王都への帰還、それは新しい関係とともに
「父上、母上、今日こそはお暇いたします」
「あらぁまだいいじゃない。ねぇオーロラさん」
「そうだぞ、ゆっくりしていけばいいさ、なぁオーロラさん」
「3日も日程を引き延ばしておいていいわけがないでしょう!?
あと、いい加減オーロラから離れてください!」
リンデルト侯爵領に着いて4日目にして、とうとうミハイルの堪忍袋の緒が切れた。
いいからいいからと押し切られた翌日からずっと、やれ買い物だ、やれリンデルト領でしか味わえない甘味だと、オーロラは前侯爵夫妻に両脇を固められてあちらこちらに連れ出されていた。
娘が出来たようで嬉しいのかと、最初はミハイルも苦笑しながら旅先でできる範囲の仕事をこなしながら見守っていた。
懸念していた夫婦同室問題も、初日にミハイルがかつての自室で1人で寝たと聞いた前侯爵夫人が「なら今日からオーロラさんは私といっしょに寝ましょう!娘と眠るまでおしゃべりするのが夢だったのよー」と言い出したため、予想外の流れではあったが一応回避できた。
だが、流石にそろそろ王都に帰らないと、いろいろとマズイ。
「仕事が溜まって戻ってからマシューに小言を言われるのは私なんですからね!?」
「3日や4日、家を空けたからと仕事が停滞するようではまだまだだねぇ、ミハイル」
「……寝言はさっきからずっと後ろで控えているルクスの顔を見てから仰ってください。
父上だってこの3日間、処理すべき仕事の三分の一もやってないでしょう!?」
「ギクッ」
「それに家を空けたのは3、4日じゃないです。調整した上でなんとか10日確保した日程をさらに3日もオーバーしてしまってるんですよ!?」
「ミハイル忙しいの?
じゃあ残念だけど貴方は先に王都に帰りなさい。
オーロラさんはお母様と披露宴で着るドレスのデザインを考えましょうねぇ」
「ずるいな夫人、私の意見も聞いて……」
「いい加減にしてください!!!」
そんなやりとりがあり、4日目の昼餐の後ようやくリンデルト領を出発することになったのだった。
滞在中に前侯爵夫妻がオーロラのためにと買い集めた品々は、驚いたことに大容量の空間庫にギリギリ収まるかという量だった。
限度ってものを知らんのかとまた再沸騰しかけたミハイルだったが、あれも似合うこれも似合うと次々に差し出された品々と助けを求める視線を送ってくるオーロラを見比べてうっと小さく唸った後、
「………似合っているから貰っておきなさい」
と、渋々受け取りを承諾した。
盛大に、そして涙ながらに見送られ、侯爵夫妻は一路王都への帰還の途に就いたのだった。
やがて王都に入り、大通りを侯爵家本邸へと向かう車中、ミハイルがオーロラの目を見て問いかけてきた。
「隣に行ってもいいだろうか?」
「…? っは!?
お膝には座りませんよ!?」
「違うから。
本邸に着く前に少し、話がしたい」
何やら真剣な声音にちょっと怯えながらオーロラが頷くと、車を揺らさないように気をつけながらさっとミハイルが彼女の隣へと移ってきた。
「内緒話、ですか?」
「そんなところだ。防音魔法はかけてはあるがあまり強いものではないからな」
オーロラのいる席の方が、馭者からは遠い。
防音魔法をすり抜けて多少は声が漏れるようだから、小声で話せるよう距離を近くしてできるだけ話が外に聞こえないようにという配慮だろう。
「……先ずは礼を言いたい。
急ぎの日程の上、慣れない馬車での長旅で疲れたろうに、私の両親の相手も根気よくこなしてくれた。
ありがとう、オーロラ」
「お礼を言っていただく様なことは何も。
良い方々ですね、閣下も夫人も。お会いできてよかったです」
「私も、君のご両親、とくにバーリエ伯殿とはゆっくり話が出来てよかったと思う。
掛け値なしに、思った以上に価値のある旅になった。
………最後の数日は余計だった気もするが」
「またそんな。
私は楽しかったですよ?
