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前侯爵夫人の願いと現侯爵夫人の決意(後)

続きです。


オーロラの前まで歩み寄ると、ミハイルはエスコートのため右手を差し伸べた。こういう流れにも少しだけ慣れてきたオーロラが手を乗せ、二人並んで歩きだす。たぶん、歩きながら話そうということだろう。

ちらりと、ミハイルがオーロラの傍に控えていたメイに視線を送る。心得たように頷くと、メイは「先に戻り晩餐の席でのお召し物をご準備しておきます」と城館の建物へと歩いて行った。


さく、さく、と落ち葉を踏みながら、しばらく二人とも無言で歩いていた。バーリエ伯爵領より南に位置するリンデルト侯爵領ではあるものの、確実に季節は冬に近づきつつある。


「こちらでは雪は降りますか?」

「全く降らないということはない。

ただ、降ってもすぐ溶けるから、積もるということはあまりないようだな。

バーリエ領は?」

「北辺ほどではないですがこちらよりはだいぶ北寄りですから、冬場は膝くらいまでは普通に積もります。

王都もそれほど降り積もらないから、初めての冬にはそれにも驚きました」

「そうか…リンデルトの冬については実は肌で知っているというわけじゃない。

王都生まれの、王都育ちだからな」


先ほど前侯爵夫人から聴いた話を思い出し、オーロラは隣のミハイルを見上げる。自分から聞き出したわけではないけれど、ミハイルの家族の過去についていろいろ聞いてしまったことを彼はなんと思っているのか気になったのだ。

ミハイルはオーロラの視線に気づいている様子だったが、前を向いたまま、笑うでも怒るでもない落ち着いた声音で語り始めた。


「先ほどの母上の話は、聞き流していいからな」

「どこから聞いていらしたのです?」

「まぁ………だいたい最初から」


ちょっとだけバツが悪そうに口を尖らせたミハイルに、オーロラはクスッと笑う。

戻ってきたら自分の話を、しかも子供の頃の話を母親がしていて、席に戻るに戻れなかったのかもしれない。


「まあ、兄弟間ではよくあることかもだが……

自分はいなくてもいいんじゃないかとか、いらん子供なんじゃないかとか、思った時期もあったな」

「……オーブリー様は…いつまでこちらでお過ごしになったのですか?」


声音に感情を乗せないよう気を付けて、そっとオーロラは尋ねてみた。

オーブリーがリンデルト侯爵領にいた期間はつまり、ミハイルが王都で一人で多くの時間を過ごした期間ということだ。


「あいつが5歳の頃、私が7歳だった頃までだ」

「7歳……」


そこまで長くかかったのかと、オーロラは少なからずショックを受けた。

8つ下の双子は、オーロラが学院に入学する12歳になったときは4歳で、行くなと言って両側から抱き着いて泣かれた覚えがある。それが会わないでいるうちにどんどん大人びてきて、高等部に進学する前の休暇で帰って来た時には『ねえさま』呼びが『姉さん』に変化していて、成長に驚き喜ぶと同時に少し寂しかった。あの時の弟たちが、ちょうど7歳。少しずつ精神的自立が進んでいる頃だ。

つまり、本当に甘えたい盛りでそれが当たり前として許される期間、ミハイルは両親から離れていたことになる。

唇を噛んで黙ってしまったオーロラに、ミハイルが苦笑する。


「そんな顔しなくていい。

当時侯爵邸には執事長のルクスと側仕えのマシュー、トレバンとメイ、メイの母親で私の乳母だった人もいて、結構にぎやかだったし大事にもしてもらっていたから。

そもそも、母が王都からリンデルト侯爵領に行くことになったときに、自分は行かないと言ったのは私の方だったらしいから」

「お義母様と離れることになるのに?」

「すぐ帰ってくるとでも思ってたんじゃないか?まだ2歳だったからな、あまりよくは覚えていない。

当時本邸に併設の使用人宿舎から学院に通っていたトレバン達は王都から離れないから、彼らと一緒にいるとごねたらしい。

それに父上は確かに侯爵邸にあんまりいなかったけど、ああ見えて結構厳しい人だったからな。父がリンデルト領に行ってる週末は、正直言うと気を抜いて羽を伸ばしていた」

「まぁ……ふふっ」


厳しい前侯爵閣下も、父のいない間にお稽古やお勉強をさぼろうとするミハイルも想像できないなぁと、オーロラは思う。

それでも、他人が見た今現在からは想像できない家族の姿も、それぞれあるんだろう。暢気そうなバーリエ伯爵家の日々ですら普通に喧嘩だってしたし、いつも平和で平坦というわけではなかったように。

そして、たぶん辛そうな顔のオーロラのためにわざとそんな風に笑い飛ばすような言い方をしたミハイルに、彼の強さと優しさを見た気がした。


「幼い頃には本気でずいぶん悩んだ。

だが今はもう、自分のことをそこまで卑下しているわけでもないんだ。

オーブリーは本当に優秀だからな。優秀な者が率いた方が家門のためになるのは間違いないだろう?

