福岡紀行
GW最後の二日間、福岡へ小旅行へ行った。教養人たる者、時間があれば遠出し、見聞を広めて教養を深めねばならぬのだ。
嘘だ。本当はただ福岡の眼科に行くからついでに遊んでこようと思っただけだ。年収200万そこそこの中卒社会人に教養もクソもあったもんじゃない。
そんなわけで、福岡に行きました。
高速バスに乗り込むやアナウンスが流れる。大雨のせいで運行が遅れているとか。たしかに雨はひどく、風も強い。福岡に行ったらまずは“いのちたび博物館”に行って恐竜を見ようと思ってたのだが、こんな雨の中行くのはちょっとめんどくさい。なので二日目に行く予定だった板付遺跡に行くことにした。
博多駅で降り、ローカル線に乗り換えて笹原駅で降りる。折り畳み傘がぶっ壊れていたので途中、ダイソーに寄って傘を購入。どうせ傘買うならシュバルツゼクスプロトタイプマークⅡ的なやつが欲しかったのだが、普通のビニール傘である。まあ、ゴスロリチックなアイテムは美少女が持てばオツなもんだが、私は身長だけロリなおっさんなので仕方ない。どうせチビなら美少年に生まれたかった。そしてお姉さんがたにちやほやされたい人生だった。
閑話休題。
10分ほど歩くと板付弥生博物館に到着。受付で初老の事務員に挨拶して中に入る。
最初にあったのは土器だ。縄文時代後期の夜臼式土器と、弥生時代早期の板付式土器。だいたい紀元前400年ごろのもの。
紀元前400年、といえばちょうどギリシアの哲学者ソクラテスが死んだころだ。古代ギリシアの土器といえば宴会のときに投げて遊ぶ薄い皿がある。酒好きなギリシア人だけに宴会となると理性も投げ捨てて皿を投げ合ってぎゃいぎゃいはしゃぐわけだが、彼らの投げて遊んだ土器なんか見てもロマンの欠片もないだろう。
もうちょっと上品なところで行くとアテネ産の壺がある。さすがはギリシア世界の学校と呼ばれたアテネだけあって、芸術品の完成度も高い。戦車を描いた壺なんて大迫力だ。
それに比べて弥生時代の土器の完成度は低い。実用性の面では十分かもしれないが、芸術面ではやはり劣っている。
世界最古の土器は青森県から出土している。土器の歴史が長いのだから完成度だって最高峰に達していそうなものだが、実際にはギリシアに先んじられている。この差はやはり、他文化との交流の有無だろう。
ギリシアはペルシアやエジプトなんかと常に交流があった。しかし日本は周囲を海に囲まれている。渡来人といっても、その規模は小さい。
一匹狼気取ってる系ぼっちの私としては、他者との交流(笑)だとか、人から刺激を受ける(笑)とかいういかにも陽の者が好きそうな考えに同調するのは嫌なのだが、やはり文明の発展には交流が必要なのだろう。まあそれがわかっところで今から友達百人作って女とっかえひっかえウェーイウェイできるかというとできるわけがないのだが。コミュ障だからね、仕方ないね。
土器のあとは古代の農具、紡錘器と続く。土器作りの風景の写真もあった。ちょうど今書いてる小説が原始の世界でTOKIOばりにブッシュクラフトする話なので、資料にちょうどいい。写真撮影は可能とのことなので、バシャバシャ撮りまくる。他に人もいないので遠慮する必要もない。
最後に環濠集落のジオラマをじっくりと見る。環濠集落は2本の川に挟まれた中洲のような場所にある。二重の土手に守られた、南北110m、東西81mの卵形。環濠の周囲には水田がある。
見ていると、受付の事務員の人が話しかけてきた。
「なにか質問とかありますか?」
コミュ障だが、相手が若い女の人とかでなければ緊張もさほどではない。手早く頭の中で疑問をまとめる。
「環濠って、防衛のためですよね?」
「いえ、この環濠ができた時代はまだ大規模な戦争はなかったんですよ。もう少し後になったら吉野ヶ里遺跡みたいにしっかりした防御施設もできるんですけど。矢が刺さった死体とかも多く出てて倭国大乱の時じゃないかって言われてるんですけどね」
「はあ。じゃああっちにあった投弾ももっとあとの時代なんですか?」
「ええ、ええ、そうです。ジオラマの用水路なんかは縄文時代にできたものなんですけどね」
川だと思ってたのは用水路だったらしい。
「じゃあもう環濠って狼とか、獣避けくらいのものだったんですかね?」
「あっちに壕と壕の間の溝の出土したときの模型があるんですけど、見てわかる通り2メートルくらいある。風化で削れてるけど、当時は3メートルくらいったと考えられてます。なので狼避けにしては大規模ですね」