幼い頃に、両親といっしょにいろんな場所に出掛けていたのを思い出しました」
「幼い頃に大変な目に遭いかけたと、義父上から聞いた。だが、これからは君は憂うことなく、自由に行動して良い。
私が、君に降りかかる全ての危険から、君を護ると誓おう」
真っ直ぐ目を見て君を護ると言われてオーロラの心臓が跳ねる。
だがすぐに落ち着けーと自分に言い聞かせた。
(………契約のパートナーとして、だからね)
「ありがとうございます」
「ああ。
それから……契約の内容についてなのだが…」
「はい」
「初めて契約について話をしたとき、一年か長くて二年と言ったのだが、それは守れないかもしれない」
「承知しています。
だってゆっくり説得しましょうって言っちゃったの、私ですし……改めて、勝手なことを言ってすみませんでした」
「いや、弟の心情に配慮をした上での提案だと、理解している。
あいつの騎士としての誇りを無視していたんだと、それまでの自分の言動を省みることができた。
それに、君と母が話しているのを聞いて、自分の考えが凝り固まっていたのにも気付けた。
正直言ってまだ、私よりオーブリーが爵位を継ぐ方がいいと思っているが……だが、これからは私も、このまま自分が侯爵家を担って行く未来も、前向きに考えて行こうと思う」
「ミハイル……!」
「ただ、そうなると、君と結んだ契約に問題が生じてしまう」
「あっ………」
「だから、契約内容を書き換えようと思う。
契約終了までの年数については削除し、それから………」
「ま、待ってください、ミハイルっ」
契約内容を書き換えるという提案によくわからない不安がどっと湧き上がってきて、オーロラが慌てて訴えた。
「契約をわざわざ書き換えなくても、いいです。
年数についての記述に意味がないのは私たち双方理解していますから、支障はないです。
それに、もしもミハイルが爵位を譲らないと決めたならあらためてちゃんとした侯爵夫人を選ばれるでしょうから。その時、ただ契約を終了すると仰ってくだされば、それで済みます……」
最後の方、オーロラは目線を下げ自分の手を見つめながら話していた。自分が言っている内容に、どんどん自分自身が傷ついていくような不思議な感じがした。そしてなぜかそれを聞いたミハイルがオーロラに向ける表情を確かめるのが怖いと思ってしまったのだ。
侯爵夫人の地位に執着していると思われたかもしれないと気づき、ハッとしたオーロラの手に、ミハイルの手が重なった。隣を見上げると、驚いたようにも悲しげにも見える顔でオーロラを見ていたミハイルと視線がぶつかった。きゅっと手を握られたことで、オーロラは自分が少し震えていたのにその時初めて気がついた。
「やはり、私と結婚し侯爵家にいるのは、辛いのか?」
「え………」
珍しく不安げな声でそんなことを言うミハイルに、そういえば以前も同じことを聞かれたなと思いながらオーロラは慌てて否定する。
「あっ、いえ、逆です!
ミハイルも侯爵家の皆さんも、私を甘やかしすぎるから…離れる時は寂しいだろうなぁと、思って……
ごめんなさい、さらっと離婚するって約束ですものね、気をつけます」
「……そんなことは心配していない」
ほぅ、とどこか安堵したようなため息をつき、隣のミハイルがオーロラの肩に額をつけるように軽く凭れてきた。
「侯爵家の暮らしが辛いのでなければ、それでいいんだ」
小さく吐息混じりに付け加えられた一言に、オーロラは表情を曇らせる。
(辛くないから、困るんじゃないですか)
現時点ですら、侯爵家の面々と離れることを考えると、寂しいし胸が痛い。契約終了後は速やかに去るところまで前もって説明されているのだからと、頭ではわかってはいるのだが。
さらには、今のこの状況といい、先日の頬へのキスといい、旅行中だんだんとミハイルからのスキンシップが増えている気がするのだ。こんな風に突然詰められる距離に戸惑うのも確かだが、別に嫌だと感じるわけでないのも困りものだ。この気持ちは、たぶんすごく、よろしくない。
さらりとしたプラチナブロンドの感触が頬を擽り、さらにはその流れで先日一瞬だけ触れた唇の柔らかな感触まで戻ってきてしまって、オーロラの心拍数がまた跳ね上がった。
(だから落ち着け私!