ただ、今現在侯爵家を預かっているのは私なのだから、(あた)う限りの努力はしようとは日々思っている。

与えられた職分はきっちり務める主義だからな」


にやりと笑ってそう言い切ったミハイルの顔は、吹っ切れたようにどこか晴れ晴れとしていた。

親子の、そして兄弟の間に、今ここに至るまでどんな思いが交錯していたのかは、突然輪に入る形になったオーロラには知りようもない。

だが、今のミハイルの表情からは後ろ向きな感情は見えない。本当に本心から、侯爵の重責を前向きに受け止め、担っていこうとしているのだろう。


「…いいと思います。好きです!」


エスコートしてくれているミハイルの手を両手でぎゅっと握り、彼に正面から向き合ったオーロラが言った。きらきらと輝く碧眼に真っ直ぐ見つめられ、ミハイルの方が少し狼狽える。


「す…っ!?は!? 何を言って…」

「与えられた仕事をきっちりこなすっていう心意気、私はとっても前向きでいいと思います!」

「あ……そっち…?」

「そっち??」

「……なんでもない!」

「?」


ミハイルの耳や頬が薄らと赤くなっているのに気づかないまま、オーロラがさらにずいっと近づいた。


「私も、何かお手伝いしたいです!」

「手伝いって、侯爵家の仕事をか?」

「はい。

侯爵夫人の社交活動…は多分無理なので、書類整理でも、なんでも、私にできることをお手伝いしたいです!

というか仕事くださいっ!」

「………………暇なのか?」

「暇です!」

「正直か……」

「悠々自適、飽きました!」

「あのなぁ……」

「私は根っからの仕事人間みたいです。

だから、仕事をください!!」


詰め寄ってくるオーロラの圧にちょっと押されそうになったミハイルだが、すぐにふっといつもの彼らしい笑みを浮かべる。オーロラに両手で握られた右手に、さらに左手も添える。


「私の妻として侯爵家に居る、というのが、そもそも君の仕事って契約なんだが?」

「何もしてないのにいるだけでお金だけいただくなんて、やっぱり私の信条に反します」

「侯爵家の仕事に関われば、ただの契約上の妻である今よりずっと本来の侯爵夫人の立場に近くなる。

私の傍にいる時間も今よりぐっと長くなるだろう。

それでいいんだな?」

「え?……あ、はい」

「ふむ……そうか。

わかった。考えておこう」


状況だけ見たら、両の手を取り合って向かい合う仲睦まじい新婚夫婦の図。

実際に話している内容はあまり色気は感じられなかったが、ミハイルは指輪の青水晶と同じ色の瞳を細めながらどこか嬉しそうに笑って、オーロラの左手をくいっと引き寄せ自分の腕に絡ませた。なんだか機嫌が良さそうで、逆にオーロラは不安になる。


「ミハイル?」

「いや、愛しい奥方に、何をどう手伝ってもらうか考えないとな、と思ってな」

「あくまで、私にできる範囲でお願いしますよ?」

「わかっているよ。

この後は早めの晩餐を共にして、こちらを発つ予定だ」

「よろしいのですか?」

「妻と早く二人きりになりたいからな」

「ここには私しかいませんから溺愛サービスは必要ありませんよ?」

「はは。つれないな」


そんな話をしながら腕を組んだままで城館に戻った二人だった。


そして―――結局その夜、一行は急遽リンデルト侯爵領城館に宿泊することになってしまった。

伯爵領の時同様に急ぎ戻らなければならないからと伝えてあったのに、「まぁまぁいいからいいから」と前侯爵夫妻に押し切られてしまったのだ。

しかも「宿泊予定の施設には、事情を話した上で今日の分の宿泊費に色を付けて既に渡してあるし、城館に泊まる日数分ずらした日付であらためて予約もしているから大丈夫」と説明され、断り切れなかった。さすがミハイルの親、根回しの周到さが半端ない。

