせるつもりで、後に双子によってミハイルに語られる言葉を口にした。
そう、これでもう、元通りになる。
もう、あの場所には帰れないのだから、と。
その後、双子はオーロラが持ってきたそれぞれの荷物を手に、改めて入寮手続きを取った。寮内の部屋は、すでにいつでも入居できるよう準備されていた。本当に数日中にはオーロラ達に話をして侯爵邸を引き払うつもりだったらしく、あとは手続きさえすれば済む状態になっていたようだった。
無事に手続きを終えたのを見届け、次にオーロラは学院内にある銀行へと立ち寄った。
フォルツとリントは寮に入るが、自分は今後住む場所が決まるまでの間の宿が必要で、そのためにはお金も必要である。
学院に通う生徒は、地方の貴族家の子女も多く、仕送りを受け取るために学院敷地内には王国全体に支店がある銀行の窓口があるのだ。
久々に行った学院内支店の窓口に、自分の魔力紋を刻んだ手形を見せ、口座の残高を照会したいと伝えた。オーロラ自身が通っていた時に見た覚えがあるような行員が手形を受け取り窓口を離れるのを見送る。だがその後すぐ、慌てた様子で戻ってきた彼女により、オーロラは別室へと案内された。そこで見せられた自分の口座の残高に驚愕し、追加で入出金の履歴開示も依頼した。
履歴によると、この2ヶ月間、毎日きっちり金貨10枚がオーロラの個人講座に入金がされていた。もちろん振込元はリンデルト侯爵家。契約にあった1日あたり金貨10枚が、まさか本当に実行されていたなんて思いもしなかったオーロラは、口座残高の数字を見てめまいを起こしそうになった。
いかがなさいますか?と行員に聞かれ、リンデルトからの入金が始まる前に口座にあった金額だけを引き出した。リンデルト侯爵家にしたら大した金額ではないかもしれないし、あのミハイルが返金を求めるようなことはないだろうが、なんとなく、その金には手をつけたくなかったのだ。
行員に丁寧に見送られて銀行の学院支店を出たところで、意外な人物に出くわした。
「先生? やっぱり!オーロラ先生だわ!!」
「アリス様!?」
以前、紹介を得て家庭教師をしていた子爵家の令嬢だった。
事前申請をしていたらしく、子爵家で見たことのある護衛の男性を連れていた。
「ご無沙汰しております、アリス様」
「お久しぶりです!」
「アリス様、どうして学院に?」
モートン子爵家のアリス嬢は現在はまだ学院に通える歳ではなかったはずだ。
「来年から通う予定の学舎を見学に参りましたの」
「そうでした、もう来年は学院に入学されるのでしたね」
「先生は、どうしてこちらにいらっしゃるの?
ご結婚されたとお聞きしましたのに」
「えっと、弟たちに面会に……」
「ああ、あの双子だという?」
「はい」
一緒にいた双子を紹介すると、アリス嬢はオーロラが教えていた頃より少し大人びた仕草で綺麗に淑女の礼をした。ほんの二カ月の間にまた少し成長した少女に、オーロラは少し感動したのだが、次にアリス嬢から言われた質問に一瞬答えに詰まった。
「なら、この後は嫁ぎ先のお家にお帰りになるのね」
「あ、いいえその、今日は、これから王都内の宿泊施設に、泊まる予定で……」
「王都に、お泊り……?」
オーロラが何と言ったらいいのかと歯切れの悪いしゃべり方になっていたら、察しがいいところがあるアリス嬢に「これは何かあるな」と勘ぐられたらしい。
ポンと手を打った彼女が、オーロラに嬉しそうに提案してきた。
「宿泊先をこれから探すところなのでしたら、是非当家にお泊りくださいな!」
「えぇっ!? いや、でも……」
「嬉しいわ!オーロラ先生が、当家に久しぶりに来てくださるなら、両親もきっと喜びます!