これはサービス!これはサービスっ!)
「オーロラ」
「はいっっ」
凭れかかっていた身体をそっと離すと、ミハイルはふわりと微笑んだ。
(至近距離のミハイルの微笑、やばっっ)
うっとなるオーロラの心情を知ってか知らずか、ミハイルはますます笑みを深める。
「これは私の覚悟の現れでもある。いいだろうか?」
「………わかりました」
ありがとう、と呟き、白い手袋を外してから彼が広げた掌に、オーロラは青水晶が輝く指輪を外して載せた。自分の指輪も外し、ミハイルが詠唱する。
「『契約変更術式起動
契約者 甲 ミハイル・リンデルト
契約者 乙』」
「…オーロラ・バーリエ」
そこで何かに気づいたミハイルが、ここも書き換えなければなと言い出した。
「ここも?」
「今現在はもうオーロラ・バーリエではなく、オーロラ・リンデルトだろう。
君は私の妻なのだから」
私の妻、とあらためてミハイルの口から言われ、落ち着きかけたオーロラの心臓がまた跳ねた。
「契約者の名前を書き換えるなんてできるのですか?」
「旧姓を添えればおそらくは。やってみよう」
(ミハイルにしたら契約と、そのための書類上の妻でしかないだろうに、こだわるなぁ)
記録結晶片へ『契約者の姓を変更』という命令の入力を試みるミハイルの横顔をチラ見しながら、けっこう凝り性なのかなとオーロラは考えていた。
「契約者本人が同席して流す魔力が締結時のものと一致するなら変更できそうだ。オーロラ・リンデルトの後に、旧姓を続けて言ってくれ」
「わかりました」
「『契約変更、ならびに契約者の姓名変更術式起動
契約者 甲 ミハイル・リンデルト
契約者 乙』」
「オーロラ・リンデルト 旧姓バーリエ」
「『契約内容を表示』」
結晶片の上に例の契約条項の画面が浮かび上がった。
契約者乙の部分に変更が加わっているのを確認し、いけたな、と満足げにミハイルが呟く。
そして続けて条件部分の修正を行っていく。
「『第五項の内容を
本契約は、甲が侯爵位を譲る時、ないし甲が正式な伴侶を妻として迎えるまでを期限とすること。
に変更』」
二人が見守る前で、契約期限についての条件から一年後という文字が消え、ミハイルが正式な伴侶を迎えるまでという内容が加わった。
「これでいいだろうか?」
何処か真剣な雰囲気を含んだ声で、ミハイルがオーロラに問いかける。
二人の関係の終わりを定める条件と、”正式な伴侶”という言葉に、結晶片に触れたオーロラの手が少し震えた。でも受け入れる以外の選択肢は存在しない。
「……はい、大丈夫です」
「では、『契約内容更新』」
更新術式が完了した旨の表示がされ、よし、と満足気に言ったミハイルは、まだ戸惑うオーロラの左手をそっと取った。そして指輪の形状に戻した契約結晶片の片方を彼女の薬指に嵌め、さらに指輪が嵌った薬指に触れるだけの口付けを落としてきたので、たまらずオーロラが悲鳴をあげて手を引っ込めた。
「ちょっとミハイルっ!?
