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趣味が実益を兼ねに来た

ブクマといいね、そして評価も、ほんとにありがとうございます。

たいへん励みになります。


王都へ帰還してすぐ、ミハイルはマシューにより執務室に連行された。


「と、とりあえずは急ぎの案件を片付けてくるから。

2日、いや2日半くれ!」


オーロラに言ったのか、はたまたマシューに懇願したのかわからないセリフを残して、侯爵閣下は執務室へと押し込まれて行った。


ミハイルが急ぎの仕事と格闘している間に、オーロラはメイたちに手伝ってもらいながら持ち帰った土産の品を整理していた。

名産のお菓子は自分たちの他、使用人たちの休憩室にも置く。

バーリエ領のリンゴ(予定より3日持ち帰るまでの日数が延びたがまだ採れたての範囲)は厨房へ。

オーロラの両親と、あと前侯爵ご夫妻からの大量の装飾品関連の品物は……とりあえず、メイと一緒に目録だけ目を通して、空間庫ごとオーロラの部屋のクローゼットへ。

そして一番気になっていた前侯爵ご夫妻から双子への贈り物は―――

フォルツには将来領地を切り盛りする際に役立ちそうな経済学の本のセット、リントには美しい装飾が施された鞘がついた短剣だった。

リントが受け取った短剣を見たオーブリーが「おー」と声を上げた。 


「ちょうどいい、ってかたぶんわかってて手配したな、こりゃ」


オーブリーは座っているリントの両手を拡げさせ、その掌の上に自室から提げて持ってきたものを置いた。それは短剣とよくにた意匠の鞘に入った、一振りの剣だった。


「これは俺がリントくらいの時に使っていた剣だ。

見てわかるだろうけど、短剣と同じ鍛治師によるものだな。

たぶん俺がこの剣をトレバンに持ち帰ってくれと頼んだのを聞いて父か母が同じ作者の短剣を用意したんだと思う。

リント、お前にやる」

「えっ………でも……」

「オーブリー様にとって大切な品なのでは?」


言葉に詰まる弟に代わりオーロラが尋ねるが、オーブリーは明るく笑い飛ばした。


「まあ確かにそうだけど。

でも城館の倉庫に眠らせてるんじゃ錆びつくだけだし。

リントのことは俺、勝手に弟子だと思ってるから、お前がこれを使ってくれたら嬉しい」

「っ………ありがとう、ございますっ。大切にします…!」

「……泣くなよー、リント」

「……泣いてねぇしっ」


貰ったばかりの経済学の本を読みながら弟を揶揄うフォルツに「お前にはこれだ」とオーブリーが差し出したのは、ポケットに入るほどの大きさの、小さな小物入れだった。


「俺にも………?」

「持ち歩ける書棚って触れ込みで売り出された、書籍に特化した空間庫だよ。10年以上前のものだけど、新品同然。

座学が大嫌いな俺に、ワイスナー先生がまずたくさん本を読み文字に慣れなさいってくれた物なんだけど、俺は昔からほんっとにじっと座って文章を読むってのが苦手でさ。

せっかく貰っても俺には無用の長ぶ……んんっ、あ~、なんていうか、有効活用? することができなくてさ。

俺が持て余したまましまっとくより、同じ教え子でも有効に使ってくれるフォルツが持っててくれた方が先生も喜ぶだろう。

本好きで勉強熱心なフォルツにはピッタリだろ?」

「ありがとうございます、オーブリー様」


「兄弟は平等に、だよ」と付け加えたオーブリーの笑顔に、リンデルト家の兄弟間にあったかもしれない色々が滲んでいる気がして、オーロラは少し目を伏せた。兄が悩んでいたように、弟にもきっと、何かしら思うところはあっただろうな、と。

それでも、ちゃんと互いを尊重し合う兄弟に育っている。


(ほら、不甲斐なくなんて、ないですよ夫人)


リンデルト領で子育ての後悔にはらはらと涙をこぼしていた前侯爵夫人に向け、オーロラは思いを馳せたのだった。



そんな風に過ごすこと2日。

王都帰還から数えて3日目の昼下がり、オーロラはミハイルの執務室に向かい邸内を歩いていた。急ぎの件の処理があらかた片付いたから、昼食を食べた後で執務室に来てくれと今日の朝食の席で言われたからだ。

朝食の席で会う度に、彼の美麗な顔にどんどん濃く影が差していくように思って心配していたのだが、宣言通りの日数で仕事をこなしたらしい。「頑張りましたね、旦那様」と言うマシューの方を見て何とも言えない表情をしていたミハイルが気の毒ながらもちょっと面白いと思ってしまったオーロラである。


