0と1
…………ここは?
子供の頃の景色? 母親。 父親。それから昔のお家。 私の家だった家。 過去の家。手を母に伸ばす。 とても小さな手だ。 とても弱々しく儚げな手だ。
景色が変わる。グルグル変わる。幼い頃だったり。小学、中学、高校。そして昨日。
突如として起こる現象に脳がついていかない。 気持ち悪い。 目が回る。 目を閉じているのに頭の中でいつまでも永遠かのように目まぐるしく。何度も何度もなんどもなんども映し出される過去。
《聞こえるか?ニンゲン》
声が聞こえた。……聞いたことの無い声。とても中性的な声だ。
その瞬間映し出されていた過去達が止まり。たちまちよくわからない空間に独りぼっちになった。
「誰? 誰なの? これは何なの?」
《哀れなニンゲンよ。 何故ここへ来た》
心の中で声がする。心という如何にも曖昧な表現だが、そうとしか私の言葉では言い表せない感覚だ。
「ここって……。 というかここってどこなの? 私は……」
《言うならばここはお前の意識の中。潜在意識下だ。》
潜在意識? 何を言っているのだろう。よくわからない。いや、それよりも。
「猫ちゃん……ねぇ猫ちゃんは? 猫ちゃんが倒れてて、なんか変な柱のところで。ねぇ。知ってるの? 猫ちゃんはどこ?」
《ネコチャン? ……ああ。アレか。アレはもう遅い。手遅れだろう。あとは消えるだけだ。 アレはアレで愚かと言うか哀れというか》
「え? どういう事? 消えるって?……どうして」
《さて、どうしてだろうな》
「ちょっと……ふざけないでよ。 猫ちゃんに何かしたの? あなたは何なの?」
《質問が多いなニンゲン。答えたとして、それでお前は理解出来るのか?ニンゲン。 理解して、アレをどうにかする事が出来るとでも言うのか?ニンゲンよ》
「理解は……わからない。 出来ないかもしれないし、出来るのかもしれない。 けど、どうにかしたいと思っている。という事はわかる」
《曖昧で甚だしく愚かだな。ニンゲン。そうだな。例えばだが、アレを助けたいと思い。そして助けたとする。 しかしその過程でお前が死ぬとしたらどうだ? 或いはニンゲンを辞めなければならない。そうなればどうだ? お前はニンゲンを辞められるか? 死ねるのか? アレの為に。 ……もっと言うと、この世界が終わる。とか。それでも助けると言えるか?ニンゲン》
「……」
《理解しているかしていないかは知らぬがニンゲン。 そもそも何かの為に、或いは人の為になどと言う事は、お前達のこの世界において有り得ぬ事だ。 あったとするならそれこそ“偽”だ。偽りだ。 自分の事を差し置いて人の為などと思う事自体、本当の意味では出来まい。お前達の様な愚かなニンゲンには。その点において先人達は理解していたのかも知れぬな。人の為と書いて偽り、とな。》
「…………」
《どうした?ニンゲン。 恐れたか? やはり本質的に生物的に、いざという時はニンゲンお得意の偽善すらも出ぬか。 もう去れ。己の愚かさを知り、そのまま生きろ。 そして死んでゆけ。》
「……そうかも知れない」
「でも。そうではないの」
《ほう。続けろ》
「私はたとえ死んでも。……死ぬなら……死んでしまうのならそれでいい……かな。 ニンゲンをやめる?って事はよくわからない。わからないけれど…別にそんな事を天秤にかけたりはしない。 世界なんてもっとよくわからない。私はバカだから」
「私は助ける。そう思うから助ける。助けたいと思うから助ける。 助けられるなら助けるべきだ」
「偽善かも知れない。偽りかもしれない。例え偽物だったとしても、助けられるものがあるのなら、助けるべきだと、助けたいのだと私は思う。私が……それこそ”人が為す” べきなのだと私は思う。」
「それにこれは、この想いは人の為でも誰かの為でも無い。私の為なのだから」
《戯言を。 そうか。なら死ね。傲慢で、強欲で、そして愚かなニンゲンよ…………》
*
気がつくと現実世界?に戻っていた。状況を見るに現実……とは思えないような感じではあるのだが。 相変わらず猫はグッタリしている。生きているのか死んでいるのかさえわからない。 そして相変わらずアレは、そこに在るのが不自然くらいの輝きを放ち、存在している。
最後の会話でこう言っていた。
《本当に助けたいと思うのなら。死をも厭わぬと言うのなら。 アレを抱き、私に触れよ》と。
触れれば助かるのだろうか? 触れれば私は死んでしまうのだろうか?
……考える事はない。
ただ……。
ありがとう。お父さんお母さん。
ごめんなさい。
私はそっと猫を抱きあげた。