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思えば最初から有り得ない話だった

「私が本物の『約束の令嬢』よ」


オーロラを偽物と呼び、そう言い放ったアウローラという令嬢の言葉に、その場にいた者たちに動揺が広がるのをマシューは険しい顔で見ていた。


「……メイ、奥様、いえ、お嬢様を別室にお連れして、手当てを。

アウローラ様はこちらに。ご案内いたします」

「執事長!?」

「急ぎなさい。早く冷やさねば、腫れあがってしまう」

「……っ、お嬢様、参りましょう」


マシューに対し非難する目を向け、メイはオーロラを支えながらその場を後にしていった。

二人が傍を通りすぎる間も、アウローラという令嬢は高圧的な態度を崩さないままだ。

マシューは彼女を応接間に通し、胡乱気な目を向けてくる使用人に接待するように指示をし、急いで侯爵夫人の私室へと向かった。

失礼しますと断って急いで入室すると、オーロラはメイの手により血が出た部分に侯爵家秘伝の薬を塗られているところだった。


「すぐ処置しましたのでそれほど腫れはしないとは思いますが、念のため医師の診察を受けた方がよろしいかと思います」


そう説明するメイは声に表情にもマシューに対する不信感をはっきりと滲ませており、その態度は叔父に向けるものでも、ましてや上司である執事長に向けるものではなかった。

オーロラが侯爵家に来てからずっと、彼女の一番の味方であり続けたメイだからこそ、オーロラをこんな目に遭わせたアウローラに対し丁重な態度を取るマシューが理解しがたく許せないのだろう。


「メイ」


落ち着いた静かな声で、頬の傷の上から布を当てたオーロラがメイを呼んだ。


「はい、お嬢様。……痛みますか?」

「……マシューと二人だけで話がしたいの。

悪いけれど、少し外してくれる?」

「お嬢様っ!?」

「メイ……大丈夫だから。お願い」

「………わかりました。部屋の外で控えております。

お医者様の手配もしておきますので」

「ありがとう、ごめんね……」

「……っ」


泣きそうな顔で深々と一礼しメイが退出していくのを待って、オーロラはマシューに向き合う。


「座ったままで、ごめんなさい。

ふらついて倒れたりしたら、余計にメイに心配をかけちゃうから」

「お怪我の具合は……?」

「メイに手当てしてもらったから大丈夫。

婚姻式の時も思ったけれど、本当によく効く薬ね……」

「奥様……」

「その様子だと、マシューは最初から私が『約束の令嬢』ではないことは知っていたのね?」

「…………はい。

王城の茶会での件が報告に上がり、侯爵家の将来を担うミハイル様の伴侶候補として、アウローラ様のことは当時調査を行いましたから」

「ならもしかしなくても、前侯爵ご夫妻も、それについてはご存じだったのね……」


この契約を結んで侯爵家にやってきて以降、ミハイルと二人で嘘を重ね続けた。

最初は嘘をつき騙している罪悪感であれほど居た堪れなかったのに、最近はあまり感じなくなっていた。

慣れてしまったのか、それともまるでこの侯爵家の一員にでもなった気でいたのか。

ずいぶん図太くなってしまったものだと、オーロラは自嘲する。


(泥棒猫か……本当ね…)


人生二度目の修羅場で、また同じ言葉を浴びせられようとは。

でも、今回ばかりは否定もできないなと思う。


「マシュー」

「はい、奥様」

「この指輪に、あなたの持つ開示鍵を使ってみてくれない?」


オーロラが、左手薬指に光る青水晶の指輪をマシューの前に差し出した。

老執事長の顔に、困惑が浮かぶ。


「は…い? 一体、どういうことでございますか?」

「使ってみれば、わかるわ」


何故なのか理由は見当もつかないが、主家の女主人にそう言われては、従うほかない。

マシューが袖を少しだけ捲り、手首のブレスレットについた魔晶石をオーロラの薬指の指輪に翳し、魔道具を起動した。

ブン、と静かに音が鳴り、二人の眼前に指輪(けいやくしょ)に封じられた契約条件の一覧が掲示された。

そこには間違いなく、契約者としてリンデルト家当主ミハイルの名と、その夫人であるオーロラの名前が並んでいた。


「これは……!?」

「これについては、マシューも知らなかったわよね……」


素早く掲示された内容に目を走らせながら、マシューは驚愕と困惑が入り混じった表情になった。

それを見たオーロラは、後悔と自責に思わず目をぎゅっと閉じる。

だがすぐに両手を握りしめ、顔を上げた。


「マシュー執事長、私は、このまま侯爵家を出ます」

「っ!? お待ちください!

どうしてでございますかっ!?」

「理由は、そこに書いてある条項の通りです。

本物の令嬢が現れたら、速やかに契約は終了する、そういう約束なのです」

「そんなっ、ですが……っ

せめて、せめて旦那様がお戻りになるまでお待ちになってください!