「オーロラの学院での専攻は?」

主計(しゅけい)科です」


主計とは、国や領地、商会などの組織における予算や会計処理など財務がらみの仕事のこと。

オーロラは、当初はまだ卒業後結婚して子爵家に入る予定だったので、将来子爵夫人として家計を預かるための勉学を目的に学院に入学した。身元引受人であるマーガレット=ワイスナー夫人の強力な勧めもあり、主計関連の勉強と並行して貴族女性としてのマナーを学ぶ講義もぎっしり詰め込んでいたのでなかなかにハードな学院生活だった。でもそのおかげで、婚約解消後に職を得てスムーズに仕事を出来ていたのだから、実のある学院時代だったといえよう。


「今現在は、侯爵領の実質的管理はまだ父と母が行い、私はリンデルトが持つ各種事業の運営管理をしている。

侯爵家本邸の会計業務はマシューとトレバンが担当だ。

今のところはそちらは余裕をもって回せているから、どちらかというと事業周りの手伝いを頼みたい」


疲労感滲むミハイルに朝食の席でそう告げられて、オーロラはなるほどと納得した。

オーロラはあくまで契約上の妻。いつまで侯爵家にいるかも定かではない人間に、侯爵家の家計は覗かせられないだろう。その点は事業方面でも同じだろうが、当たり障りのない仕事なら任せてくれるかもしれない。

学院時代からずっと仕事をしてきた優秀なミハイルが抱える業務で、実務経験のない自分に手伝えることなんてあるんだろうか。朝の会話を反芻しつつ歩きながらそんなことを思うオーロラだったが、執務室に着いてすぐに自分にもできることを発見した。


「………………(きたな)っ!」


決裁済みと書かれた書箱からはみ出るというか、雪崩(なだれ)のように崩れている書類。

床に転がっているゴミ箱に収まりきらない丸めた紙屑。

脇の机にも、執務机に乗りきらない資料の数々がうず高く積まれていた。

広く整然としていたはずの執務室は、足の踏み場も、物の置き場もない状態になり果てていたのだった。


「前に伺った時にはこんな風ではなかったのに………」

「それはええ、日々片付けておりますので」


(わたくし)が、とマシューが付け加えたところをみると、片付けるのは常日頃からミハイルの仕事の範囲外であるらしい。日々マシューが片付けているというのなら、今日午前中に執務をしただけでこうなったということだろうか。

凝り性で几帳面と思っていたミハイルの、意外な一面を見た気がした。


「坊ちゃまは幼い頃より、今取り組んでいることには夢中になるものの、次のことに興味が移ると先ほどまで手にしていた物からは興味が失せてしまう傾向がおありでしたので」

「次から次へと案件が舞い込むんだ、決裁処理が終わったものにいつまでも関わっていたら身が保たんだろう。なんなら全部捨てて……」

「そんなわけにはいかないのは百もご承知でしょうに。

それに、過去の事業の資料は今後に生かせる情報の宝庫だと、大旦那様にもご教示いただいたのでは?」

「それはっ…そうだが、紙が増えて嵩張る一方だし…」

「ですから、終わった案件は記録結晶にまとめて納めてくださいませと再三申し上げているではありませんか。

そもそも契約書についても紙ではなくてもよろしいのでは、とも申し上げてますよ?

魔晶石産業を主力とするリンデルト家でございますのに」

「紙の方がめくりながら自分の考えや当時の状況が思い出されていいんだよ!」

「ならば、ご自分でももっと整理整頓を心がけてくださいまし」

「ぐぬぅ」


二人の結婚についての契約には紙の契約書は使わなかったのに、とオーロラは心の中でツッコミを入れる。ミハイルのことだ、契約結婚に関する内容を人に見られてはまずいから身に着けられる形に変化する記録結晶片の方が都合がいいとでも考えたのだろう。

