君のもとへ帰るから
本日二話目の更新です。頑張りました。
よろしくお願いします。
ついにミハイルが交渉団を率いて東海の島々へ直接向かうことになった。一連の交渉も、いよいよ大詰めである。
「カエラ叔母上が間に立ってくれて何件かまとめて商談できるよう日程を組んでくれた。
東の辺境伯領都までの飛行艇での往復日数も入れて、10日と少しくらい、だな」
「連日忙しくされていますが、体調は大丈夫ですか?」
「本格的に冬になる前に進める商談の、ここが山場だ。まあ頑張るさ」
ミハイルには補佐としてトレバンが同行し、マシューは今回も侯爵邸に残ることになった。
オーブリーもしばらくは騎士団詰所泊まりになるということで、ミハイル達が出立する朝、一足先に侯爵邸を出るオーブリーを夫妻揃って玄関ホールで見送ることになった。
「本当なら俺が侯爵邸にいられたらよかったんだけど、ちょっと今忙しくて、詰所を離れられないんだよね」
「何かあったのか?」
「んー、まあもうすぐ王都中に注意喚起の通達を出すから言っちゃうけど。
今、王都内で行方不明者が続出してるんだ。
どうも東海近辺で暗躍していた人身売買組織が王都にまで手を広げてきたらしい」
「……え………」
東海の人身売買組織と聞いて、オーロラの表情が変わった。幼い頃の朧げな、だが決して消えない恐ろしい記憶が甦る。知らない言葉を話す知らない男たちに路地裏に引き込まれてそのまま桟橋まで連れて行かれた。怖くて声も出せなかったオーロラが覚えているのは、自分を捕まえた男達のうちの一人の顎にあった三つの―――――
カタカタと小さく震えるオーロラの背に、暖かい手のひらが添えられた。白い手袋越しのミハイルの手の温度を感じ、自分を心配そうに見つめる青い瞳と目が合って、ようやくオーロラは安堵の息を吐いた。
オーロラが少し落ち着いたのを確認してから、ミハイルはオーブリーに尋ねた。
「話せる範囲で構わない。
何が起きている?」
目を伏せ少し考えてから、オーブリーは機密に触れない範囲で説明してくれた。
「いなくなったのは主に若い女性。少ないが被害者には細身の体型の男性もいる。最後に見かけられたのは市場や行商の店が並ぶような人が多い場所ばかり。
そしてその多くが―――金髪なんだ」
「金髪か……狙われるのは平民?貴族にまで手出しは流石にしないか?」
「いや、対象が子供じゃなく大人だってことくらいで、まだなんとも。
王都には、家を離れて学院通いしている貴族の子女も、花嫁修行の一環で働いてる下位貴族の令嬢もたくさんいるからね。実際行方不明になった人の多くは平民だが、男爵家や子爵家の令嬢も少しだがいるんだ。だが彼らのうち、誰が組織の手に落ちたのかまではまだはっきりとはわかっていない。大人の場合、攫われたのか、自分から姿を消したのか、区別が難しいってのもあるからね。
子供が攫われた場合、たいてい親がその場で気づいて騒ぎになって事態がすぐに発覚するんだけど、大人が攫われると案外発覚が遅れるんだ。一人で外出した場合は特にそうだし、複数人で行動していたとしても、はぐれた後一人で帰ったのかもしれないなと連れが考えた場合などはその場で探さずに流してしまうこともある」
「王都は安全だっていうこれまでの常識が、裏目に出ているな」
「まったくだよ。
翌日に仕事先に無断欠勤していて、実は外出後自宅に帰ってなかったことがわかる、みたいなパターンが多くて、手掛かりが見つけづらい。
とにかくまだまだ情報が少なくて、事態が把握出来てないんだ。
だから義姉上、状況が落ち着くまで、外出は避けてね」
「分かり、ました………」
不安そうに両手を胸の前で握るオーロラの肩をミハイルがそっと引き寄せる。
「以前、護るから自由に行動していいと豪語したが、オーブリーがここまで言うにはそれだけの理由がある。ここは素直に従った方がいい。
双子の学院の行き帰りにも、警護の騎士を1人つけよう」
「それがいいね。
俺も、巡回の合間を見つけたら侯爵邸に立ち寄るようにするから」
「頼む」
「任せて。じゃあ行ってきます」
騎士団に向かうオーブリーを、ミハイルとオーロラは並んで見送った。王家のお膝元、安全なはずの王都でそんな不穏な事件が続いているとは思いもせず、背筋が寒くなる。
「大丈夫、侯爵邸内は安全だ」
「そうですよね………」
まだ不安げなオーロラを見て、ふと閃いたような顔になったミハイルが彼女の肩をぐいっと引き寄せた。
ちゅっ、と小さな音とともに、オーロラの額にミハイルの唇が軽く触れた。
突然のミハイルの行動にオーロラの理解が追いつく前に、今度は右の瞼に、続けざまに左瞼にも素早くキスが落とされる。
「!?!?」
何を、と言いかけた彼女の顎に手を添えて左頬にキス。すぐさま反対側の頬にも―――
「わっ,ちょっ、ミハイル!?