参りましょう、先生」
かつての教え子に嬉しそうに手を引かれ、どうしようか迷うもののオーロラは断るに断れなくなった。
双子達にはとりあえずここまででいいと言って別れると、その後はアリス嬢に命じられた護衛の男性が「お持ちします」とオーロラの鞄を持ってくれて、アリス嬢に腕を取られ停めてあるという馬車の方へと案内された。
そうしてモートン子爵家の馬車に便乗させてもらい、オーロラは学院を後にしたのだった。
「ちょうど今日、先生の後任で来てくださってる家庭教師の先生の授業が、この後ある予定なんですの。
とても熱心な先生で、オーロラ先生のこともご存じだとおっしゃっていたわ」
モートン家に向かう車中でアリス嬢からそう聞いて、オーロラはちょっと嫌な予感がした。
オーロラのことを知っている人で、オーロラの後任の家庭教師にリンデルト家が手配した信頼できる人物。
(まさか、ね……)
そう思ったオーロラだったが、嫌な予感というのは当たるもの。
モートン家についてアリス嬢のご両親に久々にご挨拶をしていた後、現在の家庭教師のご婦人を紹介された。
「お久しぶりね、オーロラ・バーリエ伯爵令嬢。
いえ、今はオーロラ・リンデルト侯爵夫人、でしたわね」
「………ご無沙汰しております。マーガレット先生…」
そこにいたのは、かつてのオーロラとミハイルの恩師でもある、マーガレット・ワイスナー前子爵夫人だった。
表面上は美しい笑みを浮かべながらも目が笑っていない恩師を前に、オーロラの背中に嫌な汗が流れ落ちた。
アリス嬢の授業にぜひと同席を求められている間も、詳しい話を聞かせるまで絶対に逃げは許しませんよというマーガレット夫人からの圧を感じながら、オーロラはぷるぷる震えていた。
泊まってくださいなとアリス嬢と子爵夫妻がおっしゃってくださったのだが、
「少々込み入った、大切な話があるのですよ」
というマーガレット夫人の言葉に、モートン家の方々は残念だけれどと諦めた。
そしてオーロラは恩師の馬車に半強制的に乗せられ、洗いざらい白状させられたというわけだ。
それ以降、連行されたワイスナー子爵家のタウンハウスにて、オーロラは過ごしていた。
学院にいる双子には、ワイスナー家から、
『姉の身柄はこちらで保護しているから心配はいらない。
リンデルト侯爵家の手の者が姉の行方を尋ねてきても、けして教えてはなりません』
という内容のマーガレット夫人直筆の手紙が届けられた。
受け取った双子は、姉の居場所がわかり安心しつつも手紙からにじみ出てくる夫人のお怒りを感じ、自分たちの恩師でもある夫人の厳しい姿を思い出してちょっと震えあがったのだった。
そして今現在。
ワイスナー家タウンハウスの応接室にて、オーロラは未だ針のむしろ状態でのお茶の時間の真っ最中だ。
「だいたい、なぜあなたが『約束の令嬢』としてリンデルト家に嫁いでいるのです?
あれは全く別の令嬢でしょう」
綺麗な所作でお茶を楽しみながらマーガレット夫人がそう指摘して、オーロラはお茶を少し吹いてしまいそうになりギロリと睨まれた。すみませんと謝りつつ、尋ねてみる。
「先生、本物の令嬢、アウローラ様のことをご存じだったのですか!?」
「当たり前です。
件のお茶会が催された当時、私はリンデルト侯爵家でミハイル殿を教えていたのですから」
「あっ…!」
「侯爵家の長男が見初めたかもしれない令嬢ですよ?当然、家を上げて何から何まで調べておいででした」
それについてはマシューから聞いていた。
前侯爵夫妻もオーロラが茶会の令嬢とは別人だと知っていたということも。
「当時、アウローラという令嬢は伯爵家の二女でした」
「でも、先日お会いした時はエンゲ侯爵家を名乗っておられましたが…?」
「母親の実家が侯爵家でしたから、戸籍を祖父の家に移したのかもしれませんね。
アウローラ嬢はまだ幼いというのに、自分よりも爵位が低い令嬢を見つけては周りの令嬢をひきつれて茶会で意地の悪い絡み方をするということが調査してすぐにわかったそうよ。
それだけでも十分、次期侯爵家当主の夫人候補には相応しくありません。おまけに、祖父の侯爵にも暗い噂があり、これは駄目だということになりました。
しかも、当の本人のミハイル殿が、その令嬢のことをまったく気に入っているそぶりがなかったので、そもそもが検討するに値しないということになったのですよ」
「あらぁ……」
それでよく『約束の令嬢』を縁談除けの盾として使おうと思ったな、とたぶん顔に出ていたのだろう。
マーガレット夫人に「顔」と指摘され、またすみませんと謝ったオーロラである。
「あの、先生? ミハイルは、どんな子供でしたか?」
「大人のふりをするのが上手なだけの寂しがりの子供」
おそるおそる尋ねたオーロラに対し、マーガレット夫人は簡潔かつずばっとミハイルを評した。
的を射ていそうだなぁとは思いつつも、そうまで言われてしまうと幼いミハイルがかわいそうに思える。
「子供は子供らしくと、少し厳しめに指導をしたのは覚えています」
「先生ぇ……」
「私もあの頃はまだ若かったのよ。
ただ―――――」
思案顔で言葉を切った恩師の顔を、オーロラは窺い見る。
「ただ?」
「あの子の生い立ちを聞いた後は、納得しましたがね」
「そう、ですか……」
「ミハイル殿を教え始めて一年が経った頃、弟のオーブリー殿も並んで授業を受けるようになりました。
これで兄弟かと思えるほど、性格もなにも正反対。
何でも出来て特に座学が得意かつ有能だったミハイル殿と、何でも出来そうなくせに興味のないことには全く以て努力をしようとしないオーブリー殿。
性格が違うという点ではバーリエ家の双子の御子息もまあいい勝負ですけれどね。
でも、二人でいるときは、無邪気に笑うオーブリー殿を、ミハイル殿が揶揄いながらも足りない勉強を教えてあげたりと、大変仲の良い兄弟でした」
「……いまでもとても、仲が良いですよ」
「そう」
オーロラの知らない、まだ幼い頃のリンデルト家の兄弟の姿を思い浮かべたのか、そっけない返事をしながらもマーガレット夫人の顔に慈愛の笑みが浮かぶ。
冷たいように見えて優しい恩師の内心に触れた気がして、オーロラも笑みを浮かべたのだった。
「それで」
手にしていた茶器を音もなく卓に戻しながら、マーガレット夫人は何でも見通されてしまいそうな澄んだ水色の瞳でひた、とオーロラを見据えた。
「貴女はこれから、どうなさりたいの?」