サービス過剰ですよ!」
「気にするな」
「気にしますー!」
「はははっ」
いつもの調子になってささっと隣から向かいの席へと戻って行ったミハイルに、振り回されたとオーロラは頬を膨らませてそっぽを向いた。
そんな彼女の横顔を窺いながらミハイルは苦笑する。
(ほぼ他人だった婚姻式の時よりも親しい間柄になってきたから、少しは喜んでくれるかと思ったんだが)
舞踏会などでミハイルが手の甲にキスをすれば、それが実際は唇が触れない形式だけのものでも、年若い令嬢は真っ赤になりつつぽーっとこちらを見てくるものなのだが。
オーロラの口から離婚し侯爵家を離れる未来について言及された時には思った以上に動揺してしまったが、侯爵家にいるのが辛くはないと聞けてミハイルは心底ほっとした。
だったらまだ、希望はある。ただ―――
(ひと筋縄ではいかなそうだな)
そう思いながらも、ミハイル自身どこか楽しんでいる自覚がある。
社交の場で擦り寄ってくるご令嬢達とは全く勝手が違う彼女相手に、先ほど書き換えた条件をどう満たして行こうか。ミハイルは上機嫌なのを隠しもせずに、あれやこれやと考えを巡らせていた。
予定より遅れること4日、リンデルト侯爵夫妻を乗せた馬車はようやく侯爵家本邸に帰還した。
先触れを受け待っていた弟達とマシューら使用人が一行を笑顔で出迎えた。
「義姉上、父や母の相手お疲れ様ー」
「姉さん、遅かったから心配したよ」
「お土産なに?姉さん」
「ご無事で何よりでございます、奥様」
「………おい」
次から次へとオーロラに声を掛けている人々に、私は無視かとミハイルがツッコミを入れた。
「もちろん、ご帰還を心よりお待ちしておりましたよ旦那様。
急ぎ処理していただかなければいけない案件が山積みです」
「………それは知りたくなかった」
辣腕執事長相手に早くも形勢不利なミハイルの背中をぽむっと叩いて宥めると、オーロラは出迎えてくれた皆に礼を述べる。
「私たちと、あと両方の両親からお土産を持ち帰りましたよ。
それと、前侯爵御夫妻からフォルツとリント宛に贈り物を預かってきたわ」
「俺たち宛?」
「なんで?」
怪訝そうに顔を見合わせる双子に、ミハイルが補足する。
「オーロラを通じて可愛い少年たちと縁が出来たって、特に母が喜んでな。
自分たちの息子はどっちももうすっかり大人で世話の焼き甲斐がないからって。
まあ貰ってやってくれ」
「……はい」
「ありがとうございます…」
可愛いという単語に引っ掛かりを覚えはしたものの、言ってしまえばただの居候に過ぎないはずの自分たちに向けられた気遣いに、双子は戸惑いながら大人しく礼を言った。
恐縮する二人の頭に手を乗せたオーブリーが「よかったなー」とわしゃわしゃと掻き混ぜる。
少し困り顔で、でも撫でられるままにしている双子を見て、居残り組になった弟たちにもいい方に関係の変化があったようだとオーロラはほっこりした。
「お嬢様、お疲れでしょう。お部屋にお茶をお持ちしますから」
「ありがとう、メイ」
「ん?なんか双子、少し見ない間にでかくなってないか?」
「えっ!?縦にですよね?横にじゃないですよね!?」
「………そんな早く背が伸びるわけないでしょ?」
「オーブリー様、ご指示のあった物ですが、大旦那様に許可をいただきましたので持ち帰ってございます」
「サンキュー、トレバン。
確認するから俺の部屋に運んでくれるか?」
「かしこまりました」
侯爵家本邸に本来の賑やかさが戻ったことに嬉しさを噛み締めたマシューが、あらためて侯爵夫妻に深々とお辞儀する。
「無事のご帰還を、一同心よりお待ちしておりました。
お帰りなさいませ、旦那様、奥様」
なんとなく感極まったオーロラの背中にミハイルがそっと手を添えた。その手の温もりに促され、オーロラは頷きにっこりと笑った。
「ただいま、戻りました」