それにしても、オーロラも前から薄々感じてはいたが、マシューを前にするとミハイルはいつもよりちょっと子供っぽくなる気がする。

幼い頃からずっと傍で世話をしてくれていた執事相手にはどこか頭が上がらない部分があるらしい。


「まあ、執務中に摂った軽食の食器の上に書類を置かないという配慮はお出来になるようになりましたね、坊ちゃま」

「坊ちゃまは止めろ、マシュー」

「……坊ちゃまはお片付けが苦手」

「オーロラも悪乗りするんじゃない」

「ふふふっ」

「ほっほっほっ」


おふざけはさておき、とりあえずこの紙の山の整理から始めることになりそうだ。

日付順に並べてくれと言われ、乱雑に散らばる書類束を整理し始める。

見れば東方諸島の言語で書かれた書類に北大陸公用語の訳文が添付されたものがかなり混ざっている。しかも、比較的使われている島が多いのはマルンス語なのだが、それ以外の言語もけっこうあるようだ。


「チェバニと、ナーハ、それからビリニーまで。

いろんな島と取引があるのね。

東方諸島は島によって使う言語が違って、北大陸の公用語も通じない島もあるし、意思疎通が大変そうだ、な………」


手を動かしながら口も動いていたのにやばっとなったオーロラが視線を感じ振り返ると、疲れが滲んで顔色がちょっと悪いミハイルと、いつも微笑を絶やさないマシューまでが目を見開き驚愕の表情でこちらを見ているのに気が付いた。


「え、何、怖っ………」

「オーロラ、まさかそれらの書類の言語、読めるのか……?」

「え………はい」

「マルンス語以外も!?」

「ええ……まぁ。趣味で、あちらのさまざまな言語を読んでおりますので…」

「!   マシュー!」

「かしこまりました。奥様、こちらへ」

「あの、なんかダメでした……?」


その後、マシューが神業級の速さで片付けた小さな方の執務机に座らされ、いくつかの言語で書かれた書類を訳すよう言われた。

訳し終えた紙を恐る恐るオーロラが差し出すと、ミハイルはその紙と後から取り出した別の紙とをマシューと2人で額を突き合わせて見比べた。そして、大きく頷いた後、驚き半分喜び半分の顔でオーロラを見た。


「完璧だ」

「………はい?」

「専門職の翻訳と全く遜色ない内容です、奥様。

感服致しました」

「え……」

「東方は海洋資源も豊富、大陸では希少な石の産出もあり、また多様な文化の宝庫だ。

海賊討伐が進み安全な航海が可能になった今、事業を伸ばさない手はない。

問題なのは言語だな」

「ご存知のとおり、東方諸島には共通語がなく、フェアノスティで公用語になっている北大陸の言語も、東方で最大の島のマルンス王国の言語さえも通じない島もございます」

「それで、いつもこちらで作成した資料を翻訳に出し、それをさらに監修に出して二重に内容を確認し、ようやく商談に漕ぎつける、という非常に面倒くさいことをしていたんだが」


そこでミハイルが言葉を切って渋面を作った。その様子に「何かあったのです?」という意を込めてマシューを見ると無言でこっくりと頷いた。


「実は、それぞれの言語ごとに別々の翻訳者に依頼を出していたんだが、何しろ東方の言語は難解で頼める者が少なくて、しかもあまり精度が良くないから何度も翻訳や監修をし直したりすることもあった。

とにかく時間がかかるんだ。

しかも、先日、その中の一人の翻訳者が、契約条文の中にこっそり自分の取り分が売り上げから入る一文を書いているのが発覚してな。過去にその者が翻訳した文を精査したが、不正をしたのは今回が初だった。だが一度信用できなくなった者とは仕事ができん。ただでさえ少ない翻訳の依頼先がまた減ってしまったというわけだ。

先ほど君が訳した文と、翻訳家の訳文、そして監修してもらった訳文を見比べて、全く問題なく翻訳できているのが確認できた。商用の単語があって難解だっただろうに、素晴らしい。

これから、君には東方との取引の際の書類の翻訳をメインに手伝ってもらいたい」

「……素人翻訳で、よろしいんですか??」

「プロの仕事と比べても遜色ないと言ったろう。

監修には引き続き出すから心配いらない。

翻訳家に出す手間が省け、しかもあの処理速度で訳してくれるならものすごく助かる」

「……お役に立てそう、ですか?」

「もちろんだ」

「でも……私が何か、不正をしないとも限らない、ですよ??」


そんなつもりは毛頭ないが、オーロラは一応聞いてみた。だが、ミハイルとマシューは一瞬顔を見合わせた後、揃って笑い飛ばした。


「君がそんなことをする人間でないのはちゃんとわかっている。

それに、妻以上に信頼できる人がこの世にいるだろうか」


(それは貴方が提案した契約上の……)


内心で反射的にそう指摘するオーロラの気も知らず、いつもの如く強引なミハイルに事態はどんどん推し進められていった。


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