何やってるんですかっ」
「これで不安は消し飛んだか?」
至近距離で、悪戯が成功した子供のような笑顔を見せられ、オーロラは赤面しながらミハイルの胸元をちょっと強めに叩いた。いてっと言いながらも、ミハイルは最後にもう一度オーロラの額に唇を落とした。
「商談が終わり次第すぐ帰る。例のリストの本の残りも手に入りそうだしな。
他にもとっておきを手配しているんだ」
「とっておき?」
「ああ。それを持ってちゃんと、君の所へ帰って来るから。
だから大人しく、侯爵邸で待っていてくれ」
子ども扱いして、と赤みが引かない頬を膨らませながらも、オーロラに笑みが戻る。ミハイルの言うとおり、不安は何処かへ消えていた。
「旦那様、お時間です」
「わかった」
いつの間にかそばに控えていたマシューから声が掛かった。執事長が恭しく差し出した上着をオーロラがミハイルの背後から着せかける。
その際、彼の手首に見慣れない装飾品が見えた。
金と銀の二体の龍が絡まり合ったような意匠の、重厚感がある腕輪だった。向かい合わせの龍の間には、大きな青水晶が嵌っている。
「これは我が家に伝わるリンデルト家当主の証だ。国外の貴賓とも謁見する予定があるから、一応な」
オーロラの視線に気づいたミハイルがそう教えてくれた。
ミハイルは腕輪の存在を確かめるように撫で、よし、と気合いを入れた。
「では、行ってくる、オーロラ」
「いってらっしゃい、ミハイル」
オーロラとマシュー達使用人一同に見送られ、ミハイル率いる商団はリンデルト侯爵家本邸を東へと出発していった。
ミハイルを送り出すと、オーロラの心にまた少し不安が影を落とす。それが先ほど聞いた王都内で起きている事件のせいか、いつになく長期間ミハイルが家を空けることになったからかはわからない。今は落ち着いているとはいえ、東の海は永く海賊が跋扈していた場所でもある。無事に帰ってくるようにと、オーロラはミハイルに面差しが似た創世の妖精王にそっと祈ったのだった。
「大丈夫……それにミハイルも私も、一人じゃないもの」
* * *
東海での交渉は、順調すぎるほど順調に進んだ。
第一の目的地であるマルンス王国では、叔母のカエラがミハイルにあらかじめ宣言した通り、『面々を一堂に集めてばばーっと順番に交渉』ができた。
本来の予定ではマルンス王国のあと、2つの島を船で訪問して現地で商談するはずだったのだが、交渉相手がマルンスで商談を行いたいから是非そちらに出向かせてもらいたいとわざわざイチジョウ家を通じてミハイルに申し入れてきたのだ。
理由は、先のナーハの大氏族が起こした事件の、その後の顛末によるものだ。
実は、あの事件直後に一度承諾したはずの示談条件に、ナーハの氏族側が異を唱えてきた。
我々は友好的に接しようとしただけなのに、いい加減な通訳を介し濡れ衣を着せられ、氏族の娘の名誉も傷つけられ、その上高額の示談金まで要求された、と。そして彼らは、他の島々の有力氏族にも同様の噂を流していた。
それらもすべて踏まえた上で、フェアノスティ王国リンデルト侯爵家は、ナーハの氏族宛てに、次のように回答した。
『我がフェアノスティ王国は現在、東方の諸国および諸氏族が治める島々と大変友好的な関係にあり、当侯爵家としては我が国と東方諸国の間で国際問題に発展するような事案は忌避すべきだと考える。
よって此度、貴氏族により当侯爵家の当主の名誉と身体が危険にさらされた大変遺憾なる事態に際しても、国同士の争いに発展するようなことのないよう、示談という形を申し入れたものである。
しかし、貴氏族が示談に関し不服としてきた通訳の齟齬があったという点につき、当侯爵家は当時通訳者としてその場に同席していたリンデルト侯爵夫人の名誉のため、そのような事実は全くなかったということを正式に表明、抗議する。
当侯爵家は、貴氏族からの示談内容の不服申し立てが撤回されない場合、添付した映像記録結晶と同じものをフェアノスティ王国王家ならび騎士団、および東方諸国各国に向け、速やかに提出する用意がある。