今はまだ船は洋上で通信魔道具が使えませんが、明日、いや明後日になれば……!」

「こうなった場合には速やかにここを離れることは、ミハイル……侯爵閣下も事前にご承知なさっています。

閣下の方から最初に提示された条件が、それだったから」

「奥様っ!」


いつになく声を荒げる執事長に、自分を気遣う彼の優しさに、オーロラは心を痛めながらも感謝した。

だからこそ、早くここを離れるべきであると、覚悟を決めた。


「この指輪は、侯爵閣下にお渡し願えますか?

リンデルトの青の付いた、特別な指輪なのでしょう?」

「奥様っ、どうか今一度お考え直しを……」

「…………もう、奥様ではないわ」

「そんな………っ」

「マシュー執事長、貴方には本当にお世話になりました。

とても、感謝しています。

ですが――――――契約は、終了です」


抜き取った指輪を手袋をした執事長の手に押し付けて、オーロラはクローゼットにあった自分の鞄に荷物を詰めた。着ていた豪奢なドレスを一人で何とか脱ぎ、先日通訳の仕事で着たのも記憶に新しい、着古した自分のドレスに着替えた。

もともと物はあまり持つタイプではなかったし、侯爵家に来てからはすべて与えられるままにしてきたので自分の本当の荷物はほとんど小さなその鞄から出さないままだった。

あっという間に詰め終わり、クローゼットの中にあふれる物を見回す。

手に余る、とはこのことだとオーロラは思う。身の丈に合うものは、この小さな鞄に収まるものだけ。


鞄を手に提げクローゼットを出ると、マシューにより呼び戻されたのか、専属侍女のメイが涙を流してオーロラを見ていた。少しは事情を聞いたらしいが、ドレスを着替えて手に鞄を下げているオーロラの姿を自分の目で見て、あらためてショックを受けたようだ。


「お嬢様、そんな、嫌ですっ……」

「メイ………本当に、いろいろお世話になりました。

たくさんたくさん、ありがとう。

嘘をついていて、ごめんなさい」


泣きじゃくるメイに、結局年齢を聞きそびれちゃったなぁとどこか醒めたことを考えながらオーロラは微笑む。


「短い間でしたが、本当にお世話になりました。

この場にいない方たちにも、感謝していると伝えてください」


メイの背をさすりながら、オーロラがマシューに言づける。

頷きながら、老執事長はオーロラに今後どうするのかを尋ねた。


「これからどちらへ向かわれるおつもりですか?」

「ひとまず、学院へ。

弟たちに事情を説明しないといけないから」

「では、馬車を……」

「結構ですよ、歩いて行けますから大丈夫………」

「いけません! それに、弟君(おとうとぎみ)たちの荷物もありますでしょう?

とてもお嬢様おひとりで運べる量ではありません。

後生です、お嬢様。

当家の騎士二名を荷物運びにつけますから、どうか馬車をお使いください」


たしかに、小さいとはいえ三人分の鞄を持って歩いて王都を移動するのは困難だ。

オーロラは申し訳なく思いながらも、マシューの提案をありがたく受け入れた。


弟たちの私室にさせてもらっていた客室に入ると、驚いたことにいつでも引き払うことができるかの如く荷物がまとめられているのを見つけた。なぜかは分からなかったが正直助かったとオーロラは思う。荷造りに手間取っていては、暗くなり足止めされてしまうかも、そして弱い自分はそれに甘えてしまうかもしれない。


三人分の小さな鞄を馬車に積み込んで、改めてマシューとメイに礼を言ってから、オーロラはこれを最後と侯爵家本邸を見上げた。この建物の主は、まだ海の上だ。


(もう、会うこともないでしょうね。でも、その方が良かったのかもしれない)


深々と一礼し、オーロラは用意された馬車へと乗り込んだ。

扉を閉めた騎士に、マシューが素早く耳打ちする。


「通信魔道具は持ったな?」

「はい、こちらに」

「よろしい。それで定期連絡を入れなさい。

いいか、絶対にお嬢様から離れるな。

どんなことがあっても、お傍にいてお守りせよ。

どんな事情があろうと、この方は旦那様のかけがえのない女性だ」

「かしこまりました」


明日には、ミハイルを乗せた船が王国東方辺境伯領の港に戻ってきて、彼と連絡が取れるはずだ。


(そうなれば必ずや、旦那様が事態を収拾し、お嬢様を連れ戻してくださる。

それまではなんとしても、オーロラ様を見失わないようにしておかなければ……!)


早くお戻りくださいと念じながら、マシューはオーロラを乗せた馬車が小さくなっていくのを見送った。


東方辺境伯領の港から、ミハイルから指示されたトレバンにより通信魔道具で侯爵家当主帰国の連絡が入ったのは、オーロラが侯爵邸を去ってからまだ半刻も経っていない正午前のことだった。

まさか、帰港予定を一日半も前倒しにしてすでにミハイルが帰国し、かつ一足先に飛行艇で王都に向かっている最中だなど、侯爵家本邸の者は誰も予想だにしていなかったのだ。





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