「はあ、なるほど。人口ってどのくらいいたんですか?」
「住居がいくつあったかはわかってないんですけど、最大で二十軒くらい。一家に7、8人としても、多くても200人くらいでしょうね」
「これ、家は環濠で守られてますけど、畑は野晒しというか、守られてないですね」
これはとぼけた質問だ。都市国家でも、畑は城壁の外にある。畑すべてを囲う城壁など非現実的だ。最盛期のアテネでも、港のピレウスと結ぶ城壁は作ったが、畑を囲う城壁などは作っていない。
「そうですねえ。環濠の中の、三日月状に区切られたところあるでしょ? あそこは食料の貯蔵場所だったみたいで、なにか特別な目的に使う食料をわけてたんでしょうね」
質問を終えると、縄文時代の紡錘器を使って糸紡ぎを体験できるコーナーがあったので、それをやってから事務員さんとは別れた。
一通り写真を撮ると、博物館を出る。次は遺跡だ。
果たして縄文時代の環濠集落はどんなものか。防御能力はどうか、中にどれだけの食べ物を蓄えられるのか、それによって継戦能力も決まってくる。
さて実物を見てみると、それらの疑問は吹き飛んだ。
どうやら事務員さんの言っていた通り、これは本格的な戦争のない時代に作られたものだろう。
2メートルほどの土手が二重に囲む集落は、とても籠城などできるものではない。
当時は3メートルはあったというし、溝の底に竹槍でも突き刺しておけば防衛力はいくらか強化できるだろう。
戦い方は、ひねらず考えれば次のようになる。
敵が来たらまず、外側の土手の上から矢や、博物館で見た投弾を投げつけて敵戦力を減殺。ある程度まで近づかれたら、あらかじめ用意していた板を渡って内側に入る。そして土手を越えようとしてくる敵に、内側の土手から再び飛び道具で攻撃する。当然、二箇所の出入口が脆弱なのでそこには兵力を集中させる必要がある。
人口最大200人。その中から女子供老人を除いた純戦闘員は3分の1程度だろう。すると70人弱。最大でこの数だから、実際には50人といったところか。
二つの出入口に10人ずつ、残りの30人を土手にあげれば全方位はカバーできる。先ほど除いた老人のうち、まだ体力のある人間は予備戦力として使える。戦線が突破されそうなところにはこの予備役をあてる。
土手を越えてこられたら接近戦。こんな狭い集落で、しかも住居があるならば、横隊戦術など使えない、MOUT(市街地戦)も発達していない時代、戦術行動はとれず、必然的に混戦となる。となれば、あとは個々の兵士の戦闘力がものをいう。
この戦い方なら、ある程度優勢な敵でも撃退できただろう。だが、被害は相当に出たであろうし、それなりの兵力で囲んでしまえば簡単に堕とせる。やはり大規模な総力戦を想定したものではないし、苛烈な戦争を経験する前の時代なのだろう。そして、日本における最初の苛烈な戦争というのが倭国大乱。
だが2、30人程度の野盗相手には大いに効果あったろう。夜間は土手の上に数人の見張りでも置いておけばいい。
環濠の中には6つか7つ、藁葺きの家があった。周囲をぐるりとめぐり、遺跡見学は終了。
駅まで戻り、次は、宗像大社へ向かう。
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私は数年前、竹田恒泰先生主催の伊勢神宮にお泊まりしよう的な企画に参加したことがある。今年の初詣は出雲大社へ行き、京都旅行に行ったときはオタクな友人と稲荷大社へ行ってインフィニット・鳥居(最上級封印魔法。相手は無限に続く鳥居の監獄に囚われる。相手は死ぬ)という必殺技を考えるくらいには敬虔で信心深い人間だ。福岡に来て宗像大社へ行かないはずがない。
電車を降り、バスを待つ。雨はさらにひどくなり、風も強い。寒い。ガチで寒い。ぶっちゃけ帰りたい。
だがここまで来て巫女服を拝み……じゃなくて神社へ参拝しないのは巫女さ……もとい神様に失礼だ。がたがた震えながら待ち続け、ようやくバスが到着。
乗客は3人ほど。後ろから二番目の向かって右側の席、夜神月がFBI捜査官のIDを見るために座った場所に座る。残念ながら銀行強盗帰りの麻薬常習犯は乗ってこなかったので、つつがなく目的地へ着いた。
鳥居の前に屋台がひとつ出ていたが、参拝客は見当たらない。寒いのは嫌だが、この静けさは嫌いじゃない。神社へ行ってクソうるさいパリピとかいたら最悪な気分になる。
一礼し、鳥居をくぐった。パリピと違って礼儀作法のできた俺は道の真ん中を歩くことなく、手水舎へ向かう。手水舎はひしゃくがなく、水が竹筒から流れっぱなしだった。手を洗い、口をすすいで本殿へ。
