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何言ってんの、この人




暮れゆく街を馬車は進んでいく。

今までの人生でこんなに揺れない馬車は初めて乗ったな、と思いながら、オーロラは車窓からの景色を横目で見ていた。

できるだけ静かに、小さく息を吸っては吐くを繰り返す。

それだけなのにどんどん疲労が蓄積していくのはなぜだろう。

考えるまでもなく、向かいの席ににこにこと満面の笑みを浮かべて座っている男性のせいである。



道端で待ち伏せしていた(平たく言えば間違いなくそうだろう、とオーロラは思う)侯爵閣下に、有無を言わさぬ笑顔で馬車に乗るよう促された。

話がしたいから、と。

刻々と太陽が沈み、辺りは暗くなってくる。

そろそろ弟たちも学院から戻ってくる頃だ。

自分が帰宅せず、夕食も用意がないとなれば困るし心配もするだろう。

だから一度家に帰らせてほしい。

と、そのような趣旨のことを、今まで生きてきた中で得た社交術とマナー講師としての知識を総動員して失礼がないように侯爵閣下に伝えてみた。

のだが。


「では、使いの者をバーリエ邸に伺わせましょう。

大丈夫、弟君(おとうとぎみ)たちも面識がある方がいいでしょうし、昨日一度訪れている者を行かせます。

その者に、夕食も届けさせますからご心配には及びませんよ」


と、言われてしまった。



丁寧に退路を断たれ、あとはただ黙って馬車に揺られ、今に至る。

『拉致』の文字が脳内に浮かぶが、貧乏貴族の娘を拉致して大富豪の侯爵様になにか得があるとは思えない。


(もしかして、昨日のお返事の手紙でもうものすっごい失礼をぶっこいちゃった、とか!?)


脳裏に浮かんだ可能性で思わず前の座席の男性を見てしまった。

どうも相手の方もオーロラのことを見ていたらしく、バチッと視線がぶつかる。

ふわりと美しい笑みを浮かべられるが、安心など一つもできない。

というか逆に何をお考えになってるかがわからず恐ろしいとしか思えない。

膝に乗せた両手をぎゅっと握り考えるが、状況がわからないのでは打つ手もない。

そうこうしているうちに、馬車は貴族街の一角にある邸宅の前でゆっくりと止まった。


「さあ、着きました」


音もなく開かれた扉から侯爵閣下が先に降り、オーロラに向かって手を差し伸べる。

エスコートされるのに慣れていない彼女は、戸惑いながらもそっと掴まり馬車を降りた。

そっと先ほど馬車で通ってきた道を振り返ると、遠くに小さく門が見えた。

夕闇が迫る中、あちこちに灯された明かりに照らし出された邸宅は、家庭教師先の子爵家のお屋敷のさらに数倍という大きさだった。


「あの、こちらは……?」

「ここは、リンデルト家の別邸の一つです」


(別邸、の、ひとつ!?この規模で!??)


叫びを何とかこらえて、そうですかという意味を込め黙って頷いた。

おそらく馬車を引いてきたお馬さんたちが眠る厩舎ですら、バーリエ伯爵家タウンハウスよりも広いに違いない。


(お金持ち、恐ろしい)


