はじまりとわたし
目は口ほどに物を言う。
髪型は、手や足は、姿勢は、容姿は、服装は。
あるいは仕草、立ち振る舞いに至るまで、どうやら口ほどに物を言うらしい。
口よりもよく喋る場合もあるらしい。
ーーよく言った物だ。
結局のところそれらも言葉同様、他人からの解釈しだいである。
耳を持ち、口を持ち、巧妙に、時に神妙に会話する生き物。
それが私たち人間。
人間として生まれ。人間を愛し、直向きに愛そうとし。
愛というものを、その形を、その意味を、改めて考えさせられたあの日々の事を振り返ろうではないか。
ネコと出会ったあの日の事を。
私は至って普通の人間で、
この場合普通という言葉が適切なのかはわからないが、特出すべきところもなく、成績も、運動神経も、外見も、しゃべり方、笑い方など、
人間を、もっと言えば”個”というものを構成するほとんどのものが普通と言ってもよい。そんな人間だ。
普通な人間なんていない。だとか
普通とは一体何から見て普通なのか?だとか
そう言う類いのことは一旦置いておこう。
自分を客観視した時に、一番に感じた印象。
それこそがその”普通”だったのだ。
自我同一性というか、存在証明というのか、
…そう。アイデンティティと言えるものが私には無かったのだ。と思う。
そんな私は今日もバイトだ。
大学には行かないとしても普通に学業を終え、成人し、順風満帆…とまでは行かずとも、普通に生活をしている。
特段贅沢をする訳でも、かと言って貧相…と言う訳でもなく、そう、至って普通。文字どうり並な日を通り、日々を過ごしている。そんな並日通りを堂々巡りしている。
バイトも普通。
あまり人と関わるのも嫌な私は、飲食業などは避けて、いわゆる清掃業をしている。
まあ、このあたりは特段どうでもいいので割愛させて頂こう。
なぜ就職をしていないか?だって?
そんな事は決まっています。怠惰なのです。
そう、本当はバイトなんかもしたく無いくらいに私は怠惰なのだ。ナマケモノである。
夢も無ければ彼氏もいない。ピチピチの23歳なのだ。
私の事を少しばかり、ほんの少しばかり理解はせずとも分かって頂いた、共感して頂いたところで、そろそろ語らせて頂こう。話すと言ってから若干の遠回りをしてしまうのが私の癖だ。
ともあれまずは私の日常が並々な日々から、並々ならぬ通りへと迷いんだあの日の事を。