当然のように用意されたのは夫婦同じ部屋である。が、隙を見てミハイルがオーロラに耳打ちしてきた。


「父と事業について話もあるし、そのまま酒を飲んだりすることになると思う。

酔ったフリで、小さい頃使っていた部屋で寝るとでもごねて誤魔化すから、君は気兼ねなく一人で部屋を使ってくれ」


駄々をこねるミハイルか、と訝しく思いながら「別に同じ部屋でもいいですよ?」とオーロラは言ってみたが、少し困った子を見るような目で見られた後、


「……私の方が落ち着かないから」


と断られてしまった。

何が落ち着かないのかという疑問は残るが、とりあえず頷くと、ミハイルは優しく笑んでオーロラの頬に軽く口づけを落とすと「おやすみ」と言い残して前侯爵閣下とともに執務室に向かっていった。

そのまま置いて行かれたオーロラは、その背中を見送りながら『よく叫ばずに耐えた私!』と心の中で盛大に自分を褒めていた。


(びっっっっくりしたぁ!ほんとにもうっ!

ほっぺとはいえいきなりキスするとか、こちらの方が落ち着かないです、ミハイルっ!)


唐突なミハイルの『溺愛モード』に当てられてうっすら赤面した城館の使用人に案内され、彼の唇が触れた頬に手を当てながらオーロラは客間へと向かったのだった。


あてがわれた豪華な部屋で、湯あみをさせてもらった後で寝台に転がって天井を見ながら、オーロラは前侯爵夫人と話したことについて考えていた。

自分にいったい、何ができるだろうか、と。


オーロラは子供の頃の自分の記憶を呼び覚ましてみる。

双子の赤子の世話にかかりきりになる両親に、急に透明人間にでもなったかのような、自分独りだけが置いて行かれたような、そんな気がしたのだ。もちろん、そんなことはあり得ないと後にはわかったけれど。

ましてやミハイルとオーブリーは2歳違い。状況だけ見れば、まだまだ母の後ろをついて回るような歳に、ミハイルは親離れを強いられたことになる。寂しくなかったはずがない。


「期待されていないとでも思って、大きくなられたの、かな……」


あんなに、ご両親から期待と信頼、それに愛情を寄せられているのに。

今はそんな誤解はしていないようだが、幼い子供の心理には影を落としていても不思議ではない。


『貴方はそのままで充分優秀だと思えるよう、支えてあげてほしいの』


前侯爵夫人に言われたお願いを反芻する。

自分にできるだろうか、ただの期間限定契約妻でしかない自分に。

だが、その一方で―――


『今、侯爵家を預かっているのは私なのだから、(あた)う限りの努力はする』


と笑ったミハイルのことも思う。

いつか、本当にミハイルがオーブリーに侯爵位を譲る日が来るのか、それは分からない。

そうでなくても、ミハイルがただ一言『契約を終えよう』と言えば、オーロラはリンデルト家とは無縁のただの”オーロラ”に戻るのだ。


「それでも、今は私が侯爵夫人。ミハイルの妻、だものね」


期間限定だろうが、契約上の関係だろうが、それだけは動かしようのない事実だ。

なら、その地位にある間は、自分もできる限りのことをしよう。

1年か2年という約束で始めた契約期間は延びることになりそうだが、ただ何もせずそこに居るだけなんてどのみちオーロラには性に合わなかったのだし。

ミハイルが今以上に自分自身を認められるよう、自分に何かできることがあるならなんだってやろう。

いつか彼の元を離れるその日まで。


―――ツキン


「?」


なんだか胸の内に違和感を覚えて胸元を押さえたオーロラだが、すぐに気のせいだと割り切って忘れた。

今はもっと大事なことがあるから、と。


寝ころんだままの体勢で、オーロラは天に向かって拳を突き上げる。


「よーし、やるぞ!」


何をやるかはこれから考えるとして、とりあえず、そう決意した現侯爵夫人であった。




同じ頃、酔いが回ったと装って、隙あらば揶揄ってくるシェイマスから早々に逃げ出したミハイルは、かつての自室にて湯浴みをしていた。自室といっても、ほとんどこちらで過ごしたことがないミハイルにとってはなんの思い入れもない普通の部屋だったが。