さすがに祓え祝詞を唱えるのはめんどくさいので、二礼二拍手一礼のみ。
境内は伊勢神宮のように巨大ではないが、これはこれで気品があって好きだ。本殿は中に百人一首のような絵がかけられてあった。
あー、あれでしょ、畳の縁の色で座ってる人の位とかわかるあれでしょ? 知らんけど。
本殿から見て左側に、小さな道があった。屋根のある5メートルくらいの廊下をくぐると、ずっと奥まで続いている。
高宮斎場、というのがあるらしい。せっかくなので見ていくことにした。
と、奥から白いシルエット。
雨の中、傘を差し、紅い袴を履いた女性。
巫女さんである。
雨の中、薄明かりの中をひとり歩く巫女さんという、神秘的な光景。
来てよかった。神に感謝。
巫女さんを見たおかげで寒いのも気にならず、鎮守の森の中に走る小道を行く。途中、三叉に分かれた大樹があった。白いワンピースを来た少女とか座ってそう。たぶん強キャラ。
高宮斎場は道の突き当たりにある、長方形の空間だった。
ぞっと、恐ろしいものを感じた。古代から連綿と続く、神聖な空間。現代人の私の胸にも、奥底から畏れの感情が沸き起こってくる。
軽く手を合わせ、その場を後にした。
境内を出て、バスが来るまで喫煙所で雨宿り。20分ほどでバスが到着。だがこれは遠回りなやつで、まっすぐ帰れるバスはさらに20分待たねばならない。
雨の中、追加で20分はちょっと嫌だったので遠回りのバスに乗る。
乗車してすぐの席に、もうとんでもなく可愛い子がいた。もし私がヤリチンパリピ王子だったら速攻声かけてホテルにお持ち込みできていたのだろう。だが私はナンパどころか、クラスの女子に話しかけただけでストーカー扱いされて教師を呼ばれ、けっこうガチトーンで説教されて次の日クラス中の女子から白い目で見られる人間。ていうかこんだけ可愛かったら絶対彼氏いるだろ。その彼氏はこんな子とヤり放題かよ、羨ましいなー、死ねばいいのに。
気分が悪くなった。三次元女子から見えをそむけ、窓の外を見る。そこには田園風景が広がっていた。あるいはこのあたりの農業も、縄文・弥生時代から続いているのだろうか。遠回りなバスに乗ってしまったが、古の世界に空想を馳せるこの時間は悪くない。
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博多へ戻ると、時刻は6時。ちょうどチェックインの時間だ。ホテルへ行き、部屋に入るや荷物を放り出す。あとで旅行記を書くつもりなので、忘れないうちに今日あったことを書いておくことにした。iPadとキーボードを取り出す。
ホテルで執筆、といえばカニ那由多だ。カニ那由多といえば全裸だ。というわけで全裸になった。これで文章力50%上昇。
が、その前にお腹が減った。飯を買いたい、ついでに酒も買いたい。
…………………………。
迷った末、脱いだばかりの服を来てコンビニへ。
まずは日本酒。上善如水と浦霞があった。前者は飲んだことがあるので、後者。次に目に入ったのは漆黒のやたらかっこいい缶。ジャックダニエルコーラだ。普段この手のは飲まないのだが、かっこいいので買った。あと、スパークリングワインもひとつ。
すぐ近くにあったホットモットでナポリタンと鳥つくね弁当を購入。ホテルに戻り、ジャックダニエルを開けた。
うん、辛めのコーラ。普通のコーラでよくない? 安いし。
ナポリタンを食い、風呂をため、我が魂のアニメ「あだちとしまむら」を見ながら日本酒を一杯。風呂から上がり、シャンパン片手にあだちに萌え萌えしていると、なんと10時を越えているではありませんか。
ほげええええ! な、なんでこんな時間なんだああ! もう寝る時間じゃないかああああ!
だが今寝たら絶対今日あったこと忘れる。私は鳥頭で有名なんだ。明日は眼科に行ったら帰るだけだし、眼科の予約も11時。夜更かししてもいっこうに構わん!!
水を飲みまくって酔いを覚まして日記を書く。ついでに旅行記のタイトルも考えることにした。
なんだろう、漢の一人旅〜古代の息吹編〜とかだろうか。いや、どうだろうか……。
一息つくため、暇つぶしに持ってきてた文庫本を開いた。ヴェネツィア共和国の歴史書だ。
ヴェネツィア共和国といえば、崩壊前にゲーテが訪れたことで有名だ。ゲーテの書いたヴェネツィア紀行はヴェネツィア共和国史についての第一級の資料でもある。
ヴェネツィア紀行、か……。
シンプルでいいね。
というわけで、タイトルが決まりました。