今一度、事実関係を精査の上、貴氏族が賢明な判断をされることを望む』
回答書には、会談場所での顛末の一部始終が音声付きで記録された記録結晶が添付され、さらに侯爵夫人の通訳者としての名誉が傷つけられたこと、そして目の前で夫であるリンデルト侯爵に対し卑劣な罠を仕掛けられたことにより侯爵夫人が多大な心理的負担を強いられたことに対し、当初の倍の損害賠償額を要求することが追記されていた。
ナーハの氏族側は、同席していた通訳の女性が侯爵夫人だったことをその時初めて知った。しかも音声付きの映像まで押さえられているとなっては言い逃れはできないと、示談に対する不服申し立てを取り下げ、丁重に謝罪文を送って来た。もしも記録結晶の映像が国宛てに正式に提出された場合、大国相手に争えるような武力も国力も持ち合わせてはないからだ。
それらの顛末のすべては、東方諸国と島々の氏族にも伝わった。リンデルト侯爵家との間で持ち上がっている商取引は、間違いなく自分たちの島に利益をもたらす。侯爵家の東方諸島への心象がまちがいなく悪くなっていると思われる現状、手をこまねいて待っていてはそれらの儲けがふいになる恐れがある。そのため、事前にマルンスに行く予定だった者はもちろん、侯爵家の訪問を待つ予定だった遠方の小さな島の氏族も、こぞってマルンス王国へと集まってきたというわけだった。
いろいろあったものの、結果的には交渉は順調に進み、予定していた日程から1日半近くが短縮されることになった。
「『これではやく愛するオーロラのところへ帰れるぞ』」
「……似てもいない声真似をするのはやめてください、叔母上」
「えーー、そう? 似てない?」
「似てません」
揶揄ってくるカエラにやんわり抗議はするものの、内心はその通りだと思うミハイルだった。
フェアノスティの国外、海の上からでは通信用魔道具が使えないから、侯爵家への連絡は、東方辺境伯領の港に帰港してからになる。少なくとも一日は予定より早く帰宅できそうで、ミハイルは正直嬉しくて仕方なかった。
東海から戻る頃までには、王都のとある店に頼んでおいた品が出来上がる手はずになっている。帰港が一日ほど早くても、おそらく受け取れるはずだ。
東方辺境伯領から王都までは、飛行艇で半日足らずで着く。馬だと早駆けでも1週間はかかるからずいぶん早く着くのは間違いない。ただ、飛行艇の運航は事前に旅程の提出がきっちり必要で、元の日程通りだと、せっかく予定が早くなった1日半を東方辺境伯領で無駄に過ごすことになってしまう。
少しでも早く、王都の本邸に帰りたい。出がけにオーブリーから聞いた行方不明事件についても不安があるし、なによりミハイルは早くオーロラの顔が見たかった。
そこで、東方辺境伯領に着いた後、交渉団一行の指揮をトレバンに任せ、ミハイル自身は護衛騎士二名を連れて民間の飛行艇に席を取り、一足先に王都に戻ることにした。トレバンにより飛行艇の予約ができたので、王都の侯爵邸に予定より早く着く旨を連絡するように指示してそのまま飛行艇に搭乗し、空路で王都へと向かったのだった。
当初の予定より早く帰国したのに、王都は出発前より秋から冬へと季節が移っているように感じた。例の店で頼んでいた品を受け取り、ミハイルは急いで侯爵邸に向かった。
そうしてようやくたどり着いた我が家だったのだが、いつもと違いピリピリとした雰囲気が漂っていた。
出迎えがないのに不安になり、家人に彼女の所在を確かめる。真っ先に出迎えるはずのマシューもいない。
ざわつく心を抑えきれず、使用人の返事も待たずに、ミハイルは侯爵邸の庭へと向かう。いつもこの時間、彼女がお気に入りの花園がある場所でお茶を飲んでいるのを知っていたからだ。
しかし――――――辿り着いたその場所にいたのは、金の髪に碧眼という以外彼女に似ても似つかない、見知らぬ女だった。