手伝いの使用人も断り、1人でぬるい湯に浸かる。

先ほどオーロラとの別れ際に取った自らの行動がよみがえり、思わずパシャリと自分の顔に湯をかけた。


「調子が狂う……」


最初の頃は本当に、ただ自分に惚れたりしなさそうな珍しい女性を見つけたくらいの興味と、契約結婚相手にうってつけな人材だという評価だけだった。


「転機は多分、あの花だ」


濡れた髪を掻き上げながらミハイルはひとりごちる。

婚姻式から数日経った頃に執務室に飾られたあの花。

それまで、自分の留守中は趣味の読書をしていたという妻の行動報告にそうかと返すだけだったのだが、花が飾られた翌朝、食事の席で礼を言ったら、なんともまあ絵に描いたように見事な作り笑いが返ってきた。

そう来たかと面白くなって、さらに「好きな花なのか?」とミハイルが聞いてみたら、オーロラは少し考えたあとこう答えた。


「好きな花というか、知っている花ですね」

「知っている?」

「北のバーリエでは見かけない花も王都付近にはたくさん咲いてますし、また逆に北では見たのに王都では見ない花もあるのです。

こちらの庭園は魔法で気温などを管理されていて、様々な地域の花が咲いているので素晴らしいです。

なんだか嬉しくて、本来なら王都にはない、北部特有の花だけを集めてみました」


四季折々、様々な地域の花を集めた侯爵家の庭園は何代か前の当主が妻のために造園したものだったそうだ。侯爵邸を訪れた客人から賞賛されることもままあるが、ミハイルには絶えず花が咲く庭だなくらいの認識でしかなかった場所だ。

彼女の出身地のバーリエ伯爵領は王都から北寄りにある。当たり前だが気候が違えば咲く花も違うのだ。


「王都では見ない、北の花もあるのか?」

「ありますね。一番驚いたのは“シェナ”がないことです」

「“シェナ”?」

「北部に春を告げる花で、薄紫の花が一斉に咲くんです」

「へぇ」


そんな風に食事の席で雑談するようになり、ミハイルの方から自然と「昨日は何をしていた?」と尋ねる事もあった。最初は会話する二人を疑わしい目で見ていた双子もいつしかそれに加わるようになり、さらには侯爵邸に頻繁に帰ってくるようになったオーブリーまで参加して、賑やかな食事の時間となることが増えていった。

使用人に見守られながら一人で食事する事が多かったミハイルにとっては、今までにはなかったことだ。


(家族が増えて、なんとも賑やかになったものだ)


そう考えて、ハッとした。


(ちがう、彼らは)


契約結婚の相手として利用させてもらっている女性と、身の安全のために一緒に連れてきた彼女の弟たち。ただそれだけだと思い出して、馬鹿な勘違いをしたものだとミハイルはひとり自嘲の笑みをもらした。だが、気を取り直して続けた食事は、味がしなかった。


「お疲れですか?ミハイル様?」


食事の手が止まったミハイルを気にしてオーロラが尋ねてきたのに大丈夫だと少し笑みを返す。彼女がミハイルに向け見せる表情は、相変わらず恋慕には程遠いようだが、それでもいつの間にか作り笑いではなくなりつつある。

たが、契約が終われば、彼女は侯爵邸から去る。あの賑やかな光景も霧散し、もう戻らないのだ。


バーリエ領でグリフィスと話して、ミハイルは自分が今の関係を気に入っていることを再認識した。

オーロラに笑って侯爵邸で過ごして欲しいと、普段下げない頭を自然と下げるほど。

仕事を手伝いたいと真っ直ぐ目を見て訴えてきたオーロラの顔を思い出す。

これからもっと、たくさんの時間を共有していけば、彼女の中での自分の立ち位置は変化するだろうか。どうすれば変化を促せる?

さあこれからどうして行こう、と楽しげに考えるミハイルだったが、油断した途端に再びオーロラの頬の感触を思い出してしまい慌てる。一度湯に頭の先まで数秒潜ってから、ザバリと立ち上がった。


「変態か、私は……」


湯を(したた)らせながらなにやってんだと顔を覆ってしばし唸った後、ミハイルは湯から上がった。


「本当に、調子が狂うな………」


呟きながらタオルに手を伸ばすミハイルの顔には、言葉とは裏腹にどこか楽しげな表情が浮かんでいた。





ミ「ん゛んっ…私はいきなり何をやって……!」

父「なんだいミハイル、顔が真っ赤だよ?」

ミ「…っ、なんでもないですっっ」

父「ふぅ〜ん(にやにや)」

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