ゆっくりお話がしたく食事を用意しました、と言われ、流れるように別邸内に案内された。

今日は家庭教師の方のお仕事だったから、昨日のようなメイドのお仕着せではない。

それでも、この豪奢な邸宅内においては場違い極まりない、地味で質素なドレス姿である。

すれ違う使用人たちにあとで好き放題言われるんだろうなぁと思うオーロラだったが、何と言われたのか知る術もないだろうから気にしてもしょうがないかと諦めた。

エスコートされ食事の席に着く頃には、もうなるようになれという気持ちになっていた。


出された食事は、文句なしに美味しかった。

普段から節約節制をしているオーロラにはとても食べきれる量でもない。できれば包んで持って帰りたいほどだ。

食べている間、侯爵自身や使用人たちからの値踏みするような視線を感じる気もしないではなかったが、一旦開き直ることにしたので気にせず無言で食事を続けた。

大体、話があるのはオーロラの方ではなく、リンデルト侯爵の方なのだから。


「所作が実に美しいですね、バーリエ伯爵令嬢」

「……ありがとうございます、侯爵閣下」

「そのように堅苦しくなく、どうぞミハイルとお呼びください。

私の方も、オーロラ嬢とお呼びしても?」

「どうぞ、お好きにお呼びくださいませ。

ですが、この身はしがない伯爵家の娘、高貴なお方を名前で呼ぶなど恐れ多いことでございます。

わたくしの方からはリンデルト侯爵閣下と呼ばせていただきたく存じます」

「……」


侯爵からの申し出を断るなど、頑なに返答をしすぎたろうか。

謝罪をしたものか考えていると、向かいの席の侯爵が俯きがちに肩を震わせていた。


「………くくっ」

「?……あの、侯爵閣下??」

「ふふ、あははっ、いやぁ、君は実に面白い。

予想以上だ、気に入ったよバーリエ伯爵令嬢」

「……はい?」


ひとしきり笑うと、リンデルト侯爵は「失礼」と言ってあらためてオーロラに目を向けた。

先ほどまでとは違い、ほのほのとした柔らかな雰囲気は霧散していた。

口調も、雰囲気も変わっている。

微笑んではいるのだが、目を細め口角をにぃっと上げた表情は、そう、どちらかというと…


(なんか、意地が悪そう?)


オーロラはきゅっと口を引き結び、目の前の男の変わり様を凝視した。


「そう警戒しないでくれ。

君に害意はないから安心してほしい。

話があるんだと言っただろう?」

「……はい」


そう言われても安心する要素が見つからない、と思うオーロラだったがぐっと呑み込む。

素直に感情を顔に出しては貴族社会を生き抜けないと教え込んでくれた自身のマナー講師に感謝した。


「私の評判については知っているかな?」

「リンデルト侯爵閣下の評判について、ですか?」

「ほら手紙にも書いた、『約束の令嬢』という、アレさ」

「……少しばかり、聞き及んではおります」


先ほどアリス嬢から聞いたばかりだが、まぁ嘘ではあるまいと思うことにした。


「18年位前だ。

伯爵家以上の家柄で、学院入学前の子女ばかりを集めた交流目的の茶会が王城で開かれたことがあった。

そこで私は一人の令嬢に出会った。

名前は『オーロラ』。

家名は…聞きそびれてしまったか、忘れたんだか、わからない。

それ以来忘れられず、ずっと彼女を探し続けている」

「はい……」

「……というのが、噂になっている表向きの話だな」

「………………はい?」

「だって、考えればおかしいって分かるだろう?

忘れられずに捜しているのに家名がわからないなんて。

そんなの、本気で結婚を望んでいたなら、茶会直後に調べればすぐわかるものだ。

いやあ、女性たちはこういったロマンス小説みたいな話が好きだね。

ちょっとくらいの齟齬は無視して夢中で噂してくれる。

おかげで、持ち込まれる縁談話が半分くらいにはなったよ」


リンデルト侯爵は頬杖をついてからからと笑う。

つまり―――


「『約束の令嬢』を探しているというのは嘘、ということですか?」

「ご明察」


君は本当に賢いね、と侯爵は誉め言葉を口にした。

言葉面は称賛されているはずなのに、(さか)しいと小ばかにされたように感じるのは気のせいだろうか。

それに、そんな種明かしのような話を縁も所縁(ゆかり)もないオーロラにする意図がわからない。


「どうして、そのようなお話を私などに?」

「それは、君がとても気に入ったから」

「………」

「それに、これから話す内容に関係しているからな」


会話が噛み合っていない。

ずっと揶揄われている気分だ。

これから話す、ということは、ここからが本題ということだろう。

オーロラは、居住まいを正してまっすぐ目の前の侯爵を見つめた。

不躾なと叱責されてもおかしくないほどの態度だが、リンデルト侯爵ミハイルはその視線をまっすぐに受け止めて「いいね」と笑った。


「私が捜している…ことになっている『約束の令嬢』は、君じゃない」

「ええ、はいそうですね、人違いですので」


今更何を言ってるんだろう、とオーロラは思う。

あらためて侯爵に言われるまでもない。

使者にも面と向かって人違いだと言ったし、手紙にも失礼がないように丁寧に『お間違えでは』と書いたのだから。

それなのに、リンデルト侯爵はさらにこう告げた。


「だが、私は貴女と結婚したいのだ」


(何言ってんの、この人)


口から出かかった言葉をその時点では何とか呑み込むことができたが―――


「そして、一年、長くて二年ほどしたら、離婚してほしい」


(………だから、何言ってんの?この人)


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― 新着の感想 ―
侯爵が褒めているのに馬鹿にされたような気がするってのは、女を根本的に見下していてdisりながらヒロインだけ褒めてるからでしょうね。「お前の住んでる土地の人間はみなバカだがお前だけは少しまともだな」と言…
最後の「だから、何言ってんの?この人」の突っ込みが良い味出してます
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